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藤井 秀悟



00
名前 ふじい しゅうご
生年月日 1977年5月12日
経歴 今治西高-早稲田大-ヤクルト(99年D2位)-日本ハム-巨人-横浜
入団年 12年に巨人から移籍
在籍年 12年−14年
背番号 12年−14年[00]
投打 左投げ左打ち
守備 投手
伊予の怪腕
小学校2年時に父親にやらされる形で野球を始める。小学校卒業時に一旦野球を辞めたが1年の秋になって再びやらされる形で野球を始める。今治西高では1年時からエースを任されて、1年夏の県大会予選では決勝戦まで進出したが、決勝の宇和島東戦では平井 正史と投げ合って敗れた。2年の秋からは連続無失点記録を続けて「伊予の怪腕」と呼ばれた。3年春の甲子園では大会を代表する左腕として注目されて初戦の富山商戦で5安打、2四球、10奪三振で完封勝利を達成。国内での公式戦の無失点記録を46まで伸ばした。

甲子園で故障
2回戦の広島工戦では6回表に自らの暴投で失点して連続無失点が51イニングでストップしたが、被安打6、3四球、10奪三振で2失点完投勝利。準々決勝の鶴岡 一成を擁する神港学園戦では鶴岡のスリーベースなどで2点を失ったが、8回表が終わって被安打4、2四球で12奪三振という素晴らしいピッチングを見せた。9回表に左肘の靭帯を損傷して無念の降板となったが、そのままファーストとして出場を続けると9回裏に同点タイムリーを放って延長13回裏サヨナラ勝ちの立役者になった。準決勝はファーストとして出場したが敗れて全国制覇はならなかった。

ヤクルト入団
早稲田大学に進学すると六大学通算24勝10敗、249奪三振、防御率1.91という素晴らしい成績を残して、2年秋には5勝2敗、防御率1.89を記録してベストナインに選出された。4年春には早稲田を11期ぶりの優勝に導き、大学野球選手権大会でも決勝まで進出したが後にチームメイトとなる石川 雅規を擁する青山学院に敗れて日本一はならなかった。99年のドラフト会議でヤクルトから2位指名を受けて入団した。

初勝利
00円4月29日の巨人戦で延長11回表を無失点で抑えると、その裏に佐藤真がサヨナラヒットを放って藤井に初勝利が記録された。同年には31試合に登板してイニング数を上回る奪三振を記録するなど光る物も見せたが、32.1イニングで20四死球という乱調が響いて防御率は4.73に留まった。

球種増やす
今一つの成績に終わった藤井だったが、翌年のキャンプで横浜から移籍してきた島田 直也にスライダーを学ぶと、前年限りでヤクルトを退団したハッカミーから伝授されていたチェンジアップも徐々に物にして変化球に磨きをかけた。同年には川崎がFA移籍、ハッカミーが退団、伊藤智が故障と実績のある先発陣が外れたこともあって先発で起用されると4月11日の阪神戦で7回を4安打、無四球で2失点に抑えて勝利投手になった。

暗黙のルールに涙
4月17日の巨人戦でも7回を1失点に抑えて白星を記録すると、その後も2失点完投、8回無失点、7回3失点、7回1失点という素晴らしい内容で防御率1点台という好投を続ける。そして5月22日の巨人戦でも8回裏が終わって1失点に抑えて、試合も8対1と圧倒していたが、9回表に二死三塁で打席に入った藤井がショートゴロを打って全力疾走を見せると、巨人ベンチから「大量リードの試合で投手は打ってはならない」という暗黙のルールを破ったとしてヤジが浴びせられた。9回裏のマウンドに上がった藤井はヤジにショックを受けて涙ぐみながらピッチングを続けたが、3連続四死球を投じて降板となり、ヒーローインタビューも拒否した。

最多勝
涙の降板の次の試合は奇しくも再び巨人戦となったが、藤井はこの試合で7.1回を無失点に抑えて意地を見せると、その後も優勝を争う巨人戦で好投を見せて同年に巨人から5勝を記録した。通算でも14勝8敗、防御率3.17で最多勝に輝き、ベストナインにも選出されるなどヤクルトの優勝に大きく貢献した近鉄との日本シリーズでは第2戦の先発を任されたが、4回裏に中村紀にレフトスタンドにソロを運ばれるなど5.2回を投げて7安打、4四球で5失点と味方の大量援護を守れずKOされてしまった。

