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三嶋 一輝



17
名前 みしま かずき
生年月日 1990年5月7日
経歴 福岡工高−法政大−横浜(12年D2位)
入団年 12年ドラフト2位
在籍年 13年−
背番号 13年−[17]
投打 右投げ両打ち
守備 投手
サッカー少年
父親の一彦さんは福岡大大濠の主将として甲子園に出場した高校球児だったが、一輝は小学校6年まで福岡ドリームズでサッカーをやっていた。ピアノのレッスンにも通って蝶ネクタイをつけてコンコールにも出場していたが、6年の夏から怡土少年野球クラブで野球を始める。中学卒業時は最速125キロで目立った実績は残せず、一般受験で進学した福岡工高ではサードを希望したが監督から素質を見込まれて投手になった。2年秋からエースになり、3年春には九州大会で同年の選抜を制した沖縄尚学戦で4安打、3四球で14奪三振を奪う好投を見せて金星を挙げると、奪三振の山を築きながら強豪を次々に破って九州大会優勝を果たした。

甲子園出場ならず
大きな期待を集めた3年夏だったが5月に腰を痛めてしまうと、痛み止めの注射を打ち、コルセットをつけて練習を行って夏の県大会に挑んだが、4回裏まで6奪三振を奪う好投を見せていた九州国際大付戦で試合中盤から左腰に加えて右肘にも痛みが出てしまうと、何とか7回まで投げ抜いて外野に回ったが、9回表が終わった所で自ら申し出てベンチに下がった。試合は延長14回の末にサヨナラ負けとなり甲子園出場を逃すと、三嶋は球場外の駐車場で帽子のつばで顔を隠しながら泣き続けた。

155キロ
法政大に進学すると1年春にいきなり154キロを記録する衝撃のデビューを飾ると、守護神を任されて防御率0.00(5試合で7イニング)を記録、また打っても大地番となった明大戦の初戦で決勝タイムリーを放つなど法大の優勝に貢献した。1年秋には六大学史上最速の155キロを記録。2年春に23イニングを投げて自責1(防御率0.39)で最優秀防御率。2年秋には先発に回って加賀美に次ぐ二番手として3勝0敗、防御率2.20という好成績を残した。

2日連続完投
4年春には肘を痛めて戦線を離脱したが、秋には明大戦で4安打、無四球で完投勝利(143球)を記録して優勝に王手をかけると、午後10時過ぎに就寝して体力を回復し、翌朝に身体の状態に問題が無いことを確認すると監督に先発を志願して被安打3、10奪三振で二日連続の完投勝利を達成してチームを7季ぶりの優勝に導いた。同シーズンには4勝0敗、防御率0.89で最多勝、最優秀防御率、ベストナインという投手三冠王に輝いた。

横浜入団
同年のドラフト会議で横浜から2位指名を受けて入団。ドラフト後に行われた神宮大会では三重中京大戦で16奪三振を記録するなど好投を続けて決勝まで駒を進めたが決勝戦の桐蔭横浜大戦では6回に先制ソロを許して0対1で破れて31年ぶりの日本一は逃した。

一死しか取れずに7失点
開幕当初はリリーフとして起用されたが4月24日の巨人戦で1対8と大量リードを許した8回裏にマウンドへ上がると、最初の打者こそ三振に抑えたが連続四球でピンチを作ると、そこから5連打を打たれて一死しか取れずに7失点。ショックを隠しきれない三嶋がマウンドを降りるとスタメンを外れていた鶴岡がベンチ裏に三嶋を呼び出し、「今日の投球はなんなんだ。顔からして戦ってない。逃げてる。お前を見損なったよ。お前はもっと戦う姿勢を持っていると思ってた」と激しい調子でゲキを入れた。「野球をやっていて、プレーのことであそこまで人に怒られたのは初めてだった」という三嶋はこの日以来「自分のことを信じて投げるしかない」と気持ちを入れ替えた。

初勝利
5月5日の中日戦から先発に回ると、12日の巨人戦では白星こそ付かなかったが8イニングを投げて5安打、4四球で無失点に抑える好投を見せた。続く19日のオリックス戦では6回まで無失点に抑えたが7回裏に糸井に同点ソロ、山本に勝ち越しソロを打たれて完投したが2失点で敗戦、26日のロッテ戦でも8回2失点で敗戦投手と好投を続けながら初勝利が遠かったが、6月3日の日本ハム戦で味方の大量援護もあって8回3失点で初勝利を記録。続く登板では1点リードの4回表に二死二、三塁で8番打者を敬遠する際に暴投を投じて白星を逃したが、15日の西武戦では悪いなりに粘って2失点に抑えて2勝目を上げた。

