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平良 拳太郎



59
名前 たいら けんたろう
生年月日 1995年7月12日
経歴 北山高−巨人(13年D5位)−横浜
入団年 17年に巨人から移籍
在籍年 17年−
背番号 17年−21年[59]:22年[059]:22年−[59]
投打 右投げ右打ち
守備 投手
沖縄出身
観光名所として名高い美ら海水族館にほど近く世界遺産の一部「今帰仁城跡」がある沖縄県の今帰仁村出身。5歳の時に人見知りを直すために母・八重子さんに無理やり始めさせられた野球だったが、今帰仁中では3年春の県大会決勝で延長13回を投げ抜いて2失点完投でチームを初優勝に導いた。続けて行われた全国大会でベスト4まで進出すると、横浜スタジアムで開催された夏の全国大会にも出場して大舞台の経験を積んだ。

地元で
今帰仁中の同級生たちと「地元で甲子園を目指そう」と誓いあって神谷監督と共に北山高校に進学、北山高は2年前まで部員数が9人で平良が入学した年も新入部員が7人だったため新人戦には陸上部などに助っ人を頼むようなチームだったが、2年夏には平良が沖縄水産を3安打完封に抑え込んで金星を挙げるなど着実に力をつけた。また高校入学時にはスリークウォーター気味だった投球フォームをオーバースローへの転向を試みたが好結果が残せずトルネード気味のスリークウォーターへとなった。

最後の夏
3年春には県大会で6試合すべてで完投して防御率1.04という好成績を残して初優勝に貢献、九州大会で強豪の創成館戦で16奪三振を奪い2安打完封という圧巻のピッチングを見せて注目を集めた。仲間と誓い合った甲子園のラストチャンスとなった3年夏には第1シードとして臨んだ初戦で美里打線につかまって初回に先取点を奪われてしまうと、その後は立ち直ってゼロを重ねたが1対1の同点のまま延長戦に突入すると、14回裏に183球目をレフトスタンドに運ばれてサヨナラ負けとなり甲子園出場は果たせなかった。

巨人入団
ドラフト会議で巨人から5位指名を受けて入団。東京へ旅立つ日には午前6時30分に自宅を出ると同級生が全員見送ってくれた。ルーキーイヤーにはイースタンリーグで7試合に登板して防御率1.71を記録、また6月からトルネード投法をやめて制球力アップを図った。シーズン後にはU21日本代表に選出されてIBAF21Uワールドカップに出場。

15失点
巨人首脳陣からは左の田口、右の平良という強化指定選手として高い期待がかけられていたが2年目には3月6日に教育リーグのDeNA戦で4回で被安打17、15失点、0奪三振という悲劇的な結果を残した。球速も130キロそこそこという内容で自信を失いかけたが岡崎二軍監督にキャッチボールに誘われて、話し合う中で高校時代の投球フォームに戻すことを提案されてトルネード投法復活を決意、同年にはイースタンリーグで16試合に登板して防御率5.12に留まったがファーム日本選手権では先発を任されてソフトバンク打線を5回1失点に抑え込んだ。

初登板
16年にはイースタンの開幕戦を任されてヤクルト打線を3安打に抑え込んで1失点完投、続く20日のDeNA戦で6回3失点、30日の西武戦で8回無失点と好投を続けて4月7日に一軍昇格。同日の阪神戦で初登板初先発、初回にヘイグ、福留から連続三振を奪うと、2回裏にもゴメス、鳥谷から4者連続三振を奪うなど3回までは1安打、無四球という素晴らしいピッチングを見せた。3回裏の初打席ではライト前に打球を運んだが福留の好送球でライトゴロになってしまった。そして迎えた4回表には一死からヘイグを四球で歩かせると、続く福留のツーランで先取点を奪われ、なおも2四球などでピンチを作るとメッセンジャーのライト前で2点を追加されて降板となった。

横浜移籍
初登板の翌日に抹消となったが4月20日にイースタンリーグのヤクルト戦で3安打完封を記録、同年には右ひじの痛めた事もあってイースタン・リーグで12試合登板に留まったが、74.0投球回を投げて防御率2.31という好成績を残した。同年オフにFAで巨人に移籍した山口の人的保障選手として横浜DeNAから指名されて移籍。高田GMは「ほぼ即決だった。もともとドラフトで獲得しようとしていたけど、先に取られたんだよ」

