熊原 健人
 
 
22
 | 
名前 | 
くまばら けんと | 
 
| 生年月日 | 
1993年10月19日 | 
 
| 経歴 | 
柴田高−仙台大−横浜(15年D2位)−東北楽天 | 
 
| 入団年 | 
15年ドラフト2位 | 
 
| 在籍年 | 
16年−18年 | 
 
| 背番号 | 
16年−17年[1]:18年[22] | 
 
| 投打 | 
右投げ左打ち | 
 
| 守備 | 
投手 | 
 
 
 | 
 
 
 | 
 
:神社: 
                  室町時代から続く深山神社に生まれる。幼稚園から小学校5年まで水泳をたしなみ、5年冬に少年野球チームに入団したが、その直後に学校でジャンプして遊んでいた際に着地で失敗して右手首を骨折したため野球を始めるのは6年生になってからとなった。北角田中ではショートを守っていたが柴田高に入学するとピッチャーに転向、柴田高まで片道5キロを自転車で通学して下半身を鍛え上げた。2年春に宮城県ベスト4、3年夏は3回戦で敗れて甲子園出場はならなかった。 
                   
                  :神主: 
柴田高卒業後も大学で野球を続けることを望んでいたが、両親から神主を継いでほしいとの期待を受けていたため高校の進路希望書は白紙で提出した。当初は大学から声がかからなかったこともあって進路は神職養成所に決まりかけていたが、仙台大の森本監督の目に留まると周囲が両親を説得して仙台大への進学が決まった。仙台大では本格的に始めたウエイト・トレーニングで体を作り上げるとわずか数か月で球速が12キロも増して150キロを超えるまでになった。2年春には開幕投手を任されたが敗戦、次戦では5安打無四球で完封を記録したが、2年秋は腰痛を発症したこともあって登板なしに終わった。 
                   
                  :プレーオフで連投: 
3年時に足をスムーズに上げるために左足を大きく引くダイナミックなセットポジションにフォームを変更すると、3年春の工大戦で延長10回の参考記録ながら19奪三振を記録、王者東北福祉大戦でも延長11回を3安打に抑え込んで1失点完投勝利、東北福祉大と東北学院とのリーグ史上初の三つ巴のプレーオフでは東北福祉大戦で2失点完投、中1日での先発となった東北学院戦でも4失点完投とエースの働きでチームを67季ぶりの優勝に導いた。4勝0敗を記録した熊原はMVP、ベストナインに選出された。全国大会では初戦の福岡大戦で覚えたてのフォークを有効に使って5安打で1失点完投。 
                   
                  :4試合連続完封: 
                  仙台大初の大学日本代表に選出されると決勝の台湾戦で151キロを計測。3年秋には東北学院大戦でノーヒットノーランを達成、4年春には東北福祉大との2戦を含む4試合連続完封という離れ業で仙台大の2季ぶり4度目の優勝に大きく貢献して2度目のMVPに選出された。東北福祉大戦では無死一、二塁のピンチでピッチャーライナーを好捕して飛び出した走者を刺すトリプルプレーも達成した。6月の全日本大学選手権では初戦敗退も九州産業大から13奪三振を奪って注目を集めた。 
                   
                  :横浜入団: 
                  ラストシーズンは開幕前に背中を痛めたが終盤に復帰し、東北学院戦で152キロを投じて12奪三振、東北福祉大戦では敗れはしたが8回3失点に抑える好投を見せた。高校時代は無名だったが大学4年間で急成長しドラフト1位候補と呼ばれるまでに急成長、同年のドラフト会議で横浜DeNAから2位指名を受けて入団した。 
                   
                  :初勝利: 
ルーキーイヤーは春季キャンプで売りであった神主投法が2段モーションと判定されてフォーム修正を余儀なくされて、その影響もあってか脇腹を痛めて開幕は二軍で迎えることになった。4月29日に初昇格を果たすと初登板から10試合連続で自責0を記録するなど中継ぎで好投を続けた。その後は先発調整のために二軍降格となったが、7月12日に再昇格を果たすと同日の中日戦で初先発、四球から崩れるも6回を3安打で4失点にまとめて勝利に貢献、続く20日のヤクルト戦では初回に3四球も5回を2失点に抑えて初勝利を記録した。だが続く28日の中日戦では不運な当たりもあったが2回7失点の大炎上で登録抹消となった。 
 
:大量援護: 
オフのウインターリーグで肺炎になり体重が激減したが、17年シーズンはイースタンリーグで好投を続けて5月25日に一軍昇格、同日の中日戦で5回を投げて3被本塁打を喫するなど5失点ながら味方打線の大量援護で勝利投手になった。続く31日の日本ハム戦では斎藤
佑樹との36年ぶりの背番号1対決が実現(81年6月25日ロッテ西武戦の愛甲、名取以来)、熊原は4回裏までは粘って1失点に抑えたが5回裏に中田のタイムリーで2点を追加されて敗戦投手になった。地元宮城での凱旋登板となった6月7日の楽天戦では勝利投手にこそなったが初回の6得点の援護がありながら5回6失点と粘れず勝利球も受け取りを拒否した。続く15日のロッテ戦はバラデスの2打席連発で逆転を許したが宮崎の逆転満塁弾で3勝目と勝ち運を発揮したが翌日に抹消になった。 
 
:乱調: 
18年はオープン戦の開幕投手を任されて巨人打線を5回1安打に抑え込むなどアピールを続けて開幕ローテ争いに食い込んだが、オープン戦の最終戦で4イニングを投げる予定がいきなり無死からの4連続四球など大荒れで0.1回6失点の大炎上、開幕1軍を逃すとイースタンリーグでは18試合の登板で防御率3.19も、63回で39四球という制球難に苦しみ一軍昇格はならなかった。 
 