初完封
6月終了時点ではわずか2勝だったが巨人戦の好投が原監督に評価されたのか監督推薦でオールスターに選出されて2イニングを無失点に抑えた。(横浜のルーキーが球宴出場を果たしたのは山下 大輔以来39年ぶり)。球宴明けには28日の阪神戦で5安打、1四球、9奪三振で初完封を達成。続く8月4日には実数発表以後では初めて30,000人を超える入場者を集めたスターナイト第3戦で3.0回で7失点KO、続く試合でも2回途中でKOと苦しんだが、シーズン最終戦で規定投球回に到達して6勝9敗、防御率3.94という好成績を残した。一時期はリーグトップに立った奪三振は6位に留まったが、奪三振率はリーグトップの8.92を記録した。

開幕投手
14年は制球の安定とキレを出すために減量して望んだが、これが裏目に出たのかキャンプから状態が上がらず紅白戦からオープン戦にかけて防御率7.14を記録。それでも開幕投手を任されたが初回から先頭の山田に死球、雄平にレフト前、ミレッジにレフト前、川端に四球、畠山にツーベース、相川にライト前とヤクルト打線に滅多打ちに合い、なおも一死一、三塁から大学の後輩で前日にLINEで「打つなよ」と連絡したルーキーの西浦に史上初の新人開幕戦初球本塁打を浴びて初回7失点…。2回裏も続投したが2点を追加されて球団の開幕投手史上ワーストの9失点でKOとなってしまった。

141試合目
異例の開幕直後のミニキャンプを行い開幕戦から中12日での登板となった阪神戦でも6回5失点、続く中日戦でも5回4失点、さらに阪神戦で2回6失点と4試合連続で打ち込まれて中継ぎに配置転換されたが、そこでも好成績を残せず登録抹消。6月17日には横浜スタジアムで行われたイースタンリーグのヤクルト戦に先発したが、首脳陣が見守る中で初回に打者一巡の猛攻を浴びるなどアピールが出来ず一軍昇格はならなかった。閉幕直前の10月3日巨人戦で149日ぶりに一軍へ昇格すると、勢いを取り戻したストレートで5回3失点に抑えて実にチーム141試合目での同年初勝利を記録した。

チェンジアップ
15年は巨人との開幕第3戦を任されたがオープン戦で光った新球チェンジアップが使えず5回途中7失点KOとなった。2年連続での厳しい船出となったが、次戦ではヤクルト打線を8回途中1失点に抑えて前年の借りを返すと、続く中日戦は白星こそつかなかったが7回1失点、30日の広島戦では8回を内野安打とポテンヒットの2本のみに抑えて無四球で二塁すら踏ませず勝利投手、5月6日のヤクルト戦でも7回2失点、14日の中日戦で6回3失点と試合を作り自身3連勝と上々のスタートを切った。だが5月28日のオリックス戦、6月7日の西武戦で試合を作れず序盤でKOされて登録抹消となってしまうと、2ヵ月後に昇格したがリリーフに回った9月に大幅に数字を落としてシーズンを終えてしまった。

二軍
16年はオープン戦初戦の先発を任されるなどラミレス新監督から高い期待を受けていたが、オープン戦中盤から球速が大幅に落ちて2軍調整となった。降格後もなかなか球速が戻らず苦しい日々を送ったが、8月31日にようやく昇格を果たすと同日の広島戦で守備に足を引っ張られながらも6回を3失点、9月7日にはCSを争うヤクルト戦で山田、バレンティンに被弾する今一つの内容ながら5回3失点で勝利投手、球団初のCS出場決定を目前にした18日の広島戦では7回2失点と登板4試合で1勝に留まったが試合を作ってCS出場に貢献。CSでも広島とのファイナルステージ第2戦の先発を任されたが、四死球や暴投などで崩れて5回途中失点KOとなった。