初勝利も
移籍後初年度には地元沖縄で行われたオープン戦初戦の先発を任されて古巣の巨人を5回無失点に抑え込んだ。5月10日の中日戦で移籍後初登板、4回表まで制球に苦しみながらも無失点に抑えると、4回表には自ら先制につながるライト前ヒットを放ち、初勝利の権利がかかる5回裏には犠牲フライで1点を失ったが5回1失点で嬉しい初勝利を記録した。だが続く18日の広島戦では初回に4失点、2回にも丸にツーランを被弾して2回6失点KO、6月3日のソフトバンク戦では課題のインコースへの制球に苦しんでデスパイネと柳田にともに流し打ってのホームランを被弾するなど5回4失点、10日の西武戦でも2回5失点と試合を作れず4試合登板に留まった。

4.2
18年は右ひざを痛めて出遅れたが、5月17日に昇格して同日の阪神戦で先発、福留に同点ソロこそ浴びたが5.1回を4安打、1四球で1失点に抑え、打っても秋山、藤川から2安打を放ってお立ち台に上がった。だが続く27日のヤクルト戦では勝利投手の権利まであと1つの5回裏二死満塁からバレンティンに逆転タイムリーを浴びて敗戦、抹消となり復帰戦となった6月14日のロッテ戦では10出塁を許しながらも1失点で粘ったがまたも4.2回で降板、再び抹消となり3度目の昇格となった7月26日の中日戦でも大量援護を受けながら3試合連続で4.2回で降板とチャンスをあと一歩で逃し続けた。

古巣初対決も
チームも最下位に転落するなど勝ちきれない試合が続き、8月7日のヤクルト戦でも5回裏に二死一、二塁のピンチを背負ったが、青木をファーストゴロに打ち取って鬼門を超えると、ふくらはぎがつったため5回で降板となったが無失点に抑えて2勝目をあげた。古巣との初対決となった21日の巨人戦では自主トレに連れて行ってもらっていた内海とマッチアップとなったが6回4失点で内海に投げ負けて恩返しはならなかった。続く中日戦も5回途中でKOされたが9月9日のヤクルト戦では山田に2本塁打を喫したが5回3失点で3勝目を上げた。

相手は菅野
大エース菅野との投げ合いとなった9月15日の巨人戦では前日に古巣ベンチにあいさつした際に冗談で「相手は菅野だし負けだな」と言われて発奮。初回に先頭の坂本にヒットを許したが併殺で切り抜けると、そこから18者連続凡退を記録するなど最後までテンポの良く攻め続けて6.2回を2安打、無四球に抑えて菅野に投げ勝ち、お立ち台では「本当に最高です」と喜びに浸った。続く22日の中日戦にも勝って勝負の9月に3戦3勝を記録してチームのCS争い参戦に貢献した。また同年は13試合に先発して5勝3敗だったが勝ち負けが付かなかった5試合は全てチームが勝利して先発試合10勝3敗という高勝率を記録した。

出遅れるも
19年は腰痛や肩痛、右足首の違和感で大きく出遅れたが5月29日に1軍へ昇格、同日の中日戦で5回一死までパーフェクトに抑え込むなど6回1失点で勝利に貢献、続くオリックス戦では5回途中3失点でKOされたが、6月18日の日本ハム戦は6.2回を3安打、1四球で無失点、続く広島戦で6回1失点と好投を続けて、平良を先発の柱として考えていたラミレス監督の期待に応えた。球宴明けには7月19日の中日戦で6回3安打1四球で無失点、翌週の中日戦でも6回まで2安打無四球に抑えるなど6.2回を1失点、打っても先制につながるヒットを放った。菅野との再戦となった8月2日の巨人戦では初回に丸のソロで先制を許したが、自己最多の9三振を奪うなど6回を4安打無四球で2失点に抑えてまたも菅野に投げ勝った。

