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渡辺 直人



名前 わたなべ なおと
生年月日 1980年10月15日
経歴 牛久高−城西大−三菱ふそう川崎−楽天(06年大社D5巡)−横浜−西武−楽天
入団年 11年に楽天から移籍
在籍年 11年−13年
背番号 11年−13年[2]
投打 右投げ右打ち
守備 内野手
スポニチ大会で活躍
小学3年の時に少年野球チーム「ジュニアエイト」で野球を始め、牛久高では主将として部員12人のチームを引っ張った。城西大では4年春に打率.425を記録して首都大学リーグのベストナイン。03年に三菱ふそう川崎に入社すると、04年のスポニチ大会で大会記録となる打率.769という凄まじい活躍を見せて首位打者と敢闘賞を受賞してドラフト候補になった。だが会社の不祥事で野球部が3月間の休部となってチャンスを逃してしまった。

楽天入団
05年に都市対抗野球で優勝を果たすと、翌06年には日本代表としてインターコンチ杯に出場し、同大会で打率.357を記録してベストナインに選出された。同年のドラフト会議で東北楽天から5巡目指名を受けて入団。ルーキーイヤーの07年は二軍スタートとなったが、4月17日に一軍登録を果たすと打率.268、25盗塁(失敗5)という好成績を残してショートのレギュラーを掴んだ。

2年連続79得点
08年は打率は.251に留まったが、リーグ4位の76四死球を選んで出塁率.354を記録。34盗塁はリーグ2位で79得点もリーグ7位タイと1番打者として存在感を見せた。翌09年には打率.276、出塁率.360と数字を伸ばし、2年連続の79得点、守ってもわずか6失策という安定感を見せて楽天の2位躍進に大きく貢献した。

サヨナラ
10年は3月28日の西武戦で1対1で迎えた延長10回裏の一死一、三塁という場面で打席に入って、一二塁間にゴロを放ってサヨナラ勝ちを決めた。その後は不調でスタメンを外れたが、4月30日のオリックス戦で延長11回裏に一死満塁という場面で代打で起用されてライト前にサヨナラヒットを放った。その後は夏場から調子を上げて打率.265、出塁率.353を記録した。

トレードに涙
10年のオフに球団が岩村、松井稼という二人のメジャーリーガーを獲得し、内野のポジション争いが激化。しかもポスティングシステムで大リーグ移籍を希望していた岩隈が年俸でもめて一転残留となり、入札金が楽天に入らなくなり補強費が不足する事態となった。これにより既に契約更改を済ませていた渡辺直は金銭トレードという異例の形で横浜に移籍する事となった。渡辺は会見で涙を流し、翌日には契約更改に望んだ鉄平、草野、嶋が渡辺のトレードの件にふれて涙を流すなど、精神的支柱の移籍はチームに大きな波紋を呼んだ。

オールスター
移籍後はセカンドに転向したがそつなくこなし、打撃でも6月3日のロッテ戦で1対1の同点で迎えた8回裏に成瀬から勝ち越しタイムリーを放ってお立ち台に上がるなど勝負強い打撃を見せた。初選出を果たしたオールスターゲームでは同年に発生した東日本大震災からの復興を願ってかつての地元仙台で開催された第3戦でスタメン出場してダルビッシュからセンター前ヒットを放つなど2安打を記録して敢闘選手賞に選出された。同年には統一球導入の影響などで多くの選手が成績を落とす中、渡辺は打率.266、出塁率..342という安定した成績を残した。

故障
12年は開幕直後に腰痛で登録抹消となってしまう。4月20日に復帰したが5月6日の中日戦で6回表に守備で左肩を強打。検査の結果「左肩脱臼」と診断されて再び抹消となってしまった。7月に復帰すると月間打率.340という好成績を残してチームを引っ張ったが、7月31日の広島戦で死球を受けた上に自打球が左ふくらはぎを直撃した事が影響したのか8月は打撃不振に苦しんで大幅に成績を落としてしまう。同年にはわずか213打席で34四死球を記録した事もあって出塁率は.351という成績を残したが打率は.224に留まった。

