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大貫 晋一



16
名前 おおぬき しんいち
生年月日 1994年2月3日
経歴 桐陽高−日本体育大−新日鉄住金鹿島−横浜(18年D3位)
入団年 18年ドラフト3位
在籍年 19年−
背番号 19年−[16]
投打 右投げ右打ち
守備 投手
ベイスターズファン
横浜市青葉区出身で小さなころからベイスターズファンとなりハマスタに通った。小学校で軟式野球を始めて、中学時代は横浜青葉シニアに所属したがメンバー外でほとんど登板機会がもらえなかった。登板機会を求めて強豪チームとは言えない桐陽高に進学、2年秋に右ひじを痛めたこともあって球速130キロ前後に留まったが、3年夏はエースとしてチームを引っ張り県大会で18年ぶりのベスト8まで進出した。

ベストナイン
日本体育大ではツーシームを習得して2年春のリーグ戦で東海大を3安打に抑えて1失点完投を記録するなど6試合に登板して3勝0敗、防御率0.52でリーグ制覇に貢献、ベストナインにも選出された。だが右肘靭帯を損傷、半年後にトミ―ジョン手術を受けたが、キャッチボールの再開まで1年間以上という長く苦しい日々を過ごした。4年時に復帰したが1年生の松本 航からエースの座を取り戻すことはできなかったが、4年秋には2勝2敗、防御率1.22を記録した。

野球
日体大では教員免許を所得し、同級生と何度も合同セミナーに通って製薬会社から営業職で内定を受けるなどサラリーマンになると思っていたが、野球への思いを断ち切れず社会人野球を志した。軟式野球のチームにも断られるなど厳しい現実を突き付けられたが新日鉄住金鹿島に評価されて野球の道がつながった。

完封
2年目のJABAベーブルース杯では中日ドラゴンズの2軍チームと対戦して高橋周平に満塁ホームランを叩き込まれた。続く都市対抗野球の北関東予選の日立製作所戦で先発を任された大貫は「このチャンスを掴まないと普通の選手で終わってしまう」と野球人生を懸けた大一番で雄たけびを上げながら強力打線を4安打に抑えて完封した。

横浜入団
3年目にはチームメイトとなった元横浜の伊藤 拓郎から「決め球がないとスカウトの目に留まらない」とのアドバイスを受けて田中 将大の投球動画を見て研究しスプリットを習得。都市対抗本戦では日本新薬戦で11奪三振を奪い完投。プロへの夢を追いかけて栄養管理も行い、ドラフト会議で横浜から3位指名を受けて入団。ドラフト後に行われたスポニチ大会では三菱重工広島戦で11三振を奪って1失点完投、日本製薬戦でも10安打と打ち込まれながら1失点完投を記録した。

お立ち台
ルーキーイヤーは開幕ローテを勝ち取ると初登板となった4月4日のヤクルト戦は2.1回4失点と打ち込まれたが、続く11日の阪神戦では初回の二死満塁を切り抜けるなど毎回のように背負ったピンチを5回100球を投じながら大山のソロのみで切り抜けてお立ち台に上がった。続く24日の阪神戦は6回2失点ながら援護が得られず敗戦投手となったが、5月1日のヤクルト戦では村上にソロこそ浴びたが6回までは無失点に抑えて憧れのハマスタでお立ち台に上がった。

初回無死から
5月8日の巨人戦では大エースの菅野に投げ勝って6回1失点に抑えたがリリーフ陣が逆転を許して白星を逃し、続く16日の中日戦でも7回2失点で負け投手になってしまうと、23日の巨人戦ではイニング6失点KO、続く2戦は試合を作ったが、6月22日の楽天戦では初回無死からまさかの7連続出塁を許して球団18年ぶりとなる一死も取れずに降板、打線がその裏に7点を上げて黒星こそ付かなかったが登録抹消となった。

CS決定試合で好投
7月4日の阪神戦で復帰して5回2失点に抑えると、中16日を置いて登板した中日戦でも5回2失点と試合を作ったが中10日での登板となったヤクルト戦では3回途中3失点KOと課題のスタミナに配慮されながらも好結果を続けられなかった。久々の登板となった9月5日の阪神戦でもイニング4失点を喫するなど苦しんだが、CS進出決定試合となった9月24日中日戦では5回を1安打で1失点に抑えて勝利投手になった。