:楽天移籍: 
19年には開幕直前の3月27日に浜矢とのトレードで地元の楽天へ移籍となった。4月3日には2軍で古巣横浜戦で先発したが1安打6四球で一死も取れずに降板という悲劇的なピッチングを見せた。6月12日に1軍へ昇格すると同日のヤクルト戦で移籍後初先発、初回の二死満塁を切り抜けると、2回表、3回表は三者凡退に抑えたが、3対0で迎えた4回表に村上にツーランを叩き込まれると、なおも四球などでピンチを作って降板となり白星のチャンスを逃した。翌日に抹消になると、イースタンリーグでは12試合に登板して5勝3敗、防御率3.12というまずまずの成績は残したが再昇格は果たせなかった。オフには右手中指の血行障害で手術を受けた。翌20年も2軍での1試合登板に終わって戦力外となった。 | 
 
 
 | 
 
 
 
 
| 初記録 | 
 
| 初登板 | 
2016年5月3日ヤクルト戦 | 
 
| 初勝利 | 
 | 
 
| 初奪三振 | 
2016年5月3日ヤクルト戦:山田から | 
 
| 初完投 | 
 | 
 
| 初セーブ | 
 | 
 
 
 | 
 | 
 
 
 | 
 
 
 | 
 
 
 
 
  投球成績 
 | 
チーム | 
登板 | 
完投 | 
完封 | 
勝利 | 
敗戦 | 
S | 
回数 | 
安打 | 
本塁 | 
四球 | 
死球 | 
三振 | 
暴投 | 
ボーク | 
失点 | 
自責 | 
防御率 | 
 
 | 
 
| 16 | 
横浜 | 
18 | 
0 | 
0 | 
1 | 
1 | 
0 | 
29.0 | 
31 | 
0 | 
15 | 
1 | 
25 | 
2 | 
0 | 
18 | 
16 | 
4.97 | 
 
| 17 | 
横浜 | 
4 | 
0 | 
0 | 
3 | 
1 | 
0 | 
20.0 | 
23 | 
6 | 
11 | 
1 | 
17 | 
1 | 
0 | 
16 | 
12 | 
5.40 | 
 
| 19 | 
楽天 | 
1 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
3.1 | 
4 | 
1 | 
3 | 
0 | 
3 | 
0 | 
0 | 
2 | 
2 | 
5.40 | 
 
 | 
 
| 球団 | 
2年 | 
22 | 
0 | 
0 | 
4 | 
2 | 
0 | 
49.0 | 
54 | 
6 | 
26 | 
2 | 
42 | 
3 | 
0 | 
34 | 
28 | 
5.14 | 
 
 | 
 
| 通算 | 
3年 | 
23 | 
0 | 
0 | 
4 | 
2 | 
0 | 
52.1 | 
58 | 
7 | 
29 | 
2 | 
45 | 
3 | 
0 | 
36 | 
30 | 
5.16 | 
 
 
 | 
 
 
 | 
 
 
 
 
  打撃成績 
 | 
チーム | 
試合 | 
打数 | 
得点 | 
安打 | 
二塁 | 
三塁 | 
本塁 | 
塁打 | 
打点 | 
盗塁 | 
盗刺 | 
犠打 | 
犠飛 | 
四球 | 
死球 | 
三振 | 
併殺 | 
失策 | 
打率 | 
 
 | 
 
| 16 | 
横浜 | 
18 | 
5 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
3 | 
0 | 
0 | 
.000 | 
 
| 17 | 
横浜 | 
4 | 
4 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
3 | 
0 | 
0 | 
.000 | 
 
| 19 | 
楽天 | 
1 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
.000 | 
 
 | 
 
| 球団 | 
2年 | 
22 | 
9 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
6 | 
0 | 
0 | 
.000 | 
 
 | 
 
| 通算 | 
3年 | 
23 | 
9 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
6 | 
0 | 
0 | 
.000 | 
 
 
 | 
 
 
 | 
 
 
 
 
  二軍投球成績 
 | 
チーム | 
登板 | 
完投 | 
勝利 | 
敗戦 | 
S | 
回数 | 
安打 | 
本塁 | 
四死 | 
三振 | 
失点 | 
自責 | 
防御率 | 
 
 | 
 
| 16 | 
横浜 | 
16 | 
0 | 
2 | 
4 | 
2 | 
49.0 | 
47 | 
5 | 
28 | 
46 | 
27 | 
24 | 
4.41 | 
 
| 17 | 
横浜 | 
13 | 
1 | 
7 | 
6 | 
0 | 
73.2 | 
77 | 
5 | 
32 | 
80 | 
36 | 
30 | 
3.67 | 
 
| 18 | 
横浜 | 
18 | 
0 | 
2 | 
4 | 
0 | 
63.0 | 
53 | 
1 | 
39 | 
51 | 
26 | 
23 | 
3.29 | 
 
| 19 | 
楽天 | 
12 | 
0 | 
5 | 
3 | 
0 | 
52.0 | 
39 | 
1 | 
31 | 
45 | 
23 | 
18 | 
3.12 | 
 
| 20 | 
楽天 | 
1 | 
0 | 
0 | 
0 | 
0 | 
1.0 | 
1 | 
0 | 
4 | 
1 | 
3 | 
3 | 
27.00 | 
 
 | 
 
| 通算 | 
5年 | 
60 | 
1 | 
16 | 
17 | 
2 | 
239.1 | 
217 | 
12 | 
134 | 
223 | 
115 | 
98 | 
3.69 | 
 
 
 | 
 
 
 | 
 
 
 
 
 
 |