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戸柱 恭孝



10
名前 とばしら やすたか
生年月日 1990年4月11日
経歴 鹿屋中央高−駒澤大−NTT西日本−横浜 (15年D4位)
入団年 15年ドラフト4位
在籍年 16年−
背番号 16年−[10]
投打 右投げ左打ち
守備 捕手
大学からキャッチャー転向
小学校1年時に内之浦ソフトボール少年団に入り、中学時代はピッチャー、鹿屋中央高では主将を務め、3年春に県大会ベスト4まで進出、高校では主にサードを守っていたが駒大に進学すると捕手に完全転向、2年秋から正捕手となり一部昇格に貢献、4年時には同学年の白崎と共に活躍、4年秋にはリーグ10位の打率.270を記録した。

社会人ベストナイン
ダイエーと西武で活躍した名外野手である佐々木誠が監督を務めるNTT西日本に入社、佐々木監督から高く評価されて1年目から公式戦に出場、2年目には九州大会で首位打者に輝き敢闘賞にも選出された。大阪ガスの補強選手として出場した都市対抗野球ではJR東日本東北戦で4回表にツーラン、3対3で迎えた延長11回表に決勝タイムリーを放つなど3安打3打点、Honda戦でも決勝タイムリーを放って優秀選手賞を受賞。日本選手権でもHonda戦で決勝打となるサヨナラタイムリーを放つなど活躍してNTT西日本をベスト8まで導いた。

指名漏れ
2大大会で結果を残して同年の社会人ベストナインに選出された。だが佐々木監督からも「お前なら大丈夫」と言われていたドラフト会議でまさかの指名漏れとなった。翌15年は前田新監督から「チームを勝たせてプロへ行け」との言葉を貰って自分でチームを引っ張ることを決意、1日300球の捕球を5か月間続けてキャッチングを徹底的に鍛えてミットを動かさないキャッチングを習得し、投手陣からの信頼感を得るなどチームを都市対抗ベスト8まで導き、同年のドラフト会議で横浜DeNAから4位指名を受けて入団した。

正捕手
前年にバッテリーミスが多発していたこともあってキャンプから高い期待を受けていたが、対外試合の初戦で同点弾を放ち、内角を生かしたリードや、キャッチング技術でも光るものを見せると、当初は「横一線の争い」、「ベンチから配球のサインを出す」としていたラミレス監督も3月上旬には「競争は終わった」と正捕手戸柱を決断、配球も戸柱に一任するなど、わずか一か月間で信頼感をもたらした。

キャッチャーフライ
球団史上初のルーキー捕手での開幕スタメンとなった広島3連戦では初戦で3投手をリードして1失点に抑えると、第2戦では黒田から初ヒット、第3戦ではルーキー1番乗りとなる本塁打をライトスタンドに運ぶなど活躍、ホーム開幕の巨人戦ではクルーズのキャッチャーファウルフライを落球し、打ち直しで先制弾、4月8日にも落球した直後に逆転弾とハマスタ特有の風に悩まされて流れを変える落球を重ねて、キャッチャーフライが上がるとスタンドがざわめくようになったが試合後の猛練習で克服、6月11日のオリックス戦では自身初の猛打賞に5投手をリードして完封を記録、高城を指名した山口先発試合以外はほぼ全てでスタメンを任されてチームを引っ張った。

ホームランダービーで
ルーキーにして選出されたオールスターゲームでは試合前のホームランダービーで筒香の打撃投手を務めたがストライクがまったく入らずまさかの0本に終わって話題になったが、試合ではサファテから2点タイムリーを放って見せた。疲労が溜まる後半戦に入っても打撃成績をキープするなどシーズンの最後までスタメンマスクを譲らず124試合(スタメン110試合)に出場、バッテリエラーが前年から激減するなどチーム初のCS出場に大きな貢献を見せた。