山口と投げ合いも
8月9日の中日戦にも勝って5勝2敗、防御率2.12とチームの上位浮上に大きく貢献した。だが中12日での先発となった22日の阪神戦では福留のツーランなどで4回3失点KO、さらに続くヤクルト戦でバレンティンに2打席連発を浴びて5回4失点、ローテを変更して得意の中日戦に回った9月6日には3.2回7失点と大幅に数字を落とし、12日には巨人との首位攻防戦で先発を任されたが1.2回2失点KOで古巣の優勝を決定的にしてしまった。20日の巨人戦では横浜移籍のきっかけとなった山口と初対戦、FA移籍投手と人的保障投手が投げ合うのは史上初だったが、坂本のツーランなどで3.2回4失点で降板となり山口と最多勝を争う今永を援護できなかった。

阿部
移籍後も相談に乗ってもらっていた恩人阿部の引退試合となった27日の巨人戦ではリリーフ登板、同試合で同点弾を放った阿部は試合中に交代予定だったが平良と対戦するために「もう一打席」と首脳陣に直訴して対戦が実現した。「今までで一番いい球を投げて打ち取りたいという気持ちだった」という平良が3球目に投じた内角への144キロでセカンドフライに打ち取って恩返しを果たした。阿部は「巨人にいた頃は打者の内角に投げられないくらいハートの優しい子。僕の内角にしっかり投げて、僕が詰まって終わったから『ナイスボール』と言いました」

圧巻のピッチングも
コロナウイルスの影響で開幕が延期となった20年は開幕第3戦の6月21日広島戦で6回1失点、続く阪神戦で6回2安打2四球で1失点、7月5日のヤクルト戦では7回3安打無四球の無失点に加えて、打っても先制に繋げるヒットを含む2安打を放つなど抜群の内容でチームを引っ張った。だが誕生日登板となった12日の阪神戦で6回1失点に抑えながら17イニングぶりの失点に泣いて敗戦投手になると、19日の巨人戦では6回2失点もリリーフが打たれて白星が消え、7.1回を3失点に抑えた26日の広島戦でもリリーフが崩壊、8月2日の阪神戦でも7回2失点で敗戦投手という悲劇的な試合が続いた。

防御率トップ
8月9日のヤクルト戦では7回を4安打1四球の無失点に抑えて久々に勝利投手になった。この時点で12球団唯一の全試合QSで防御率はリーグトップの1.72、ストレートの球威が向上し、持ち味のコントロールも冴えわたっていたが、続くヤクルト戦では球速が上がらず滅多打ちにあって3.2回6失点でKOとなった。4日後に背中の違和感で抹消となり長期離脱となると、ほぼ同時期にエース今永も長期離脱となった事で首位を争っていたチームはBクラスにまで転落した。平良はシーズン終盤に復帰したが、10月22日の中日戦で7回1失点に抑えるも打線が防御率1位に輝く大野に完封負け、11月5日の中日戦でも8回2失点で初完投も大野に打線が零封されるなど、同年は14試合に先発して防御率2.27に抑えながら4勝6敗と負け越した。

トミージョン手術
21年は巨人との開幕第3戦を任されて5回までパーフェクトに抑える好投を見せていたが、6回裏に先頭の大城にツーベースを打たれた所で右肘の張りで降板、中10日を空けて登板した中日戦でも5回を1失点に抑えたが、再び張りを訴えて離脱。2軍で調整を続けたが6月7日にトミー・ジョン手術を受けて長期離脱となった。22年は育成契約となったが7月30日に支配下登録へ復帰、8月26日には2軍戦で460日ぶりの実戦登板を果たした。

思い出の東京ドーム
23年は開幕ローテに入って4月5日の巨人戦で727日ぶりの1軍登板、初回に岡本を146キロのストレートで見逃し三振に抑えるなど力強いピッチングで6回を4安打無失点、7奪三振も記録して888日ぶりに勝利投手になった。その後も16日の阪神戦で6回を2安打無四球で初の二桁となる10奪三振を奪うなど登板間隔を空けながら好投を続けた。東京ドームでの登板となった5月23日の巨人戦では丸のピッチャー返しを右腕に受けながら続投して7回を4安打無失点に抑えてみせた。お立ち台に上がった平良は「10年前に入団した時にここで勝つことがまず目標だったので本当に嬉しい気持ちです」と喜びを語った。