土俵際で
オフに志願してオーストラリアのウインターリーグに参加、ホームステイも体験して経験を積んだ。コロナウイルスの影響で開幕が延期になるなど難しいシーズンとなった20年は開幕から間もない7月2日の巨人戦で先発したが、4回2失点ながら6安打2四球を許して降板、続く10日に有観客試合の初戦となる阪神戦の先発を任されたが初回に近本と大山にホームランを被弾するなど3失点で初回KOとなった。いきなり土壇場に追い込まれたが、木塚コーチの助言でフォームを微調整すると、中3日での先発となった14日の中日戦ではストレートの球威が上昇、変化球も低めに集まって8回を3安打無四球で2失点(自責1)に抑えてお立ち台に上がった。

初完投
続く23日のヤクルト戦では7回表二死までノーヒットピッチング、西浦にライト前ヒットを許して大記録は逃したが7回を1安打2四球に抑えて2試合連続でお立ち台に上がった。続く巨人戦では6回1失点に抑えて、打席でも12球粘る執念を見せて勝利に貢献。さらに中日戦で7回無失点、ヤクルト戦で5.2回1失点と好投を続けて5連勝を達成した。21日の中日戦は6回1失点ながら勝ち負け付かずで6戦6勝を逃すと、一時期体調を落としたが、9月5日の広島戦では8安打を打たれながらも無四球1失点で自身初の完投勝利を達成、前日まで2試合連続で悲劇的な試合を行い消耗していたリリーフ陣を救った。

10勝
前年に失速した後半戦に入っても、チームメイトたちが次々と離脱していく中で踏ん張り、9月27日の広島戦、10月4日中日戦、13日のヤクルト戦と3試合連続1失点に抑えて3連勝を記録、ヤクルト戦では同点犠飛とヒットも放った。27日の巨人戦でも6回2失点に加えて先制につながるヒットと激走で三塁を奪う好走塁を見せて勝利に貢献、短縮シーズンで価値ある10勝目を上げた。規定投球回にこそ届かなかったが防御率2.53を記録、新たに習得したカットボールで苦手にしていた左打者を打率.233に抑え込んだ。また細身の体型からついた豆苗というあだ名も定着した。

自己ワースト
食トレで体重を増加させて臨んだ21年はヤクルトとのホーム開幕戦を任されて7回1失点、続く中日戦も5.2回3失点に抑えてチームが11連敗中だったナゴヤドームで白星、4月13日のヤクルト戦は村上にスリーランを被弾して5回5失点となったが、続く中日戦では7回零封という上々の幕開けとなった。だが27日の広島戦では3回裏に7安打を集中されてイニング7失点、5月4日の中日戦では初回に4失点、3回裏に根尾に満塁被弾で2戦連続で自己ワースト失点を更新する3回8失点、1試合の好投を挟んで、18日の中日戦では覇気のない姿を見せて3.2回で被安打10、続くオリックス戦でも1.1回で5失点となり登録抹消となった。

お立ち台
一か月の調整期間を経ての復帰戦となった6月27日の阪神戦で5回2失点で2勝目を上げると、続く巨人戦では5.2回9安打無四球ながらスクイズの1点に抑えて連勝、さらに阪神戦で6回無失点と再昇格後は好投を続けた。東京オリンピックの中断期間が明けても8月18日の阪神戦で6.2回1失点、続く阪神戦では打っては先制の2点タイムリー、投げては6回2失点と投打にわたる活躍を見せた。9月に入っても1日の広島戦で6回1失点に抑えてお立ち台に上がると、8日の巨人戦では自らのフィールディングで山口のバントを併殺に仕留めるなど6回1失点に抑えて2試合連続のお立ち台に上がった。

