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荒波 翔



4
名前 あらなみ しょう
生年月日 1986年1月25日
経歴 横浜高校−トヨタ自動車−横浜(10年D3位)
入団年 10年ドラフト3位
在籍年 11年−18年
背番号 11年−18年[4]
投打 右投げ左打ち
守備 外野手
:横浜高校:
3歳の誕生日に祖父からオーダーメードの野球道具をプレゼントされて小学1年から少年野球チーム「オール三ヶ境」に入団。中学時代は主将を務めた戸塚シニアでは主将を務めた3年時に全国制覇を果たす。横浜高では1年の夏から上位打線を任されて同年夏に甲子園出場。成瀬、涌井らと共に2年秋の関東大会を制して翌年春の甲子園出場を果した。だが甲子園では2回戦の明徳義塾戦で右足に自打球を当てて骨折してしまった。

:プロ入りならず:
プロ入りを希望していたがプロ志望届は提出せずに東海大学に進学。1年春に早くも打率.457で首都大学リーグで首位打者を獲得した。だが2年春に紅白戦で三盗を試みた際に右ひざ靭帯断裂という重傷を負って1年間をリハビリに費やした。3年春に復帰するといきなりリーグ2位の打率.375を記録してベストナインに輝く活躍を見せた。大学日本代表にも選出されるなどプロ入りが期待されたが、指名はなくトヨタ自動車に入社。

:横浜入団:
トヨタ自動車では1年目に日本選手権で打率.500という凄まじい活躍を見せたが、ドラフト解禁となる2年目には大不振に陥ってまたも指名を受けれなかった。この時ばかりは野球をやめる事も考えたという荒波だったが翌年に復活して10年のドラフト会議で横浜から3位指名を受けて入団した。ホンダでは日本選手権優勝2回に都市対抗準優勝1回。

:初ヒット:
ルーキーイヤーはイースタンリーグで打率.270、20盗塁を記録。9月6日に横浜スタジアムで行われたイースタンリーグのヤクルト戦で4打数4安打、1四球、3盗塁という大活躍を見せて11日に一軍初昇格。同日の中日戦で2番センターでスタメン起用されて4回表にネルソンから初ヒットとなるセンター前を放った。10月には二日連続で代走で盗塁を成功させるなど月間6盗塁を記録して快足をアピールした。

:ブレイク:
12年はキャンプ、オープン戦と俊足をアピールして開幕戦でスタメン起用された。5月に入ると8日の巨人戦で4安打、11日からの阪神3連戦で3安打、2安打、3安打と固め打って1番センターに定着。6月2日の西武戦では淡白な打撃が続いて途中交代となったが翌日の西武戦では6回裏に秋山が放った左中間に逃げていく飛球をダイビングキャッチで好捕して西武ファンからも拍手を受けると、打っても3安打を放って規定ギリギリながら首位打者に浮上。オールスターゲームの選手間投票でもセ外野手4位の212票を集めるなど鮮烈な印象を残した。

:ゴールデングラブ:
6月中旬から力ないスイングが目に付くようになり一時は打率.250まで数字を落としたが、8番で起用された7月8日の中日戦で3安打を放つと、11日のヤクルト戦では4打数4安打を記録。8月12日の中日戦でも4安打を放つと、18日の中日戦から4試合連続複数安打と盛り返してレギュラーの座は渡さなかった。終盤にも調子を落として打率.268、出塁率.305に留まったが、リーグ2位の24盗塁に1位の7三塁打を記録し、シーズンを通して魅せ続けた守備ではゴールデングラブを受賞と持ち味を発揮したシーズンとなった。