3連戦で10打点
17年は4月19日の広島戦で今永を好リードして1安打完封に導くと、22日の中日戦では逆転ツーランを含む3打点を記録して自身初のお立ち台に上がった。その後も打率は2割そこそこながら勝負強いバッティングで打点を量産し、5月17日の広島戦で9回表に同点タイムリー、翌日には5番で起用されて先制タイムリー、23日の中日戦で満塁走者一掃のツーベース、28日の阪神戦でスリーランと開幕から2か月で早くも前年を超える24打点に到達、6月4日のソフトバンク戦でも逆転タイムリーを含む3打点で再びお立ち台に上がると、16日からのオリックス3連戦では逆転満塁弾と勝ち越しスリーランを含む10打点という驚異的な活躍を見せた。

悔しい後半戦
6月23、24日のヤクルト戦でも打点を記録して5試合連続打点となり、この時点で得点圏打率.377で日本人3位で全体6位の40打点を残す一方で走者なしだと0割台というインパクトのある成績を残してオールスターにも選出された。6番を任されてクリーンアップを支えてきたが、5試合連続打点の翌日から14試合連続打点なしという泥沼にはまって打率が1割台に降下、その後も6番で起用されたが7月以降は12打点に留まった。終盤にはスタメンを外れる試合が多くなったが8試合ぶりのスタメンとなった負ければ4位転落の9月29日阪神戦で先制スリーランを放つなどCS進出に貢献した。CSから日本シリーズにかけては14試合中スタメンは4試合のみで15打数0安打0四球と結果を残せなかった。

抹消
立場が危うくなった18年は開幕戦こそ先発マスクを任されたが、次戦で嶺井が本塁打を含む2安打を放った事もあって正捕手の座を完全に失ってしまう。4月11日の巨人戦では途中出場で2点タイムリーを放って自らの28歳の誕生日を飾ったが、キャンプからラミレス監督からの指示で取り組んだ引っ張り中心の打撃が持ち味のセンター返しを失う結果になり打率1割そこそこと打撃が低迷して5月6日に抹消となった。嶺井の故障で22日に昇格したが3試合の出場のみで再び抹消、6月18日に再昇格も2試合で抹消と監督の信頼を得られない日々が続いた。7月3日に昇格すると4日の巨人戦で走者一掃の3点打、さらに翌日の巨人戦で山口から勝ち越しソロを放ったが、後半戦に入るとオリックスから伊藤光が加入してきた事もあって8月以降は二軍で終える事となった。

キャッチャー交代
19年は開幕第2戦でスタメンを任されてヒットと四球を記録したが、わずか2試合の出場で4月4日に抹消となった。5月8日に昇格すると12日の広島戦でスタメンも、京山が4失点となった2回裏の守備でキャッチャーのみ交代という屈辱を味わった。ラミレス監督の采配には批判も集まり、7月4日の阪神戦ではホームランを打ってお立ち台に上がりながら直後に登録抹消となかなか監督の信頼を取り戻せなかった。だが8月に入ると伊藤光の故障でスタメン起用が増えて、16日の広島戦で自身初のスリーベース、翌日には先制タイムリーを含む3安打を放つなど活躍、8月16日からの広島3連戦では10打数4安打で4打点、第3戦では今永をリードして完封に導くなど後半戦は出番を勝ち取って前年を上回る45試合に出場した。

正捕手復帰へ
コロナウイルスの影響で開幕が延期となった20年も2番手捕手として開幕を迎えたが6月25日の中日戦で初登板の坂本をリードして6回1失点、打ってもスリーランを放つと、28日の阪神戦でも平良を6回1失点にリードしてお立ち台に上がった。データ解析によりフレーミング技術が評価されるようになり、バッティングでも本来の豪快なスイングが戻り徐々にスタメンとしての起用が増えると、7月23日のヤクルト戦でも好リードに加えてタイムリーと貴重なソロを放ってお立ち台に上がった。同年は120試合の短縮シーズンの中で71試合のスタメンマスクを含む96試合に出場、送球のコントロールも安定して盗塁阻止率はリーグ2位の.352を記録した。

