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国吉 佑樹



92
名前 くによし ゆうき
生年月日 1991年9月24日
経歴 秀岳館高校−横浜(09年育成D1位)−ロッテ
入団年 09年育成ドラフト1位
在籍年 10年−21年途中
背番号 10年−11年途中[111]:11年途中−19年[65]:20年−21年途中[92]
投打 右投げ右打ち
守備 投手
横浜入団
米国人の祖父を持つクォーター。小学2年時に両親が離婚し、その寂しさを紛らわすために野球を始める。秀岳館に進学すると当初は控え投手だったが2年の秋からスポーツジムに通ってウエイト・トレーニングを行い下半身を鍛えて急成長。3年の春には県大会の決勝で先発を任されるまでになったが、初回に先制を許すと、5回を2安打、1失点に抑えたが惜しくも敗れた。同年の秋の育成ドラフトで横浜から1位指名を受けて入団。

支配下登録
ルーキーイヤーは右肩痛に悩まされてイースタンリーグでもわずか5試合の登板に留まった。翌11年には開幕前に母親に電話をかけて「あと5年待ってくれ。そしたら楽させてあげるから」と伝えたが、「まだ5年もかかるの?」と叱咤された。イースタンリーグで7月3日の日本ハム戦で5回3安打無失点、13日の中日戦で6.1回5安打1失点、31日の日本ハム戦で6回4安打無失点と急成長を見せて7月29日に支配下登録選手となった。

初登板
8月7日の西武戦で7イニングを投げて1安打、10奪三振という素晴らしい結果を残してイースタンリーグ初勝利。その後も好投を続けて8月27日に一軍へ昇格して同日の中日戦で初登板初先発。初回に連続四球などで無死満塁のピンチを作ると谷繁のタイムリーなどで2点を失ったが、2回から力強いストレートで凡退の山を築いて5イニングを投げて3安打、4四球で2失点と高卒2年目としては上々のデビュー戦を飾った。

初勝利
9月には4試合に先発して全て3失点以内に抑えたが、四球を多く与えた事もあり長いイニングが投げられず初勝利とはいかなかった。だが10月4日の巨人戦では2回裏からの4イニングを1安打、無四球に抑えて試合を作ると、6回裏に内野安打とポテンヒットなどで1点を返されたが、なおも続くピンチでラミレスをライトフライ、高橋由を見逃し三振に打ち取って最小失点で切り抜けるなど、7イニングを6安打、無四球で1失点に抑えて見事に初勝利を記録した。同年は1勝に留まったが8試合に先発して防御率2.30という非凡な成績を残した。

26歳差対決制す
12年はオープン戦で18イニングを投げて防御率0.00、被安打11で16奪三振という圧巻の内容を残してホーム開幕戦の先発を任された。だが雨天で一日順延となった4月4日の中日戦では毎回のように先頭打者を出す苦しい展開の中で何とか2失点にまとめたが5回で交代となってしまった。その後もそれなりに試合を作ったが勝ち星のなしの3連敗、5月6日の中日戦では中日先発山本昌との史上最大年齢差となる26歳1カ月差対決を制して勝利投手となったが、続く阪神戦で2回途中で6四球という大乱調で二軍降格となった。

上位チーム戦で試合作るも
二軍に落ちた国吉はスタミナ不足を改善するために徹底的に走り込んで体重を5キロ絞るなど肉体改造に取り組んだ。7月8日の中日戦で55日ぶりに一軍に復帰すると5四球は出したが、150キロを連発するなど7回まで1安打に抑え込む力投を見せる。だが8回裏に連打を打たれて降板すると救援陣が打たれて逆転負け。その後も巨人、巨人、中日、中日、巨人、巨人と同年の1位、2位チームとの対戦が続く中で7イニング前後をを2〜3点に抑えて試合を作ったが打線の援護が得られず8月終了時点で2勝10敗と大幅に黒星が先行してしまった。

