:幼少期に日本でプレー:
父親の仕事の関係で7歳から日本の代官山で2年間暮らして武蔵府中リトルで野球をプレー、ポジションはショートを希望したがショートには茂木栄五郎がいたため守れなかった。帰国後の小4からプロ入りを意識して両打ちになって、16年のドラフトでブリュワーズから18巡目で指名されて契約、入団当初はキャッチャーがメインで17年にはA+で44試合にキャッチャーとして出場、翌18年から外野手がメインポジションになった。
:出塁率:
19年にAAへ昇格して打率.249、17本塁打に加えて419打席で76四死球、100三振というらしい成績を残した。翌年はコロナウイルスの影響でマイナーリーグが全休となったが、翌21年のシーズン途中にダイヤモンドバックスに移籍すると46試合の出場ながらAAAで打率.353、OPS1.004を記録した。
:メジャーデビュー:
22年に開幕メジャーを勝ち取ってパドレスとの開幕戦で7回裏に代打でメジャーデビュー、元阪神のピアース・ジョンソンと対戦して四球を選んだ。4月10日のパドレス戦で9回裏に後に阪神へ入団するゲラからスリーランで初ヒットを記録した。13日のアストロズ戦では3打席連続四球にヒットも放って迎えた10回裏のサヨナラのチャンスでも四球を選んで5出塁を記録、その後も打率1割台ながら四球を重ねてスタメンを多く任された。だが5月に入ると5試合連続で複数三振を記録するなど三振が激増して6月11日にマイナーへ降格、その後は昇格と降格を繰り返したがチャンスは掴めず同年オフにマリナーズへ移籍した。
:マイナーで好成績も:
23年はAAAで104試合に出場して打率.262、出塁率.409で26盗塁(失敗6)を記録したが、メジャーでは10試合しかチャンスをもらえなかった。アストロズに移籍した翌24年もAAAで101試合に出場して打率.277、出塁率.419を記録したがメジャーでは6試合の出場にとどまった。25年はヤンキース、オリオールズ、アストロズ、レイズとチームを転々としてマイナーでは好成績を残し続けたがメジャーには定着できず、同年オフに横浜ベイスターズへ移籍、入団会見では日本語であいさつをして報道陣を驚かせた。 |
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