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砂田 毅樹



47
名前 すなだ よしき
生年月日 1995年7月20日
経歴 明桜高−横浜(13年育成D1位)
入団年 13年育成ドラフト1位
在籍年 14年−
背番号 14年−15年途中[111]:15年途中-15年終了[68]:16年−[47]
投打 左投げ左打ち
守備 投手
育成1位
小2から山鼻アカシアで野球を始める。6年時には日本ハムジュニア。幼い頃からプロ入りを目指しており、スカウトの目が届きにくい北海道から出て秋田の明桜高へ進学。1年春からベンチ入りし、ドラフト候補としても期待されていたが3年春の県大会で打席に入った際に左手の左前腕部に死球を受けてから状態を落として、夏は県大会の準々決勝で敗退したが25イニングで自責1、40奪三振という好成績を残した。13年のドラフト会議で育成1位という下位指名で横浜入団と。

支配下契約
ルーキーイヤーには二軍で7試合の登板で29.0イニングを投げて被安打20、四死球12と光る物を見せた。フェニックスリーグではCSに向けて調整する阪神の主力打線を相手に5回2失点、打席でも藤浪、能見のピッチングを見て刺激を受けた。秋季キャンプから翌年の春季キャンプにかけて、中畑監督から「投げっぷりがいい」、「球にブレがない」と絶賛された。公式戦に入ると二軍で11試合の登板で59イニングを投げて被安打60、15四死球という安定したピッチングを見せて6月7日に待望の支配下契約を結んだ。

10代勝利
1軍に合流した砂田は「北海道で投げたいです」と中畑監督に直訴し6月14日の日本ハム戦で初登板、4回二死までノーヒットに抑えるなど球界のエース大谷と投げ合い、勝利投手の権利を持って6回裏一死一、二塁で降板したがリリーフした平田が矢野にスリーランを被弾してデビュー戦勝利はならなかった。続く巨人戦では毎回のように四球を出しながら4回二死までノーヒットに抑えるなど5回1失点で勝利に貢献、4試合目の先発となった7月8日の広島戦で5回を4安打無失点に抑えて10代(19歳11ヶ月)で初勝利を達成した。チームにとっては1年10カ月ぶりの先発左腕の白星で10代の先発左腕に限ると88年の野村 弘樹以来27年ぶり快挙だった。

高卒2年目で3勝
前半戦最終戦となった7月15日の巨人戦でも7回2失点で勝利に貢献、8月7日の阪神戦では5回1失点で2勝目を上げて横浜スタジアムのお立ち台に上がった。スタミナ不足から長いイニングを投げれなかった事も響いて白星は伸び悩んだが、9月5日の巨人戦では7回を3失点に抑えて球団の高卒2年目として三浦以来22年ぶりの3勝を記録した。オフには背番号が名左腕の工藤などが身に付けていた47に変更。唯一持っているユニホームが横浜時代の工藤モデルのユニホームだったという砂田は「恥じないようにプレーしたい」と喜びを口にした。

チャンスを逃す
16年は故障で離脱した山口に代わって開幕から先発を任されて3月31日の巨人戦で5回2失点、4月7日の中日戦で7回1失点と試合を作ったが山口の復帰で登録抹消となった。4月下旬にモスコーソが第1子誕生で帰国したため再び先発のチャンスを貰って5月5日のヤクルト戦で6回を1失点(自責0)に抑えて勝利投手になったが、続く12日の中日戦で6回途中5失点でKOされて登録抹消となった。その後は前年同様に交流戦の最終戦となった日本ハム戦で先発を任されたが6回表にレアードに逆転2ランを被弾するなど先発としてチャンスを掴めなかった。

リリーフとして活躍
後半戦からはリリーフとして一軍に合流すると9月23日の巨人戦で6回裏二死満塁でリリーフして阿部を空振り三振、7回裏も続投してギャレット、クルーズから連続三振を奪って勝利投手になるなど9試合の救援登板で10イニングを投げて無失点に抑え込んだ。CSでも1勝1敗で迎えたファーストステージの最終戦で村田のソロで同点に追い付かれた直後の6回裏一死からマウンドに上がって阿部、長野から連続三振を奪うと7回裏も三者凡退に抑えるなど巨人に傾いた流れを食い止める2.0回パーフェクトでファイナルステージ進出に貢献した。

リリーフ:
17年はキャンプで先発アピールを続けたがオープン戦終盤にリリーフ起用を告げられた。4月に12試合の登板で防御率0.87を記録して信頼を高めて終盤のリリーフを任されるようになった。その後も安定した制球で試合を作って防御率2点台の好成績を長く続けたが、7月27日の阪神戦で6失点と炎上、8月12日の阪神戦で10回表に福留に勝ち越し弾を被弾、18日の巨人戦で宇佐見にサヨナラ被弾と後半戦は大幅に数字を落としてしまった。日本シリーズでは第5戦で6回表を三者凡退に抑えて勝利投手となったが、第6戦では2点をリードして迎えた8回裏に一死三塁で柳田をピッチャーゴロに打ち取ったが、三塁走者が飛び出していたにもかかわらず嶺井が一塁を指示したこともあって一塁へ送球して失点、結果的に逆転負けとなったためシリーズ敗戦の一因とも言われた。

