| 
| 
| 
| 笠井 崇正
 
 94 | 名前 | かさい たかまさ |  
| 生年月日 | 1994年8月7日 |  
| 経歴 | 北海道旭川西高−早稲田大−信濃−横浜(16年育成D1位) |  
| 入団年 | 16年育成ドラフト1位 |  
| 在籍年 | 17年−21年 |  
| 背番号 | 17年[105]:18年−21年[94] |  
| 投打 | 右投げ右打ち |  
| 守備 | 投手 |  |  |  
| 
| :二日間で退部: 北海道旭川市出身、小学校3年の時に友達が入った硬式野球チームで野球を始める。中学では控え投手だったが、首席で入学した旭川西高では2年秋からエースとなり、3年春には全道大会の初戦で完封を記録するなど道ベスト8まで進出した。将来は公務員を考えていた笠井だったが野球雑誌に名前が載ったことでプロ野球を意識、一般入試で早稲田大に進学して多数のプロ選手を輩出してきた野球部に入部したが、自由にやらせてもらえない環境に「ここでは4年も続かないな」と見切りをつけて入部から2日間で退部という決断を下した。
 
 :フォーム研究:
 野球への想いは変わっていなかったため同窓会のような硬式野球サークル「Y.R.B.C」で野球を続けた。野球塾で小学生相手に教えたりするかたわらでスポーツ科学部でトレーニング理論などを学び、それまで腕のふりだけを意識していた投球フォームを下半身を使って体の回転のスピードを上げることで球速を上げられることに気づき、大学3年の夏に高校野球部のOB戦で141キロを記録して周囲を驚かせた。
 
 :独立リーグ挑戦:
 焼き肉店で時給970円のアルバイトをしながら野球を続けていた笠井はお客さんとして訪れる日本ハムの有原を憧れの存在として見ていたが、本格的なトレーニングを積めば自分もプロに手が届く可能性を感じて、自作のトレーニングメニューで体を鍛え上げた。講義で早稲田大を訪れた大先輩である谷沢
健一さんから「独立リーグでも行ってみたらどうだ」と冗談交じりに声をかけられていた事もあって、11月に行われたBCリーグのトライアウトを受験、第一次テストで145キロ、第二次テストでは146キロと球速を上げて信濃から2位指名を受け、早稲田に在学したまま独立リーグでプレーすることになった。
 
 :育成1位:
 既にほとんどの授業の単位は取得していたため長野へ引っ越して授業はパソコンで受けた。同年に中継ぎとして35試合に登板して防御率2.43を記録、ドラフト会議が間近に迫った9月11日のシーズン最終戦で151キロを投じてスカウトの注目を集め、育成ドラフトで横浜から1位指名を受けて入団した。なお大学の卒論はベイスターズの久保
康友などを参考資料に「投球動作の所要時間と投球速度の関係及び、投球速度の不安定性に影響を与える体力要素」という実利のあるテーマを選んだ。
 
 :支配下:
 ルーキーイヤーはキャンプの練習試合で奪三振ショーを演じてラミレス監督から「ビッグインパクトだ!」と絶賛された。シーズンでもイースタンリーグで25試合に登板して防御率3.72というまずまずの成績を残した。17年オフには台湾で行われたウインターリーグで10試合で12イニングを投げて防御率0.00を記録、翌18年の1月12日に支配下登録を果たした。
 
 :初登板:
 18年は一軍キャンプでラミレス監督から第2クールのMVPに選出されたが肋骨を痛めて離脱、体調がなかなか戻らず苦しい日々が続いたがシーズン終盤に状態を上げて9月23日に嬉しい初昇格を果たした。初登板となった10月1日の阪神戦では150キロのストレートを軸に三者凡退に抑えると、続く登板となった3日のヤクルト戦で4四球を出しながら2回を零封し、打席でもファウルで粘ってからの初ヒットを記録、同年はその2登板に留まったが新たな一歩を踏み出した。
 
