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関根 大気



63
名前 せきね たいき
生年月日 1995年6月28日
経歴 東邦高−横浜(13年D5位)
入団年 13年ドラフト5位
在籍年 14年−
背番号 14年−[63]
投打 左投げ左打ち
守備 外野手
家族で引越し
母、兄、妹の母子家庭に育ち、小学校1年生から野球をやっていた兄の影響もあって野球を始める。当初は右投げ右打ちだったが3年から左投げ左打ちになった。6年時には母親に勧められて半年間、鹿児島に山村留学。石尾台中では軟式の「守山クラブ」で投手兼外野手としてプレー。高校は自宅から30キロ以上離れた東邦高校に進学して、電車で1時間以上かけて通学していたが、1年夏に大気のために家族全員で名古屋市に引っ越して、通学時間が自転車で10分の距離になり夜間練習にも打ち込めるようになった。

横浜入団
2年秋からレギュラーになり、3年夏の県大会では5回戦で破れたが大会通算19打数11安打を記録。通算33本塁打(2年秋以降に28本塁打)、同年のドラフト会議で横浜から5位指名を受けて入団。当初は背番号52と発表されたが、新加入のバルディリスが52を希望したため63に変更になった。高卒ルーキーとしては異例の春季キャンプに抜擢されると日本代表の小久保監督から「18歳であれだけ振れるのは凄い」と絶賛され、守備でも強肩を披露し、韓国KIAとの練習試合ではサヨナラヒットとアピールを続けたが、3月2日に地元のナゴヤドームで行われた中日戦で家族が見守る中でライト前ヒットを放ったが3三振を喫して二軍降格となった。

初打席初ヒット
ルーキーイヤーはイースタン・リーグで101試合に出場して打率.271、12盗塁を記録。フレッシュ・オールスターでは3安打、1盗塁で名前を売った。シーズン最終盤の10月3日に一軍へ昇格して翌日の巨人戦で1番レフトで初出場。初回に小山からセンター前ヒットを放って初打席初ヒットを記録した。9回表にも澤村からライト前ヒットを放つと、シーズン最終戦のヤクルト戦でも小川からセンター前ヒットを記録した。

開幕戦で史上最年少本塁打
15年は開幕戦で2点を追う9回表に代打で起用されて巨人抑えの澤村からライトスタンドに初本塁打を叩き込んだ。この一発はリーグ史上8人目の開幕戦代打本塁打で松井と前田の19歳9ヶ月を更新するリーグ史上最年少本塁打となった(19歳8ヶ月)。これでチャンスを掴んだ関根はスタメンでも多く起用されて5月2日の中日戦で9回表に逆転の2点タイムリースリーベース、6日のヤクルト戦でも満塁走者一掃のスリーベースを放ってお立ち台に上がるなどアピールを続けたが、5月22日の阪神戦でベースを駆け抜ける際にベースを踏み外して左かかとを負傷し登録抹消、一ヵ月後に復帰して沖縄で行われた中日戦でスリーベースを含む3安打を放ったが、7月は月間打率.067と大幅に状態を落として再び登録抹消となり55試合出場に留まった。

一軍
16年はオープン戦で盗塁の際に右肩を痛めて離脱したが、4月29日にイースタンリーグで5打数5安打を記録して翌日に一軍昇格、同日の阪神戦に1番センターで出場すると4回表に内野安打で出塁し、二盗、三盗からの犠飛で先制のホームインを踏むなど2安打2盗塁と活躍。5月5日のヤクルト戦でも3安打を放つなど7試合連続で1番を任されたが故障で離脱していた梶谷の復帰や、桑原の台頭などもあって5月中盤からは代走や守備固めでの起用となった。9月には久々にスタメンを任されて15日の阪神戦では初回に12球粘って四球で出塁し得点につなげると、同点の7回表に勝ち越しのタイムリースリーベースを放った。CSではファーストステージ最終戦で負傷した梶谷に代わって途中出場し、2回表に勝ち越しの犠牲フライを放った。