西武移籍
13年は二軍暮らしが続いて7月7日に長田とのトレードで西武に移籍する事が決定した。あいさつに訪れた横浜スタジアムでは中畑監督に「森本、後藤、小池をよろしくお願いします」と二軍で奮闘している同世代の昇格を売り込んだ。7月12日に古巣仙台で行われた楽天戦で3対3の同点で迎えた延長10回表に代打で移籍後初出場。勝ち越し点に繋がるツーベースヒットを放って1点を争う試合にもかかわらず古巣のファンから大きな歓声を受けた。試合後にはお立ち台にも上がり「ツーベースであんなにガッツポーズするのも初めてだったと思う。野球の神様が見ていてくれたと思うぐらいの、今までで一番嬉しいヒットだった」

3年ぶりにレギュラー掴む
14年には4月24日の楽天戦で3打数3安打2四球を記録すると、翌日にも3安打を放つなど開幕から好調をキープ。田辺監督代行に2番を任された6月には8日のヤクルト戦で自身初の5安打、14日の阪神戦で3安打、17日の中日戦で4安打と打ちまくって月間MVP候補にも名前が上がった(月間打率.377)。7月8日のロッテ戦では1点を追う延長12回裏に同点に追いつきなおも一死二塁という場面で打席に入って、ロサが投じた高めのストレートを左中間へ弾き返してサヨナラ勝利、キャプテンの栗山が「直人さんが2番に入ってチームが上向いた」と語るほどチームに欠かせない存在となった。

スーパーサブとして活躍
15年は主に途中出場ながら83試合で打率.272を記録、6月4日の中日戦では3安打、8月20日の楽天戦で3安打、9月21日のオリックス戦では4安打と数少ないスタメンのチャンスでは固め打ちを見せた。16年は4月23日の楽天戦で4安打を放つなど開幕から4割近い打率を残していたが4月30日に左太もも裏を痛めて登録抹消、6月下旬に復帰すると7月1日からの楽天3連戦で9打数4安打、続くロッテ3連戦では10打数5安打を記録して打率.414まで数字をあげて見せた。その後は徐々に数字を落としたが70試合の出場で打率.309という好成績を残した。

戦力外
17年は同年の初出場となった4月12日の楽天戦で第1打席にライト前ヒットを放つと、第2打席にはファウルで粘ってからの9球目を右中間へはじき返して則本攻略のきっかけを作るなど古巣戦で3安打を放って存在感を見せた。だがルーキー源田が目覚ましい活躍を見せたため左投手が先発時に指名打者での出場という限られてしまう。難しい役割の中で前半戦は3割近い成績を残していたが後半戦は大きく数字を落とし同年オフに戦力外通告を受けた。

楽天復帰
37歳という年齢と「やりきった」との思いから一時は引退も視野に入れたが、その後にトレードのきっかけともなった松井稼頭央が楽天から西武に復帰する事となり、松井と入れ替わるように渡辺直人の楽天復帰が決定した。渡辺は入団会見で目を赤くしながら「帰ってきて心の底からうれしい」、「ただいまです」と古巣復帰を喜んだ。

仙台1号
18年は仙台での復帰戦となった4月4日の日本ハム戦では9回裏に代打でライト前ヒットを放って大歓声を浴びた。8日のソフトバンク戦でサファテからタイムリー、移籍後初スタメンとなった13日の古巣西武戦でエース菊池から先制タイムリーツーベースと活躍したが、そこから18打数連続ノーヒットと苦しんだ。5月24日のオリックス戦で久々のヒットとなる2点タイムリースリーベースを放つと、そこから3試合連続ヒットを記録、途中出場となった6月29日の西武戦で2点タイムリーを含む2安打、スタメン起用となった7月20日の西武戦では満塁走者一掃のスリーベースに2四球、8月24日の日本ハム戦で7年ぶりの本塁打、10月1日のオリックス戦ではプロ入り初の仙台でのホームランを放った。同年は打率.208ながら持ち味の出塁率は.303とまずまずの数字を残した。

故障
19年は春季キャンプ後に行われた台湾遠征で右足首を脱臼、開幕1軍には間に合わせたが右足首痛は癒えず5月9日のソフトバンク戦で同年唯一のヒットとなるホームランを放ったが、6月21日の横浜戦で再び脱臼して抹消、手術を受けたが同年の復帰はならなかった。

