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筒香 嘉智



25
名前 つつごう よしとも
生年月日 1991年11月26日
経歴 横浜高校−横浜(09年D1位)
入団年 09年ドラフト1位
在籍年 10年−
背番号 10年[55]11年[8]12年−[25]
投打 右投げ左打ち
守備 内野手
横浜高校への憧れ
98年の夏に小学校1年生だった筒香は父親に連れられて行った甲子園の準決勝で松坂を擁する横浜高校の劇的な逆転サヨナラ勝ちを見て野球に惹かれ、翌年から和歌山ニューメッツで野球を始め、平日は10歳年上の兄に鍛えられ、土日はボーイズリーグという野球漬けの日々を送った。また小学校時代は父親の和年さんが「牛のように食べる」と形容するほどの食欲で一日5食を完食していた。

体操
隅田中では堺ビッグボーイズに所属し、4番として全国大会8強入り。型にはめず、結果も求めすぎないチーム方針もあってノビノビと大きく育った。またピッチャーをやっていた小学校時代の投げ過ぎが影響して肩を痛めるなど故障が多かったが、、兄に連れられて行った整骨院の先生の勧めで体操を始めて、体の動きや体幹も意識できるようになった。

1試合8打点
憧れの横浜高校に入学すると、異例となる1年春から4番で起用され、2年夏の甲子園では準々決勝の聖光学院戦で第3打席に2ラン、第4打席で満塁弾、第5打席で2点タイムリーと打ちまくって史上タイ記録となる1試合8打点を記録、準決勝で大阪桐蔭に敗れたが同大会で3本塁打を含む19打数10安打、14打点という素晴らしい成績を残した。また体のバランスを整えるために右打ちでも練習を行い、一時はスイッチヒッターとして試合に出場もした。

横浜入団
3年の夏には県大会準々決勝の横浜隼人戦で4点差を追いついた9回表に一死二、三塁という場面で筒香に打席が回ってきたがファーストゴロに倒れてしまうと、延長10回裏に自らのエラーからサヨナラ負けで涙を呑んだ。名門横浜高校にあって小倉部長が「歴代No.1」と評価する超大型スラッガーとして69本塁打を記録し、同年のドラフト会議で横浜から1位指名を受けて入団した。

二軍で新人記録
初年度は身体作りが主な仕事になる高卒ルーキーとしては異例の102試合に出場して451打席に立った。湘南の4番サードを任された筒香は疲れも見せずに6月終了時点で打率は2割台中盤で8本塁打という新人離れした成績を残していたが、夏場に入ると成績がさらに上昇し、7月には打率.313、6本塁打、20打点でイースタンの月間MVPを獲得。8月には7本塁打を放って20本に乗せて高卒新人の二軍記録を更新。9月にも5本塁打を放って大学/社会人も含めた二軍の新人記録を上回る26本塁打まで数字を伸ばした。

初安打が本塁打
イースタン・リーグ終了後の10月5日に一軍昇格。同時期にマスコミをにぎわせた球団の身売り報道もあって2万5288人という大観衆で埋まった10月7日のシーズン最終戦で7回裏に久保田の150キロのストレートを豪快にライトスタンドに運んで初安打を本塁打で記録した。高卒ルーキーが初ヒットを本塁打で記録したのは97年の森野(中日)以来13年ぶりで横浜では初めての快挙だった。

19歳で8本塁打
11年はキャンプから期待されていたがオープン戦で30打数3安打に終わって二軍で開幕を迎える事になった。5月下旬に「右手首三角線維軟骨じん帯損傷」で離脱したが8月に復帰すると28日に一軍昇格。同日の中日戦で5番で起用されると早速バックスクリーンにソロを叩き込んだ。その後4試合連続ノーヒットを記録するなど苦しんだが、9月15日の巨人戦で特大ツーランに二塁打2本という固め打ちで初のお立ち台に上がる。その後は徐々に打率も上昇し、持ち味の長打も9月24日〜25日の広島戦で2試合連続本塁打を放つなど40試合で8本塁打を放ったが、10月18日の中日戦で史上14人目の5三振を記録するなど三振率.352を記録した。

::
11年のオフにはアメリカのロサンゼルスに渡って本場のトレーニングを学び、その後のトレーニングの中心となる体に強靭な軸を作り、逆方向を意識したバッティングへの取り組みを始めた。

