:29位と1位:
ニューヨーク生まれ、13年のドラフトでメッツから29巡目指名を受けたが契約せずコネチカット大に進学、大学1年時に18試合に登板して5勝4敗、防御率3.49を記録、翌年に8勝6敗、防御率2.07と成績を伸ばすと、3年目に9勝2敗、防御率2.65
、119回を投げて111奪三振という好成績を残して同年のドラフトでメッツから1巡目指名(全体31位)を受けて契約した。
:初勝利:
契約から間もない10月4日にトミージョン手術を受けて離脱、翌年はリハビリに費やした。翌18年はAとA+で合計23試合に登板して7勝11敗を記録、19年にはAAで7勝3敗、防御率1.49を記録してAAAに昇格、その後にストローマンらとのトレードでブルージェイズに移籍した。9月7日にメジャーに初昇格、同日のレイズ戦に先発すると白星こそ逃したが5.2回を4安打3四球で2失点に抑える好投を見せた。次戦は打ち込まれたが、ロングリリーフでの起用となったオリオールズ戦で4イニングを4安打1四球で2失点に抑えてメジャー初勝利を記録した。
:奪三振と:
20年は全てリリーフで13試合に登板、21回で22奪三振を記録した一方で14四球と制球に苦しんで防御率5.14、WHIP1.71に留まった。21年も11試合の登板で33.2回でイニング数を上回る39奪三振を奪ったが18四球を記録した。22年は原因不明のケガにも悩まされてメジャー登板は1試合のみに留まった。23年はカブスに移籍して13試合に登板、シーズン途中にメッツに移籍して3試合に登板したが好結果は残せなかった。同年にはAAAで32試合に登板、40.2回で58奪三振、23四球を記録した。
:横浜入団:
24年に横浜ベイスターズに入団、初登板となった4月6日の巨人戦では初回に連続四球から先制を許すと4回裏には不運な当たりもあって2点を追加されて4回KOとなった。13日のヤクルト戦では6回二死まで2安打1四球に抑えながら白星を逃したが、続くヤクルト戦で5回3失点ながら大量援護で初勝利を記録した。27日の巨人戦では7回2失点に抑えながら敗れると、そこから3戦連続で好投を見せながら3連敗となったが、5月21日のヤクルト戦で8回を無失点に抑えると、そこから自身4連勝を記録、決して制球力は高くなかったが開幕から13試合連続で3失点以下と試合を作り続けた。
:苦しい後半戦:
7月14日には東京ドームで行われた巨人戦で8回を2安打に抑え込んでお立ち台に上がった。だが記録的な猛暑となった夏場になると打ち込まれる試合が続いて7戦連続で白星なしに終わった。ケイは顔半分を覆うほどもしゃもしゃに伸ばしていたヒゲをさっぱりさせるなど対策も行ったが、守備のミスに足を引っ張られる試合が重なるなど不運もあり、微妙な判定には感情をあらわにするようになり、9月26日の巨人戦では降板後にベンチで大荒れとなった。後半戦は1勝5敗で防御率5.19と苦しんで6勝9敗、防御率3.42と数字を伸ばせず規定にも届かなかった。
:ポストシーズンで好投:
巨人とのCSファイナル初戦を任されると5回一死まで4四球を出しながらノーヒットピッチングに抑えると打席ではファウルで粘って戸郷に球数を投げさせるなど投打に活躍、5回裏のピンチを丸をファーストゴロに打ち取って無失点で切り抜けると、6回裏は2番からの攻撃を三者凡退に抑えて勝利の立役者になった。CSファイナル最終戦でも先発を任されて苦しい試合展開の中で3.1回2失点(自責1)とまずまずの結果を残した。ソフトバンクとの日本シリーズでは第4戦に先発、初回の先頭から4者連続奪三振を記録するなど3回までパーフェクト、5回裏のピンチでは155キロを投じるなどストレート、変化球、コントロールと非の打ち所がない内容で7回を4安打1四球で7奪三振に抑え込んで日本シリーズ優秀選手に選出された。 |
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