シーズン終盤に好投
打球直撃の影響があったのか続く6月5日の西武戦では3回8安打と滅多打ちにあって登録抹消となった。7月23日の巨人戦で復帰すると好投は見せたが5回表にピッチャーメンデスのヒットから打ち込まれて4.1回3失点KO、続く8月12日の巨人戦でも5回に打ち込まれて降板とスタミナに課題を見せたが、9月8日のヤクルト戦では7回4安打1四球で無失点、続く15日のヤクルト戦でも7回5安打で1失点に抑えてチームのCS進出に貢献した。


初記録
初登板 2016年4月7日阪神戦
初勝利 2017年5月10日中日戦
初奪三振 2016年4月7日阪神戦:ヘイグから
初完投 2020年11月5日中日戦
初セーブ


  投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
16 巨人 1 0 0 0 1 0 3.2 4 1 3 0 4 0 0 4 4 9.82
17 横浜 4 0 0 1 3 0 14.0 21 4 9 1 6 0 0 16 11 7.07
18 横浜 13 0 0 5 3 0 67.0 65 9 29 0 53 2 0 29 26 3.49
19 横浜 15 0 0 5 6 0 70.0 68 9 17 0 55 0 1 34 32 4.11
20 横浜 14 1 0 4 6 0 83.1 75 3 17 2 65 0 0 24 21 2.27
21 横浜 2 0 0 0 0 0 10.0 6 0 3 0 6 0 0 1 1 0.90
23 横浜 11 0 0 4 4 0 59.1 58 5 13 0 61 1 0 23 23 3.49
球団 6年 59 1 0 19 22 0 303.2 293 30 88 3 246 3 1 127 114 3.38
通算 7年 60 1 0 19 23 0 307.1 297 31 91 3 250 3 1 131 118 3.46


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
16 巨人 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
17 横浜 4 4 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 .250
18 横浜 13 24 0 2 0 0 0 2 0 0 0 2 0 1 0 13 1 0 .083
19 横浜 15 19 1 2 0 0 0 2 0 0 0 1 0 0 0 11 0 1 .105
20 横浜 14 26 1 2 0 0 0 2 0 0 0 5 0 0 0 17 0 0 .077
21 横浜 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 .000
23 横浜 11 17 1 2 0 0 0 2 0 0 0 1 0 0 0 3 0 0 .118
球団 6年 59 92 3 9 0 0 0 9 0 0 0 10 0 1 0 46 1 1 .097
通算 7年 60 93 3 9 0 0 0 9 0 0 0 10 0 1 0 46 1 1 .097


  クライマックスシリーズ投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
19 横浜 1 0 0 0 0 0 3.2 4 0 0 1 3 0 0 0 0 0.00
通算 1年 1 0 0 0 0 0 3.2 4 0 0 1 3 0 0 0 0 0.00


  クライマックスシリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
19 横浜 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
通算 1年 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000


  二軍投球成績
チーム 登板 完投 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四死 三振 失点 自責 防御率
14 巨人 7 0 1 0 0 26.1 15 1 9 15 5 5 1.71
15 巨人 16 0 4 3 0 63.1 71 6 18 34 36 36 5.12
16 巨人 12 2 6 2 0 74.0 65 2 17 37 23 19 2.31
17 横浜 17 0 5 8 0 92.0 102 15 28 57 47 43 4.21
18 横浜 11 0 4 2 0 56.1 40 0 19 44 12 12 1.92
19 横浜 8 0 2 0 0 29.2 24 1 4 25 9 6 1.82
20 横浜 3 0 1 0 0 10.2 11 0 1 5 5 2 1.69
21 横浜 2 0 0 0 0 7.0 7 1 1 7 3 2 2.57
22 横浜 4 0 1 0 0 15.0 11 2 2 20 8 8 4.80
23 横浜 9 0 3 2 0 45.1 47 3 12 39 20 17 3.38
通算 10年 89 2 27 17 0 419.2 393 31 111 283 168 150 3.22