CSで勝利投手
17年は6月8日の楽天戦で同年の初登板初先発したが初回に先頭の茂木に初球ホームランを喫するなど5回で3被本塁打を浴びて8失点KOとなり抹消、7月下旬に再昇格を果たすと中継ぎとしてまずまずの成績を残したが、9月9日の阪神戦では同点の12回裏二死一、二塁で登板も暴投、敬遠で塁が埋めて鳥谷に2001安打目となるサヨナラヒットを打たれてしまった。広島とのCSファイナル第5戦では2回裏からマウンドに上がり、昨年のCSで敗れた野村と投げ合うことになったが、投げては2回を無失点に抑えて3回表の打席では逆転につながるレフト前ヒットを放って逆転勝利に貢献、シーズン未勝利だったが日本シリーズ進出決定試合で勝利投手になった。

中継ぎとして復活
18年は開幕からロングリリーフとして活躍、4月21日のヤクルト戦では3イニングを無失点に抑えてラミレス監督から絶賛された。29日の中日戦では同点の8回裏二死満塁でリリーフして福田をレフトフライに打ち取ると、9回裏も無失点に抑えて逆転勝利に貢献、ルーキーイヤーから徐々に落ちていた球速が戻り最速154キロを記録、信頼感も高まって6月から勝ちパターンの6回、7回を任されるようになった。

60試合登板
8月22日の巨人戦では8回裏の二死満塁でリリーフしてマギーをライトフライに抑えてお立ち台に上がった。二日後のヤクルト戦でも2イニングを無失点に抑えるなど防御率2点台の好投を続けていたが、9月16日の阪神戦ではイニングまたぎとなった8回表に打ち込まれてイニング7失点、23日の広島戦では同点の9回裏に登板も四球から崩れて松山にタイムリーでサヨナラ負けと終盤に大きく数字を落としたが、いずれもキャリアハイとなる60試合登板に7勝という飛躍の1年となった。また試合数を上回る68.0イニングを投げて奪三振率10.85を記録した。

中継ぎ陣崩壊の中で
19年は4月19日の広島戦で8回裏を任されるも連続四球から崩れて失点、30日のヤクルト戦でバレンティンに同点弾を被弾、5月3日の阪神戦で大山にサヨナラヒット、その二日後には福留にサヨナラ弾を被弾と開幕から厳しい登板が続いた。8日の巨人戦では3四球で自滅して二死しか取れず4失点、防御率は6点台にまで跳ね上がった。続く試合から9試合連続無失点に抑えるなど復調したが、6月22日の楽天戦では2イニング目となった7回表に二死から四球を与えると続く山下に逆転ツーランを浴びて敗戦、シーズン最終版の9月21日の巨人戦では10回表に連続四球から勝ち越し打を許して目の前での胴上げを許すなど印象度はさほど良くなかったが、前年を超えるリーグ2位の71試合登板で防御率4.33と、離脱者が相次いだブルペンを年間を通して支えた。

初セーブ
コロナウイルスの影響で開幕が延期となった20年は6月20日の開幕第2戦で4失点を喫して逆転を許し、7月16日の中日戦でも3失点と打ち込まれるなど苦しい幕開けとなった。だが7月下旬から3試合連続で三者凡退を記録すると、深刻な不振に陥っていた山崎に代わって29日の巨人戦で1点リードの9回裏のマウンドを任されると2三振を含む三者凡退に抑えて初セーブを記録した。

抑え
当初は一時的な代役としての配置転換だったが、8月には9試合の登板で防御率0.00を記録して信頼感を高めめて、8日のヤクルト戦では絶妙な牽制球で代走の渡辺を刺して球団19年ぶりに牽制球で試合を締めた。9月も8試合中7試合で無失点を記録、10月16日の巨人戦では1点リードの9回表に田中俊のスリーベースで無死三塁という大ピンチを背負ったが、キレを増したフォークも有効に使って大城、立岡、吉川と3者連続三振に抑える圧巻のピッチングを見せてガッツポーズを見せた。同年には48試合に登板して防御率2.45、抑えとなった7月29日以降に限ると33試合の登板で防御率1.59という抜群の安定感を見せた。

対巨人
引き続き抑えを任された21年は巨人との開幕戦で7対7で迎えた9回裏に登板も先頭の代打亀井にサヨナラホームランを被弾する厳しい船出となった。2日後の第3戦で同点の9回裏に先頭の代打亀井を首を振って投じた153キロのストレートで三球三振に切って取るとそこから14試合連続で自責0に抑えたが、5月11日の巨人戦で同点の9回表に登板も伏兵の若林吉川に連続アーチを浴びて敗戦、翌日の巨人戦では2点リードの9回表に岡本に同点ツーランを被弾と巨人戦では打ち込まれる試合が続いた。7月4日の巨人戦でも大城のソロと連打で一打逆転のピンチを背負ったがウィーラーを併殺に仕留めて何とか逃げ切った。