26歳差ホームラン
12年は春のキャンプで打撃練習中に佐藤から左足に死球を受けて負傷。調整が遅れて開幕は2軍で迎えたが5月3日のヤクルト戦から一軍に復帰すると同日の試合で2安打1四球で勝利に貢献。5月6日の中日戦では初回に46歳の山本昌から先制スリーランを放った。この一発はプロ野球史上最大の26歳3カ月差のホームランとなった。続く第2打席でも山本昌からライトスタンドに2打席連続アーチを放つ上々の出足を切ったかに思えたが、翌日からの13試合で49打数6安打という絶不調になってしまう。5月28日には対オリックス戦の連敗を14で止める特大の先制ツーランを放ったが、その後も状態が上がらず7月30日に登録抹消となった。

規定打席
打率1割台にまで落ち込んだ筒香は高木由2軍打撃コーチとマンツーマンで打撃フォーム修正に取り込んで8月11日に一軍再昇格を果たすと復帰戦でいきなり自身初の4安打を記録。21日の広島戦では2対2の同点で迎えた8回表に前田 健太から勝ち越しソロ、25日の巨人戦では延長10回裏に初のサヨナラヒットという印象的な活躍を見せた。9月も好成績を残して数字を上げたが規定打席到達者の中では最下位の打率.218に留まった。

1本塁打
13年はオープン戦で左足首を捻挫。何とか開幕戦には復帰したが中日との開幕カードで9打数0安打に終わって3試合で登録抹消。6月25日に昇格すると、同日のヤクルト戦で3安打を放ったが好調は続かず、8月2日に登録抹消となりそのまま二軍でシーズンを終えた。同年はわずか23試合出場で1本塁打、二軍でも279打数で7本塁打という入団以来最低の成績に終わった。中畑監督からは秋季キャンプのメンバーからも外されるなど突き放されたが、筒香は二軍監督の大村 巌と話し合って本来目指していた広角に打つバッティングを貫くことを決意し、フィジカル面でもロスでの自主トレや禁酒、食事制限などで身体を絞り込んで肉体改造に取り組んだ。

280日ぶりの本塁打
14年はオープン戦で打率.360(50打数18安打)、出塁率.492という好成績を残して開幕5番を勝ち取ったが、打率1割台と苦しみ4月8日の阪神戦では藤浪に3三振を喫してしまう。悔しさから自室で深夜0時を回るまで素振りを続けた筒香は翌日からスタメン落ちとなったが、2試合の欠場を挟んで4月11日のヤクルト戦で途中出場で2安打を放つと、翌日のヤクルト戦で1対2で迎えた6回裏に280日ぶりの本塁打となる逆転ツーランをライトポール際に叩き込んで雄叫びを上げた。この一発で輝きを取り戻した筒香は4月20日の広島戦で前田 健太からの先制ソロを含む2本塁打を放つなど13試合連続ヒットを記録してチームを引っ張った。

覚醒
5月は左股関節痛に苦しみ、6月18日には右太ももの故障で登録抹消となったが、復帰戦となった6月28日の広島戦でホームランを含む2安打を放つと、4番を任された7月にはオールスター直前の広島3連戦で5本塁打を放って中畑監督から「覚醒し始めている」と絶賛された。惜しくも月間MVPは逃したが共ににリーグトップの月間8本塁打、24打点の荒稼ぎで本塁打と打点で日本人トップに躍り出た。

梶谷と交錯
8月に入っても9日のヤクルト戦で逆転タイムリーとソロを放って、0勝7敗だった夏のイベント「スターナイト」の初勝利に貢献するなど勝負強い打撃を見せていたが、8月13日の中日戦で同年からコンバートされたレフトの守備で大島の飛球を追ってセンターの梶谷と激しく交錯して後頭部を強打。ナゴヤドームの天井に設置されたカメラからの映像には大の字に倒れ込み、顔面蒼白で見開いた目は瞬きすらしない最悪の可能性すら頭をよぎるような姿が映された。ナゴヤドームのグラウンド内から救急車で病院へ搬送された筒香は病院に着くまでの記憶がない状態だったが、翌日には歩行が出来るまでに回復し、その翌日には退院して帰浜、三浦のブログにハマスタでピースサインを見せる筒香の写真が載ってファンを安心させた。

得点圏
脳震盪の影響で目まいなどの症状がなかなか回復せず約一ヶ月間の離脱となったが、9月6日の広島戦で復帰すると9月25日の阪神戦から3試合連続の猛打賞を記録するなど打率が急上昇、規定打席ギリギリながら打率を3割に乗せた。また得点圏打率は両リーグトップの.416を記録するなど勝負強い打撃でチームを引っ張った。同年には日本代表として日米野球にも出場するなど飛躍の一年となった。

