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森本 稀哲



名前 もりもと ひちょり
生年月日 1981年1月31日
経歴 帝京高−日本ハム(98年D4位)−横浜−西武
入団年 11年に日本ハムから移籍
在籍年 11年−13年
背番号 11年−13年[5]
投打 右投げ右打ち
守備 外野手
スキンヘッド
在日韓国人の父とハーフの母親の間に生まれた。「ひちょり」という名前は稀哲のハングル読みである「ヒチョル」から取られたもの。小学校時代に原因不明の汎発性円形脱毛症にかかり、頭髪を含めた身体中の体毛が抜け落ちた。高校時代から再び生え始めたが、「これも個性」とスタイルを貫き、プロに入ってからは同じ境遇の人の励みになればと毎日髪の毛をそり、今ではトレードマークになっている。

甲子園で和田から同点ツーラン
中学まではサッカーもやっていて中学時代には東京ヴェルディのテストも受けている。高校からはサッカーのクラブチームの監督をやっていた父親の反対を押し切って野球に専念した。帝京高では3年の夏に甲子園出場を果たし、3回戦の浜田高戦では0対2とリードされて迎えた8回表に和田(現ソフトバンク)からバックスクリーンに同点ツーランを運んだ。

日本ハム入団
98年オフのドラフト会議で日本ハムから4位指名を受けて入団。帝京高ではショートを守っていたが、俊足と強肩を買われて外野手に転向した。3年目の01年にイースタンリーグで打率.303を記録して一軍のきっかけを掴み、主に守備固めや代走で起用されたが、なかなかスタメンのチャンスはつかめなかった。

新庄との出会い
04年に新庄が日本ハムに入団すると、森本は身体能力の高さと目立ちたがり屋の性格を見込まれて可愛がられた。同年にプロ野球再編問題に絡むストライキが行われた際には、ストライキ開けのダイエー戦で試合前の練習に新庄らと共にゴレンジャーのマスクをかぶって登場してファンから喝采を浴びた(森本は赤レンジャー)。また同日の試合では9対12で迎えた9回裏に代走で出場した森本が同点のホームを踏むと、なおも二死満塁から新庄のサヨナラ満塁走者追い越し短打というあまりにも劇的な一打で日本ハムが逆転勝利を飾った。

2試合連続先頭打者本塁打
06年には4月25日の西武戦で初回にグラマンから先頭打者本塁打を放つと、翌日の西武戦でも初回に帆足から先頭打者本塁打を放って、リーグ史上11人目の2試合連続の先頭打者本塁打を記録。その後はスタメンの座を勝ち取って、オールスターゲームにも初選出された。オールスターゲームでは第1戦の試合前イベントに漫画「ドラゴンボール」のピッコロ大魔王のコスプレで登場して話題になった。また第2戦では5回裏に西岡との重盗で球宴史上3人目のホームスチールに成功させた。

8打席連続ヒット
7月26日の楽天戦で延長10回裏に福盛からサヨナラヒットを放つと、9月17日のロッテ戦では初回に清水直からレフト前ヒット、3回表にライト前、4回表にレフト前、6回表にツーベースと清水直から4打席連続ヒットを記録。森本はその後もツーベースを放つと、延長10回裏にサードへ内野安打を放ってリーグタイ記録の6打席6安打を記録。翌日の楽天戦でも岩隈からヒットを重ねて球団タイの8打席連続ヒットまで記録を伸ばした。また同年にはリーグトップの84得点を記録し、初のゴールデングラブも獲得するなど、25年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献した。

日本一
中日との日本シリーズでは両チームトップの打率.368を記録して優秀選手に選出された。日本一を決めた第5戦ではウイニングボールとなった左中間のレフトフライをキャッチし、そのまま同年限りでの引退を発表していたセンターの新庄と抱き合った。また試合後の優勝会見では新庄から「背番号1」を譲り受けた。

24試合連続ヒット
07年は1番センターとして新庄、小笠原が抜けたチームを引っ張った。 4月21日のソフトバンク戦で5回裏に斉藤和からツーベースを放つと、一ヵ月後の5月20日ソフトバンク戦まで毎試合ヒットを打ち続けて大下弘に並ぶ球団記録の24試合連続ヒットを達成。その後も好調をキープして、打率.300、リーグトップの91得点にリーグ2位の175安打。全イニング出場も果たしてベストナイン&ゴールデングラブに選出された。

