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飯塚 悟史



30
名前 いいづか さとし
生年月日 1996年10月11日
経歴 日本文理高−横浜(14年D7位)
入団年 14年ドラフト7位
在籍年 15年−
背番号 15年−[30]
投打 右投げ左打ち
守備 投手
コントロール
中学時代には新潟Kボール選抜として全国大会で準優勝。中学1年時に夏の甲子園決勝で4対10で迎えた9回表に5点を返した日本文理に感動して、地元の高校で甲子園に行くという夢を叶えるために日本文理へ進学。1年秋から背番号1を背負い秋の県大会で優勝。2年夏はチームは甲子園出場を果たしたが、飯塚は県大会決勝で勝利がほぼ決定した満塁でリリーフして打者一人に押し出し四球を与えて交代と悔しさを味わった。この事をきっかけにスピートにこだわってきたピッチングからコントロール中心のピッチングへの意識を変えた。

打撃
スリークウオーターへとフォームチェンジして臨んだ2年秋は明治神宮大会で3本塁打を放って打者として注目を集めた。だが2本塁打を放った決勝戦では7〜8回に9失点を喫して8対0から大逆転負けと投手としては課題も残った。試合後にビデオで試合を見返している時にホームランを打たれてニヤケ顔をしていた自分に反省し、以後はポーカーフェイスを心がけるようになった。

フォーク
「越後のゴジラ」という異名が付くなど打者としての評価が高かったが臨時コーチに就任した元ヤクルトの本間忠に「どんな投手になりたいんだ?」と問われ「勝てる投手」と返答したところ、フォーク習得など多くのアドバイスを貰い、オーバースローに戻した3年春にはセンバツ初戦の豊川戦で延長13回の大熱戦の末に敗れたものの12.2回で2四球という安定感で投手としての評価を高めた。

横浜入団
3年夏にも3季連続となる甲子園出場を果たすと打たせて取るピッチングで5戦全てに5完投してチームをベスト4まで導いた(650球)。同年のドラフト会議で横浜から7位指名を受けて入団。ルーキーイヤーは6月に右肘をクリーニング手術した事もあってイースタン・リーグで5試合登板に留まった。翌16年はイースタンリーグで先発として起用されて6勝7敗、防御率3.52を記録。6月には12日のロッテ戦、19日の楽天戦と2試合連続で8イニングを1失点に抑えて一軍昇格も見えてきたがわき腹を故障してチャンスを逃すと、その後もたびたび昇格好捕として名前が上がったが、一軍が最後まで激しくCSを争っていたこともあって初昇格はならなかった。

突然の初登板
17年は一軍キャンプスタートとなったが紅白戦で2回9失点と打ち込まれて二軍キャンプに降格となった。シーズンが開幕すると二軍でエース格のピッチングを続けたが一軍のローテーションが固まっていた事もあって初登板のチャンスは回ってこなかった。だが交流戦の最終戦が2回裏終了時点で雨天ノーゲームとなり、翌日の振替試合で投げる先発がいなくなったため突然のチャンスを貰うと「1球投げたときに自分の世界に入って緊張がとれた」という飯塚は地元新潟の大先輩で年俸差100倍のオリックス金子と投げ合って5回を2安打、2四球で無失点、リリーフ陣が打ち込まれて初勝利こそ逃したがフォークを有効に使って6奪三振も記録する好投を見せた。

初勝利
初登板試合にはハマスタに新潟のテレビ局が3局も駆けつけるなど地元の高い期待を受けた飯塚だったが初登板の好投で7月4日に新潟で開催される阪神戦の先発が決定、当日は試合前から地元TV局が中継するなど注目を集めていたが雨天中止となり凱旋登板は流れてしまった。二日後の阪神戦に先発も守備に足を引っ張られると中谷、原口に連続弾を浴びるなど5回途中6失点で降板。続く22日の巨人戦でも初回に不運なヒットでピンチを背負うと、ビニール袋が飛んで試合が中断した直後に村田にスリーランを被弾して敗戦、その後は四球を乱発するなど苦しんだが、6度目の先発となった8月30日の中日戦ではストレートで内角を突いて6回途中3安打、3四球で1失点に抑えて待望の初勝利を記録、同年は1勝のみに留まったが一歩を踏み出した。

