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山本 省吾



15
名前 やまもと しょうご
生年月日 1978年5月28日
経歴 星稜高−慶応−近鉄(00年D1位)−オリックス−横浜−福岡
入団年 11年にオリックスから移籍
在籍年 11年−12年
背番号 11年−12年[15]
投打 左投げ左打ち
守備 投手
小中で優勝
小学校時代には少年野球の「大徳クラブ」に所属して5年と6年時に全国大会に出場し、6年時には日本一に輝いている。星稜中でも1年時に少年野球の全日本大会に出場すると、2年時には全中大会の全国大会に出場。そして3年時には全中大会でチームを優勝に導いている。

1年生で県大会決勝
星稜高校では1年夏に勝てば甲子園進出となる県大会決勝の金沢戦で先発を任されると、「考えられないほどの重圧を感じた」という山本だったが投げては1失点完投、打っては3安打3打点という大活躍でチームを甲子園進出に導いた。その後に多くの大舞台でマウンドに上がる事になる山本だが「あの時に結果を出せたんだから大丈夫」と思えるほど確固たる自信を掴んだ試合になった。甲子園でもマウンドを上がって2.1回を無安打、無四球に抑え、同年の秋からエースとなった。

高校で準優勝
2年春にはセンバツに選出されて初戦の三重戦で6安打完封勝利を記録するなど3試合全てで完投してベスト8に進出貢献、2年夏にも甲子園に進出すると2回戦の県岐阜商で完封勝利、3回戦の関西高戦で11奪三振を記録するなど活躍、準々決勝の金足農業戦戦でも151球の粘投で3失点完投に抑えると、中0日で迎えた準決勝の智弁学園戦では1失点完投でチームを石川県勢としては初となる決勝まで導いたが、9回裏の投球時に左脚内転筋の肉離れという重傷を負ってしまう。全治2ヶ月でまともに投げることは出来ない状況だったが「他の投手にマウンドを渡したくない」という山本は帝京との決勝戦でもマウンドに上がると、ステップを小さくした苦肉のフォームで何とか試合を作って完投を記録したが1対3で敗れて全国制覇はならなかった。

7年連続でストップ
3年夏は県大会の準決勝で敗退となり小学校5年から続いていた全国大会出場が7年連続でストップしてしまった。「もう負けたくなかった」という山本は甲子園を一切見ずに受験勉強に没頭して慶応大学に進学した。

大学で優勝
慶応では1年春に優勝がかかった早慶戦で先発したが2回を持たずにKOされた。チームが逆転して負けは付かなかったが、大舞台で打ち込まれた悔しさが大学野球のスタートという山本はその後の早慶戦では4年春に13奪三振を奪って4安打完封を記録するなど素晴らしいピッチングを続けて6勝0敗を記録している。4年の秋に東京六大学リーグで優勝し、神宮大会でもチームを日本一に輝いた。通算21勝14敗、307奪三振、防御率2.23。00年のドラフト会議で近鉄を逆指名して入団した。

オリックスへ
ルーキーイヤーは7試合に登板して防御率17.47と結果が残せなかったが、翌02年には56試合に登板して防御率2.52という好成績を残した。04年に近鉄が吸収合併されたため、分配ドラフトでオリックス・バファローズに移籍した。移籍初年度は22試合に登板して防御率6.04に終わったが、翌06年は35試合に登板して防御率3.99と活躍して9月23日のソフトバンク戦で初セーブも記録している。

コツ掴む
07年は春に「劇的に変わった」というピッチングのコツを掴み、自信を持って開幕を迎えたが屈辱の二軍スタートになってしまうと、二軍で好投を続けたが一軍からお呼びがかからず「正直もうだめかなと思った」という。だが7月下旬に一軍昇格を果たすと19試合に登板して防御率1.63という好成績を残した。また9月17日のロッテ戦では4対4で迎えた延長12回裏に北川の代走として起用され、木元のタイムリーでサヨナラのホームを踏んだ。

