:故障中にドラフト指名:
アリゾナ生まれ、14年にレンジャースから32巡目指名(全体966位)を受けたが、投手としての指名でジャクソンは野手を続けたかったため契約せずにユタ大に進学、ユタ大では投手と外野手でプレー、大学時代は主に野手で2年時には打率.299を記録した。2年目の16年に19.2回を投げて被安打19、22奪三振、13四球で防御率6.41を記録したがオフにトミージョン手術を受けて離脱、故障から復帰しないまま17年にドジャースから12巡目指名(全体370位)を受けて契約した。
:奪三振:
故障が癒えた翌18年にルーキーリーグで復帰、翌19年にはA+とAで合計25試合に登板して7勝2敗、114.2回を投げて141奪三振という好成績を残したが、翌20年はコロナウイルスの影響でマイナーリーグが中止となったため登板機会が得られなかった。21年にはAAで15試合に登板して3勝2敗、63.1回で75奪三振を記録して7月下旬にAAAへ初昇格
:初登板:
8月16日には待望のメジャー昇格を果たして同日のパイレーツ戦で2回表から4イニングを投げて無失点に抑えて勝利に貢献した。続くロッキーズ戦でも2回表から登板して4.2回を1失点に抑える好投を見せたが惜しくも敗戦投手になった。同年のシーズン最終戦では大量リードの7回表から3イニングを投げて初セーブを記録するなど、3登板全てロングリリーフで11.2回で被安打10、6四球で10奪三振、防御率2.31という好成績を残した。
:被弾:
22年はAAAで21試合に登板して2勝7敗、75.2回で61四球という大乱調を記録したがシーズン最終盤にメジャーへ昇格すると4試合の登板で9.2回を投げて被安打9、4四球で9奪三振、防御率1.86という好成績を残した。翌23年は4月14日のカブス戦で2対3で迎えた8回表からマウンドへ上がったが鈴木誠也を含む4選手にホームランを被弾して5失点を記録するなど打ち込まれる試合が続いて6月25日にパイレーツへトレードされた。
:初勝利:
移籍後はロングリリーフで2試合連続で無安打無四球に抑えて先発のチャンスを掴むと8月30日のロイヤルズ戦で5.2回を2安打、2四球で1失点に抑えて7奪三振も記録するなど素晴らしいピッチングを見せてメジャー初勝利を記録した。パイレーツでは7度の先発を含む12試合に登板、1勝3敗ながら43.2回で被安打30、19四球、41奪三振で防御率4.33という好成績を残した。オフに横浜ベイスターズに移籍した。
:15球連続:
開幕第4戦の阪神戦で初登板、最速158キロでねじ伏せて6回1失点でお立ち台に上がった。だが次戦以降は球速も上がらず制球も乱れるなど苦戦、5月6日のヤクルト戦では5回1安打ながら6四球と荒れて登録抹消になった。28イニング21四球で防御率6.11と苦しんだが、コーチ陣と話し合ってチェンジアップの球速を落とすなど緩急を意識し、前年に横浜に在籍したバウアーにメッセージで連絡を取り助言を得るなど日本野球へのアジャストを行うと、復帰戦となった5月22日のヤクルト戦では初めて戸柱とバッテリーを組んで初回の初球から15球連続ストレートというパワーピッチで6回無四球で6奪三振という好結果を残した。
:10年ぶり:
打者1巡目はストレートで押して2巡目からナックルカーブなども織り交ぜる投球パターンを確立、6月11日のロッテ戦では7回を2安打8奪三振に抑え込むなど復帰戦以降の8試合は防御率1.43という圧倒的な成績を残した。7月19日のヤクルト戦で熱中症で降板するとそこから3戦連続4失点となったが、8月8日の広島戦で7回3安打に抑えるとシーズン終了まで負けなしの4連勝、CSを争う広島との大一番となった10月1日の先発も任されて7回1失点に抑えてお立ち台に上がり、球団の外国人投手としては10年ぶりに規定投球回にも到達した。
:日本シリーズ優秀選手:
ポストシーズンでは阪神とのCSファーストシリーズ第2戦で6回途中1失点に抑えて勝利に貢献、巨人とのCSファイナル第4戦では好投もスクイズで決勝点を許し敗戦、ソフトバンクとの日本シリーズ初戦ではシリーズタイ記録となる5者連続奪三振を記録するなど9三振を奪ったが、2回表にピッチャーの有原に2点タイムリーを浴びて破れた。だが2勝2敗で迎えた第5戦では初回に三者連続奪三振を奪うなど圧倒的な内容で試合を支配、7回を投げて3安打2四球で8奪三振に抑えて三浦監督から「最っ高のピッチング!」と絶賛された。 |
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