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小林 太志



14
名前 こばやし ふとし
生年月日 1983年5月11日
経歴 富岡高−立教大−JR東日本−横浜(07年D1巡目)
入団年 07年に大学・社会人ドラフト1巡目で入団
在籍年 08年−14年
背番号 08年−14年[14]
投打 右投げ右打ち
守備 投手
ドラフト指名なく
進学校の富岡高を経て一般入試で立教大へ進学。立教大では2年の春から開幕戦を任されるなど期待されていたが春秋通算で0勝6敗と結果を残せなかった。3年春に5勝を記録し、早稲田戦では延長12回、192球を投げ抜くなど一気に飛躍を見せた。3年秋も勝ち星こそ延びなかったが好成績を残した。だが4年時には精彩のないピッチングが続きドラフトにかかることなく社会人のJR東日本に進んだ。大学通算10勝16敗、防御率3.44。

ドラフト1位
JR東日本では1年目から都市対抗で先発しベスト4入りに貢献。07年オフに大場 翔太を抽選で外した横浜からハズレ1位指名を受け入団した。小林は下位での指名を受けれるかどうかとの自己判断だったが、同年は高校と大学・社会人が分けてドラフトが行われたこともあっての驚きの1位指名となった。

初先発初勝利
オープン戦は今一つの内容で開幕一軍こそ逃したが、4月8日に一軍に登録されると翌9日の巨人戦で1回を三者凡退に抑えて初登板を飾る。4月27日の広島戦で初先発のマウンドに上がると、初回に1点を失ったが中盤からはテンポの良いピッチングで広島打線を抑え込んで、7回を6安打、無四球、1失点で初先発初勝利を記録した。

初完封
7月16日の広島戦では初回に東出にセンター前ヒットを打たれたが、アレックスを併殺打に仕留めて三人で片付けると、2回表にも栗原にヒットを打たれたが続く嶋を併殺打、5回表も栗原にヒットを打たれたが、またも嶋を併殺打と6回まで残塁0という圧巻のピッチングを見せる。7回表に初の残塁を記録したが、9回をわずか95球で4安打、無四球で打者28人に二塁すら踏ませない完璧な内容で初完封を達成した。

被安打0で4失点
09年は開幕第三戦の先発を任されたが5回途中5失点でKOされてしまうと、5月10日の阪神戦では2点をリードした直後の3回表に赤星、関本に連続四球を与えると、鳥谷の送りバントを自らが弾いてしまって無死満塁というピンチを作ってしまう。続く金本のファーストゴロをジョンソンが後逸して同点。さらに小林がボークで勝ち越し点を許すと林の内野ゴロでもう1点を追加されて何と無安打で4失点という完全な自滅で試合を壊してしまった。

9連敗
09年はその後も勝負所で自滅というパターンが続いて、ノーヒットで4点を失った5月10日以来7連敗でシーズンを終えてしまった。翌10年も20試合に登板したが防御率6.21に終わり連敗も9まで重ねてしまった。だが11年には二軍で好成績を残して一軍昇格を果たすと、中継ぎで13試合連続無失点を記録。6月29日の中日戦で先発のチャンスを手にすると、5回を2安打、無四球で1失点に抑える好投を見せる。打線も小林の代打スレッジが満塁ホームランを放つなど12得点で大量援護して小林の連敗は9でストップした。

終盤に3連勝
連敗を止めた小林だったが続く7月5日に沖縄で行われた広島戦で5回途中4失点でKOされてしまうと、12日の広島戦でも5回途中5失点と打ち込まれて二軍降格となってしまった。だが再昇格を果たすと9月23日の広島戦で7回途中4安打、1四球で無失点に抑えて2勝目を記録、29日の中日戦で6.0回を2失点で3勝目、10月10日の広島戦では7回を4安打、2四球、無失点で4勝目と終盤に白星を重ねて復活の兆しを見せた。同年の最終登板となった10月18日には優勝マジック1の中日と対戦して、5回まで2安打に抑える好投を見せたが、6回表にブランコに痛恨の同点スリーランを被弾して胴上げを見る事になってしまった。

