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MLB記録 タイトル

藤田 一也



23
名前 ふじた かずや
生年月日 1982年7月3日
経歴 鳴門第一高−近畿大−横浜(04年D4巡目)−楽天
入団年 04年ドラフト4巡目
在籍年 05年−12年:22年−
背番号 05年−12年[23]:22年[3]:23年−[23]
投打 右投げ左打ち
守備 内野手
137打席連続
小学1年からアニメの「ミラクルジャイアンツ童夢くん」に影響されて野球を始める。当初から左打ちだった。鳴門第一高時代から守備力には高い評価があったが、近大の3年春には打率.386で首位打者、4年春には.411で2度目の首位打者に輝くなど打撃も大きく成長。2年時からは4シーズンに渡って137打席連続無三振という記録も作っている。ベストナイン4度。04年のドラフト会議で横浜から4巡目指名を受けて入団した。

初ヒット
ルーキーイヤーとなった05年には7月にイースタンリーグで33打数16安打、打率.485を記録してイースタンリーグの月間MVPに選ばれるなど活躍。7月16日には初の一軍昇格を果たし、9月1日広島戦では初スタメンを任されてデイビーから初ヒットとなるタイムリーを放った。

お立ち台
06年9月7日の広島戦では守備固めで途中出場。延長10回裏に藤田のレフト前ヒットから二死満塁というチャンスを作ると佐伯の打席で広島の捕手石原のミットが佐伯のバットに当たってまさかのサヨナラ打撃妨害で試合終了となり、お立ち台にはなぜか藤田が上がった。同年には65試合に出場し、シーズン終盤にはスタメンのチャンスも貰ったが打率.203と結果が残せなかった。

初の猛打賞&5安打&ソロ
07年6月11日に小瀬スポーツ公園野球場で行なわれた西武戦で初回に犠打を決めると、そこから3打数3安打を記録して初の猛打賞を達成。そして2年後に行なわれた小瀬スポーツ公園野球場でのヤクルト戦では初回に先制点に繋がるレフト前ヒットを放つと、2回裏に勝ち越しタイムリーとなるスリーベース、4回裏にセンター前、6回裏にツーラン、8回裏にライト前ヒットと打ちまくって5打数5安打を記録。10年にも第1打席にチェンからレフトスタンドにソロを運んで同球場で初打席から9打数連続ヒットを記録した。

スタメン掴む
09年は仁志の不調もあってセカンドのスタメンの座を掴むと自己記録を大幅に更新する120試合に出場し、打率.269にチームトップの5三塁打、24犠打を記録した。また守備では再三の好守を見せて、エラーもわずか6という素晴らしい成績を残した。

控えで3割
10年はカスティーヨの加入でベンチに回ったが、5月19日の楽天戦でカスティーヨの故障でスタメンで起用されると3回表に二死一、二塁で逆転の2点タイムリーツーベースを放ち、5回表には一死二、三塁という場面でスクイズを失敗してしまったが、なおも続くチャンスでセンター前にタイムリーを放ってミスを取り返すなど結果を残し、規定不足ながら打率.308を記録した。

夏場にスタメン奪取
11年も新加入の渡辺直にポジションを奪われて前半戦は代打の切り札として3割近い打率を残した。7月30日の阪神戦でスタメン出場するとツーベースを含む3安打を放ってアピール。次のスタメンは8月11日の巨人戦となったがこの試合でも2安打を放つなどスタメン試合で4試合連続複数安打を記録して渡辺直からスタメンの座を奪い取った。同月には打率.436(39打数17安打)、出塁率.532という素晴らしい成績を残すと、10月4日の巨人戦では先制スリーランを放って国吉の初勝利に貢献。2年連続で規定不足ながら打率3割を記録した。

