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山本 祐大



50
名前 やまもと ゆうだい
生年月日 1998年9月11日
経歴 京都翔英高−滋賀ユナイテッド−横浜(17年D9位)
入団年 17年ドラフト9位
在籍年 18年−
背番号 18年−[50]
投打 右投げ右打ち
守備 捕手
外野手
小学校から野球を始めて、中学時代は大正シニアに所属。中学までは捕手だったが京都翔英高では後に楽天に入団する同級生の石原が正捕手だったため、山本は主にセンターを守った。3年夏には5番センターで県大会で打率.348を記録して甲子園出場に貢献、甲子園では初戦の樟南高戦で敗れたが1安打を放った。石原とは家族ぐるみの付き合いがあり、ドラフト直前には石原のお母さんからお守りが届けられた。

BCリーグへ
大学に進学予定だったが入学前に参加した練習がプロを目指す内容ではなかったため3日間で大学の練習に見切りをつけ、進学を止めてBCリーグの滋賀ユナイテッドに入団した。5月3日には早くもスタメン出場を果たすと、7日の石川戦ではホームランを含む3安打を放ち、守っても盗塁を3つ刺すなどアピール、5月には盗塁阻止率.720(25回の盗塁企画で18回刺す)という驚異的な数字を残して注目を集めた。滋賀では幼い頃の野球教室でキャッチボールをした事がある元阪神の上園監督と再会し、プロを目指すなら長所を磨く事を助言された。

横浜入団
BCリーグでは打率.294を記録して同年のドラフト会議で横浜から9位指名(12球団最後の82番目)を受けて入団。BCリーグから野手が支配下指名を受けたのは史上初で、横浜の担当スカウトから「えんぴつ君」と呼ばれるほど細身だったが強肩を評価されての指名だった。

初打席
ルーキーイヤーには5月24日に19歳にして初昇格、嶺井の故障による突然の昇格だったため横須賀スタジアムからタクシーでハマスタに駆け付けた。翌日のヤクルト戦で9回裏に初出場。投球練習でサインを間違えてストレートを顔面に受けたが「それで落ち着けた」と落ち着きを取り戻して見事に三者凡退に抑えて国吉からウイニングボールを貰った。すぐに抹消となったが8月18日に再昇格を果たすと、翌日の広島戦の8回裏に代打で起用されて球団史上5人目の初打席初ホームランを記録した。なお.初打席初本塁打は史上63人目で初打席代打弾は史上16人目だった。同年はイースタンリーグで61試合に出場して打率.193、2本塁打を記録した。8月31日には未成年飲酒で厳重注意を受けた。

最後の野手
19年は5月3日に1軍へ昇格し、6日の巨人戦ではスタメンを任されたがチームが大敗したこともあって途中交代となり抹消となった。5月23日には二軍で頭部死球を受けて緊急搬送されたが6月11日に復帰すると、7月31日に故障した伊藤光に代わって1軍昇格、8月20日には実家からほど近い思い出の大阪ドームで行われた阪神戦に代打で出場、センター前ヒットを放って観戦に駆けつけていた家族を喜ばせた。28日のヤクルト戦では延長12回裏二死満塁で最後の野手として代打起用されてライト前に人生初のサヨナラヒットを放つ大仕事をやってのけて大きなジャンプで喜びを表現、お立ち台では「打ったボール? 覚えてません!」と興奮のままに振り返った。

.619
コロナウイルスの影響でイレギュラーなシーズンとなった20年はシーズン最終版の2試合のみの1軍出場となったが、自粛期間にウエイトトレーニングを中心に体作りに励んで体重を5キロ増加させた。同年はイースタン・リーグで48試合に出場、打率.274、盗塁阻止率は驚異の.619を記録、前年まで自覚がなかった視力の低さを改善するために導入した度入りサングラスでキャッチングも安定するなど成長を見せた1年となった。