 :お立ち台:
 19年は開幕1軍を勝ち取り、主に敗戦処理でまずまずのピッチングを続けたが5月20日に抹消となった。8月2日に再昇格を果たすと、8月30日の広島戦で2回裏からのスクランブル登板で4.1回を4安打無失点に抑えて勝利に貢献、勝利投手にはなれなかったがお立ち台に上がった。オフにはオーストラリアのウインターリーグに参加して経験を積んだ。20年はイースタンリーグで27試合に登板して防御率4.05と今一つの成績に終わって、1軍登板はシーズン最終版の1試合のみに留まった。
 
 :梶谷に満塁被弾:
 21年は開幕1軍に残ったが巨人との開幕第2戦で1対4で迎えた7回裏に登板も連打と2四球で1点を奪われると、なおも二死満塁から梶谷に満塁ホームランを被弾、さらに死球と連打で追加点を奪われてイニング6失点と試合を壊してしまった。続くチャンスは与えられないまま抹消となり、同年オフに戦力外通告を受けた。合同トライアウトを受験して三者凡退に抑えた。
 |  |  
 
 
| 
| 
| 
| 初記録 |  
| 初登板 | 2018年10月1日阪神戦 |  
| 初勝利 |  |  
| 初奪三振 | 2018年10月1日阪神戦:伊藤隼から |  
| 初完投 |  |  
| 初セーブ |  |  |  |  |  |  
 
 
| 
| 投球成績 
 
|  | チーム | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | S | 回数 | 安打 | 本塁 | 四球 | 死球 | 三振 | 暴投 | ボーク | 失点 | 自責 | 防御率 |  
|  |  
| 18 | 横浜 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3.0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 |  
| 19 | 横浜 | 16 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 22.1 | 23 | 3 | 14 | 0 | 18 | 3 | 0 | 10 | 10 | 4.03 |  
| 20 | 横浜 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1.0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 2 | 18.00 |  
| 21 | 横浜 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1.0 | 5 | 1 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 6 | 6 | 54.00 |  
|  |  
| 通算 | 4年 | 20 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 27.1 | 30 | 4 | 22 | 1 | 23 | 3 | 0 | 18 | 18 | 5.93 |  |  |  
 
 
| 
| 打撃成績 
 
|  | チーム | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁 | 三塁 | 本塁 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 盗刺 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺 | 失策 | 打率 |  
|  |  
| 18 | 横浜 | 2 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |  
| 19 | 横浜 | 16 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 |  
| 20 | 横浜 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 |  
| 21 | 横浜 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 |  
|  |  
| 通算 | 4年 | 20 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .500 |  |  |  
 
 
| 
| 二軍投球成績 
 
|  | チーム | 登板 | 完投 | 勝利 | 敗戦 | S | 回数 | 安打 | 本塁 | 四死 | 三振 | 失点 | 自責 | 防御率 |  
|  |  
| 17 | 横浜 | 25 | 0 | 3 | 3 | 2 | 38.2 | 37 | 1 | 21 | 31 | 18 | 16 | 3.72 |  
| 18 | 横浜 | 24 | 0 | 0 | 1 | 0 | 25.1 | 14 | 2 | 21 | 15 | 13 | 11 | 3.91 |  
| 19 | 横浜 | 22 | 0 | 2 | 0 | 1 | 29.0 | 19 | 1 | 11 | 20 | 7 | 6 | 1.86 |  
| 20 | 横浜 | 27 | 0 | 4 | 4 | 1 | 26.2 | 30 | 3 | 19 | 33 | 16 | 12 | 4.05 |  
| 21 | 横浜 | 22 | 0 | 1 | 1 | 0 | 22.2 | 26 | 2 | 25 | 16 | 16 | 16 | 6.35 |  
|  |  
| 通算 | 5年 | 120 | 0 | 10 | 9 | 4 | 142.1 | 126 | 9 | 97 | 115 | 70 | 61 | 3.86 |  |  |  
 
 
 |