東 克樹
11
|
名前 |
あずま かつき |
生年月日 |
1995年11月29日 |
経歴 |
愛知工業大学名電高−立命館大−横浜(17年D1位) |
入団年 |
17年ドラフト1位 |
在籍年 |
18年− |
背番号 |
18年−[11] |
投打 |
左投げ左打ち |
守備 |
投手 |
|
|
:野球を始める:
父親につられていった場所で少年野球を見たことをきっかけに野球に興味を持って、小学1年時に三重クラブ野球少年団で野球を始める。当初は外野手だったが3年時に投手に転向、水泳と書道もやっていたが親にどうしたいかを聞かれて「野球をやりたい」と答えた。中学時代には130キロを超えるまでになりNOMOジャパンに選出されてアメリカ遠征も体験、野茂総監督から「ナイスピッチング!」と声をかけられて大きな自信も得た。
:愛工大名電へ:
多くの有力高から誘いを受けた中から、小人数で試合に出やすいと考えて愛工大名電へ進学。1年時の練習試合では初回7失点でKOされたがベンチ入りして夏の県大会では2試合に先発して13イニングを投げて被安打2の好投を見せた。2年時には春夏連続で甲子園に出場したが、エースの濱田達郎がいたため登板はならなかった。2年秋からエースになったが秋の県大会3回戦で愛知黎明に0対1で敗れて選抜出場を逃し、監督から練習禁止を通達されて2週間に渡って掃除と草むしりの日々となった。
:甲子園:
3年夏には県大会決勝で因縁の愛知黎明と対戦、当時はショートだった3番栗林には2安打を許したが1失点に抑えて甲子園に出場を勝ち取った。甲子園では初戦の聖光学院戦で5回裏に自らのエラーから無死一、三塁のピンチを招いたが、スクイズをピッチャーフライに打ち取ると飛び出した三塁と一塁の走者を共にアウトにして史上8回目のトリプルプレーに抑えるなど好投を見せたが、6回裏から肩痛を発症、続投したが逆転を許して初戦敗退となった。
:故障を生かす:
愛工大名電の先輩から「左投手がいないからすぐに出られるぞ」との助言を受け、就職にも有利と考えた立命館大へ進学。野球に役立つかもと考えて心理学を専攻し、ハトの行動分析などを研究した。2学年上の桜井と西川がいたため2年時まではリリーフ登板中心だったが1年秋には8試合に登板してリーグ1位の防御率0.39を記録した。2年秋は肘の炎症で登板なしに終わったが、リハビリ期間に故障しにくいトレーニングを学び、下半身中心のメニューで土台を鍛え上げて高校時代から体重が10キロ増加した事もあって球速がアップした。
:ノーヒット・ノーランを逃すもノーヒット・ノーラン:
両エースが卒業した3年時からエースを任されると、3年春の関学大戦では8回までノーヒット・ノーランに抑えながら9回裏に逆転を許してサヨナラ負けという屈辱を味わったが、2週間後の京都大戦で7回までパーフェクトに抑えると8回、9回も四球のみで投げ抜いて史上29人目のノーヒット・ノーランを達成した。同季は3勝1敗、防御率0.65でチームの3連覇に貢献して最優秀選手に選出された。3年秋には中1日での登板となった同志社大戦で延長10回を4安打無失点に抑えて優勝に望みをつなぐなど5勝2敗で防御率0.47を記録した。
:史上初の2回目:
プロを意識して臨んだという4年春には関西大戦では初の大台となる152キロを投じるなど圧倒的な内容を見せて6者連続を含む17奪三振を記録、初回に四球を出したのみの準完全で関西学生野球リーグ初の2度目のノーヒット・ノーランを達成した。同志社大戦でも7回二死までノーヒットに抑え込むなど評価を大幅に高めた。4年秋には小さな故障が重なったが3勝1敗で防御率0.76を記録、同社大戦で15奪三振を記録するなど35.1回のイニング数を大幅に上回る50奪三振という圧倒的な成績を残した。
:横浜入団:
日米大学野球では11イニングを無失点に抑えて最優秀投手に選出され、ユニバーシアードでもメキシコ戦と韓国で共に8イニングを投げて11奪三振で無失点に抑えて優勝に貢献。同年のドラフト会議では清宮に指名が集中する中で横浜がドラフト1位で一本釣りを果たした。なお小さい頃は牛乳を飲んだり、鉄棒にぶら下がったりと身長を伸ばそうと努力したが、その甲斐はなく170センチとプロの投手としてはかなり小柄な体格だったが150キロを超えるストレートと苦労した経験がないというコントロールで最高の評価を手に入れた。
:初登板:
ルーキーイヤーは開幕ローテに入って4月5日の阪神戦で初登板、初球でサインミスという幕開けとなったが150キロのストレートと低めに集まった変化球で7回を6安打、1四球で犠牲フライの1点のみに抑える好投を見せた。打線の援護なく敗戦投手となったが続く巨人戦では自らタイムリーを放つなど大量援護を受けて初勝利を記録、続く巨人戦では7.1回を4安打2四球とほぼ完ぺきに抑えて2勝目を記録した。続く広島戦は破れて球団の新人60年ぶりの4月3勝は逃したが2回表の無死一、三塁のピンチで広島のクリーンナップを抑えると、そこから18者連続凡退に打ち取るなど8回を投げ抜いて強力打線を相手に11奪三振を記録した。