好走塁でサヨナラ
17年はオープン戦で42打数20安打という驚異的な数字を残して開幕一軍に残ると、4月14日のヤクルト戦で10回裏に先頭打者としてセーフティバントで出塁すると、三塁まで進んで、白崎のサードゴロでバックホームからのタッチを背中をそって回避する好走塁でサヨナラ勝利の立役者になった。だが翌日のスタメン起用では4タコに倒れるなど打撃では結果が残せず5月5日に登録抹消、6月に再昇格を果たしたが23日のヤクルト戦で10回表に代走で起用されたが牽制で刺されて再び登録抹消となり、同年はわずか29試合出場に留まった。

指示
18年は6月15日に一軍昇格、同日のオリックス戦に代打で出場してライト前ヒットを放つと、翌日にはスタメンで3打数0安打も延長11回表に勝ち越しに繋がる犠打を決めた。19日の楽天戦はスタメンで2安打を放つと、24日の中日戦では途中出場で1対1の同点で迎えた9回表に満塁走者一掃のスリーベースを放つなど少ないチャンスで3割前後の好成績を残した。イースタンリーグでも打率308を記録したが、同年のラミレス監督が筒香以外の左打者は引っ張らないと起用しないという方針を打ち出し、多くの左打者が打撃を狂わした中で、センター中心の打撃を貫いた事が監督の逆鱗に触れたのか、わずか25打数7安打の打率.280に留まった。

1安打
19年は二軍で好成績を残したが1軍では開幕から15打席連続ノーヒットで四球も0と苦しい日々が続いた。7月17日の広島戦でツーベースを放って16打席目の初ヒットを放ったが、翌日から10打数連続ノーヒットに倒れて打率.038(26打数1安打)でシーズンを終えた。同年にはイースタン・リーグでリーグ2位の打率.329、12本塁打を含む100安打を記録したが年俸18%ダウンとなった。シーズンオフには志願してメキシコのウインターリーグに参加、ヤキス・デ・オブレゴンで55試合に出場して打率.292、リーグ2位の46得点、3位の20盗塁を記録、12月14日にはリーグ史上4人目となる2打席連続スリーベースを放ってレコードブックに名前を残した。

脱臼
20年は開幕直後にイースタンリーグで帰塁の際に右肩を脱臼、トレーナーからは手術を勧められたが保存療法を選択、9月末に復帰してイースタンリーグで54試合に出場して打率.301、出塁率.427を記録したがチャンスは与えられず、プロ入り初の1軍出場なし終わった。

開幕スタメン
21年は前年に2軍監督を務めていた三浦が1軍監督に就任、1軍キャンプでは三浦監督が関根の打撃投手を務めるなど高い期待をかけられると、オープン戦で14打数6安打と結果を残して初の開幕スタメンを勝ち取った。2番ライトで出場した開幕戦でセーフティバントの1安打を記録すると、翌日にはツーベース2本を放つなど開幕から6試合連続ヒットを記録、1番起用となった4月9日の阪神戦ではツーランを含む2安打を放った。開幕から24試合中17試合でスタメンを任されるなど最大のチャンスだったが、来日が遅れていたオースティンの合流に伴いスタメンの座を失った。同年はほぼ1軍でプレーして代打、代走、守備固めと多くの役割をこなして103試合に出場した。オフには脱臼の再発防止のために右肩の烏口突起移行術を受けた。

1安打勝利
22年はオースティンの離脱でオープン戦の最終カードから1軍に昇格、3月30日の中日戦でスタメンに起用されると2点タイムリーを含む2安打を放ち、翌日にも1安打に加えて0対0で迎えた9回表無死一、二塁で送りバントを決めて決勝点につなげるなど活躍した。4月2日のヤクルト戦では2安打に加えて好走塁を見せ、5月26日のソフトバンク戦では勝ち越し犠飛にツーベース2本でお立ち台、翌日の西武戦でも7回表に決勝タイムリー、6月8日、9日には2試合連続で猛打賞、7月8日の巨人戦では延長11回表に2点タイムリーと印象的な活躍を続けた。8月上旬には死球を受けて当初は骨折と発表されたが誤診で1軍に再昇格、9月13日の中日戦ではチーム唯一のヒットを放って出塁すると内野ゴロの間にホームへ還って球団8年ぶりの1安打勝利の立役者になった。