キューバ戦
01年の11月には日本代表に選出されてIBAFワールドカップの準決勝キューバ戦に先発。1対0とリードした5回表に東出のエラーで同点に追い付かれたが、藤井は強打のキューバ打線を抑え続けてキューバ先発のコントレラスと相譲らない投手戦を演じる。試合は1対1のまま延長戦に突入したが、延長11回表についに藤井が捕まってパチェーコの犠牲フライで勝ち越し点を許すと、リリーフした加藤康介もタイムリーを打たれて敗戦。日本は3位決定戦でも台湾に敗れてメダル獲得はならなかった。

背番号18と開幕投手
02年には背番号が18に変更となり、開幕投手を任されるなどMLBに移籍した石井一に代わるエースとして期待された。藤井は開幕戦で勝利投手になると、5月29日の巨人戦で1失点完投を記録するなど5月までに4勝1敗という好成績を残したが、6月に日韓で行なわれたサッカーのワールドカップの日本対ベルギー戦を現地観戦して風邪で発熱。先発予定の試合が登板回避となり若松監督を激怒させてしまう。同年には195.2回を投げて防御率3.08という好成績を残したが、後半戦の白星は伸び悩んで勝敗は10勝9敗に留まった。

604日ぶりの白星も
03年は開幕前から左肘の違和感を訴えて調整が遅れると、4月2日の中日戦で登板したが4回途中に違和感を感じて降板。翌日に左ヒジ靭帯断裂が判明して5月2日に靭帯の再建手術と尺骨神経の剥離手術を受け、同年はマウンドに帰って来ることは出来なかった。翌04年には二軍で調整中の4月28日に横浜市内で自動車の衝突事故を起こして頚椎ねんざ。一ヵ月後の5月26日の中日戦で420日ぶりに一軍のマウンドに上がったが5回8失点で降板すると、その後も大量失点が続いて4連敗。6月30日の横浜戦で5回3失点で604日ぶりの白星を記録したが、8月19日の巨人戦で左膝を痛めて登録抹消と故障が重なって事もあって結果が残せなかった。

6.2回で14奪三振
05年には自身の開幕戦となった4月6日の中日戦で6回終わって1安打、1四球で12奪三振という圧巻のピッチングを見せる。故障明けという事もあって7回途中でマウンドを降りたが、7回表にも連続三振を記録して、実に20個のアウトのうち14個を三振で記録した。5月5日の中日戦ではウッズの頭部付近へストレートを投じると、藤井の投球の際の癖である舌出しが挑発行為と誤解されて激怒したウッズに顔面を殴られる事件が起こったが、藤井はその後もマウンドに上がって7回を1失点に抑えたが敗戦投手となってしまった。

タイトル獲得ならず
前半戦はリーグトップの防御率2.59を記録してオールスターにも選出されたが、打線の援護に恵まれなかった事もあって前半戦の勝敗は6勝6敗に留まった。後半戦に入ると血行障害もあって調子を落とし、9月11日の横浜戦で5失点でKOされると、そこから8失点、4失点、7失点と打ち込まれる試合が続いてシーズン終了前の6試合で27.1イニングを投げて28失点と大幅に数字を悪化させてしまった。

トレード移籍
06年は開幕から防御率4点台の不安定なピッチングが続いてしまうと、夏場にはさらに調子を落としてシーズン終盤にはリリーフ起用や、二軍降格も味わうなど7勝8敗で防御率4.41に留まった。翌07年には4月まで防御率5.20ながら援護に恵まれて3勝2敗を記録したが、5月1日の巨人戦から6連敗。夏場には援護にも恵まれて何とか7勝10敗を記録したが、防御率は5.05に終わり、2年連続で投球回に達することも出来ずエース候補としての期待に応えられず、翌08年1月11日にトレードで日本ハムへの移籍が発表された。

クライマックスシリーズで好投
移籍初年度の08年には19試合に先発して防御率3.25という好成績を残したが、5月10日のソフトバンク戦で8回を投げて6安打、3四球で12奪三振を奪って失点1(自責0)に抑えながら、打線が杉内に4安打完封に抑え込まれて敗戦投手になるなどシーズンを通して援護点に恵まれず3勝8敗に留まった。だがクライマックスシリーズではオリックスとの第1ステージ第2戦で6.0回を投げて3安打、2四球で1失点に抑えて勝利投手になった。

