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入来 祐作



36
名前 いりき ゆうさく
生年月日 1972年8月13日
経歴 PL学園−亜細亜大学−本田技研−巨人(96年D1位)−日本ハム−アメリカマイナー−横浜
入団年 08年にアメリカマイナーリーグから移籍
在籍年 08年
背番号 08年[36]
投打 右投げ右打ち
守備 投手

幼少期に共にプロ入りする事になる5歳上の智が所属していた少年野球チームの試合でマウンドで躍動する兄の姿に憧れを持った。小学校2年から元自衛官でスパルタの父親に強制されて野球を始める。父親とのキャッチボールは怖くて逃げ出していたが、母親がキャッチボールやバッティング練習の練習相手になってくれたおかげで野球を続けることができた。小学校4年までは背が小さくセカンドを守っていたが、高学年から身長が急激に伸びて中学に入学する頃には170センチに届くまでになった。

PL
中学では投手としてノーヒットノーランを6回達成するなど力をつけた。中3の夏に兄が所属していた三菱重工水島の野球部を見学した際に紅白戦に登板し好投、その試合を見ていたPL学園のスカウトに誘われてPL学園のセレクションを植えて合格。PL学園では甲子園出場はならなかった。

東都23勝
亜細亜大では1年秋に5勝を記録するなど通算23勝を記録した。だが肝心の4年秋に血行障害を起こして手術、リーグ戦に登板出来ず、入来抜きの亜細亜大は最下位となってしまった。2部の覇者で西口 文也を擁する立正大との入れ替え戦でリハビリ中にもかかわらず復帰、3連戦で3連投して第2戦では完封勝利を飾ったが、第3戦は0対1で敗れてチームは二部降格、登板のつけで再び血行障害の手術をすることになった。本田技研に入社すると1年目はリハビリに明け暮れたが、2年目の96年に都市対抗野球でチームを優勝に導き自身もMVPに当たる橋戸賞を受賞。同年の秋に巨人から1位指名を受け入団。

ノーヒッター
初年度は1勝6敗ながら、中継ぎのエース格として57試合に登板し、90イニングを投げ抜いて防御率3.10という好成績を残した。翌98年も先発11試合を含む30試合に登板して7勝2敗で防御率3.58と活躍したが、99年からは故障もあって2年間低迷した。だがそんな中でも99年8月24日には東京ドームで行われたイースタンリーグのロッテ戦でリーグ史上15人目のノーヒットノーランを達成している。

入来兄弟
99年に実兄の智が近鉄から巨人に移籍してきて巨人では始めての兄弟選手になった。だが二人とも思ったような成績が残せず、00年に兄の智が一軍登板なしに終わると、同年のオフに自由契約となり兄弟選手は解散となった。

入来兄弟2
01年は開幕からローテーションに入り勝ち星を積み上げた。巨人への復讐を誓ってヤクルトに入団した兄の智も先発で活躍し入来兄弟がマスコミを賑わせた。直接対決は実現しなかったが共に選出されたオールスターゲームでは第一戦で祐作が先発すると、3回途中から智が弟をリリーフして史上初の球宴での兄弟救援が実現した。また兄弟投手が同じ年にオールスターに選出されるのは金田兄弟、松沼兄弟に続く3組目だった。

ノーヒッター2
01年は素晴らしいピッチングを続けていたが、本分ではないとはいえ打席に立つと全く結果が残せなかった。開幕からノーヒットが続き、9月4日横浜戦ではバワーズに第一、第二打席と抑え込まれてついにリーグ新記録の49打数連続ノーヒットとなった。連続シーズンの無安打記録も77打席にまで伸び、こちらもリーグ記録の79が目前だったが、7回裏に谷口からライト前ヒットを放って記録をストップさせた。

