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田村 丈



92
名前 たむら じょう
生年月日 1992年11月20日
経歴 関西大北陽高−関西学院大−横浜(15年育成D3位)
入団年 15年育成ドラフト3位
在籍年 16年−19年
背番号 16年−18年シーズン途中[103]:18年−19年[92]
投打 右投げ右打ち
守備 投手
投手転向
小学3年時に野球を始める。関西大北陽高の1年まではショートを守っていたが、2年から投手に転向して秋からベンチ入り、3年夏は県大会3回戦の東海大仰星戦で7回まで無失点に抑えたが、8回に決勝点を奪われて敗退となった。関西学院大へ進学すると1年時から登板機会を得たが腰のけがなどに悩まされて苦しい時期が続いた。

横浜入団
手応えを掴み始めた4年時には横浜ベイスターズと広島カープの入団テストを受けたが不合格となり、大学も留年。大学5年生となった田村は野球を続けていくかで悩んだが、横浜の八馬スカウトから「来年もう一度テストに挑戦しないか?」と声を掛けられて奮起、スカウトに紹介されたトレーニングジムで股関節の柔軟性を高め、大学ではシート打撃の投手を務めるなど夢をあきらめずに日々を過ごし、翌年に横浜の入団テストを再び受験して合格、ドラフト会議で育成3巡目指名を受けて入団した。大学通算はわずか9試合登板で0勝2敗。

支配下登録
ルーキーイヤーは8試合に登板して防御率4.09を記録。翌17年にはイースタンリーグで先発して多く起用されたが、3勝8敗で防御率4.78に留まった。また5月20日のイースタンリーグの巨人戦で先頭の山本に危険球をぶつけてわずか2球で交代となってしまった。18年は野手転向を打診されたが断って投手続行、川村コーチと大家コーチの助けもあって球速が上がり、イースタンリーグで好投を続けて7月31日に支配下登録を勝ち取った。翌日に一軍昇格を果たすと同日の巨人戦で初登板のマウンドへ上がったが、一死後にマルティネス、小林の連続ツーベースと重信の内野安打で2失点となり翌日に登録抹消となった。同年はイースタンリーグで35試合に登板して防御率1.41、38.1回を投げて被安打21、15四球という好成績を残した。

引退
19年はイースタンリーグでイニング数を超える四死球を記録する制球難に苦しんで戦力外通告を受けた。球団職員に転身してジュニアスクールの指導者も務めたが、並行してトレーニングを続けるうちにスポーツ選手への思いが強くなり、21年にアメフト転向と発表した石川にも影響を受けて社会人アメフトチームのイコールワン福岡SANSのトライアウトを受けて合格、身体能力を生かしたワイドレシーバーとしての採用。


初記録
初登板 2018年8月1日巨人戦
初勝利
初奪三振
初完投
初セーブ


  投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
18 横浜 1 0 0 0 0 0 1.0 3 0 0 0 0 0 0 2 2 18.00
通算 1年 1 0 0 0 0 0 1.0 3 0 0 0 0 0 0 2 2 18.00


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
18 横浜 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
通算 1年 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000


  二軍投球成績
チーム 登板 完投 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四死 三振 失点 自責 防御率
16 横浜 8 0 2 1 0 22.0 22 3 21 14 11 10 4.09
17 横浜 18 0 3 8 0 75.1 69 8 39 36 42 40 4.78
18 横浜 35 0 3 1 4 38.1 21 2 16 38 9 6 1.41
19 横浜 22 0 3 1 0 24.1 29 3 29 17 35 34 12.58
通算 4年 83 0 11 11 4 160.0 141 16 105 105 97 90 5.06