甲子園3タテでチャンスをつかむ
初の開幕1軍となった21年は4月1日のヤクルト戦でスタメンを任されてフル出場を果たしたが序盤に6失点を喫すると11対7で迎えた7回表にも集中打を浴びて勝ち切ることができなかった。4月25日に抹消となったが、6月22日に再昇格を果たすと伊藤光の故障で25日からの阪神戦で3戦連続フル出場、初戦で完封リレー、第2戦は1失点で打っても初の猛打賞、第3戦も3失点に抑えてチーム6年ぶりの甲子園3タテに貢献した。以降は二番手捕手に定着、後半戦はスタメン出場の機会が大幅に増えて51試合に出場、打率は.131と苦しんだが、持ち味の強肩は低い送球に内野手の落球が多発したにもかかわらず盗塁阻止率.368という好成績を残した。

課題
22年はロメロの専属捕手として1軍で起用されたが、4月5日の阪神戦でロメロの暴投2つを止めることができず、2回表のチャンスでは三球三振に倒れて途中交代、課題の打撃でも好結果が残せずシーズン中盤以降は1軍でプレーすることはできなかった。

祐大のおかげ
23年はオープン戦で16打数7安打で0三振とアピールして開幕1軍を勝ち取ると、4月12日のヤクルト戦でスリーベースを含む3安打を放って先発の東を援護、6月終了時点で打率.235ながら51打数4三振という粘りで課題克服への一歩を見せた。6月24日の阪神戦では東を完封に導くとお立ち台に上がった東が「今日のヒーローは祐大」とコメント、ベンチの山本は笑顔で手を振って応えて、その後お立ち台に乱入して話題になった。

最優秀バッテリー
8月18日の阪神戦では足をつりながら7回表のピンチを切り抜けた東に応えて、その裏に決勝タイムリーを放ち「あんな頑張ってる姿を見たら」と東に10勝目をプレゼント、9月1日の巨人戦では東と最多勝を争う戸郷から逆転ツーランを放って東とともにお立ち台、翌日にも野手登板の北村から2試合連発、シーズン終盤には8月から9月にかけて9試合で8勝を記録して最多勝に輝く東とともに毎試合のようにお立ち台に上がって東から「祐大のおかげです」と賞賛を受け続けた。シーズン終盤には打率も上昇して正捕手に近い座をつかみ取り、オフには最優秀バッテリー賞を受賞した。


初記録
初出場 2018年5月25日ヤクルト戦
初安打 2018年8月19日広島戦:飯田から
初本塁打 2018年8月19日広島戦:飯田から
初打点 2018年8月19日広島戦:飯田から
初盗塁 2024年4月12日ヤクルト戦:二盗


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
18 横浜 2 1 1 1 0 0 1 4 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1.000
19 横浜 13 12 0 4 0 0 0 4 2 0 0 0 0 0 0 3 0 0 .333
20 横浜 2 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000
21 横浜 51 99 4 13 2 0 1 18 4 0 0 7 0 4 1 27 0 4 .131
22 横浜 17 29 1 3 1 0 0 4 1 0 0 0 1 2 0 4 1 0 .103
23 横浜 71 173 18 48 7 1 3 66 16 0 0 7 1 18 1 26 3 4 .277
通算 6年 156 317 24 69 10 1 5 96 25 0 0 14 2 24 2 61 4 8 .218


  クライマックスシリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
23 横浜 2 8 0 2 1 0 0 3 0 0 0 1 0 0 0 0 3 0 .250
通算 1年 2 8 0 2 1 0 0 3 0 0 0 1 0 0 0 0 3 0 .250


  二軍打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死 三振 併殺 失策 打率
18 横浜 61 119 13 23 4 0 2 33 9 1 9 1 3 30 8 3 .193
19 横浜 51 149 13 38 5 0 2 49 16 0 7 1 13 40 9 9 .255
20 横浜 48 124 11 34 8 1 3 53 14 0 9 1 10 20 8 2 .274
21 横浜 24 76 7 17 3 0 0 20 4 0 0 0 6 16 1 0 .224
22 横浜 38 103 11 21 3 0 1 27 7 1 2 1 14 9 3 1 .204
23 横浜 1 3 0 2 0 0 0 2 0 0 0 0 2 0 0 0 .667
通算 6年 223 574 55 135 23 1 8 184 50 2 27 4 48 115 29 15 .235