初完封
9月7日の広島戦では3回裏まで無失点に抑えると先取点を貰った直後の4回裏には無死一、二塁というピンチを背負ったが、岩本をファーストゴロ併殺、堂林を空振り三振に切って取って無失点で切り抜ける。7回裏の一死一塁では赤松のバントを自らのスライディングキャッチで好捕して併殺に抑えるなど、9回をわずか92球で投げ抜いて3安打、3四球で初完投初完封を達成。育成選手としてはセ初の完封で初完封のスコアが1対0だったのは94年9月23日巨人戦の加藤将以来となる球団史上18年ぶりの快挙だった。

救世主期待も
更なる成長が期待された13年だったが腰痛で出遅れた事もあって前半戦は一軍でプレーすることは出来なかった。8月11日のヤクルト戦で2回途中から同年の初登板のマウンドに上がると5.1回というロングリリーフで試合を作って勝利投手になった。翌週の広島戦では先発すると8回2失点の好投でハマスタ7連敗中だったチームを救った。激しくプレーオフを争っていた事もあって救世主として期待を集めたが、翌週の巨人戦では3回までに7失点、登板過多が続くリリーフ陣を休ませるために続投となったが6回11失点と試合をぶち壊して登録抹消。結局同年はわずか3試合登板にとどまった。

リリーフとして飛躍
14年は5月8日に一軍へ昇格すると同月にロングリリーフも含めた8試合に登板して防御率1.46という好成績を残す。好投が認められて6月からは先発に回ったが6月12日のオリックス戦で4回7失点でKOされるなど3試合の先発で防御率7.11と滅多打ちにあって登録抹消となった。だが7月15日に一軍へ復帰すると再びリリーフとして活躍を続けて一時期は抑えに指名されたが、初セーブがかかる8月5日の巨人戦で9回二死走者無しからヒットと四球でピンチを招いて降板、その後は三上が復調した事もあって抑えからは外れたが、8月に月間15試合に登板するなど主力投手としてブルペンを支えた。同年には二ヶ月近い二軍調整がありながら49試合に登板、リリーフに限ると防御率2.54という素晴らしい成績を残した。

抑え期待も
15年はキャンプから中畑監督から抑え候補として名前が上がるなど高い期待を受けて開幕、ロングリリーフなども含めて好投を続けると、抑えの山崎康が危険球退場となった5月24日の阪神戦ではリリーフした田中の乱調で一死満塁となった所でマウンドに上がり、鳥谷への押し出し四球で1点を返されて、続く大和にも痛烈な打球を弾き返されたがサード白崎がジャンピングキャッチで好捕すると、続くマートンは三振に切って取ってセーブを記録した。だが6月3日のソフトバンク戦では延長11回表に暴投などもあって勝ち越しを許すと、6月12日の日本ハム戦では延長11回裏にサヨナラ暴投と勝負所では好結果が残せず後半戦は二軍生活が続いた。

制球難
先発を志願して臨んだ16年はイースタンリーグで防御率2.75ながら68.2回で60四死球という制球難に苦しむと、7月10日の巨人戦では一軍で先発のチャンスをもらったが、4対1とリードした2回裏に二死から投手のマイコラスをストレートの四球で歩かせてしまうと、そこから橋本のツーベース、藤村に四球、坂本にセンター前と立て直すことができず降板となり、同年はその1試合登板のみに留まった。17年は6月3日に昇格すると3試合連続で好投を見せ、中でも10日の西武戦では3イニングを投げて2安打、2四球ながら無失点に抑えた。だが13日のロッテ戦で2四球、2暴投という乱調を記録して信頼を得られず登録抹消となった。