転機
08年4月1日の西武戦でオリックス先発の光原が初回に先頭の片岡に死球をぶつけてしまうと、これで動揺したのか光原は3安打2四球と崩れて一死も取れずに降板してしまう。ここで急遽マウンドに上がった山本は無死二、三塁からボカチカの犠飛で1点は失ったが、細川、松坂は連続三振に切ってとって最小失点で切り抜ける。山本はそこから5回表までのロングリリーフを2安打、無四球、無失点に抑えて試合を作る。すると打線が5回裏に濱中の満塁弾で逆転して、山本に同年の初勝利が記録された。

先発転向
先発の駒不足もあって1週間後の4月8日ソフトバンク戦で先発を任されると、4.2回を7安打、無四球で3失点というまずまずのピッチングで勝利に貢献。続く4月15日のソフトバンク戦でも6回を7安打、無四球で2失点に抑えて試合を作る。そして迎えた4月23日の日本ハム戦では初回から内野ゴロの山を築いて、5安打、無四球で初完封勝利を達成。併殺2個を含む内野ゴロ19で奪三振1というらしい内容だった。

オールスター
5月6日のロッテ戦、5月16日のロッテ戦と白星を重ねて負けなしの4連勝。7月19日の日本ハム戦では田中の本塁打で完封こそ逃したが8.0回を2失点に抑えて前半戦を7勝2敗で終えた。オールスターゲームにも近鉄に入団した際の監督でもある日本ハムの梨田監督の監督推薦で初選出され、第1戦で2イニングをパーフェクトに抑えてベストピッチャー賞を受賞した。後半戦は多少失速したが、8月10日のロッテ戦では4安打で無四球完封を記録するなど10勝6敗で防御率3.38という素晴らしい成績を残した。

バックネットくん
09年6月16日にハマスタで行われた横浜戦では、雨が降りしきる中で3回まで5奪三振でパーフェクトという立ち上がりを見せる。4回裏に吉村のツーベースから一死三塁というピンチを招くと、二死一、三塁から暴投を投げてしまったが、バックネットに跳ね返ったボールがホームベースに戻ってきて三走の吉村がアウトになりピンチを切り抜けた。その後に試合は降雨コールドとなり、白星をあげた山本はブログで「バックネット good job」と好守を称え、翌年に移籍が決定した際にも「横浜スタジアムには心強い味方がいる。バックネットくん」と記している。

二桁勝利ならず
09年は9月1日のソフトバンク戦で7回を1失点に抑えて9勝3敗と白星が大きく先行し、一ヶ月間を残して2年連続の二桁勝利にリーチをかけた。だがそこから連敗を重ねると、最終登板となった10月5日の楽天戦では7回まで3失点に抑えると、7回裏に北川、ローズのタイムリーで3対3の同点に追いついたが、その直後の8回表にセギノールにスリーランを浴びて9勝7敗でシーズンを終えてしまった。

横浜移籍
10年は開幕から打ち込まれる試合が続き、5月4日のソフトバンク戦で初回に松田のグランドスラムなどで5点を失うと翌日に二軍降格となった。だが山本は交流戦で復帰すると5月23日の巨人戦で6.1回を1失点、5月30日のヤクルト戦で6.1回を無失点、6月5日の阪神戦で6回3失点、6月12日の横浜戦で6回1失点と好投を続けて4連勝。チームの交流戦優勝に大きく貢献した。だが7月上旬から自身5連敗を喫するなど、シーズンを通した活躍はできず、8勝10敗で防御率5.47という今一つの成績に終わり、同年のオフに横浜にトレードで移籍した。

開幕投手
移籍初年度となった11年には三浦や大家が不調だったこともあって開幕投手に抜擢された。山本は3回まで中日打線をパーフェクトに抑える好投を見せたが、4回表に無死からの3連打で無死満塁というピンチを背負うと、和田の犠牲フライを挟んで、ブランコにレフトスタンドに逆転スリーランを運ばれて5.0回4失点でKOされてしまった。続くヤクルト戦でも打ち込まれてしまったが、4月24日の阪神戦では7.0回を4安打、2四球で1失点に抑える素晴らしいピッチングを見せて移籍後初勝利を記録した。

