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武藤 祐太



58
名前 むとう ゆうた
生年月日 1989年6月14日
経歴 飯能南高−Honda−中日(10年D3位)−横浜DeNA
入団年 18年に中日から移籍
在籍年 18年−21年
背番号 18年−21年[58]
投打 右投げ右打ち
守備 投手
練習禁止
中学時代は内野手、私立高の誘いを断って公立の飯能南に進学。1年時から大きな実力差を見せたこともあってチームメイトに傲慢に振る舞う事が多かったが、2年夏に大宮高に0対7のコールドで敗れると「自分勝手なことをした」事もあって監督から一か月間の練習禁止とトイレ掃除や草むしりを命じられた。練習復帰後に武藤をエースに戻すかの投票をチームで行ったが、親友の須川があえて反対票を投じたため秋季大会はライトでプレー、遠いマウンドを見つめるうちに野球はチームプレーであることに気づき、春からエースを任された。

甲子園には届かず
3年春には145キロを記録、打っても通算27本塁打と4番エースとしてチームを引っ張った。最後の夏は5回戦の花咲徳栄戦で先取点を守れず1対2で敗れて敗戦、武藤は涙を流しながら須川に「お前がいなかったら野球ができなかった」と感謝を伝えた。プロ志望届を提出したが指名はなく、社会人野球のホンダへ進んだ。

日本選手権で活躍
入社2年目の09年にはホンダが長野と補強選手の須田 幸太の活躍で都市対抗野球を勝ち進んで全国制覇を果たしたが、武藤はでは本大会での登板は果たせなかった。だが全国デビューとなった日本選手権では前日に先発を言い渡されたJFE西日本戦で1失点で無四球完投勝利、決勝のJR九州戦でも6回1失点に抑えて優秀選手に選出された。

中日入団
長野らが抜けた10年にはエースとなったが都市対抗野球初戦のJR四国戦では序盤はパーフェクトに抑え込むも中盤に打ち込まれて5失点、榎田との投げ合いとなった次戦の東京ガス戦では7回までは1失点に抑え込んだが、8回表に一死満塁のピンチを作って降板となり4失点、チームも敗れて連覇はならなかった。同年のドラフト会議で中日から3位指名を受けて入団。

初勝利
ルーキーイヤーは一軍で7試合に登板して防御率4.15を記録したが、強力な中日投手陣に食い込むことはできなかった。翌12年は同年の初登板となった5月27日のソフトバンク戦で4対4の同点で迎えた5回表から2イニングを内川のツーベースのみに抑えると6回裏に堂上剛のツーランで勝ち越して初勝利を記録。お立ち台に上がった武藤は先月に42歳の若さで亡くなった父を思い出して涙をにじませ、試合後の会見では「見ててくれると思います。早くお母さんに連絡してあげたい。家に帰ってゆっくり電話してオヤジに線香を上げてくれって言おうと思います」

CSで4連投
その後も活躍を続けて33試合に登板して4勝0敗、防御率3.02という好成績を残した。クライマックスシリーズではヤクルトとのファーストステージでは登板はなかったが、巨人とのファイナルシリーズ第3戦で4対4の同点で迎えた9回裏を任されて三者凡退に抑えると、10回表に代打堂上剛のタイムリーで勝ち越して武藤が勝利投手となった。武藤はそこから4連投で3.2回をパーフェクトに抑える好投を見せたが、チームは3勝1敗からの3連敗で日本シリーズ進出はならなかった。

20日間で11試合に登板
13年は開幕から連日のように起用されて4月2日からの20日間で実に11試合に登板、5月14日からも18日間で9試合というフル回転でチームを支えた。酷使がたたって状態を落とし一時は登録抹消となったが、夏場に復帰すると8月、9月にも登板を重ねて一か月離脱したにもかかわらず58試合に投げて防御率3.73を記録した。