初めてのハマスタでのお立ち台
12年には4月20日の阪神戦で2点をリードして迎えた9回表の一死一、三塁という場面で俊介の放った三塁線への痛烈な打球を華麗に捌いて開幕から6連敗を記録していたハマスタでの初勝利に貢献した。先制ツーランを放ってお立ち台に上がった中村紀は「今日のヒーローは藤田選手です」と藤田を称えた。6月10日の楽天戦では勝ち越しタイムリーを含む2安打2打点を記録して意外にも8年目で始めてとなるハマスタのお立ち台に上がった。藤田は「めちゃくちゃ気持ちいいです」と喜んだが、その2週間後に楽天へのトレードが発表された。

楽天移籍
突然のトレードを受けた藤田は「大学時代にベイスターズに入りたくて、横浜ベイスターズに入団することを選びました。これまで8年間できたのは、ベイスターズファンの皆さんのおかげです」とファンに感謝を伝え、チームメートとの挨拶では涙を流して別れを惜しんだ。移籍後の6月26日には早速好守で勝利に貢献すると、7月7日の西武戦で4安打を放ってアピール。9月7日の西武戦では先制タイムリーを放ってお立ち台。9月18日のロッテ戦では5打数5安打4打点を記録するなど移籍後は打率.308という好成績を残した。

ついにレギュラーに
13年は開幕から2番セカンドの座を掴んでスタメンに定着。5月15日には古巣の横浜スタジアムで同点タイムリーを含む3安打を放って横浜ファンからも拍手を送られた。6月29日のオリックス戦では糸井が放った二遊間の打球をダイビングキャッチで抑えるとノールックで二塁へトスして一塁ランナーをアウトにするなど持ち前の守備力で再三にわたってチームを救い、9月17日のソフトバンク戦では4打数4安打を記録するなど打撃でもキャリアハイを更新する128安打を放って楽天の初優勝に大きく貢献。星野監督からは「お前がいたからここまで来れたよ」という最大限の賛辞を貰った。

日本シリーズで涙
巨人との日本シリーズでは第3戦で決勝打となる先制タイムリーを放ってお立ち台に上がった。2勝2敗で迎えた第5戦では延長10回表に西村のストレートを左膝に受けて負傷、治療を受けてベンチに戻ると、銀次のセンター前ヒットで痛みをこらえながら三塁に進んだが、見かねた星野監督が代走を送って交代となった。悔しさを隠せず涙を流しながらベンチに下がった藤田には大きな声援が送られた。試合後には車椅子移動となったが、中1日を置いた第6戦以降も強行出場。第7戦ではヒットを放つなどチームの日本一に貢献。同年には自身初のゴールデングラブに加えてベストナインにまで選出された。またテレビ番組「すぽると!」で企画された「現役選手100人が選ぶこの選手が凄い!」の守備部門でダントツ1位の26票を集めた。

全試合出場
14年は移籍3年目にして楽天の選手会長を任されて自身初の全試合出場を達成。初出場となったオールスターでも2安打を放ち、夏場までは3割近い打率をキープするなどキャリアハイを大きく更新するペースでヒットを量産したが、チームのCS出場が絶望的になった終盤戦に失速し打率.269に留まった。それでも2年連続でベストナインとゴールデングラブに選出されて年俸も1億円を超えるなど一流プレーヤの仲間入りを果たした。

好調も
15年は打撃不振に苦しんだチーム状況にあってクリーンナップを任されるなど多くの役割を要求される中で3割前後の打率を残し、5月22日の西武戦では満塁ホームラン、6月9日の横浜戦では8回裏に田中から同点タイムリー、翌日の横浜戦でも8回裏に田中から同点タイムリーと打点を量産し、盗塁も20盗塁が狙えるペースという素晴らしいシーズンを続けていたが、6月20日のロッテ戦で内野安打を放った際に右足を痛めて負傷交代、軽度な肉離れという診断で抹消となり、7月31日に一軍復帰を果たしたが復帰後は打率を大幅に落としてしまった。