交流戦で失速
4月30日の巨人戦では4失点を喫したが、続く5月6日の阪神戦では6回まで無安打、2四球というノーヒットピッチングを続けて、7回表にマートンの内野安打で初めてのヒットを許したが8イニングを3安打、2四球で1失点に抑えるなど好不調の波が激しいながらもまずまずの投球を見せた。だが交流戦に入ると西武戦で5失点、日本ハム戦で5失点、古巣のオリックス戦で4失点、楽天戦で5失点と連敗を重ねて、6月14日にはトレード相手の寺原と投げ合って、寺原が8回を5安打、無四球で無失点に抑えて6勝目を上げたのに対して、山本は6回途中5失点で6連敗で8敗目という厳しい結果になってしまった。

25年ぶりのチーム60試合目で10敗
交流戦明けの6月25日のヤクルト戦でも4回途中4失点と打ち込まれて9敗目。7月1日の阪神戦でも4回4失点で敗戦投手となって86年のヤクルト荒木、南海山内以来25年ぶりとなるチーム60試合目での10敗を記録。登録抹消となったが、間を置かずに昇格となって7月16日の阪神戦で先発したが2回途中4失点と打ち込まれて登板試合8試合連続4失点以上、9試合で9連敗という悲劇的な結果に終わってしまった。何度か再調整のチャンスもあったが尾花監督が強行に先発で起用し続けたこともあって立ち直るきっかけを掴めなかった。

ソフトバンク移籍
12年にはオープン戦で5試合に登板して防御率1.50という好成績を残して開幕ローテに食い込んだ。初登板となった4月5日の中日戦では6回表に森野に先制ツーランを運ばれて敗戦投手となったが、続く11日のヤクルト戦では5イニングを無失点に抑えて降雨コールドながら3年ぶりの完封勝利を達成してチームの連敗を6、自身の連敗を10で止めた。だがその後は打ち込まれる試合が続いて登録抹消。7月1日の広島戦で一軍復帰を果たすと6回を2安打、1四球に抑えたが右太ももの痙攣で惜しくも勝利投手を逃してしまう。結局同年はわずか6試合しかチャンスを貰えず、11月5日に山本、吉村、江尻と共に3対3の大型トレードでソフトバンクに移籍した。

引退
ソフトバンクではわずか2試合登板に終わって戦力外通告を受けた。トライアウトを受けたが獲得球団はなく同年限りで現役引退。ソフトバンクのスカウトに転身した。





初記録
初登板 01年5月28日日本ハム戦
初勝利 02年5月4日オリックス戦
初奪三振 01年5月29日日本ハム戦:片岡から
初セーブ 06年9月23日ソフトバンク戦
初完投 08年4月23日日本ハム戦


01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13
オールスター 1回


  投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
01 近鉄 7 0 0 0 0 0 5.2 12 4 3 1 8 0 0 11 11 17.47
02 近鉄 56 0 0 4 1 0 39.1 36 2 11 1 34 1 1 11 11 2.52
03 近鉄 25 0 0 0 1 0 41.0 55 7 10 0 28 0 0 25 25 5.49
04 近鉄 14 0 0 3 1 0 35.2 39 5 13 1 27 0 1 11 11 2.78
05 オリックス 22 0 0 2 0 0 28.1 39 5 9 0 21 1 0 19 19 6.04
06 オリックス 35 0 0 0 0 2 29.1 36 4 9 1 18 1 0 13 13 3.99
07 オリックス 19 0 0 1 1 0 27.2 27 0 6 1 20 2 1 6 5 1.63
08 オリックス 30 2 2 10 6 0 154.2 166 11 30 8 90 1 1 60 58 3.38
09 オリックス 27 3 1 9 7 0 159.2 176 18 47 4 110 1 0 84 75 4.23
10 オリックス 23 0 0 8 10 0 107.0 143 19 20 8 79 3 0 71 65 5.47
11 横浜 21 0 0 2 11 0 79.0 99 10 25 4 50 0 2 57 52 5.92
12 横浜 6 1 1 1 4 0 34.1 36 5 15 1 15 0 0 18 17 4.46
13 ソフトバンク 2 0 0 0 0 0 1.2 3 2 2 0 1 0 0 2 2 10.80
球団 2年 27 1 1 3 15 0 113.1 135 15 40 5 65 0 2 75 69 5.48
通算 13年 287 6 4 40 42 2 743.1 867 92 200 30 501 10 6 388 364 4.41