死球
08年は5月25日の巨人戦で死球を受けて左手小指を骨折。復帰後は調子が戻らず打率.253と大幅に数字を落としてしまった。翌09年も開幕から結果が残せず不振に喘いでいたが、死球を恐れて腰が引けている事に気づいた森本は、打席で意識して踏み込む事で調子を取り戻したが、8月6日の西武戦で再び死球を受けて左手を骨折。シーズン終盤に復帰するとクライマックスシリーズでは活躍したが日本シリーズでは結果が残せなかった。なお同年には2番打者として45回の犠打を試みて全て成功という快挙を成し遂げた(43犠打、2内野安打)。40犠打以上で成功率100%は95年の川相に次いで史上二人目で、パ・リーグでは初だった。

横浜移籍
10年は開幕から活躍を見せていたが、7月14日の西武戦で野上から死球を受けて右手薬指を骨折し、3年連続での死球離脱となってしまった。復帰後は数字を落としたが、打率.272に2年連続リーグトップの55犠打とまずまずの数字を残した。同年のオフにFAを宣言し、日本ハム残留と横浜移籍との間で揺れたが、新庄に100文字を超えるメールを送った所「好きにすれば」という簡潔な返信があり、これで決心が決まり横浜に移籍した。

古巣戦で先制ソロ
移籍初年度は開幕戦の初打席でセンター前ヒットを放って米村一塁コーチに抱きついて喜びを表現すると、続く吉村の三塁線を抜くツーベースで一気にホームインしてチームのムードを盛り上げて8年ぶりの開幕戦勝利に繋げた。だが打率1割台という不振に苦しむと、5月23日の古巣日本ハム戦では武田勝から先制ソロを放ってお立ち台に上がったが、沖縄で行われた7月2日の広島戦で自打球で負傷してしまう。当初は全治3日と診断されたが、炎症が収まらず、一軍合流はシーズン終了目前の10月18日になってしまった。

開幕戦で3安打
12年は開幕戦で2回表にレフト前ヒット、6回表に勝ち越しとなる2点タイムリースリーベース、9回表には藤川から同点のきっかけとなるツーベースという上々のスタートを切る。翌日、翌々日も2安打を放って3試合連続複数安打を記録すると、その後もヒットを重ねて10試合終了時点で33打数16安打(打率.484)という素晴らしい活躍を見せたが、そこから22打数連続ノーヒットで大幅に数字を落とすと、故障でスタメンを外れていたラミレスが復帰し、荒波が成長した事もあって5月からはベンチに回ることが多くなった。

ベンチと球場を暖める
ベンチに回ってからはイニング間のキャッチボールの相手役を勤める際にパフォーマンスを行なうなどファンを盛り上げた。6月9日に行なわれた古巣の日本ハム戦が雨天で中断すると竹刀を持ってベンチを飛び出して日本ハムベンチを挑発。これに応えた元同僚の日本ハム小谷野がストレッチボールやパイプイスなどで応戦して森本が担架に乗せられて退場するというコントを披露。オフのファン感謝デーではスタンドの座席の下に黄色いバラを隠して、座っていた人にオリジナルTシャツをプレゼントするという粋な計らいを見せた。

西武移籍
13年は横浜復帰の多村や新加入のモーガンに押し出されて二軍暮らしが続き、一軍ではオールスター直前の3試合に守備固めなどで起用されたのみで登録抹消。次の一軍出場は戦力外通告を受けた状態で望んだシーズン最終戦となった。横浜退団後は入団テストを経て西武に入団。移籍初年度の14年には4月12日の日本ハム戦で大谷から先制タイムリースリーベース、5月6日の楽天戦では2年ぶりの猛打賞にファーストの守りでも松井稼が放った一塁線のダイビングキャッチで好捕するなど攻守に活躍。同年は代打、代走、守備固めに賑やかし要員と持ち味を生かしてフルシーズン一軍でプレーした。

引退試合
15年はわずか12試合の出場に留まり現役を引退。引退試合となった9月27日の楽天戦で8回表の守備から出場。西武がリードしていたため最後の攻撃イニングとなる8回裏には1番からの攻撃でナインが必死に繋いで7番に入った森本に打席を回すと(渡辺直人が死球、メヒアが全力疾走で併殺回避、栗山が驚異的な粘りで四球)、引退会見のときでさえ終始笑顔だった稀哲がウエイティングサークルで涙をこらえられず号泣。最後の打席で全力疾走のサードゴロに倒れると、9回表の守備でもいつものように全力疾走で守備位置に向かってからグラウンドに倒れこんでジタバタするパフォーマンスを見せた。引退セレモニーでは最後に「8回裏、あのみんなの…」と言葉につまり「ベンチでのひちょりさんに回せという、その言葉に本当に感動しました」


初記録
初出場 00年8月2日西武戦
初安打 00年8月10日近鉄戦:エルビラから
初本塁打 00年8月10日近鉄戦:宇高から
初打点 00年8月10日近鉄戦:宇高から
初盗塁 01年7月18日西武戦
記録達成日
1000試合 10年9月26日西武戦