終盤に打撃好調
21年も春先は多くスタメンで起用されて5月2日のヤクルト戦では勝ち越しスリーランを含む自身初の2打席連発を放ってお立ち台に上がった。だがその後は1打席しかチャンスを貰えず5月17日に登録抹消、6月には昇格したが1試合のみの出場で1週間後に抹消と苦しい時期を過ごしたが、9月3日に再昇格を果たすと11試合の出場ながら月間打率.286を記録、10月には2日の巨人戦で同点タイムリーを含む3安打、13日のカープ戦でイニング2安打を含む3安打を放つなど課題の打撃で結果を残してスタメンに返り咲いた。

二番手捕手
22年は二番手捕手兼代打として活躍、7月17日のヤクルト戦では2点タイムリーを含む2安打を放ってお立ち台に上がった。8月3日の広島戦でタイムリーを含む3安打、8月31日の中日戦では同点ソロを放ち、守っても絶好調とは言えない浜口を引っ張ってお立ち台に上がった。同年は72試合に出場して打率.264、4本塁打を記録した。

お立ち台
23年は4月9日の中日戦でツーランに加えて完封リレーをリードしてお立ち台、26日のヤクルト戦では勝ち越しスリーランでお立ち台、6月4日の西武戦で激走の内野安打で決勝タイムリーでお立ち台、17日のロッテ戦でもお立ち台と印象的な活躍を続けた。だが6月中旬から27打席連続ノーヒットと打撃不振に苦しみ、後半戦は山本がチャンスを掴んだこともあって正捕手への返り咲きはならなかった。


初記録
初出場 2016年3月25日広島戦
初安打 2016年3月26日広島戦:黒田から
初本塁打 2016年3月27日広島戦:福井から
初打点 2016年3月27日広島戦:福井から
初盗塁


16 17 18 19 20 21 22 23
オールスター 2回


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
16 横浜 124 367 25 83 8 0 2 97 23 0 0 4 1 20 1 63 10 10 .226
17 横浜 112 336 25 72 13 0 9 112 52 0 0 6 2 19 0 59 9 2 .214
18 横浜 25 56 5 10 2 0 1 15 6 0 0 1 0 2 0 9 3 1 .179
19 横浜 45 100 6 20 4 2 1 31 6 0 0 2 1 7 1 22 2 1 .200
20 横浜 96 259 21 55 8 1 5 80 23 0 2 5 1 11 0 53 8 4 .212
21 横浜 56 127 10 28 5 1 3 44 14 0 0 2 0 4 1 18 3 0 ,220
22 横浜 72 144 12 38 5 0 4 55 16 0 0 1 2 3 1 26 2 1 .264
23 横浜 70 165 11 40 8 1 5 65 19 0 0 2 1 13 0 30 6 1 .242
通算 8年 600 1554 115 346 53 5 30 499 159 0 2 23 8 79 4 280 43 20 .223


  日本シリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
17 横浜 4 8 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000
通算 1年 4 8 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000


  クライマックスシリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
16 横浜 7 19 1 3 1 1 0 6 2 0 0 0 1 2 0 4 0 0 .158
17 横浜 5 7 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000
19 横浜 1 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 .000
22 横浜 2 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
通算 4年 15 32 1 3 1 1 0 6 2 0 0 0 1 3 0 5 0 0 .094


  オールスター打撃成績
回数 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
通算 2回 3 4 0 1 0 0 0 1 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .250


  二軍打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死 三振 併殺 失策 打率
16 横浜 2 6 0 2 0 0 0 2 0 0 0 0 1 0 1 1 .333
18 横浜 42 105 4 16 4 0 0 20 8 0 2 2 5 21 2 2 ..152
19 横浜 24 65 6 16 4 0 0 20 6 0 0 0 5 14 1 1 .246
21 横浜 33 102 5 25 3 1 0 30 15 0 0 0 9 10 2 1 .245
22 横浜 1 2 0 1 1 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 .500
23 横浜 2 6 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 .167
通算 6年 104 286 15 61 12 1 0 75 29 0 2 2 20 45 6 5 .213