ハマスタで活躍
16年は開幕直後の4月5日のオリックス戦の守備で走者と交錯して肋骨を亀裂骨折、4月30日に復帰を果たしたが打撃不振に苦しんで徐々に若手にスタメンの座を奪われる事が多くなったが、途中出場となった6月12日の広島戦でサヨナラヒットを放つと、6月17日からの古巣の横浜スタジアム3連戦では初戦で先制打を含む4安打を放ってお立ち台、第2戦で3四球に犠飛、第3戦ではヒットコースの打球を2回併殺に仕留めるなど横浜ファンに健在ぶりをアピールした。シーズンを通しても打率は.265に留まったがリーグトップの得点圏打率330を記憶するなどまずまずの成績を残した。オフにはCS初出場を果たした横浜の試合を東京ドームで観戦する姿が目撃されて、FAでの古巣復帰が噂されたが楽天に残留となった。

交流戦で活躍
17年は主力選手の銀次がセカンドに転向したこともあって開幕スタメンを逃したが、チャンスを貰った試合では結果を残し、交流戦に入ると5月30日の巨人戦で菅野から2年ぶりのホームラン、首位チーム同士の対決となった6月11日の広島戦で8回裏の勝ち越しタイムリーを含む3安打、18日の阪神戦では原口が放ったセンター前へ抜けようかという打球をダイビングキャッチで好捕すると倒れたままの素早いグラブトスで併殺を完成と存在感を見せた。7月19日に腰痛で抹消となり一か月間チームを離れたが、10月8日のソフトバンク戦では決勝ツーランを放って則本に15勝目をプレゼントした。

開幕戦で決勝打
18年は延長12回の熱戦となった開幕戦で12回表に決勝タイムリーを放って雄たけびを上げた。開幕から3割前後の高打率をキープ、交流戦で失速したが6月7日の巨人戦では同点で迎えた8回表に上原から右翼ポール際のへ大飛球を放つと、一旦はファウルと判定されたがリプレイ検証で勝ち越し弾になってお立ち台に上がった。藤田は「ファウルなのか本塁打なのかわからなかった。ビデオ判定で覆ってよかったです」。セカンドのスタメンとして活躍したが、8月3日のロッテ戦でヘッドスライディングをした際に左胸を強打し、肋骨の骨挫傷で抹消となった。9月8日に昇格するといきなりソロを含む3安打を放ったが5年ぶりに100試合出場を果たせなかった。

新たなポジション
前年の打点王浅村がFAで加入し、セカンドのポジションを失った19年はショートでの出場を目指して自主トレを行い、ショートでスタメン出場した4月3日の日本ハム戦では3安打に加えて再三の好守で勝利に貢献、5月14日の日本ハム戦では有原からライト前ヒットで1000安打を達成、翌日の日本ハム戦では0対8から追いついて迎えた11回表に勝ち越しを阻止する好守を見せると、その裏にウィーラーの浅いライトフライで三塁からタッチアップし、ヘッドスライディング中に左手を浮かしてタッチをかわして右手でサヨナラのホームにタッチする好走塁を見せた。3割5分を超えるという高打率でショートのスタメンを掴んだが、19日に股関節を痛めて抹消となった。

ハマスタで復帰
故障から一か月後の6月23日に一軍復帰、同日に横浜スタジアムで行われた横浜戦の9回表二死から代打で登場して横浜ファンからも大きな歓声を受けた。復帰後は極度の打撃不振に苦しんだが、し烈なCS争いが続いたシーズン終盤には9月18日のソフトバンク戦では6回表にバスターでライト前に決勝点となるタイムリー、20日の西武戦で8回裏に同点ソロと活躍してチームの3位浮上に貢献した。だがCSではスタメンで出場した第3戦で最後の打者になるなど7打数0安打と好結果は残せずチームもファースト・ステージで敗退した。

10年ぶりに復帰
20年はすべて途中出場で55試合に出場、打率.200と打撃不振に苦しんだが、守備固めでも多く出場するなど堅守を評価されて現役続行となった。だが21年は2軍でまずまずの結果を残したが1軍出場のチャンスはもらえないまま戦力外通告を受けた。楽天からはポストの打診もあったが現役続行にこだわり、横浜に10年ぶりの復帰となった。