11勝
22年は広島との開幕第2戦を任されたが3回表にピッチャー森下のヒットから追加点を許すと、4回表には森下に2点タイムリーを浴びるなど4.0回7失点された。4月には月間防御率2.50を記録したが白星はつかずチームは全敗と苦しんだが、5月4日の中日戦で6回を2安打1四球で無失点に抑えると、そこから9試合連続で2失点以下に抑えて白星を量産した。8月12日のヤクルトとの首位攻防戦では6回2失点で勝利投手になったが、26日のヤクルト戦では5回までは無失点に抑えたが6回表に村上にスリーランを被弾、9月11日のヤクルト戦でも7回1失点に抑えながら敗戦と大一番で好投を見せながら勝ちきれなかった。同年はローテを守ってリーグ3位の11勝を記録、CSでも阪神とのファーストステージ第2戦で6.1回を2安打無失点に抑えて勝利投手になった。

完封逃す
23年はキャンプ終盤に右肩の肉離れを発症して離脱、4月22日の広島戦で復帰を果たしたが雨天中止などもあってなかなか登板機会に恵まれなかった。同年3度目の登板となった5月28日の中日戦では8回まで2安打無四球に抑えて初完封が期待されたが、9回裏に二死一、三塁のピンチを背負ったところで無念の降板、勝利投手にはなったが完封はならなかった。その後もまずまずのピッチングを続けて先発ローテを守ったが8月5日の阪神戦では大山のスリーランなどで3回5失点KOとなり登録抹消となった。

終盤に活躍
激しい2〜4位争いが続いていた9月に一軍に復帰すると18日の阪神戦で乱調と自らのミスが重なる荒れた内容ながら6回を無失点に抑えると、25日にはCSを争う巨人相手に6.1回を無失点に抑えて11奪三振も記録、10月1日の中日戦では二塁すら踏ませず2安打無四球という完璧な内容で初完封を達成と好投を続けてチームのCS進出に貢献した。同年は13試合の登板ながら5勝4敗、防御率2.95 、WHIP0.98という好成績を残した。


初記録
初登板 2019年4月4日ヤクルト戦
初勝利 2019年4月11日阪神戦
初奪三振 2019年4月4日ヤクルト戦:青木から
初完投 2020年9月5日広島戦
初セーブ


  投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
19 横浜 15 0 0 6 5 0 66.2 81 7 25 2 54 1 0 38 37 5.00
20 横浜 19 1 0 10 6 0 113.2 96 13 29 3 81 0 1 34 32 2.53
21 横浜 22 0 0 6 7 0 112.0 137 9 30 3 106 3 0 57 54 4.34
22 横浜 24 0 0 11 8 0 136.2 126 13 36 8 118 4 0 48 42 2.77
23 横浜 13 1 1 5 4 0 76.1 57 6 18 4 55 0 0 27 25 2.95
通算 5年 93 2 1 38 30 0 505.1 497 48 138 20 414 8 1 204 190 3.38


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
19 横浜 15 16 1 3 0 0 0 3 0 0 0 3 0 0 0 6 0 0 .188
20 横浜 19 37 3 4 1 0 0 5 1 0 0 5 1 1 0 19 1 0 .108
21 横浜 22 34 0 2 0 0 0 2 2 0 0 3 0 2 0 18 0 0 .059
22 横浜 24 33 0 1 0 0 0 1 0 0 0 11 0 0 0 13 0 0 .030
23 横浜 13 22 0 3 0 0 0 3 0 0 0 2 0 1 0 8 1 2 .136
通算 5年 93 142 4 13 1 0 0 14 3 0 0 24 1 4 0 64 2 2 .092


  クライマックスシリーズ投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
22 横浜 1 0 0 1 0 0 6.1 2 0 0 0 10 0 0 0 0 0.00
通算 1年 1 0 0 1 0 0 6.1 2 0 0 0 10 0 0 0 0 0.00


  クライマックスシリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
22 横浜 1 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
通算 1年 1 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000


  二軍投球成績
チーム 登板 完投 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四死 三振 失点 自責 防御率
19 横浜 9 0 3 1 0 28.0 23 2 11 21 13 10 3.21
20 横浜 2 0 1 0 0 11.0 13 0 1 9 3 1 0.82
21 横浜 4 0 2 0 0 17.0 10 0 5 21 1 1 0.53
23 横浜 15 0 6 1 0 78.1 62 1 18 56 19 14 1.61
通算 4年 30 0 12 2 0 134.1 108 3 35 107 36 26 1.74