メキシコ
オフには球団に許可だけ取ってメキシコリーグに参加、自身で入団交渉や通訳の手配もするなどプロ野球選手としては異例の形での武者修行となったが200打席以上に立ち、異国の地で多くの経験を積んだ。翌23年はスタメンで出場した4月5日の巨人戦で好守を連発すると、翌日の巨人戦では東のセーフティースクイズで三塁に戻ってからホームをつく好走塁で先制のホームを踏んでお立ち台に上がった。続く中日戦では4安打を放ってお立ち台、14日の阪神戦でも3安打3打点でお立ち台と活躍、規定にも到達して打率1位に躍り出た。

規定打席
4月25日のヤクルト戦でランニングホームランを記録すると、27日のヤクルト戦ではサヨナラヒットと印象的な一打も見せた。5月に入っても18日のヤクルト戦で5安打、20日のヤクルト戦で先制打と決勝打、25日の巨人戦で先制ソロを放つなど活躍を続けて5月30日まで14試合連続ヒットも記録、この時点で打率.350というブレイクでチームをけん引した。オールスターには選手間投票は外野4位で選出を逃したが代替え選手として初出場を果たした。相手のスキを突いた走塁や、冷静な状況判断など意識レベルの高さも解説陣からも絶賛されていたが、6月以降は打率が急降下、7月16日の広島戦では守備で落球してしまうなどチャンスを掴み切れなかったが140試合に出場して初の規定打席にも到達、チーム2位の69得点、1位の11盗塁を記録した。


初記録
初出場 2014年10月4日巨人戦
初安打 2014年10月4日巨人戦:小山から
初本塁打 2015年3月27日巨人戦:澤村から
初打点 2015年3月27日巨人戦:澤村から
初盗塁 2014年10月7日ヤクルト戦


14 15 16 17 18 19 20 21 22 23
オールスター 1回


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
14 横浜 3 12 1 3 0 0 0 3 0 1 0 0 0 0 1 3 0 0 .250
15 横浜 55 144 14 32 2 5 1 47 10 8 3 6 1 8 0 22 1 1 .222
16 横浜 70 98 15 20 1 1 0 23 7 4 4 4 0 2 2 18 0 0 .204
17 横浜 29 19 4 3 0 0 0 3 1 0 0 0 0 1 0 5 0 0 .158
18 横浜 29 25 4 7 2 1 0 11 3 2 2 1 0 0 0 6 0 0 .280
19 横浜 32 26 2 1 1 0 0 2 0 0 0 0 0 1 0 6 1 0 .038
21 横浜 103 124 17 28 6 0 1 37 4 2 0 5 0 9 1 27 2 1 .226
22 横浜 104 201 28 51 7 1 1 63 13 5 5 10 2 9 3 31 2 3 .254
23 横浜 140 482 69 126 17 3 4 161 31 11 3 16 1 29 4 53 5 2 .261
通算 9年 565 1131 154 271 36 11 7 350 69 33 17 42 4 59 11 171 11 7 .240


  日本シリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
17 横浜 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
通算 1年 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000


  クライマックスシリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
16 横浜 2 3 2 0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 0 0 1 0 0 .000
17 横浜 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
22 横浜 2 3 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 2 0 0 .000
23 横浜 2 8 0 5 0 0 0 5 1 0 0 1 0 0 0 0 0 0 .625
通算 4年 8 14 3 5 0 0 0 5 2 0 0 1 1 2 0 3 0 0 .357


  オールスター打撃成績
回数 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
通算 2回 2 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000


  二軍打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死 三振 併殺 失策 打率
14 横浜 101 365 51 99 20 7 6 151 32 12 13 0 23 79 0 5 .271
15 横浜 50 188 19 42 6 3 0 54 16 6 3 1 21 36 3 3 .223
16 横浜 6 21 3 8 2 0 1 13 4 1 0 0 2 4 0 0 .381
17 横浜 71 254 28 69 7 0 4 88 23 17 8 1 30 41 2 3 .272
18 横浜 64 201 24 62 13 2 2 85 20 11 6 0 18 37 0 2 .308
19 横浜 83 304 58 100 14 7 12 164 44 8 2 0 40 44 3 1 .329
20 横浜 54 146 25 44 5 2 2 59 15 5 7 0 32 23 3 1 .301
21 横浜 14 48 5 13 4 1 1 22 8 4 1 2 5 7 0 1 .271
通算 8年 443 1527 213 437 71 22 28 636 162 64 40 4 171 271 11 13 .286