日本シリーズで好投
09年は22試合に先発して7勝5敗、防御率3.53という好成績を記録してリーグ優勝に貢献。クライマックスシリーズでも楽天との第2ステージ第4戦で3回までパーフェクトに抑え込むと、4回表に4安打を集中されて3点を返されたがリードを守ったまま5回を投げて勝利投手になった。巨人との日本シリーズでも第5戦に先発して7回を4安打、1四球で無失点に封じ込む素晴らしいピッチングを見せたが、リリーフ陣が打ち込まれて日本シリーズ勝利はならなかった。同年オフにはシリーズで敗れた巨人にFAで移籍した。

12球団勝利
10年には5月3日の古巣ヤクルト戦で6回を1安打、無四球という圧巻のピッチングを見せて史上8人目の12球団勝利を達成。その後に自身6連勝を記録したが7月に入ると4度の先発で全て自責5以上という不調に陥って登録抹消になった。だが9月に復帰すると白星には恵まれなかったが、シーズン終了までに5度先発して全て自責1以下に抑えて、チームも負けなしと優勝争いの中で好投を見せた。同年には7勝3敗で防御率3.76を記録したが、藤井に勝敗が付かなかった試合も含めると先発した22試合でチームは14勝7敗1分と大きく勝ち越した。

横浜移籍
11年にはイースタンリーグで6勝2敗、防御率2.09という好成績を残しながら、一軍では9月9日の広島戦でリリーフ起用された1試合しかチャンスを貰えず、年俸も減額制限を越える50%カットという厳しい状態に追い込まれた。同年のオフにFAで巨人に移籍した村田の人的補償選手として横浜DeNAに移籍。また高校時代に死闘を演じた鶴岡もFAで横浜に移籍した(巨人時代はバッテリーなし)

605日ぶり、1463日ぶり
移籍初年度の開幕は二軍で迎えたが5月17日に一軍に昇格。同日の西武戦に先発すると初回に3点を失ったが2回からは立ち直って5回を3失点でまとめた。続く5月28日のオリックス戦では5イニングを李大浩のソロのみに抑えて605日ぶりに勝利投手になった。またこの勝利は対オリックス戦14連敗だったチームにとっても同カードで1463日ぶりの白星となった。

連勝
6月13日のオリックス戦から鶴岡とバッテリーを組むと同日の試合で6回1失点で勝利に貢献。そして6月20日の楽天戦から8月15日阪神戦まで2カ月間に渡って破竹の6連勝を記録。勝ち負けなしの試合もチームは勝って先発試合でチーム8連勝という最下位チームとは思えない記録を残した。連勝中に最もイニング数を投げた試合が5.2回というように早い回でマウンドを降りることが多かったが安定して5回を1〜2点でまとめて試合を作ると、連勝中の藤井先発試合は平均7点という打線の大量援護もあって勝ち続けた。

連敗
2カ月間を残して7勝2敗と7年ぶりの二桁勝利は確実かと思われたが、8月22日の広島戦で6回3失点で敗戦投手となり連勝がストップすると、その後も29日の阪神戦で6.2回2失点、9月5日のヤクルト戦で5回3失点とそれなりに試合を作ったが打線の援護がなく敗戦が重なってしまう。シーズンの最終登板となった10月1日の中日戦では荒木から史上133人目の1000奪三振を記録したが6回表に勝ち越しを許して5連敗でシーズンを終えてしまった。また同日の試合で西武の西口を越える先発試合103試合連続完投なしという日本記録となった。

3986日ぶり
13年には史上最大ブランクとなる11年ぶりの開幕投手を任されると中日打線を6回を2失点に抑えて19年ぶりのビジターでの開幕戦勝利に貢献。4月27日の阪神戦では初回から無失点ピッチングを続けると、終盤には130キロそこそこまで球速が落ちたがチームが9連戦中という事もあって続投を志願。最後は肩で息をしながら9回を投げ抜いて1失点完投勝利。3986日ぶりの完投勝利で日本ワーストの先発試合連続完投なしを107試合でストップさせた。また同試合でチームの連敗を4でストップさせると、5連敗で迎えた5月18日の日本ハム戦で5回2失点、5連敗で迎えた6月1日の楽天戦でも8回1失点とチームの危機を何度も救った。