ロングリリーフ
12年はロングリリーフで結果を残すと、5月22日の日本ハム戦で先発のチャンスを貰ったが前年までの同僚スレッジに満塁ホームランを被弾するなど3.0回6失点でKOとなった。7月18日のヤクルト戦では5イニングで8安打を打たれたが野手の好守もあって無失点に抑えると、2回裏には自ら先制タイムリーを放って同年の初勝利を記録。続く3度の先発機会では中盤に粘りきれない試合が続くなど同年は先発としては結果を残せなかったが、ロングリリーフを多く含む30試合の救援登板では防御率2.81という好成績を残した。

ラストチャンスで…
13年は慢性的な右肩痛に悩まされた事もあって11試合の登板で防御率8.78という自己最低の成績に終わり、オフには年俸半額か自由契約の選択を求められ、トレード要員であることも告げられるなど正念場に追い込まれた。翌14年は8月19日になって同年初の一軍昇格。「これがラストチャンスだと思っている」と悲壮な決意を滲ませた小林は同日の広島戦で2イニングを1安打、無四球に抑えたが、翌日の広島戦では7対5で迎えた4回表に無死一、二塁というピンチでマウンドに上がると、天谷は空振り三振に切って取ったが、菊池のセンター前で塁が埋まると、丸にライトスタンドへグランドスラムを叩き込まれて逆転負け。登録抹消となった小林は同年オフに戦力外通告を受けた。


初記録
初登板 08年4月9日巨人戦
初勝利 08年4月27日広島戦
初奪三振 08年4月9日巨人戦:脇谷から
初セーブ 08年6月1日ロッテ戦:3イニング
初完投 08年7月16日広島戦:4安打無四球完封


  投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
08 横浜 31 1 1 6 5 1 128.2 136 19 43 11 69 0 0 63 63 4.41
09 横浜 12 1 0 1 8 0 66.1 69 5 24 4 37 4 2 41 33 4.48
10 横浜 20 0 0 0 2 0 37.2 42 8 17 2 26 2 0 27 26 6.21
11 横浜 17 0 0 4 3 0 62.1 61 5 19 3 40 0 0 25 24 3.47
12 横浜 35 0 0 2 3 0 77.0 76 8 23 11 44 3 0 36 32 3.74
13 横浜 11 0 0 0 1 0 13.1 18 2 9 1 9 0 0 13 13 8.78
14 横浜 2 0 0 0 1 0 3.0 4 1 0 0 2 0 0 2 2 6.00
通算 7年 128 2 1 13 23 1 388.1 406 48 135 32 227 9 2 207 193 4.47


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
08 横浜 32 33 1 2 1 0 0 3 1 0 0 3 0 0 0 24 0 0 .061
09 横浜 12 18 0 1 1 0 0 2 0 0 0 0 0 1 0 11 0 3 .056
10 横浜 20 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 0 .000
11 横浜 17 16 0 2 0 0 0 2 0 0 0 2 0 0 0 9 0 0 .125
12 横浜 35 11 0 2 0 0 0 2 2 0 0 1 0 0 0 5 0 0 .182
13 横浜 11 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
14 横浜 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
通算 7年 129 83 1 7 2 0 0 9 3 0 0 6 0 1 0 52 0 3 .084


  二軍投球成績
チーム 登板 完投 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四死 三振 失点 自責 防御率
08 湘南 3 0 0 0 0 14.2 11 1 2 6 2 2 1.23
09 湘南 10 1 2 5 0 50.2 54 7 15 27 26 23 4.09
10 湘南 22 0 3 1 3 31.1 32 1 6 24 16 10 2.87
11 横浜 15 1 4 2 0 41.2 35 4 11 21 16 16 3.46
12 横浜 5 0 1 1 1 25.0 24 1 9 13 9 8 2.88
13 横浜 16 0 2 2 0 41.2 44 3 14 30 18 15 3.24
14 横浜 9 0 0 0 0 9.1 7 0 6 8 5 3 2.89
通算 7年 80 2 12 11 4 214.1 207 17 63 129 92 77 3.23