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
01 近鉄 7 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
02 近鉄 56 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
03 近鉄 25 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .000
04 近鉄 14 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .000
05 オリックス 22 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
06 オリックス 35 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
07 オリックス 20 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
08 オリックス 30 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 0 .000
09 オリックス 27 5 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .200
10 オリックス 23 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 0 .000
11 横浜 21 16 0 2 0 0 0 2 0 0 0 2 0 1 0 7 0 0 .125
12 横浜 6 7 0 0 0 0 0 0 0 0 0 4 0 0 0 2 0 2 .000
13 ソフトバンク 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
球団 2年 27 23 0 2 0 0 0 2 0 0 0 6 0 1 0 9 0 2 .087
通算 13年 288 37 1 3 0 0 0 3 0 0 0 6 0 1 0 15 0 4 081


  オールスター投球成績
回数 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
通算 1回 1 0 0 0 0 0 2.0 0 0 0 0 2 0 0 0 0 0.00


  二軍投球成績
チーム 登板 完投 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四死 三振 失点 自責 防御率
01 近鉄 17 0 3 2 0 38.2 37 2 17 25 16 14 3.26
02 近鉄 2 0 0 0 0 3.0 5 0 1 4 4 1 3.00
03 近鉄 16 0 2 2 1 36.0 40 4 5 37 13 11 2.75
04 近鉄 10 3 4 2 0 56.2 47 5 11 43 17 13 2.06
05 オリックス 17 0 2 2 0 43.1 39 3 14 32 17 15 3.12
06 オリックス 13 1 0 1 2 22.2 24 1 2 9 4 3 1.19
07 オリックス 21 0 1 1 1 17.1 10 0 5 18 3 0 0.00
09 オリックス 1 0 1 0 0 8.0 4 0 3 5 0 0 0.00
10 オリックス 3 1 1 1 0 22.0 26 2 5 11 9 6 2.45
11 横浜 13 0 4 1 0 28.0 28 2 5 17 10 10 3.21
12 横浜 11 0 6 3 0 64.0 57 3 14 40 18 16 2.25
13 ソフトバンク 7 0 0 0 0 10.2 10 0 0 4 1 0 0.00
通算 12年 131 5 24 15 4 350.1 327 22 82 245 112 89 2.29







 
安打
本塁打
打点
盗塁
犠打
打率
試合
三振
併殺
勝利
奪三振
セーブ
登板
敗戦
被本塁打
SeasonRecord
安打
本塁打
打点
盗塁
打率
盗塁死

三振

併殺
勝利
奪三振
セーブ
登板
敗戦
被本塁打
et cetera

安打
二塁打
三塁打
本塁打
打点
盗塁
三振
併殺
盗塁死
勝利
セーブ
奪三振
完投
完封
敗戦
被安打
被本塁打
Average Record
打率
防御率
奪三振率
三振率
被本塁打率
安打
本塁打
打点
盗塁
打率
三振
勝利
奪三振
セーブ
SeasonRecord
安打
本塁打
打点
盗塁
打率
三振
勝利
奪三振
セーブ
日米通算 球団在籍選手
打者あ
打者か
打者さ
打者た
打者な
打者は
打者まや
打者らわ
投手あ
投手か
投手さ
投手た
投手な
投手は
投手まや
投手らわ
et cetera
大洋ホエールズ
横浜大洋ホエールズ
横浜ベイスターズ
全選手一覧
監督
その他

打者タイトル
投手タイトル
MVP
新人王
沢村賞
カムバック

et cetera
ベストナイン
ゴールデングラブ
サイクルヒット
ノーヒットノーラン
日本記録
球団記録
ALL
50S
60S
70S
80S
90S
00S
Team Record
巨人
阪神
中日
広島
ヤクルト
松竹&
西日本

ALL
勝利
敗戦
打率
本塁打
三振


65年
66年1次
66年2次
67年
68年