:東京ドームでの連敗を止める:
13年はオープン戦で長打を連発して12球団トップの16打点という結果を残すと、シーズンに入ってもまずまずの活躍を見せていたが、4月18日の広島戦で1点を追う7回表二死一、二塁という場面で二塁走者だった荒波が三盗を敢行してアウトになった上にスライディングの際にサード堂林に激突して頬骨を骨折。5月上旬に復帰すると6月23日の阪神戦で強烈なバックホームで捕殺を記録するなど守備では活躍したが打撃不振に苦しんで打率は急降下してしまった。7月6日の巨人戦でも3三振と苦しんだが、1点を追う9回表に一死満塁というチャンスで打席に入るとマシソンから一塁線を抜く逆転打を放って東京ドーム12連敗中だったチームを救った。

:サヨナラヒット:
7月30日の広島戦で4打数4安打1四球を放つとそこから13試合連続ヒットを記録。9月5日の阪神戦では自身初のサヨナラヒットを放ち、お立ち台では翌日から始まる3位広島との直接対決を前に「3タテしたいと思います!」と声を張り上げた。広島3連戦は3タテこそならなかったが勝ち越してゲーム差2とCS射程圏内に迫ったが、続く東京ドームでの巨人3連戦では初戦で1点を追う9回表に一死満塁で打席に入った荒波がセカンドゴロ併殺打に倒れてしまうと、第2戦では初回の二死満塁でショートゴロ、4回表の無死一塁でファーストゴロ併殺、8回表の無死満塁で空振り三振とブレーキになって3タテを喫してしまった。

:グランドスラム:
14年は2月23日のオープン戦でスライディングキャッチを試みた際に右手薬指を骨折。開幕は二軍で迎えたが4月5日にイースタン・リーグの日本ハム戦で4安打を記録して一軍昇格。昇格後は打撃不振に苦しんだが、スタメンを外された4月29日の中日戦では同点に追いつかれた直後の8回裏に一死満塁というチャンスで打席に入って自身初となる満塁ホームランをライトスタンドに叩き込んだ。この一打で開幕から低迷が続いていたチームの閉塞感を吹き飛ばすと、その後はチームと共に調子を上げて6月1日のロッテ戦では4安打2盗塁を記録するなど打率を.299まで上昇させた。だが6月14日に右ふくらはぎの肉離れで離脱。一ヵ月後に復帰したが、その一ヵ月後に全力疾走できない状態で一軍にいる事がチームのためにならないと考えて、涙を流しながら中畑監督に二軍降格を直訴して登録抹消となり、わずか63試合出場に終わった。

:交流戦で活躍も:
開幕を二軍で迎えた15年は4月10日の昇格後も11打数連続ノーヒットと苦しい幕開けとなったが、19日のヤクルト戦でソロを含む2安打2打点、22日の阪神戦ではチームの連敗を7で食い止めるメッセンジャーからのスリーランを記録。交流戦に入ると5月29日のロッテ戦で猛打賞、6月2日のソフトバンク戦でも8回裏の勝ち越しタイムリーを含む猛打賞、10日の楽天戦では先頭打者初球ホームラン、翌日には3安打2四死球と交流戦で12球団5位の打率.383を記録した。だが交流戦終了後の6月27日阪神戦で右足付け根を傷めて長期欠場となり2年連続で怪我に泣いたシーズンとなってしまった。

:若手の台頭:
16年は梶谷が故障で離脱していた事もあって開幕スタメンを掴むと広島との開幕第2戦で5回表に先制タイムリー、3月30日の巨人戦で2点タイムリー、さらに翌日には3安打を放つなど6試合連続ヒットを記録したが、4月2日の阪神戦から12打数連続ノーヒットに倒れると、以後は打率2割前後に低迷、5月に入ると梶谷が復帰し、桑原も台頭してきたため登録抹消となり、わずか36試合出場で打率.195という自己ワーストの成績と終わった。

:正念場:
17年には筒香、梶谷が足に不安を見せたため一軍に昇格すると初スタメンとなった4月16日のヤクルト戦では5回表にライト線へのライナーをダイビングキャッチ、その裏に追加点へつながる左中間を割るツーベースを放った。5月18日からは3試合連続のスタメンで計13打数5安打を記録したが以後は打率が低迷、47試合出場の打率.226と正念場に追い込まれた。