初先発
14年は開幕直後の3月29日広島戦で初登板も3失点を喫して登録抹消、5月に復帰も10日の広島戦で再び3失点で登録抹消になるなど同年は右肩痛もあって15試合の登板に留まった。だが自身110試合目にして初先発となった9月16日の横浜戦では前夜は緊張で眠れず、朝から生きた心地がしなかったという武藤だったが4度の先頭打者出塁を許しながら下園、筒香から併殺を奪うなど5回を3安打2四死球で無失点に抑えて勝利投手になった。慣れない横浜スタジアムのお立ち台で「(谷繁)監督のミットめがけて投げたので…」と落ち着かない様子で語った。

代役先発で好投も
先発として期待された15年は4月9日のヤクルト戦で5回3失点、5月3日の横浜戦で6回2失点と先発の谷間として試合を作ると、体調不良で先発回避となった吉見に代わっての緊急先発となった5月17日の阪神戦では毎回のようにピンチを背負いながらも5回を無失点に抑えて勝利投手になった。お立ち台に上がった武藤は「本当は吉見さんだったんですけど、次は自分でちゃんと投げて勝てるように頑張りたい」と次回登板への意気込みを語ったが6月14日の楽天戦で2回3失点KO、27日の広島戦では初回に無死一、三塁から2つの押し出しを含む3連続四球という自滅で0.1回4失点KOとなり試合中に名古屋へ強制送還、以後はチャンスを貰えなかった。

横浜移籍
16年は全てリリーフでの4試合登板に留まり、オフにはウエイトトレーニングと減量で肉体改造を行い、フォーム改良にも着手するなど背水の覚悟で17年シーズンに挑んだがウエスタンリーグでの28試合登板(防御率4.40)に留まって同年オフに戦力外通告を受け、リリーフ陣に課題を残した横浜DeNAに入団した。

被安打1で
移籍後初登板となった5月18日の巨人戦では代打阿部に2点タイムリーを打たれてしまったが、3連投となった20日の巨人戦では4点リードの6回裏二死一、二塁で本田時代の同僚長野をショートゴロに打ち取って勝利に貢献した。7月16日には故障で降板となったバリオスの後を受けて3回を無失点に抑えるなどまずまずのピッチングを見せていたが、7月27日の広島戦でピッチャーへの押し出しを含む5四死球に田中の満塁ホームランと被安打1で5失点を記録してしまった。

勝ちパターンに昇格も
19年は6月22日の楽天戦で3回を1安打無四球で5奪三振に抑えるなどロングリリーフとして好投を続けて評価を高めた。同点での登板を任された7月3日の阪神戦では2イニング目に拙守に足を引っ張られて勝ち越し点を奪われてしまったが、21日の中日戦では7回表の無死一、二塁で登板して後続を断ってお立ち台に上がった。23日の阪神戦では12回裏を三者凡退に抑えて引き分けに持ち込むなど貢献した。一時期は防御率2点台前半まで数字を上げたが、9月12日の巨人との首位攻防戦では2回表の二死満塁でリリーフして岡本を空振り三振に抑えたが、続く3回表に失点し、さらに4回表には丸と岡本にホームランを被弾して試合を壊してしまった。

減量
コロナウイルスの影響で開幕が延期となった20年は自粛期間中にヨガを行い、食事にも気を使って体重を11キロもダウンさせた。全体練習再開時にはオーバーウエイトで集合した選手もいる中で別人のようにスリムになっていたためチームメイト達が驚愕した。シーズンが開幕すると1軍に登録されていたにもかかわらず開幕から一か月半が経過しても中継ぎでの3試合登板となかなか出番が訪れなかった。だが8月に入ると10日の阪神戦でショートスターターとして5年ぶりに先発して、3.0回を大山のソロのみに抑えて勝利に貢献するなど、主にロングリリーフとして月間8試合に登板した。