4104日ぶり
7月13日の阪神戦では鶴岡と思い出の甲子園でバッテリーを組んで5安打、2四球で02年4月18日の横浜戦以来11年ぶりとなる完封勝利を達成。48年に阪神の藤村が記録した4098日を越えて史上最大ブランクとなる4104日ぶりの完封勝利となった。そしてオールスターブレイクを挟んだ26日の阪神戦でも7安打、2四球で2試合連続の完投勝利。この時点で3完投と苦しい投手起用が続くチームを支えたが、ムリが響いたのかスライド登板となった8月24日の巨人戦で左肘に違和感を訴えて降板。登録抹消となりシーズン終了までリハビリに費やすことになった。

戦力外通告
故障した直後は自身のブログで「選手生命の危機」と危機感をあらわにしたが、順調に回復して翌14年の春季キャンプでは練習試合に登板して三者凡退に抑えた。4月20日にイースタン・リーグの西武戦で5回を3安打、1四球で無失点に抑えると、その後も好投を続けて先発候補に名が上がったが、5月27日の楽天戦で初回に犠打を挟んだ8連打とめった打ちにあって2回被安打10で10失点KOとなってしまうと、首脳陣に左肘の状態に疑念を持たれて二軍でも登板機会が減少。結局一度も昇格のチャンスは与えられないまま戦力外通告を受けた。

引退
現役続行を目指して第1回トライアウトを受験したが、4人の打者と対戦して2四球を与える不完全燃焼のピッチングに終わった。悩んだ末に受験した第2回トライアウトでは多くのファンから大きな拍手に送られてマウンドに上がり、2三振を奪う素晴らしいピッチングを見せた。藤井は目を潤ませながら「カウント2-3になって何を投げようかと思っていたけど、これまで何万球も投げてきたチェンジアップを選んだ。人生を左右する1球だと思って投げました」。だがNPB球団からのオファーはなく12月1日に自身のブログに直筆で綴った9枚の文書を公開し同年限りでの引退とかつてのチームメイト達との思い出、ファンへの感謝などを伝えた。


初記録
初登板 00年4月1日中日戦
初勝利 00年4月29日巨人戦
初奪三振 00年4月6日阪神戦
初セーブ
初完投 01年4月11日阪神戦
記録達成日
1000投球回 08年8月28日ロッテ戦
1000奪三振 12年10月1日中日戦:荒木から





00 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14
最多賞 1回
ベストナイン 1回
オールスター 2回


  投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
00 ヤクルト 31 0 0 1 0 0 32.1 23 5 18 2 36 3 1 18 17 4.73
01 ヤクルト 27 2 1 14 8 0 173.1 145 24 64 3 124 4 0 62 61 3.17
02 ヤクルト 28 5 1 10 9 0 195.2 167 25 44 5 171 6 0 72 67 3.08
03 ヤクルト 1 0 0 0 0 0 2.2 3 0 1 1 1 0 0 1 1 3.38
04 ヤクルト 15 0 0 4 6 0 78.1 91 16 28 7 73 0 0 53 48 5.51
05 ヤクルト 28 0 0 10 12 0 176.0 156 24 64 2 143 5 0 70 67 3.43
06 ヤクルト 27 1 0 7 8 0 128.2 124 15 45 6 88 4 1 64 63 4.41
07 ヤクルト 25 0 0 7 10 0 123.0 123 18 53 3 96 2 0 71 69 5.05
08 日本ハム 19 0 0 3 8 0 110.2 115 11 41 5 76 2 0 46 40 3.25
09 日本ハム 22 0 0 7 5 0 114.2 120 11 48 6 63 3 0 45 45 3.53
10 巨人 23 0 0 7 3 0 122.0 107 16 34 6 91 4 3 53 51 3.76
11 巨人 1 0 0 0 0 0 5.0 6 2 1 0 1 0 0 3 3 5.40
12 横浜 16 0 0 7 7 0 84.0 83 7 37 1 40 1 0 36 35 3.75
13 横浜 21 3 1 6 5 0 117.0 114 14 58 4 61 3 0 51 46 3.54
球団 2年 37 3 1 13 12 0 201.0 197 21 95 5 101 4 0 87 81 3.63
通算 14年 284 11 3 83 81 0 1463.1 1377 188 536 51 1064 37 5 645 613 3.77


