:超素材:
レドンド・ユニオン高では投手と野手で活躍、16年のドラフトでマリーンズから4巡目指名(全体の113位)を受けて契約、ドラフト当日も試合に出場して1失点完投に加えて二塁打も記録した。プロ入り当初は野手でライトやファーストを守り、3年目の18年にはA-で76試合に出場して317打席で17本塁打、13盗塁(失敗1)、42四球という好成績を記録した一方で打率.193で三振率.493という粗削りな成績を残した。翌19年にはAで打率.173で三振率.628を記録、長打力や俊足といった長所を覆い隠す悲劇的な成績となった。
:ピッチャー転向:
高校時代からピッチャーに自信を持っていたレイノルズはコロナウイルスの影響でマイナーリーグが全休となった20年にピッチャー転向を球団と相談、翌21年のシーズン開幕から一ヵ月が経過した頃から本格的に投球練習を始めた。同年にAで19試合に登板して防御率3.09を記録すると、翌22年にはAA、その翌年にはAAAと順調にステップアップしたが、23年8月1日にトレードでパドレスに移籍すると、AAAで17試合の登板で16回を投げて27四球という大乱調に陥った。
:奪三振率17.18:
24年の7月12日にメジャー初昇格、14日のブレーブス戦で7回表に初登板、走者こそ出したが空振り三振3つで無失点に抑えた。その後も登板するたびに奪三振を量産して8月30日のレイズ戦では1.2回で2安打1四球ながらアウト全てを三振で記録して5奪三振、同年には9試合の登板で11.0回を投げて21奪三振で防御率0.82を記録した。
:四球:
25年にはパドレスで19試合に登板したが27.0回で17四球と制球に苦しみ、8月8日のレッドソックス戦では8回表に登板も3四球からツーベースを挟んで暴投、四球、死球を記録。9回表も続投したが先頭を歩かせると、続く吉田にツーランを浴びてマイナー降格となった。9月1日に再昇格を果たしたが復帰後初登板でロングリリーフを任されたオリオールズ戦で3イニング連続で先頭打者を歩かせて1試合で再びマイナー降格となった。
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26年に横浜に移籍。 |
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