ショートスターター
20年のチームにとってのターニングポイントとなった9月3日の巨人戦で、オープナーとして先発したセットアッパーのパットンが大炎上した試合で2回裏から登板したが勢いを止められず4失点を喫した。10月1日のヤクルト戦では再びショートスターターとして先発、不運な打球もあって2.1回2失点で敗戦投手になったが、25日の広島戦でも三度ショートスターターとして先発して3回を無失点に抑えてお立ち台に上がった。同年の最終登板となった10月31日の阪神戦で2.0回で8失点を喫した事もあって、シーズン成績は21試合の登板で防御率7.47と見かけ上の数字は悪かったが契約交渉では年俸アップとなった。

引退
21年はイースタンリーグで30試合に登板したが防御率7.04と結果が残せず自身2度目の戦力外通告を受けた。引退試合として行われた10月23日の古巣中日戦で9回表無死から登板、高松から空振り三振を奪って有終の美を飾った。


初記録
初登板 2011年6月29日横浜戦
初勝利 2012年5月27日ソフトバンク戦
初奪三振 2011年7月9日横浜戦:村田から
初完投
初セーブ


  投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
11 中日 7 0 0 0 0 0 8.2 9 2 3 0 7 0 0 4 4 4.15
12 中日 33 0 0 4 0 0 41.2 33 1 10 1 31 2 1 15 14 3.02
13 中日 58 0 0 2 2 0 70.0 70 7 29 1 50 2 0 33 29 3.73
14 中日 15 0 0 1 1 0 25.0 18 2 9 2 18 0 0 10 10 3.60
15 中日 8 0 0 2 3 0 27.1 31 2 12 0 10 2 0 14 12 3.95
16 中日 4 0 0 0 0 0 5.1 9 0 3 0 3 0 0 3 2 3.38
18 横浜 20 0 0 0 0 0 23.2 20 4 12 2 15 1 0 17 17 6.46
19 横浜 31 0 0 1 2 0 38.0 31 4 18 1 28 1 0 17 14 3.32
20 横浜 21 0 0 0 1 0 31.1 42 3 18 1 22 1 0 29 26 7.47
球団 3年 72 0 0 1 3 0 93.0 93 11 48 4 65 3 0 63 57 5.52
通算 9年 197 0 0 10 9 0 271.0 263 25 114 8 184 9 1 142 128 4.25


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
11 中日 7 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
12 中日 33 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 2 0 1 .000
13 中日 58 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
14 中日 15 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 .000
15 中日 8 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 0 1 .000
16 中日 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
18 横浜 20 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
19 横浜 31 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 0 0 .000
20 横浜 22 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 3 0 0 .000
球団 3年 73 6 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 0 4 0 0 .000
通算 9年 198 17 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 1 0 9 0 2 .000


  プレーオフ投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
12 中日 4 0 0 1 0 0 3.2 0 0 0 0 2 0 0 0 0 0.00
通算 1年 4 0 0 1 0 0 3.2 0 0 0 0 2 0 0 0 0 0.00


  プレーオフ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
12 中日 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
通算 1年 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000


  二軍投球成績
チーム 登板 完投 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四死 三振 失点 自責 防御率
11 中日 27 0 1 0 2 40.0 33 2 11 39 8 8 1.80
12 中日 8 0 0 1 0 7.1 7 0 1 4 4 2 2.45
13 中日 10 0 0 3 2 13.0 18 1 2 9 5 5 3.46
14 中日 14 0 2 0 0 22.2 23 2 5 11 9 9 3.57
15 中日 22 0 2 2 3 41.0 50 1 12 18 25 24 5.27
16 中日 35 0 5 0 0 35.2 39 2 12 25 13 12 3.03
17 中日 28 0 0 1 1 30.2 39 0 11 16 18 15 4.40
18 横浜 22 0 4 1 6 31.0 34 0 5 24 14 14 4.06
19 横浜 15 0 0 1 4 13.2 14 0 5 14 6 4 2.63
20 横浜 2 0 1 0 0 4.0 3 0 0 3 0 0 0.00
通算 10年 183 0 15 9 18 239.0 260 8 64 163 102 93 3.50