二桁勝利×2
8月19日の広島戦で7回無失点という好投で初の二桁勝利を達成。兄の智も9月18日横浜戦で6回1失点で初の二桁勝利を達成し、兄弟同シーズン二桁勝利を達成。これは82年から84年まで松沼兄弟が3年連続で達成して以来、史上二組目の快挙だった。また弟の祐作は13勝4敗で勝率.765で最高勝率、兄の智は規定投球回不足ながら10勝3敗で弟を上回る勝率.769を記録した。なおシーズン最終戦で勝っていれば最多勝だったが、最終登板が阪神の和田 豊の引退試合だったため、和田が放ったセカンドゴロを仁志がヒットにする空気を読むプレーが響いて白星は掴めず最多勝はならなかった。

移籍
02年は133イニングを投げ、防御率3.05と素晴らしい成績を残しながら5勝4敗と勝ち星に見放されて、第5戦で先発予定だった日本シリーズも巨人が4連勝を飾ったため登板機会が訪れなかった。翌03年はオープン戦で右足の肉離れで離脱、その後も筋トレで体重が8キロ増加したが肉離れを繰り返して登板ゼロに終わり、オフになるとポスティングでのMLB移籍を要求し球団と争ったが、懲罰とも思えるトレードで日本ハムに移籍することになった。だがその際に日本ハムと2年後にMLB移籍を容認するとの契約を結んでいたと言われる。

MLB挑戦
大きな話題となった巨人とのトラブルが精神的なダメージとなって移籍初年度のキャンプではイップスとなったが、ヒルマン監督から「お前は何も悪いことはしていない」と声をかけられて徐々にイップスから立ち直った。5月12日のロッテ戦では3回表に井上純のツーベースなどで2点を失ったが、日本ハム打線が21安打20得点と大爆発して快勝。入来に622日ぶりの白星が記録された。けっきょく移籍初年度は2勝4敗に終わったが、05年には7月17日の楽天戦で延長10回まで投げ抜いて1安打(8回二死まで無安打無失点)に抑えるなど先発として活躍、6勝7敗、防御率3.35を記録した。同年のオフにポスティングでMLB移籍を目指したが、入札球団は現れなかった。だが日本ハムが入来の自由契約を認めたため入来は渡米してニューヨーク・メッツに入団した。

横浜入団
オープン戦で打ち込まれて開幕メジャーを逃すと、4月28日に日本時代から呑んでいたサプリメントがドーピング検査に引っかかって50試合の出場停止処分。6月後半から復帰するもAAAで4勝8敗、防御率4.70と今ひとつの成績に終わりMLB昇格はならなかった。07年もMLBに挑戦して、A+からAA、AAAと昇格してメジャーも見えてきたが、右腕の肉離れで離脱してメジャー昇格はならなかった。同年のオフに横浜とオリックスの入団テストを受け横浜に入団した。

用具係に
横浜では3試合登板で防御率8.53、2軍でも22試合登板で防御率5.40と結果が残せず同年限りで現役を引退した。入来はキャンプに合流した時点ですでに野球選手として燃え尽きていることに気付き、緊張感のなさもあってかシーズンを通して故障を繰り返した。戦力外通告を受けた際には球団への申し訳なさから涙を流し、球団に残って野球にかかわりたいと直訴、用具係としてチームに残ることになった。





初記録
初登板 97年4月8日中日戦
初勝利 97年8月23日横浜戦
初奪三振 97年4月8日中日戦:中村から
初セーブ 97年6月28日中日戦
初完投 98年9月22日広島戦