復帰後初ヒット
復帰初年度のキャンプでは初日から精力的に動き回り、三浦監督も打撃投手を務めた特打ではフラフラになるほど振り込んだが、張り切りすぎて左ふくらはぎを痛めて離脱となった。開幕は2軍で迎えたがコロナウイルスの影響で主力が大量に離脱した4月12日に1軍へ昇格、ハマスタ凱旋となった15日のヤクルト戦では8回裏に大きな拍手に包まれて代打で登場すると、清水のフォークを鮮やかにレフト前へはじき返して雄たけびを上げた。翌日には7番セカンドで935日ぶりにスタメン出場、初回にライト前へ2試合連続ヒットを放った。

お立ち台
4月19日の阪神戦で4回裏の二死三塁で代打で起用されると、しぶとくライト前に同点タイムリーを落として勝利に貢献、ハマスタのお立ち台に上がると「ただいまっー!」と絶叫した。2日後の阪神戦でも代打で勝ち越しタイムリーを放ってお立ち台に上がるなど代打の切り札として活躍、5月18日の中日戦でも二死満塁で代打起用されて三遊間への内野安打で決勝点を上げた。6月4日には古巣楽天戦で代打起用されてセンター前ヒットを放つと両チームのファンから大きな拍手が上がった。7月10日に抹消となったが、シーズン最終版の9月28日に1軍へ復帰、翌日の復帰戦で40代初安打となるセンター前ヒットを放った。

CS
CSでは阪神とのファーストシリーズで青柳対策として初戦に6番サードでスタメン起用、佐藤輝が放った三遊間への鋭い打球を好捕する好守を見せると、その直後の打席で内野安打を放った。1勝1敗で迎えた最終戦では1点を追う9回裏に一死満塁で代打藤田がコールされるとハマスタから大歓声が上がったが、初球をはじき返した打球はセカンド正面へのゴロとなりバックホームから一塁へ転送されて併殺で試合終了となった。一塁へヘッドスライディングを見せた藤田は起き上がることができず、オーステインと小池コーチに抱きかかえられて何とか立ち上がったがショックを隠せなかった。

引退
かつての背番号23を背負っていたオースティンからの提案で背番号23に戻った23年は2軍での調整が続いたが5月30日から5試合にまたがって6打席連続ヒットを記録するなど夏場に向けて状態を上げて7月11日に1軍昇格、15日の広島戦で代打で栗林からツーベースを放って同年の初ヒットを記録、8月下旬からは代打の切り札として活躍したが9月21日に同年限りで現役引退を発表した。

守備
引退試合となった9月27日のヤクルト戦では9回表の守備からショートで出場、その裏には涙を流しながら打席に入って大歓声の中でライトフライに倒れた。試合後に行われたセレモニーでは「二遊間の守備が自分はもうできません。4月下旬のランニング中に右ふくらはぎを痛め、動けなくなってしまった。一歩目の打球判断ができても、今まで捕れた打球が捕れない」と守備職人らしい引退理由を語り、続けて「本当は昨年限りで引退のつもりが、CS敗退時に併殺打で最後の打者になった悔しさもあり、今年も現役を続行しました。でももう潮時です」、「ベイスターズのユニホームを着て引退できること、こんなに幸せなことはありません」と涙ながらに語った。

コーチ就任
引退試合後も代打として試合出場を続けて勝てば2位、負ければ3位となるシーズン最終戦では1点を追う9回表二死一、二塁で代打で登場したが空振り三振に倒れて前年の悔しさを晴らすことはできなかった。引退後は育成野手コーチに就任。


初記録
初出場 05年7月27日中日戦:代走で
初安打 05年9月1日広島戦:デイビーから
初本塁打 08年8月19日中日戦:中田から
初打点 05年9月1日広島戦:デイビーから
初盗塁 06年8月31日ヤクルト戦
記録達成日
1000試合 2016年5月17日オリックス戦
1000安打 2019年5月14日日本ハム戦:有原から





05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23
ベストナイン 2回
ゴールデングラブ 3回
オールスター 1回