4番主将
23歳の若さで中畑監督から4番で主将という重責を任された15年は巨人との開幕戦で菅野からソロを放つと、続く第2戦では東京ドームの看板直撃弾を含む4安打、4月24日の中日戦では自身初の満塁ホームラン、5月に入っても20日のヤクルト戦からの3試合で4本塁打を記録し、23日の阪神戦でも3安打と開幕から打ちまくって三冠全てでトップに立ち首位をひた走るチームを牽引した。だが交流戦前の最後のゲームとなった24日の阪神戦で太ももを痛めてしまうと、抹消せずに指名打者や代打で強行出場を続けたが、本来の力強いバッティングは見せれず6月は月間1本塁打に留まり、チームも12連敗という泥沼にはまってしまった。

球宴最多得票
7月に入ると1日の中日戦で4安打を放つなど状態を上げて球宴前の折り返しとなった巨人3連戦では初戦、第2戦と猛打賞を記録すると、第3戦では全5打席で出塁し7回表の守備では右肘に死球を受けて血が溜まった状態で代走鈴木をバックホームで刺すなど巨人3タテでの首位ターンに大きく貢献した。7月には全試合で出塁するなど6月下旬から球団記録にあと1と迫る36試合連続出塁を記録、球団史上初のリーグ最多投票で出場したオールスターゲームではホームラン・ダービーで計15本塁打を放って圧勝するなど球界を代表する選手となった。

日本の4番
8月13日の巨人戦では菅野から9回表に逆転ツーランを放ってチームの連敗を4で止めると、8月28日の広島戦では6連敗で止める満塁ホームランと首位から最下位へと転げ落ちていくチームにあって孤軍奮闘の活躍を続け、打率.317(3位)、24本塁打(4位)、93打点(3位)という素晴らしい成績を残して初めてのベストナインに選出された。シーズン終了後に行われたプレミア12では故障の中村剛に代わって日本代表の4番を任されるなど26打数10安打を記録し、オフシーズンにもイベント出演などは断り、ドミニカ共和国で行われたウインターリーグに参加と野球漬けの1年間を送った。

サヨナラホームラン
ドミニカでわずかに動くストレート系のボールに苦戦したため右足をほとんど動かさないノーステップ打法で臨んだ16年は開幕直後の巨人戦で菅野が投じた内角ボール気味に食い込んでくるカットボールをライトポール際に叩き込んで各解説者から絶賛された。翌日の阪神戦でも完封目前の能見から9回裏に同点ソロを放つなど申し分のないスタートを切ると、4月28日の中日戦で空振りした際に左わき腹を痛めて登録抹消となったが、復帰戦となった5月10日の中日戦では2本塁打を放つなど本塁打を量産。6月4日のロッテ戦では4回裏にスリーラン、延長10回裏には自身初のサヨナラホームランを放って手洗い祝福を受けた。

月間
7月には3日の広島戦で2本塁打、7日のヤクルト戦で逆転スリーラン、12日の中日戦で鳩サブレーの看板直撃弾とライトスタンド後方の噴水を直撃する場外弾、オールスターの2試合連続アーチを挟んで、19日のヤクルト戦で2本塁打、翌日にも2本塁打、さらに続く巨人戦では先制タイムリー、ツーベース、ソロを放って好投の菅野を一人で打ち砕くと、迎えた12回裏にサヨナラホームランを放って史上初の3試合連続複数本塁打を達成、29日の広島戦でも2本のスリーランを放って史上初の月間6度の複数本塁打を記録、史上2位の月間16本塁打(球宴を含めると18本)、球団タイ記録となる31打点、月間打率は.427で出塁率.529で長打率1.095という破格の数字を残した。

2冠王
8月には内角攻めと極端な筒香シフトに苦しんだが13日の広島戦でサヨナラヒット、20日の中日戦で先制ツーランを放ってチームを引っ張ると、9月には3日の阪神戦で右足甲に自打球が直撃して足を引きずるような状態になりながら「病院には行かない。折れていたら試合に出られないから」という決死の覚悟で強行出場を続けて、初のCS進出に向けて緊張感が高まり始めていたチームに戦う気持ちを植え付けた。23日の巨人戦で満塁ホームランを含む2本塁打を放って2冠王を決定づけると、CSでは巨人とのファーストステージ初戦で6回表に逆転ツーランを放って雄たけびを上げたが、広島とのファイナルシリーズではわずか1安打、後がなくなった第4戦では7対8で迎えた9回表に二死一塁で打席に入ったが空振り三振に倒れて最後のバッターになってしまった。