マジック1の広島相手に
18年は新たに習得したカットボールが威力を発揮して開幕一軍に残ったが、開幕直後の4月6日の広島戦で曾澤のピッチャー返しを右足に受けて登録抹消となった。5月24日に1軍へ復帰すると、26日のヤクルト戦で同点の6回裏一死一、二塁で起用されて制球は荒れたがバレンティンをファーストゴロ、畠山レフトライナーに打ち取って無失点に抑えた。6月5日の西武戦から3試合連続失点を記録するなど一軍定着は果たせなかったが、CSを争う最終盤の9月25日に地元広島での胴上げに燃えるマジック1のカープ相手にラミレス監督のひらめきで先発を任されて3.2回を無失点に抑えて勝利に貢献した。

肉体改造で161キロ
シーズン終盤からウエイト・トレーニングを大幅に増やし、食事制限も行うなど肉体改造に着手、オフを返上してオーストラリアのウインターリーグで約3か月間プレー、ストレートに磨きをかけて迎えた19年はオープン戦で157キロ、158キロ、159キロと自己記録を次々と更新して評価を高めた。初登板の中日戦では打ち込まれて4失点を喫したが、4月6日の巨人戦では5回表に登板して日本人歴代2位タイとなる161キロを計測、三者連続奪三振に抑える圧巻のピッチングで1404日ぶりに勝利投手になった。同年の横浜スタジアムはスピードガンがかなり出る印象もあったが、他球場でも150キロ台後半を記録するなど大きな飛躍を印象付けた。

フル回転
4月21日の広島戦ではオープナーを任されたが2つの押し出しを与えるなど4失点で初回KOとなった。10連敗中だった29日の巨人戦では6回裏からの2イニングを零封して連敗ストップに貢献したが、5月3日の阪神戦では初球で同点被弾、8回表を任された5月8日の巨人戦で押し出し四球を含む2四球を出して一死も取れず降板するなど防御率は7点台まで上昇した。だが他の中継ぎ投手も状態が上がっていなかった事もあって勝負所を任される登板が続くと、7月20日の中日戦で8回表一死一塁を零封、23日の阪神戦で9回からの2イニングを零封、8月28日のヤクルト戦ではエラーで背負った一死三塁を連続三振で切り抜けて2回零封に抑えるなど好投も見せた。シーズン終盤の6試合連続失点で防御率は4.80となったが、53登板で69.1回を投げてチームを支えた。

開幕戦で
オフに名前にちなんで背番号を92(クニ)に変更した20年はコロナウイルスの影響で開幕が延期になると、6月19日の広島との開幕戦で9回表に登板もストレートの四球から、ピッチャーの大瀬良にツーラン、続くビレラにもソロを浴びる厳しい船出となった。開幕第3戦では2イニングを無失点に抑えてサヨナラ勝利に繋げると、7月18日の巨人戦では2回を投げて5奪三振を奪ったが、翌日の巨人戦では山崎が追い付かれた9回表二死一塁という場面で緊急登板、ハマスタにどよめきが残る中で岡本に勝ち越しツーランを被弾して逆転を許してしまった。

2549日ぶり
8月10日の阪神戦では同点の4回表にマウンドへ上がって無失点に抑えると、その裏の打席で2549日ぶりのヒットとなる2点タイムリーツーベースを右中間へ運んでお立ち台に上がった。29日のヤクルト戦でも1点を追う5回表からマウンドへ上がると阪口、山田、青木という難敵から三者連続三振を記録すると、その裏の打席で逆転の口火となるセンター前ヒットを放った。同年は最終盤に右手の指を故障してシーズンを全うすることはできなかったが、短縮シーズンで42試合に登板して防御率3.13という好成績を残した。

ロッテ移籍
21年は開幕から間もない4月9日の阪神戦で佐藤に衝撃の場外弾を浴びると、ショックを隠し切れず二死からの5連続出塁を許すなどイニング6失点と試合を壊してしまった。5月1日のヤクルト戦では3回表の二死満塁で登板してオスナをショートゴロに打ち取ると、38分間の雨天中断を挟んで2.1回をパーフェクトに抑えて勝利に貢献するなどロングリリーフ要員としてチームを支えたが、6月4日のロッテ戦では5対5の4回表から登板も2イニング目となった5回表に四球から崩れて勝ち越し点を許すと、翌日のロッテ戦では大量リード試合にもかかわらず四球やベースカバーの遅れで3失点を喫してしまった。6月14日に有吉との交換トレードでロッテへ移籍となった。