97 98 99 00 01 02 03 04 05 08
オールスター 1回
最高勝率 1回


  投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
97 巨人 57 0 0 1 6 2 90.0 64 9 37 5 94 2 0 31 31 3.10
98 巨人 30 1 0 7 2 0 98.0 70 9 38 2 99 1 0 39 39 3.58
99 巨人 31 0 0 1 6 0 79.2 97 16 32 1 57 2 0 42 40 4.52
00 巨人 7 0 0 0 2 0 16.1 20 3 7 0 10 2 0 8 7 3.86
01 巨人 27 5 2 13 4 1 162.1 143 19 58 2 137 2 0 68 67 3.71
02 巨人 21 1 1 5 4 0 133.0 120 13 26 5 115 1 0 51 45 3.05
04 日本ハム 11 0 0 2 4 0 45.0 57 8 32 2 38 2 0 40 36 7.20
05 日本ハム 28 2 1 6 7 0 150.2 147 16 65 8 112 3 0 70 56 3.35
08 横浜 3 0 0 0 0 0 6.1 7 0 2 2 2 0 0 6 6 8.53
球団 1年 3 0 0 0 0 0 6.1 7 0 2 2 2 0 0 6 6 8.53
通算 9年 215 9 4 35 35 3 781.1 725 93 297 27 674 15 0 355 327 3.77


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
97 巨人 57 8 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 0 8 0 0 .000
98 巨人 30 24 2 4 0 0 0 4 3 0 0 7 0 0 0 12 0 1 .167
99 巨人 32 21 0 2 0 0 0 2 1 0 0 5 0 0 0 12 1 0 .095
00 巨人 7 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 1 0 0 0 0 .000
01 巨人 29 57 1 2 0 0 0 2 0 0 0 5 0 1 0 34 0 2 .035
02 巨人 21 39 2 5 0 0 0 5 2 0 0 3 0 1 0 22 1 1 .128
04 日本ハム 11 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
05 日本ハム 29 6 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 5 0 2 .000
08 横浜 3 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
球団 1年 3 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
通算 9年 219 156 5 13 0 0 0 13 6 0 0 25 0 3 0 93 2 6 .083


  プレーオフ投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
04 日本ハム 2 0 0 0 0 0 4.0 5 0 4 0 5 0 0 1 1 2.25
通算 1年 2 0 0 0 0 0 4.0 5 0 4 0 5 0 0 1 1 2.25


  プレーオフ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
04 日本ハム 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
通算 1年 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000


  オールスター投球成績
回数 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
通算 1回 1 0 0 0 1 0 2.2 6 1 0 0 1 1 0 6 6 20.25


  オールスター打撃成績
回数 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
通算 1回 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000


  二軍投球成績
チーム 登板 完投 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四死 三振 失点 自責 防御率
08 湘南 22 0 4 2 1 30.0 39 2 6 20 19 18 5.40
通算 1年 22 0 4 2 1 30.0 39 2 6 20 19 18 5.40
球団在籍時のみ






 
安打
本塁打
打点
盗塁
犠打
打率
試合
三振
併殺
勝利
奪三振
セーブ
登板
敗戦
被本塁打
SeasonRecord
安打
本塁打
打点
盗塁
打率
盗塁死

三振

併殺
勝利
奪三振
セーブ
登板
敗戦
被本塁打
et cetera

安打
二塁打
三塁打
本塁打
打点
盗塁
三振
併殺
盗塁死
勝利
セーブ
奪三振
完投
完封
敗戦
被安打
被本塁打
Average Record
打率
防御率
奪三振率
三振率
被本塁打率
安打
本塁打
打点
盗塁
打率
三振
勝利
奪三振
セーブ
SeasonRecord
安打
本塁打
打点
盗塁
打率
三振
勝利
奪三振
セーブ
日米通算 球団在籍選手
打者あ
打者か
打者さ
打者た
打者な
打者は
打者まや
打者らわ
投手あ
投手か
投手さ
投手た
投手な
投手は
投手まや
投手らわ
et cetera
大洋ホエールズ
横浜大洋ホエールズ
横浜ベイスターズ
全選手一覧
監督
その他

打者タイトル
投手タイトル
MVP
新人王
沢村賞
カムバック

et cetera
ベストナイン
ゴールデングラブ
サイクルヒット
ノーヒットノーラン
日本記録
球団記録
ALL
50S
60S
70S
80S
90S
00S
Team Record
巨人
阪神
中日
広島
ヤクルト
松竹&
西日本

ALL
勝利
敗戦
打率
本塁打
三振


65年
66年1次
66年2次
67年
68年