:戦力外:
18年は二軍で打率.307を記録して5月22日に昇格したが4度の代打起用でヒットを放つことができず31日に抹消となった。7月24日に二軍で本塁打を含む4安打を記録、8月7日に再昇格を果たしたが3度の代打起用で凡退してしまうと、15日の中日戦では1番スタメンに抜擢されたが、初回に四球で出塁も盗塁失敗、3回裏の守備ではピンチでセンター前への飛球をスライディングキャッチを見せたがヒットを打つことはできず、翌日にもスタメンを任されたが2打数0安打でノーヒットのまま登録抹消となった。オフに戦力外通告を受けて退団となった。

:メキシコ:
現役続行を目指して楽天の藤田と合同自主トレを行い、メキシカンリーグのキャンプに参加、モンテレーの開幕ロースターを勝ち取り、4月21日のキンタナロー戦でサヨナラヒットを放つなど活躍、6月21日には同じく元横浜の久保が所属するレオンと対戦、侍シリーズと名付けられて日本のアイドルAKB48の入山杏奈が始球式を務め、荒波の奥さんがウグイス嬢を務めた一戦では久保に3打数0安打に抑え込まれたが、元横浜のモスコーソも加えた3ショット写真で再会を喜び合った。だが久保と対戦した試合が最後なり戦力外通告を受けた。同年の横浜ベイスターズのファン感謝デーに登場し、涙をこらえながら「あきらめず挑戦し続けたからこの世界に入れた。幸せな野球人生でした」とスピーチして、かつてのチームメイト達から胴上げを受けて現役に終止符を打った。


初記録
初出場 11年9月11日中日戦
初安打 11年9月11日中日戦:ネルソンから
初本塁打 12年9月25日中日戦:岩田から
初打点 11年10月19日阪神戦、岩田から
初盗塁 11年10月4日巨人戦:8回表に二盗


11 12 13 14 15 16 17 18
ゴールデングラブ ● ● 2回


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
11 横浜 28 86 11 22 1 1 0 25 1 6 1 5 0 1 0 23 0 0 .256
12 横浜 141 504 53 135 16 7 1 168 25 24 12 16 2 23 5 90 2 4 .268
13 横浜 126 445 65 115 23 3 2 150 30 19 9 4 2 37 2 96 9 0 .258
14 横浜 63 188 30 51 8 2 3 72 18 9 1 4 0 13 1 28 1 3 .271
15 横浜 70 188 29 56 15 2 4 87 14 4 3 1 1 16 1 26 2 3 .298
16 横浜 36 87 8 17 2 1 0 21 7 0 1 1 0 7 1 17 1 0 .195
17 横浜 47 62 8 14 5 0 0 19 1 0 0 0 0 2 1 16 1 0 .226
18 横浜 11 11 1 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 2 0 4 0 0 .000
通算 8年 522 1571 205 410 70 16 10 542 96 62 28 31 5 101 11 300 16 10 .261


  プレーオフ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
16 横浜 4 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 .000
通算 1年 4 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 .000


  二軍打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死 三振 併殺 失策 打率
11 横浜 88 341 47 92 12 7 2 124 24 20 0 6 40 71 5 2 .270
13 横浜 2 7 1 3 0 0 0 3 0 0 0 0 1 1 0 0 .429
14 横浜 17 58 11 27 4 0 2 37 9 6 0 0 6 10 0 0 .466
15 横浜 42 134 13 36 6 1 1 47 12 6 3 0 9 17 6 1 .269
16 横浜 76 233 35 67 13 2 6 102 23 10 1 2 24 32 6 0 .288
17 横浜 30 91 9 25 5 0 0 30 5 0 0 0 11 13 0 0 .275
18 横浜 56 171 21 52 9 1 2 69 15 6 0 4 23 37 2 1 .304
通算 7年 311 1035 137 302 49 11 13 412 88 48 4 12 114 181 19 4 .292