99 00 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15
ベストナイン 1回
ゴールデングラブ 3回
オールスター 3回


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
00 日本ハム 7 13 2 2 0 0 1 5 3 0 1 0 0 3 0 5 0 0 .154
01 日本ハム 65 133 16 33 4 2 1 44 9 11 2 3 1 9 2 35 2 2 .248
02 日本ハム 66 60 6 10 3 0 1 16 5 5 1 1 1 1 3 16 0 1 .167
03 日本ハム 61 133 21 26 2 1 4 42 16 3 2 3 0 14 1 48 2 1 .195
04 日本ハム 78 58 19 11 3 0 0 14 3 1 2 0 0 12 1 24 3 0 .190
05 日本ハム 103 295 48 78 10 3 7 115 25 9 2 5 1 22 2 82 3 1 .264
06 日本ハム 134 520 84 148 28 6 9 215 42 13 9 21 5 46 3 103 4 1 .285
07 日本ハム 144 584 91 175 27 3 3 217 44 31 3 17 6 47 6 111 6 2 .300
08 日本ハム 121 478 66 121 15 1 0 138 21 12 7 17 1 49 4 81 5 3 .253
09 日本ハム 107 316 50 78 14 4 1 103 29 9 2 43 0 43 2 52 2 2 .247
10 日本ハム 115 408 65 111 11 3 2 134 30 10 3 55 1 36 5 71 12 2 .272
11 横浜 48 134 13 25 3 1 1 33 9 0 1 9 1 8 1 42 4 0 .187
12 横浜 108 201 20 49 5 1 3 65 18 0 2 4 1 20 3 44 6 3 .244
13 横浜 4 5 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1 0 .000
14 西武 99 147 19 37 8 3 0 51 13 2 2 9 0 16 1 42 0 1 .252
15 西武 12 12 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 2 0 3 0 0 .000
球団 3年 160 340 34 74 8 2 4 98 27 0 3 13 2 28 4 87 11 3 .218
通算 15年 1272 3497 521 904 133 28 33 1192 267 106 39 188 18 328 34 760 50 19 .259


  二軍打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死 三振 併殺 失策 打率
99 日本ハム 25 10 4 1 0 0 0 1 0 1 0 0 1 3 0 ? .100
00 日本ハム 63 219 24 46 8 3 3 69 17 11 1 2 22 56 3 ? .210
01 日本ハム 47 198 28 60 9 4 0 77 17 16 1 2 21 29 3 ? .303
02 日本ハム 45 187 41 54 4 4 3 75 21 6 3 2 23 39 2 ? .289
03 日本ハム 42 161 26 40 4 2 2 54 20 6 3 3 33 40 2 ? .248
04 日本ハム 27 103 19 31 5 0 2 42 9 1 4 0 23 21 3 ? .301
05 日本ハム 10 35 6 10 0 0 0 10 2 1 2 0 8 9 0 ? .286
08 日本ハム 2 6 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 1 2 0 ? .167
09 日本ハム 1 2 0 1 1 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 ? .500
10 日本ハム 4 11 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 1 0 ? .000
11 横浜 9 24 2 9 0 0 0 9 1 0 0 0 1 5 1 1 .375
13 横浜 72 177 26 47 12 3 6 83 31 6 0 0 21 43 2 2 .266
15 西武 57 121 29 31 10 1 2 49 14 5 2 1 37 28 4 1 .256
通算 13年 404 1254 207 331 53 17 18 472 132 53 16 10 194 276 20 ? .264


  日本シリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
06 日本ハム 5 19 6 7 0 1 0 9 0 0 1 0 0 3 0 5 0 0 .368
07 日本ハム 5 19 1 3 0 0 0 3 0 0 0 0 0 1 0 2 1 0 .158
09 日本ハム 6 17 1 3 0 0 0 3 1 0 0 2 0 0 0 3 2 0 .176
通算 3年 16 55 8 13 0 1 0 15 1 0 1 2 0 4 0 10 3 0 .236


  プレーオフ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
04 日本ハム 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
06 日本ハム 2 7 2 1 0 0 0 1 0 0 0 1 0 1 0 2 1 0 .143
07 日本ハム 5 20 3 9 2 1 0 13 3 0 0 1 0 2 0 2 1 0 .450
08 日本ハム 7 28 5 5 0 0 0 5 2 0 0 1 0 4 0 1 0 0 .179
09 日本ハム 4 15 5 7 0 0 1 10 3 1 1 2 1 0 0 3 0 0 .467
通算 5年 20 70 15 22 2 1 1 29 8 1 1 5 1 7 0 8 2 0 .314


  オールスター打撃成績
回数 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
通算 3回 6 14 4 5 0 0 1 8 4 3 0 0 0 0 0 3 0 0 .357.