引退
20年はコーチ兼任となったが、実際には1軍2軍を通して出場機会は与えられなかったため9月12日に現役引退を発表した。古巣の一つでもある11月6日の西武戦が引退試合となり、本人の希望で1番DHで出場、第2打席でレフト線へのツーベースで出塁すると次打者のヒットでヘッドスライディングでのホームインを見せた。第4打席でセンター前を放つと、9回表にはDHを解除して涙を流しながらショートの定位置へ向かい、栗山のショートゴロで併殺を完成させて有終を飾った。なお同日には小深田が渡辺が持っていた楽天のルーキーヒット記録を塗り替えた。一時代を築いた松坂世代の最後の野手。


初記録
初出場 07年4月17日ソフトバンク戦
初安打 07年4月18日ソフトバンク戦:杉内から
初本塁打 07年7月24日西武戦
初打点 07年5月11日オリックス戦
初盗塁 07年4月28日日本ハム戦


07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20
オールスター 1回


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
07 楽天 119 410 60 110 17 1 2 135 26 25 5 16 2 32 12 43 6 13 .268
08 楽天 132 470 79 118 11 2 0 133 30 34 6 19 2 54 22 66 6 16 .251
09 楽天 125 463 79 128 24 2 1 159 28 26 7 19 3 55 7 69 13 6 .276
10 楽天 115 355 43 94 14 1 0 110 26 12 3 20 1 39 10 43 8 8 .265
11 横浜 126 403 33 107 16 2 1 130 24 7 5 19 0 36 11 73 13 10 .266
12 横浜 70 174 19 39 4 0 0 43 10 2 4 5 0 24 10 27 1 7 .224
13 横浜 14 14 3 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 1 0 5 1 2 .143
13 西武 56 139 9 28 3 1 0 33 4 3 2 23 1 9 5 19 6 2 .201
14 西武 104 350 35 91 17 1 0 110 26 4 0 35 1 32 11 46 9 4 .260
15 西武 83 158 20 43 7 1 0 52 23 1 0 10 1 14 5 26 2 5 .272
16 西武 70 181 18 56 3 2 0 63 16 1 0 11 2 10 3 20 5 2 .309
17 西武 32 68 3 16 7 0 0 23 3 0 0 4 0 7 0 14 2 0 .235
18 楽天 69 96 12 20 3 3 2 35 12 0 0 2 0 11 2 19 1 1 .208
19 楽天 19 16 1 1 0 0 1 4 1 0 0 1 0 1 1 7 0 0 .063
20 楽天 1 4 1 2 1 0 0 3 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .500
球団 3年 210 591 55 148 20 2 1 175 34 9 9 24 0 61 21 105 15 19 .250
通算 15年 1135 3301 415 855 127 16 7 1035 229 115 32 184 13 325 99 478 73 74 .259


  プレーオフ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
09 楽天 6 26 3 7 0 0 1 10 3 0 0 2 0 0 0 1 0 0 .269
13 西武 1 2 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .500
通算 2年 7 28 3 8 0 0 1 11 3 0 0 2 0 0 0 1 0 0 .286


  オールスター打撃成績
回数 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
通算 1回 3 6 0 3 0 0 0 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .500


  二軍打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死 三振 併殺 失策 打率
07 楽天 11 45 8 13 4 0 1 20 3 4 3 0 5 9 0 ? .289
09 楽天 3 7 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 3 0 ? .143
10 楽天 3 5 2 1 0 0 0 1 0 0 0 0 2 1 0 ? .200
11 横浜 2 6 0 1 0 0 0 1 2 0 0 0 0 1 0 0 .167
12 横浜 28 94 14 30 8 0 0 38 4 2 2 0 11 16 2 6 .319
13 横浜 37 77 16 12 5 0 0 17 5 1 0 1 15 10 3 0 .156
14 西武 17 45 5 9 1 0 0 10 5 2 2 1 8 6 1 0 .200
16 西武 23 48 4 13 0 0 0 13 2 0 1 0 7 5 1 0 .271
17 西武 26 67 3 10 1 1 0 13 2 2 0 1 7 7 1 1 .149
18 楽天 3 9 0 2 1 0 0 3 0 0 0 0 0 0 1 0 .222
通算 10年 153 403 52 92 20 1 1 117 23 11 8 3 55 58 9 ? .228