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土屋 健二



45
名前 つちや けんじ
生年月日 1990年10月4日
経歴 横浜高−日本ハム(08年D4位)−横浜
入団年 13年に日本ハムから移籍
在籍年 13年−15年
背番号 13年−15年[45]
投打 左投げ左打ち
守備 投手
横浜高校へ
幼稚園年長で野球を始め、中学3年時には富士シニアのエースとして全国大会に出場。全日本選抜として出場した世界大会では打者として打率.571(28打数16安打)という好成績を残した。多くの高校から誘いがあったが憧れの松坂が所属していた横浜高校に進学。1年夏には早くも甲子園大会に代打で出場して四球を選んだ。

4番からエースに
4番ファーストとして挑んだ2年夏の県大会は準決勝で東海大相模と対戦したが、4回表に菅野 智之の振り逃げスリーランなどで6点差を付けられてしまうと、菅野から高濱、筒香が2安打を放って追い上げたが4対6で破れた。同年の秋からエースとなり秋の県大会では準々決勝で東海大相模を5安打、無四球、13奪三振で完封に抑えて雪辱を果たす。決勝の慶応戦でも15奪三振という力投で優勝を飾った。だがセンバツでは初戦の北大津戦で4回表に先制タイムリーを放った土屋がその裏に4安打を集中されて逆転負けとなり初戦で姿を消した。

甲子園
3年夏には県大会決勝の横浜創学館戦で打っては3安打、投げても2失点に抑えて甲子園出場を決めた。甲子園では初戦、2回戦と打ち込まれて2試合で25被安打 9失点を喫したが筒香の活躍などで何とか勝ちあがると、3回戦の仙台育英戦では本来の力を取り戻した土屋が7安打、2四球で2失点に抑えて完投勝利。準々決勝の聖光学院戦でも8回を1失点、打っても3安打を放ってベスト4に進出した。準決勝の大阪桐蔭戦では連投の疲れから握力を失ったこともあって9失点と打ち込まれて全国制覇はならなかった。

日本ハム入団
08年のドラフト会議で日本ハムから4位指名を受けて入団。ルーキーイヤーはイースタン・リーグで防御率6.25ながら開幕からローテーションで起用されて5勝7敗、4月19日の巨人戦で完投を記録するなど高卒1年目で80.2イニングを投げて経験をつんだ。翌10年はイースタン・リーグで105イニングを投げてヤクルトの赤川に並ぶリーグトップタイの78奪三振、リーグ2位の7勝、防御率3.34を記録した。同年には一軍でも3試合に登板したが5.1回で12被安打、6四死球と結果が残せず防御率16.88に終わった。

横浜移籍
11年もイースタン・リーグでローテーション投手として起用されたが4勝6敗、防御率4.14という今一つの結果に終わった。12年には6月5日に一軍昇格を果たすと同日の広島戦で先発の吉川が3回表に東出に危険球をぶつけて退場となり土屋に急遽出番が回ってきた。この時点で1対0とリードしており初勝利のチャンスだったが、最初のバッター赤松にツーランを被弾して逆転を許すとそこから四球を挟んで4連打と打ち込まれて一死も取れずに5失点で降板となり初敗戦を記録した。翌日に登録抹消となり、その後の一軍登板はなかったためシーズン防御率は無限大となった。同年のオフに北 篤とのトレードで横浜に移籍。

初勝利
13年は移籍後初登板となった4月6日のヤクルト戦で1対3とリードを許した5回裏にマウンドへ上がって無失点に抑えると、その直後の6回表にラミレスの通算2000安打となるソロ、石川のスリーランなどが飛び出して逆転勝利。土屋にうれしい初勝利が記録された。その後もリリーフでまずまずのピッチングを続けると4月29日のヤクルト戦で初先発のチャンスを貰ったが初回にバレンティンのツーランなどで3失点、2回表にもミレッジ、バレンティンの連続アーチで3失点と全く試合を作れず登録抹消となった。二軍で6勝4敗、防御率1.49という好成績を残して9月下旬に一軍へ復帰すると9月30日のヤクルト戦では一死一、二塁というピンチでバレンティンをセカンドフライに打ち取るなど2.1回を無失点に抑えて2勝目を上げた。

正念場
14年は4月11日に一軍へ昇格したが4月18日の広島戦で9回表に4安打を集中されて5失点(自責2)で登録抹消になった。7月9日に再昇格を果たしたが前半戦の最終戦となった7月16日の広島戦で4対4の同点で迎えた5回裏に登板したがエルドレッドへの死球からキラのライト前、小窪の犠打を挟んで梵に四球、會澤にショート内野安打と一死しか取れずに降板となり登録抹消。同年はイースタン・リーグでは20試合の登板で防御率1.35という好成績を残したが、一軍登板はわずか7試合に留まり、オフの契約更改の際には「クビかと思っていた」ともらすほど正念場に追い込まれた。

爪切りで引退決意
15年には左肩痛に悩まされて2軍でも10試合登板にとどまり同年オフに戦力外通告を受けた。合同トライアウトを受けて三者凡退に抑えたが獲得球団は現れず、今まではヤスリで削っていた左手の人差し指と中指の爪を無意識のうちに爪切りで切った事に気付いて「野球人生が終わった」と引退を決意した。


初記録
初登板 10年4月28日オリックス戦
初勝利 13年4月6日ヤクルト戦
初奪三振 10年4月28日オリックス戦:鈴木 郁洋から
初セーブ
初完投
その他の記録







  投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
10 日本ハム 3 0 0 0 0 0 5.1 12 3 5 1 3 0 0 10 10 16.88
12 日本ハム 1 0 0 0 1 0 0.0 4 1 1 0 0 0 0 5 5 -.--
13 横浜 7 0 0 2 1 0 9.2 15 3 3 1 7 1 1 8 7 6.52
14 横浜 7 0 0 0 1 0 6.2 11 0 3 1 3 0 0 7 4 5.40
球団 2年 14 0 0 2 2 0 16.1 26 3 6 2 10 1 1 15 11 6.06
通算 4年 18 0 0 2 3 0 21.2 42 7 12 3 13 1 1 30 26 10.80


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
10 日本ハム 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
12 日本ハム 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
13 横浜 7 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
14 横浜 7 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
球団 2年 14 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
通算 4年 18 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000


  二軍投球成績
チーム 登板 完投 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四死 三振 失点 自責 防御率
09 日本ハム 17 1 5 7 0 80.2 98 8 30 68 60 56 6.25
10 日本ハム 20 0 7 5 0 105.0 116 10 41 78 47 39 3.34
11 日本ハム 21 0 4 6 0 78.1 76 6 35 50 40 36 4.14
12 日本ハム 18 1 5 5 0 84.0 83 7 36 78 43 35 3.75
13 横浜 13 0 6 4 0 72.2 62 1 20 61 19 12 1.49
14 横浜 20 0 1 1 3 26.2 18 0 17 32 4 4 1.35
15 横浜 10 0 0 1 0 14.0 18 2 9 16 16 15 9.64
通算 7年 119 2 28 29 3 461.1 471 34 188 383 229 197 3.84