好投も
飛躍が期待された18年はオープン戦で防御率0.61を記録してラミレス監督からオープン戦MVPに選出された。開幕ローテも勝ち取って惜しくも勝利を逃したが4月4日の阪神戦で6回2失点に抑える好投を見せた。続く10日の巨人戦では粘投で5回を無失点に抑えたが、エスコバーが打ち込まれて白星はならなかった。続く17日には待ち望んだ故郷新潟での巨人戦で先発し、6回途中まで1失点に抑えたが、6回表二死からヒットを許したところで降板すると、代わったエスコバーが逆転ツーランを被弾して瞬く間に勝利投手の権利が消えてしまった。

1勝
4月30日の中日戦では5回3失点にまとめたが、日本球界で4241日ぶりの白星を記録した松坂に投げ負けて敗戦、5月15日の阪神戦で5回まで無失点に抑えたが、6回裏にピンチを招いて降板すると、またもエスコバーが打ち込まれて白星はならなかった。続く22日の中日戦では打ち込まれて防御率3.62に抑えながら0勝4敗で登録抹消となった。ウィーランドが腰痛で離脱したため6月18日の西武戦で先発のチャンスを貰い、5回で5安打、5四球と毎回のようにピンチを背負いながら4併殺で切り抜けて勝利投手になった。だが続く27日の阪神戦で初回に5四球で3失点、逆転してもらった直後にも3失点で4回途中KOとなり再び抹消となり、2年連続で1勝に留まった。

高評価から一転
19年は自主トレのキャッチボール中に感覚を掴んで2段モーションに変更したこともはまって平均球速が145キロを超え、練習試合、オープン戦で好投を続けた。開幕ローテを決定的にしていたが、開幕直前に右ひじを痛めて離脱、復帰に時間はかからなかったが、5月までに2軍で0勝5敗で防御率7.11と状態を落とした。先発に離脱者が相次いだこともあって6月19日に昇格して日本ハム戦に先発、4回までは好投を見せたが3対0で迎えた5回表に一死から四球と代打清宮のツーベースでピンチを背負い、西川にはきわどく一塁線を抜かれて降板となってしまった。7月8日のヤクルト戦でも先発のチャンスをもらったが2回4失点KOに終わるなど戦力になれなかった。

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20年は1軍登板は果たせず、2軍でも降雨の中で行われた6月30日の楽天戦で0.2回を投げて7安打、3四球で9失点を記録するなど、イースタンリーグで39.0回で被安打67、32四死球で防御率9,00という厳しい結果に終わった。


初記録
初登板 2017年6月19日オリックス戦
初勝利 2017年8月30日中日戦
初奪三振 2017年6月19日オリックス戦:小島から
初完投
初セーブ


  投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
17 横浜 9 0 0 1 3 0 42.0 41 9 21 4 27 1 0 22 20 4.29
18 横浜 9 0 0 1 6 0 43.2 52 8 23 1 34 1 0 24 23 4.74
19 横浜 5 0 0 0 1 0 11.1 17 4 3 1 9 0 0 14 14 11.12
通算 3年 23 0 0 2 10 0 97.0 110 21 47 6 70 2 0 60 57 5.29


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
17 横浜 9 13 0 1 0 0 0 1 0 0 0 2 0 0 0 11 0 0 .077
18 横浜 9 15 0 2 1 0 0 3 0 0 0 0 0 0 0 9 0 0 .133
19 横浜 5 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000
通算 3年 23 30 0 3 1 0 0 4 0 0 0 2 0 0 0 21 0 0 .100


  二軍投球成績
チーム 登板 完投 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四死 三振 失点 自責 防御率
15 横浜 5 0 1 0 0 15.0 12 0 6 9 1 1 0.60
16 横浜 15 0 6 7 0 87.0 92 4 33 45 43 34 3.52
17 横浜 10 0 4 1 0 50.2 38 1 21 31 15 12 2.13
18 横浜 12 1 3 4 0 57.2 65 7 23 43 36 33 5.15
19 横浜 14 0 3 6 0 46.2 55 5 24 27 35 27 5.21
20 横浜 27 0 1 2 0 39.0 67 3 32 26 50 39 9.00
通算 6年 83 1 18 20 0 296.0 329 20 139 181 180 146 4.44