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小林 寛



12
名前 こばやし ひろし
生年月日 1989年1月21日
経歴 江の川高校−大阪学院大学−横浜(10年D4位)ーJFE西日本
入団年 10年ドラフト4位
在籍年 11年−17年
背番号 11年−17年[12]
投打 右投げ右打ち
守備 投手
平古場賞
広島出身だが小学校2年の時に野球を始めると、3年時にレベルの高いボーイズリーグで野球をやるために家族で関西に引越した。江の川高校では2年の夏に控え投手として甲子園に出場し、初戦の静清工戦で2イニングを無失点に抑えた。大阪学院大に進学すると1年の春からリーグ戦のマウンドに登板。秋には3勝を記録して新人賞にあたる平古場賞を受賞した。2年に春秋通算で9勝6敗を記録。スライダーに磨きがかかった3年春には6勝を記録して最優秀投手賞に選出された。

二日間で27イニング
4年の春には5月17日に先発して完投を記録すると、翌日にも先発して連盟規定の延長19回を一人で投げ抜いてリーグタイ記録の18奪三振を記録した。投球数238球は前日とあわせると376球という凄まじい数字に達して、監督からは9回、15回、18回と3度交代を打診されたが「納得がいきません」と全て突っぱねて2日間で27イニングを投げ抜いた。

11日間で5完投、54イニング
19イニング完投から中3日で迎えた龍谷大戦では2死四球と失策、振り逃げでリーグ史上8人目のノーヒットノーランを記録。そして再び中3日で完投すると、その翌日にも完封と11日間で5試合に完投し、54イニングという驚異的な成績を記録した。同季には約50日間のリーグ戦で新記録の117回を投げ、リーグタイの9勝、リーグ新の112奪三振を記録。

横浜入団
4年秋にはリーグ戦前に風邪をひいたこともあって4勝3敗、45奪三振に留まって、大学通算では平野 佳久の持つ36勝、404奪三振に一歩及ばない35勝、390奪三振に留まった。(共に歴代2位)。同年オフのドラフト会議で横浜から4位指名を受けて入団した。通算35勝21敗、504回、47完投、15完封、390奪三振、防御率1.46。

初勝利ならず
春のキャンプで尾花監督から期待をかけられていたが、日本ハムとのオープン戦で4回7失点と打ち込まれて二軍スタートとなった。6月6日に昇格したが結果が残せず再び二軍降格。だがイースタンリーグで好投を続けて9月15日に再昇格を果たすと、20日の中日戦で初先発のマウンドに上がって高校の18年先輩である谷繁にツーランを浴びるなど2本塁打を喫したが5回3失点とまずまずのピッチングを見せた。続く10月1日のヤクルト戦では4回までノーヒットに抑え込み、初ヒットを許した5回にも相川を5球連続のストレートで見逃し三振に切って取るなど好投を見せたが、6回表に四球を挟んで3安打を打たれて降板となり初勝利はならなかった。

初勝利
12年は一軍登板なしに終わり、13年も開幕は二軍で迎えたが4月30日に一軍昇格。先発を任された5月15日の楽天戦では5四球の乱調で3回KOとなったが、7月10日の広島戦で3対5とリードを許した4回表からマウンドに上がると5回表に1点を奪われたが、その裏に打線がイニング7得点と爆発して小林寛に初勝利が記録された。翌週のヤクルト戦では再び先発のチャンスを貰って6回表まで2安打、2四球という好投を続けたが、0対0で迎えた7回表に二死満塁でピッチャーの八木に先制タイムリーを打たれて白星はならなかった。同年には主にロングリリーフとして24試合で58.2イニングを投げて防御率2.76と結果を残した。

1日で抹消
14年は1軍キャンプに合流したが右肘を痛めてチャンスを逃してしまうと、シーズン終盤の9月25日に一軍昇格を果たしたが、同日の試合で故障したブランコに代わってソトが昇格することになったため翌日に登録抹消となってしまった。翌15年は開幕一軍を勝ち取ったが4試合で5.2イニングを投げて5失点と結果が残せず登録抹消、シーズン終盤に一軍に復帰すると好投を続けて成績を上げたが強い印象は残せなかった。

JFE西日本
16年はイースタンリーグの22試合の登板で防御率5.87に終わり、シーズン最終盤の残り2試合というタイミングで昇格したが、同日のヤクルト戦で同点に追いつかれた5回裏二死二塁でマウンドに上がったが西浦にツーランを被弾して、わずかに残っていた2位の可能性をなくしてしまった。17年は一軍で3試合に登板して無失点に抑えたが3イニングで被安打5、2四球と結果を残せず戦力外通告を受けた。合同トライアウトを経て社会人野球の名門JFE西日本に入社した。


初記録
初登板 11年6月8日楽天戦
初勝利 13年7月10日広島戦
初奪三振 11年6月14日オリックス戦:梶本勇から
初完投
初セーブ


  投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
11 横浜 6 0 0 0 2 0 19.1 21 2 9 0 9 0 0 12 11 5.12
13 横浜 24 0 0 2 1 0 58.2 60 1 29 3 38 2 0 19 18 2.76
15 横浜 11 0 0 0 0 0 14.1 13 0 10 0 11 1 0 6 6 3.77
16 横浜 1 0 0 0 0 0 0.1 1 1 0 0 0 0 0 1 1 27.00
17 横浜 3 0 0 0 0 0 3.0 5 0 2 0 3 0 0 0 0 0.00
通算 5年 45 0 0 2 3 0 95.2 100 4 50 3 61 3 0 38 36 3.39


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
11 横浜 6 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 4 0 0 0 0 0 0 .000
13 横浜 24 12 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 10 0 0 .000
15 横浜 11 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
16 横浜 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
17 横浜 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
通算 5年 45 12 0 0 0 0 0 0 0 0 0 5 0 0 0 10 0 0 .000


  二軍投球成績
チーム 登板 完投 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四死 三振 失点 自責 防御率
11 横浜 19 1 2 3 0 64.0 63 3 18 55 21 16 2.25
12 横浜 15 0 2 3 0 48.0 53 4 19 30 26 24 4.50
13 横浜 9 1 2 3 0 39.0 33 1 8 20 15 11 2.54
14 横浜 22 0 1 2 1 25.2 37 2 12 23 17 14 4.91
15 横浜 17 0 3 1 0 40.0 48 0 13 28 22 20 4.50
16 横浜 22 0 1 2 0 38.1 51 4 18 32 31 25 5.87
17 横浜 16 0 1 1 0 25.1 22 1 10 20 14 13 4.62
通算 7年 120 2 12 15 1 280.1 307 15 98 208 146 123 3.95