70試合登板
18年は4月7日の広島戦では2点差に追い上げられてなおも一死満塁の8回裏に緊急登板して安部をサードフライ、野間をレフトフライに打ち取って勝利に貢献、4月には11試合に登板して防御率2.25を記録、5月12日のヤクルト戦では11回表に登板も敬遠を含む3四球で押し出しとなってしまったが、5月も12試合に登板と勝ちパターン負けパターンを問わずマウンドに上がってブルペンを支えた。同年は新たに習得したフォークも有効に使って右打者を打率.205に抑え込むなど投球の幅を広げてリーグ3位の70試合に登板した。だが50試合を超えたあたりから状態を落として、CSをかけた大一番となった9月28日の巨人戦では東と菅野の投手戦で0対0のままで迎えた9回裏に登板も長野にサヨナラホームランを被弾、負ければCS出場が絶望的になる10月6日の阪神戦では10回裏二死二、三塁でリリーフも変化球が浮いてサヨナラ負けと前年に続いて悔しい後半戦となった。

2軍で好成績も
19年は主力選手から選出される球団歌の歌唱メンバーに選ばれるなど高い期待をかけられていたが、4月21日のヤクルト戦から2試合連続で2失点を記録するなど開幕から6.0回を投げて9安打4四球と役目が果たせず抹消となった。5月15日に昇格したが翌日の中日戦で苦手の平田にソロを運ばれてしまうなど失点を重ねて6月13日に抹消となった。イースタンリーグでは28試合に登板して防御率0.93と好結果を残したが、再昇格のチャンスはなかなか貰えなかった。シーズン終盤に2試合に登板したが、わずか16試合登板で防御率5.11に留まった。

復活の兆し
コロナウイルスの影響で開幕が延期となった20年は2軍で防御率1.32を記録して10月1日に昇格、3日の中日戦で大炎上の濱口に代わって2回表一死で登板すると代わり端にスリーランを被弾したが、3.2回を1失点に抑えて試合を立て直した。8日の巨人戦では吉川の頭部に危険球を投じて退場となったが、29日の巨人戦では1点リードの6回表に一死満塁のワンポイントリリーフで丸を空振り三振に切って取った。同年はシーズンの最後まで一軍に残って17試合に登板、1球ごとにプレートを踏む位置を変えるなど新スタイルで防御率2.65、17イニングを投げて被安打17、7四死球という好成績を残した。

14試合連続ノーヒット
21年は開幕1軍に残ると試合展開にかかわらずマウンドへ上がって苦しいチームを支えた。5月21日のヤクルト戦では追い上げを許した4回裏に二死満塁でリリーフして村上を空振り三振、7月14日の阪神戦では8回裏二死満塁で佐藤輝を空振り三振に抑えるなど勝負所を任されるようになり、6月20日からは14試合連続ノーヒットピッチングで1本のヒットも打たれないまま26個のアウトを記録した。同年は58試合に登板して防御率3.24、50試合以上に登板した投手ではリーグ3位のWHIP0.94、リーグ2位の被打率.182という素晴らしい成績を残した。


初記録
初登板 2015年6月14日日本ハム戦
初勝利 2015年7月8日広島戦
初奪三振 2015年6月14日日本ハム戦:西川から
初完投
初完封


  投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
15 横浜 14 0 0 3 5 0 76.0 85 5 28 2 57 0 0 34 27 3.20
16 横浜 17 0 0 2 2 0 52.1 64 5 18 2 34 0 0 26 22 3.78
17 横浜 62 0 0 1 2 0 54.2 54 5 13 3 49 1 1 25 25 4.12
18 横浜 70 0 0 0 2 0 52.1 44 4 25 5 44 0 0 22 21 3.61
19 横浜 16 0 0 1 0 0 12.1 21 2 8 1 10 1 0 9 7 5.11
20 横浜 17 0 0 0 0 0 17.0 10 2 5 2 14 0 0 6 5 2.65
21 横浜 58 0 0 2 2 0 41.2 26 1 13 2 27 2 0 15 15 3.24
通算 7年 254 0 0 9 13 0 306.1 304 24 110 17 235 4 1 137 122 3.58


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
15 横浜 14 22 0 2 0 0 0 2 2 0 0 2 0 0 0 13 0 0 .091
16 横浜 17 14 0 2 0 0 0 2 1 0 0 2 0 0 0 8 0 0 .143
17 横浜 62 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
18 横浜 70 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
19 横浜 16 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
20 横浜 17 1 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .1.000
21 横浜 58 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
通算 7年 254 37 0 5 0 0 0 5 3 0 0 4 0 0 0 21 0 0 .135


  日本シリーズ投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
17 横浜 5 0 0 1 0 0 3.0 1 0 0 0 3 0 0 1 0 0.00
通算 1年 5 0 0 1 0 0 3.0 1 0 0 0 3 0 0 1 0 0.00


  日本シリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
17 横浜 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
通算 1年 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000


  クライマックスシリーズ投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
16 横浜 4 0 0 0 0 0 6.2 3 0 2 0 6 1 0 2 2 2.70
17 横浜 3 0 0 0 0 0 1.0 2 0 2 1 0 0 0 2 2 18.00
通算 2年 7 0 0 0 0 0 7.2 5 0 4 1 6 1 0 4 4 4.70


  クライマックスシリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
16 横浜 4 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
17 横浜 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
通算 2年 7 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000


  二軍投球成績
チーム 登板 完投 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四死 三振 失点 自責 防御率
14 横浜 7 0 2 1 0 29.0 20 2 12 18 14 9 2.79
15 横浜 11 0 4 4 0 59.0 60 3 15 47 20 18 2.75
16 横浜 12 1 3 8 0 84.1 100 10 25 80 52 43 4.59
17 横浜 2 0 0 1 0 5.2 11 1 5 4 10 9 14.29
19 横浜 28 0 1 1 5 29.0 22 0 6 32 3 3 0.93
20 横浜 29 0 3 0 5 27.1 24 1 9 28 5 4 1.32
21 横浜 1 0 0 0 1 1.0 1 0 2 0 1 1 9.00
通算 7年 90 1 13 15 11 235.1 238 17 74 209 105 87 3.33