マルテの3球目
7月12日の阪神戦では3点リードの9回裏に登板も2点を返されてなおも二死一、三塁というピンチを背負うと、マルテを追い込んでから投じた3球目のストレートをボールと判定される不運を挟んで、続く球を同点タイムリー、さらに大山にも初球をセンター前へはじき返されて逆転サヨナラ負けとなった。2日後の阪神戦でも1点リードの9回裏にマウンドへ上がると阪神ファンから歓声が上がったが、伊藤光から「ファンが増えたな」と声をかけられて力みが取れ無失点に抑えた。だが9月9日にまたしても巨人戦で3点リードを守れず追いつかれると、15日の巨人戦ではストレートで勝負できずに打ち込まれて逆転サヨナラ負けとなり中継ぎ降格となった。同年は巨人戦を除くと3勝2敗20セーブで防御率2.64というまずまずの成績を残したが巨人戦で大幅に数字を落とした。


初記録
初登板 2013年3月31日中日戦
初勝利 2013年6月2日日本ハム戦
初奪三振 2013年4月3日巨人戦:村田から
初完投 2013年5月19日オリックス戦
初セーブ 2020年7月29日巨人戦


13 14 15 16 17 18 19 20 21
オールスター 2回


  投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
13 横浜 34 2 1 6 9 0 146.1 138 20 79 0 145 6 1 67 64 3.94
14 横浜 8 0 0 1 2 0 24.0 41 5 14 1 24 4 3 30 29 10.88
15 横浜 20 0 0 5 5 0 88.0 84 9 34 3 67 9 0 52 47 4.81
16 横浜 4 0 0 1 1 0 24.0 24 5 8 0 15 1 0 13 10 3.75
17 横浜 16 0 0 0 1 0 20.2 29 4 9 0 17 4 0 17 15 6.53
18 横浜 60 0 0 7 2 0 68.0 61 8 31 2 82 6 0 30 30 3.97
19 横浜 71 0 0 5 4 0 72.2 67 10 31 0 62 2 0 36 35 4.33
20 横浜 48 0 0 3 1 18 47.2 30 1 13 1 46 1 0 13 13 2.45
21 横浜 59 0 0 3 5 23 57.1 66 8 12 0 57 3 0 31 26 4.08
通算 89年 320 2 1 31 30 41 548.2 540 70 231 7 515 36 4 289 269 4.41


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
13 横浜 34 30 1 4 0 0 0 4 0 0 0 6 0 1 0 13 1 1 .133
14 横浜 8 6 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .167
15 横浜 20 25 1 3 0 0 0 3 0 0 0 5 0 0 0 10 0 1 .120
16 横浜 4 7 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 5 0 1 .000
17 横浜 16 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
18 横浜 61 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
19 横浜 71 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
20 横浜 48 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 .000
21 横浜 59 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .000
通算 9年 321 70 2 8 0 0 0 8 0 0 0 12 0 1 0 29 1 6 .114


  プレーオフ投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
16 横浜 1 0 0 0 1 0 4.2 3 0 2 1 1 1 0 2 2 3.86
17 横浜 1 0 0 1 0 0 2.0 1 0 1 0 2 0 0 0 0 0.00
19 横浜 2 0 0 0 0 0 0.2 1 0 2 0 0 0 0 0 0 0.00
通算 3年 4 0 0 1 1 0 7.1 5 0 5 1 3 1 0 2 2 2.45


  プレーオフ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
16 横浜 1 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000
17 横浜 1 1 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1.000
19 横浜 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
通算 3年 4 3 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .333


  オールスター投球成績
回数 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
通算 2回 2 0 0 0 0 0 3.0 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0.00


  二軍投球成績
チーム 登板 完投 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四死 三振 失点 自責 防御率
14 横浜 15 0 5 4 1 88.0 79 8 30 56 32 27 2.76
15 横浜 7 0 3 2 0 39.1 39 5 7 38 14 13 2.97
16 横浜 18 0 8 6 0 109.0 107 15 36 92 53 43 3.55
17 横浜 20 0 3 3 1 74.0 87 4 22 72 40 37 4.50
18 横浜 1 0 0 0 0 1.0 1 0 0 0 0 0 0.00
通算 5年 61 0 19 15 2 311.1 313 32 95 258 139 120 3.47