:3安打完封:
5月16日の阪神戦では8回までわずか1安打に抑えるなど圧巻の3安打完封を記録、新人の3安打以下の完封は鈴木隆以来球団60年ぶりの快挙だった。続く中日戦で6回2失点に抑えて4勝目をあげると、31日の楽天戦では2度の打球直撃を乗り越えて8回途中まで続投しチームのサヨナラ勝利に貢献、6月8日の日本ハム戦では6回を3安打1失点に抑えて5勝目を上げ、防御率がリーグトップとなり、奪三振もトップを争うなど新人王レースを独走した。
:巨人キラー:
6月15日には東西対決と話題になったオリックス西とのマッチアップで初回に4失点を喫するなど7失点KOとなり11戦目にして初めての4失点以上を記録した。続く中日戦も敗れると、30日の広島戦では6回を1失点に抑えて6勝目を記録したが足をつって降板、オールスターに選出されたこともあって中19日での登板となった7月20日の阪神戦では5.1回を2安打1失点に抑えたがマメをつぶして降板、8月3日に復帰したがそこから3試合は援護がなかったこともあって白星を逃すなど苦しい時期を過ごした。だが前任の背番号11でもある山口の移籍後ハマスタ初登板となった23日の巨人戦では7回を4安打無失点に抑えて完勝、新人の巨人戦3戦3勝は球団史上初で2リーグ制以後では61年に中日の権藤博が記録して以来57年ぶり2人目の快挙だった。
:CS争いの中で:
9月5日の巨人戦では6回2失点で史上初の新人巨人戦4戦4勝を達成するとともに目標としていた10勝に到達、19日の巨人戦では敵地東京ドームで7回二死までパーフェクトという圧巻の投球を見せると、マギーのソロで史上16人目の快挙は逃したが激しくCSを争う巨人を相手に8回を1安打無四球に抑えて球団の新人左腕としては鈴木隆以来60年ぶりの11勝を上げた。続く試合が雨で流れたこともあって28日に再び巨人戦で先発、相手は大エース菅野という大一番となったが、2回裏の無死二、三塁を切り抜けると本来の調子ではなかったが気迫溢れるピッチングでゼロを並べて7回を5安打1四球で無失点に抑えて見せた。だが打線が菅野に完封されて長野のソロでサヨナラ負けと菅野に投げ勝つことはできずCSも逃す結果となった。
:新人王:
最優秀防御率の可能性もあったが菅野が正念場で3試合連続完封を記録したため惜しくも2位に留まった。また最終登板となった10月6日の阪神戦で白星を逃して江夏、石川に並ぶセ新人左腕最多の12勝目も逃した。だが先発で防御率2.50を下回ったのは79年の平松以来球団39年ぶりで奪三振率9.06はリーグトップで球団史上2位という新人というくくりを超えた球団史に残るシーズンを送り、ほぼ満票で新人王に選出された。また看護師の母の勧めでイニング間にバナナを食べるルーチンを大学時代から取り入れたが、ベンチに座って食べる姿がテレビにたびたび写されて「東のもぐもぐタイム」と話題になり、チームメイトからは「あざとい」とからかわれた。金ウンを掴むためにグラブに金色の刺繍でウンチマークを入れるなど独特の感性も見せた。
:わずか7登板:
オフには球団のルーキーとして史上最高額となる5550万円で契約を更改したが、日米野球を左ひじの炎症で辞退、軽傷と思われていた肘の状態は一進一退が続いて開幕を2軍で迎えることになった。4月29日に二軍で7回を1安打無四球で12奪三振と完ぺきに抑えて5月6日の巨人戦で一軍復帰したが、坂本に2本のツーランを被弾するなど3回8失点と滅多打ちにあった。次戦からは3試合連続で1失点に抑えたが、6月6日のオリックス戦では指のマメの痛みもあって4回途中KOとなり抹消となった。8月12日のヤクルト戦でようやく復帰すると、続く23日の巨人戦では7回まで2安打無四球に抑え込むなど8回1失点で復活を印象付けたが、翌日に肘の張りで再び抹消となり、そのままシーズンを終えることになってしまった。
:トミージョン手術:
20年は2軍キャンプの初日からブルペン入りしたが左ひじの違和感で離脱、2月20日にトミージョン手術を受けてシーズンをリハビリで終えた。翌21年は7月11日にイースタンリーグで688日ぶりにマウンドに上がると、登板間隔をあけながら徐々に投球数を増やして9月28日のヤクルト戦で1軍に復帰、4回までは1安打に抑えて格の違いを見せたが、5回裏に一死一、二塁からピッチャーの奥川にバスターを決められてしまうと、塩見は見逃し三振に抑えたが、青木が打ち上げた飛球が強風にも乗ってレフトスタンドに飛び込む満塁ホームランとなって復帰戦を白星で飾ることはできなかった。