初記録
初出場 10年10月5日巨人戦
初安打 10年10月7日阪神戦:久保田から
初本塁打 10年10月7日阪神戦:久保田から
初打点 10年10月7日阪神戦:久保田から
初盗塁 11年10月13日阪神戦:重盗で
その他の記録
月間MVP 15年5月、16年7月
オールスターMVP 16年1戦





10 11 12 13 14 15 16
本塁打王 1回
打点王 1回
ベストナイン 2回
オールスター 2回


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
10 横浜 3 7 1 1 0 0 1 4 1 0 0 0 0 2 1 1 0 0 .143
11 横浜 40 145 16 35 10 0 8 69 22 1 0 0 1 13 1 51 4 4 .241
12 横浜 108 386 31 84 16 3 10 136 45 1 2 2 5 51 2 102 4 7 .218
13 横浜 23 51 5 11 1 0 1 15 3 0 0 0 0 3 2 13 2 1 .216
14 横浜 114 410 58 123 24 2 22 217 77 2 1 0 2 47 2 100 7 7 .300
15 横浜 138 496 79 157 28 1 24 259 93 0 0 0 2 68 2 98 5 0 .317
16 横浜 133 469 89 151 28 4 44 319 110 0 1 0 2 87 3 105 6 2 .322
通算 7年 559 1964 279 562 107 10 110 1019 351 4 4 2 12 271 13 470 28 21 .286


  プレーオフ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
16 横浜 7 27 1 4 0 0 1 7 2 0 0 0 0 3 0 8 1 0 .148
通算 1年 7 27 1 4 0 0 1 7 2 0 0 0 0 3 0 8 1 0 .148


  オールスター打撃成績
回数 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
通算 2回 4 11 4 6 3 0 2 15 4 0 0 0 1 0 0 2 1 0 .545


  二軍打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死 三振 併殺 失策 打率
10 湘南 102 418 70 121 11 0 26 210 88 2 0 4 29 102 8 24 .289
11 横浜 57 219 31 49 7 1 14 100 35 1 0 1 25 80 2 4 .224
12 横浜 22 67 11 16 3 0 1 22 7 0 0 1 13 19 0 1 .239
13 横浜 77 279 33 76 14 1 7 113 45 1 0 4 36 53 3 13 .272
14 横浜 3 10 2 5 2 0 1 10 4 0 0 1 1 1 0 0 .500
16 横浜 2 3 1 1 0 0 1 4 1 0 0 0 3 0 0 0 .333
通算 6年 263 996 148 278 37 2 50 459 180 4 0 11 107 255 13 42 .279







 
安打
本塁打
打点
盗塁
犠打
打率
試合
三振
併殺
勝利
奪三振
セーブ
登板
敗戦
被本塁打
SeasonRecord
安打
本塁打
打点
盗塁
打率
盗塁死

三振

併殺
勝利
奪三振
セーブ
登板
敗戦
被本塁打
et cetera

安打
二塁打
三塁打
本塁打
打点
盗塁
三振
併殺
盗塁死
勝利
セーブ
奪三振
完投
完封
敗戦
被安打
被本塁打
Average Record
打率
防御率
奪三振率
三振率
被本塁打率
安打
本塁打
打点
盗塁
打率
三振
勝利
奪三振
セーブ
SeasonRecord
安打
本塁打
打点
盗塁
打率
三振
勝利
奪三振
セーブ
日米通算 球団在籍選手
打者あ
打者か
打者さ
打者た
打者な
打者は
打者まや
打者らわ
投手あ
投手か
投手さ
投手た
投手な
投手は
投手まや
投手らわ
et cetera
大洋ホエールズ
横浜大洋ホエールズ
横浜ベイスターズ
全選手一覧
監督
その他

打者タイトル
投手タイトル
MVP
新人王
沢村賞
カムバック

et cetera
ベストナイン
ゴールデングラブ
サイクルヒット
ノーヒットノーラン
日本記録
球団記録
ALL
50S
60S
70S
80S
90S
00S
Team Record
巨人
阪神
中日
広島
ヤクルト
松竹&
西日本

ALL
勝利
敗戦
打率
本塁打
三振


65年
66年1次
66年2次
67年
68年