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東妻 純平



57
名前 あずま じゅんぺい
生年月日 2001年7月3日
経歴 智辯学園和歌山高−横浜(19年D4位)
入団年 19年ドラフト4位
在籍年 20年−
背番号 20年−[57]
投打 右投げ右打ち
守備 捕手
兄弟
和歌山県生まれ、小学校1年時に5歳年上の兄である勇輔が所属する紀伊少年野球クラブに入団、6年時のソフトボール投げでは70メートル以上を記録するなど幼いころから強肩で鳴らした。中学時代は紀州ボーイズでショートとしてプレー、中3時には紀州ボーイズのOB会で日体大に進学していた兄の勇輔と対戦して右中間に長打を放った。高校も兄の後を追って智辯和歌山高を選択した。

キャッチャー転向
智辯学園和歌山では楽天などプロ3球団でプレーした中谷 仁コーチに捕手適正を見込まれてキャッチャーに転向、中谷コーチは強いプロ志望を持っていた東妻を「プロに行ける可能性は遥かにキャッチャーの方が高い」と説得した。一軍では通算28安打ながら野村 克也にも評価されたインサイドワークで15年間にわたってプロ野球選手としてプレーした中谷コーチから捕手のイロハを伝授されて1年夏からベンチ入り、秋から正捕手となり、秋の県大会では打率.591を記録した。

打撃向上
2年春のセンバツでは8番起用ながら打率.316を記録して決勝進出に貢献、決勝の大阪桐蔭戦では敗れて日本一はならなかったが根尾から2点タイムリーを放った。2年夏も8番打者として県大会優勝に貢献したが甲子園では初戦敗退となった。4番を任されるようになった2年秋の県大会では3本塁打、14打点を記録して優勝に貢献、近畿大会では決勝の大阪桐蔭戦で根尾に本塁打を打たれて0対1で敗戦した。3年春のセンバツでは初戦の熊本西戦でスリーランを放つなど打撃でチームを引っ張ってベスト8まで進出した。

史上10人目
センバツ後には前年秋から監督に就任した中谷からプロ入りを念頭に置いた強烈なプレッシャーをかけられる中で大量失点を喫する試合が続いてメンタル面で崩れかけたが、18歳の誕生日に兄の勇輔がプロ初登板のマウンドに上がって躍動する姿を見て、野球の楽しさを思い出し、失敗を恐れるあまり小さくなっていた気持ちを吹っ切って本来の思い切ったプレーを心掛けるようになった。3年夏には県大会で5試合で1失点、打っても8打点とチームを引っ張り清原、桑田らに並ぶ史上10人目の5季連続甲子園出場を果たした(1年夏は試合出場なし)。甲子園通算16安打、2本塁打、13打点。

横浜入団
ドラフト会議で横浜から4位指名を受けて入団、前年にロッテから2位指名されていた兄の勇輔との兄弟プロ野球選手になった。遠投125メートル、高校通算34本塁打。ルーキーイヤーはイースタン・リーグで32試合に出場したが打率.070と苦しんだ。2年目は64試合に出場して打率.153とステップアップ。


初記録
初出場
初安打
初本塁打
初打点
初盗塁


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
通算


  二軍打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死 三振 併殺 失策 打率
20 横浜 32 57 7 4 2 0 0 6 4 0 2 2 8 28 4 5 .070
21 横浜 64 163 11 25 10 0 1 38 10 1 5 3 12 64 1 3 .153
通算 2年 96 220 18 29 12 0 1 44 14 1 7 5 20 92 5 8 .132