初記録
初登板 11年8月27日中日戦
初勝利 11年10月4日巨人戦:7回1失点
初奪三振 11年8月27日中日戦:平田から
初完投 12年9月7日広島戦:完封で
初セーブ 14年9月25日阪神戦


  投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
11 横浜 8 0 0 1 4 0 47.0 42 2 20 2 39 1 0 13 12 2.30
12 横浜 19 1 1 4 12 0 112.2 108 10 59 2 95 4 0 57 46 3.67
13 横浜 3 0 0 2 1 0 19.1 27 2 6 5 10 0 0 16 16 7.45
14 横浜 49 0 0 2 3 2 62.1 61 4 23 1 59 4 0 29 24 3.47
15 横浜 28 0 0 3 2 1 33.1 22 1 16 3 28 4 0 10 9 2.43
16 横浜 1 0 0 0 0 0 1.2 4 0 3 0 2 0 0 4 4 21.60
17 横浜 4 0 0 0 0 0 8.0 5 0 4 0 3 3 0 2 2 2.25
18 横浜 13 0 0 0 0 0 16.2 17 2 9 0 15 1 0 9 9 4.86
19 横浜 53 0 0 5 3 0 69.1 62 9 28 2 81 3 0 37 37 4.80
20 横浜 42 0 0 3 4 0 46.0 36 5 22 4 51 1 0 18 16 3.13
通算 10年 220 1 1 20 29 3 416.1 384 35 190 19 383 21 0 195 175 3.86


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
11 横浜 8 14 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 0 8 0 1 .000
12 横浜 19 33 0 2 0 0 0 2 0 0 0 4 0 0 0 19 0 2 .061
13 横浜 3 6 0 1 0 0 0 1 1 0 0 1 0 0 0 3 0 0 .167
14 横浜 49 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 .000
15 横浜 28 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000
16 横浜 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000
17 横浜 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
18 横浜 13 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000
19 横浜 53 7 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 .000
20 横浜 42 4 1 2 1 0 0 3 2 0 0 0 0 0 0 1 0 1 .500
通算 10年 220 69 1 5 1 0 0 6 3 0 0 7 0 0 0 38 0 4 .072


  クライマックスシリーズ投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
19 横浜 2 0 0 0 0 0 3.1 4 0 0 0 2 1 0 1 1 2.70
通算 1年 2 0 0 0 0 0 3.1 4 0 0 0 2 1 0 1 1 2.70


  クライマックスシリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
19 横浜 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
通算 1年 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000


  二軍投球成績
チーム 登板 完投 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四死 三振 失点 自責 防御率
10 湘南 5 0 0 0 0 8.0 8 1 4 6 6 4 4.50
11 横浜 9 0 1 2 0 42.1 33 1 18 38 12 9 1.91
12 横浜 5 0 1 3 0 30.0 32 4 3 30 14 14 4.20
13 横浜 14 0 3 3 0 64.1 59 4 26 43 34 30 4.20
14 横浜 10 0 1 2 0 18.1 11 2 8 17 7 4 1.96
15 横浜 13 0 0 1 1 13.0 10 0 2 14 5 3 2.08
16 横浜 13 0 4 2 0 68.2 46 1 60 62 23 21 2.75
17 横浜 22 0 0 1 5 25.1 18 0 15 24 16 14 4.97
18 横浜 24 0 3 1 2 28.2 20 1 12 38 7 6 1.88
通算 9年 115 0 13 15 8 298.2 237 14 148 262 124 105 3.16