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
00 ヤクルト 32 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 .000
01 ヤクルト 30 57 5 8 0 0 0 8 5 0 0 4 0 5 0 27 0 2 .140
02 ヤクルト 28 65 3 7 0 0 0 7 0 0 0 6 0 1 0 30 0 1 .108
03 ヤクルト 1 1 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1.000
04 ヤクルト 16 26 1 4 0 0 0 4 1 0 0 1 0 3 0 15 0 1 .154
05 ヤクルト 30 47 1 6 0 0 0 6 2 0 0 2 0 1 0 17 0 0 .128
06 ヤクルト 27 30 0 4 1 0 0 5 3 0 0 4 0 0 0 11 0 0 .133
07 ヤクルト 25 33 1 5 1 0 0 6 3 0 0 2 0 0 1 13 0 0 .152
08 日本ハム 19 4 0 2 0 0 0 2 1 0 0 0 0 0 0 2 0 0 .500
09 日本ハム 22 3 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .333
10 巨人 23 38 3 9 3 0 0 12 1 0 0 2 0 1 1 12 0 0 .237
11 巨人 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
12 横浜 16 18 3 4 0 0 0 4 1 0 0 2 0 2 0 4 0 0 .222
13 横浜 21 30 3 2 0 0 0 2 2 0 0 5 0 1 1 12 0 1 .067
球団 2年 37 48 6 6 0 0 0 6 3 0 0 7 0 3 1 16 0 1 .125
通算 14年 291 355 20 53 5 0 0 58 19 0 0 28 0 14 3 146 0 5 .149


  日本シリーズ投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
01 ヤクルト 1 0 0 0 0 0 5.2 7 1 4 0 2 0 0 5 5 7.94
09 日本ハム 1 0 0 0 0 0 7.0 4 0 1 1 3 0 0 0 0 0.00
通算 2年 2 0 0 0 0 0 12.2 11 1 5 1 5 0 0 5 5 3.55


  日本シリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
01 ヤクルト 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
09 日本ハム 1 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
通算 2年 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000


  クライマックスシリーズ投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
08 日本ハム 2 0 0 1 0 0 9.1 4 0 5 0 2 0 0 1 1 0.96
09 日本ハム 1 0 0 1 0 0 5.0 5 0 1 0 2 0 0 3 3 5.40
10 巨人 1 0 0 0 0 0 1.0 2 0 1 0 0 0 0 1 1 9.00
通算 3年 4 0 0 2 0 0 15.1 11 0 7 0 4 0 0 5 5 2.93


  クライマックスシリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
08 日本ハム 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
09 日本ハム 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
10 巨人 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
通算 3年 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000


  オールスター投球成績
回数 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
通算 1回 1 0 0 0 0 0 2.0 5 3 0 0 3 0 0 4 4 18.00


  二軍投球成績
チーム 登板 完投 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四死 三振 失点 自責 防御率
00 ヤクルト 7 0 0 0 1 11.0 14 0 5 12 5 5 4.09
04 ヤクルト 4 0 1 0 0 15.0 7 1 1 18 2 2 1.20
06 ヤクルト 3 0 1 1 0 13.0 13 1 5 12 9 4 2.77
07 ヤクルト 2 0 0 2 0 8.1 15 3 4 3 12 12 12.96
08 日本ハム 6 0 2 1 0 34.0 28 4 6 29 12 9 2.38
09 日本ハム 5 0 1 1 0 25.0 29 3 7 22 10 7 2.52
10 巨人 3 0 0 2 0 17.0 15 0 10 17 6 6 3.18
11 巨人 20 1 6 2 0 82.0 55 2 30 52 19 19 2.09
12 横浜 9 1 0 3 0 39.0 43 1 8 19 15 15 3.46
14 横浜 14 0 4 2 0 54.1 59 5 21 32 31 27 4.47
通算 10年 73 2 15 14 1 298.2 278 20 97 216 121 106 3.19