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
05 横浜 12 9 1 1 0 0 0 1 1 0 0 0 0 0 0 4 0 0 .111
06 横浜 65 133 13 27 2 0 0 29 5 3 1 9 1 3 1 13 2 5 .203
07 横浜 42 76 11 19 5 0 0 24 2 1 1 8 0 4 1 8 0 3 .250
08 横浜 46 108 11 26 5 0 1 34 6 1 1 7 1 2 2 13 1 1 .241
09 横浜 120 346 44 93 7 5 4 122 20 6 2 24 3 7 1 34 4 6 .269
10 横浜 106 201 21 62 8 0 1 73 15 2 2 11 0 6 2 33 2 5 .308
11 横浜 96 188 16 57 8 1 1 70 15 0 0 3 0 10 7 20 3 0 .303
12 横浜 46 111 7 27 3 1 0 32 7 1 1 5 1 8 1 9 2 0 .243
12 楽天 63 172 17 53 8 2 0 65 15 5 2 11 1 4 0 10 4 2 .308
13 楽天 128 466 48 128 17 2 1 152 48 3 3 33 4 21 12 43 7 6 .275
14 楽天 144 517 46 139 15 2 2 164 36 3 5 41 2 16 3 55 12 4 .269
15 楽天 111 392 38 106 14 1 5 137 43 8 3 16 7 28 8 30 3 7 .270
16 楽天 120 408 27 108 13 5 0 131 46 1 1 18 3 19 1 44 7 4 .265
17 楽天 102 270 28 68 9 2 3 90 33 2 1 25 3 16 1 21 8 2 .252
18 楽天 90 248 19 66 10 1 4 90 16 0 3 17 2 18 4 15 4 1 .266
19 楽天 61 124 13 32 4 0 2 42 10 1 0 4 0 7 1 16 1 2 .258
20 楽天 55 35 3 7 1 0 0 8 4 0 0 2 0 1 0 5 2 0 .200
22 横浜 33 36 1 9 0 0 0 9 5 0 0 0 0 4 0 5 1 0 .250
23 横浜 23 21 0 6 1 0 0 7 0 0 0 1 0 2 0 5 0 0 .286
球団 10年 589 1229 125 327 39 7 7 401 76 14 8 68 6 46 15 144 15 20 .266
通算 18年 1463 3861 364 1034 130 22 24 1280 327 37 26 235 28 176 45 383 63 48 .268


  日本シリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
13 楽天 7 27 3 7 1 0 0 8 4 0 0 1 0 2 2 3 0 1 .259
通算 1年 7 27 3 7 1 0 0 8 4 0 0 1 0 2 2 3 0 1 .259


  プレーオフ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
13 楽天 4 12 0 3 0 0 0 3 1 0 0 3 0 2 0 1 0 0 .250
17 楽天 8 24 2 3 1 0 0 4 1 0 0 5 0 2 0 2 0 0 .125
19 楽天 2 7 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 3 0 0 .000
22 横浜 2 3 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .333
23 横浜 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
通算 5年 17 47 2 7 1 0 0 8 2 0 0 9 0 4 0 6 1 0 .149


  オールスター打撃成績
回数 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
通算 1回 2 5 0 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .400


  二軍打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死 三振 併殺 失策 打率
05 湘南 74 283 45 93 10 3 2 115 25 16 19 1 17 26 4 8 .329
06 湘南 11 44 4 15 1 0 0 16 3 3 2 0 2 4 0 3 .341
07 湘南 24 87 11 24 3 1 0 29 11 1 7 1 5 8 1 7 .276
08 湘南 51 186 24 47 5 2 2 62 17 4 13 1 8 23 7 5 .253
11 横浜 3 9 1 3 0 0 0 3 0 0 0 0 0 1 0 0 .333
22 横浜 24 59 3 11 2 0 0 13 2 0 3 0 3 5 4 1 .186
23 横浜 30 46 3 14 4 0 0 18 10 0 0 1 8 3 1 0 .304
通算 7年 217 714 91 207 25 6 4 256 68 24 44 4 43 70 17 24 .290
球団在籍時のみ