:792日ぶり:
中13日を開けて臨んだ10月12日の広島戦では4回裏に変化球を狙われて失点すると闘争心も戻って復調、打線の援護は受けれず敗戦投手となったが7回を5安打、1失点に抑え込んだ。ハマスタ復帰戦となった10月23日の中日戦では初回の一死満塁のピンチを切り抜けると、そこから23者連続凡退に抑える圧巻の投球で8回を1安打に抑えて792日ぶりに勝利投手となった。お立ち台で大きな拍手を貰った東は「9回に泣きそうになった。それ以上にうれしさが増して、ヒーローインタビューで涙が出てこなかった。泣く予定でしたが、全然涙が出てこなかった」と喜びを語った。 |
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初記録 |
初登板 |
2018年4月5日阪神戦 |
初勝利 |
2018年4月12日巨人戦 |
初奪三振 |
2018年4月5日阪神戦:高山から |
初完投 |
2018年5月16日阪神戦:完封で |
初セーブ |
|
|
|
|
|
|
18 |
19 |
20 |
21 |
|
新人王 |
● |
|
|
|
1回 |
オールスター |
● |
|
|
|
1回 |
|
投球成績
|
チーム |
登板 |
完投 |
完封 |
勝利 |
敗戦 |
S |
回数 |
安打 |
本塁 |
四球 |
死球 |
三振 |
暴投 |
ボーク |
失点 |
自責 |
防御率 |
|
18 |
横浜 |
24 |
1 |
1 |
11 |
5 |
0 |
154.0 |
130 |
13 |
42 |
2 |
155 |
1 |
0 |
45 |
42 |
2.45 |
19 |
横浜 |
7 |
0 |
0 |
4 |
2 |
0 |
38.1 |
38 |
4 |
10 |
1 |
31 |
1 |
0 |
17 |
16 |
3.76 |
21 |
横浜 |
3 |
0 |
0 |
1 |
2 |
0 |
19.2 |
10 |
1 |
4 |
0 |
20 |
0 |
0 |
5 |
5 |
2.29 |
|
通算 |
3年 |
34 |
1 |
1 |
16 |
9 |
0 |
212.0 |
178 |
18 |
56 |
3 |
206 |
2 |
0 |
67 |
63 |
2.67 |
|
|
打撃成績
|
チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
18 |
横浜 |
24 |
45 |
0 |
4 |
1 |
0 |
0 |
5 |
1 |
0 |
0 |
8 |
0 |
1 |
0 |
24 |
1 |
1 |
.089 |
19 |
横浜 |
7 |
10 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
1 |
0 |
8 |
0 |
0 |
.100 |
21 |
横浜 |
3 |
6 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
.000 |
|
通算 |
3年 |
34 |
61 |
0 |
5 |
1 |
0 |
0 |
6 |
1 |
0 |
0 |
11 |
0 |
2 |
0 |
34 |
1 |
1 |
.082 |
|
|
オールスター投球成績
|
回数 |
登板 |
完投 |
完封 |
勝利 |
敗戦 |
S |
回数 |
安打 |
本塁 |
四球 |
死球 |
三振 |
暴投 |
ボーク |
失点 |
自責 |
防御率 |
|
通算 |
1回 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2.0 |
2 |
0 |
1 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0.00 |
|
|
二軍投球成績
|
チーム |
登板 |
完投 |
勝利 |
敗戦 |
S |
回数 |
安打 |
本塁 |
四死 |
三振 |
失点 |
自責 |
防御率 |
|
18 |
横浜 |
1 |
0 |
1 |
0 |
0 |
7.0 |
7 |
1 |
1 |
6 |
2 |
2 |
2.57 |
19 |
横浜 |
9 |
0 |
4 |
1 |
0 |
40.2 |
20 |
3 |
11 |
47 |
11 |
9 |
1.99 |
21 |
横浜 |
7 |
0 |
3 |
0 |
0 |
32.1 |
25 |
2 |
7 |
33 |
8 |
7 |
1.95 |
|
通算 |
3年 |
17 |
0 |
8 |
1 |
0 |
80.0 |
52 |
6 |
19 |
86 |
21 |
18 |
2.03 |
|
|
|