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監督
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その他
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大洋ホエールズ
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横浜大洋
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横浜ベイスターズ
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全選手
MLB記録
タイトル
関連リンク
ビシエド
66
名前
dayan viciedo
生年月日
1989年3月10日
経歴
エスクエラデポルテエスパ高−ホワイトソックス−マイナー−中日−ドスラレドス・オウルズ−横浜
入団年
25年にメキシコリーグから移籍
在籍年
25年−
背番号
25年−[66]
投打
右投げ右打ち
守備
内野手
:
亡命
:
19歳の時にイカダに乗ってキューバからアメリカに亡命、ドミニカ国籍を取得してホワイトソックスと12月12日に4年1000万ドル(11億)で契約した。初年度はAAで130試合に出場、打率.280、12本塁打、78打点を記録、翌10年にはAAAで活躍を続けて6月20日のナショナルズ戦で7番サードでメジャーデビュー、第2打席にセンター前ヒットでMLB初ヒットを記録した。7月5日のエンゼルス戦で初本塁打を放つなど活躍、21歳にしてメジャーで5本塁打を放って打率.308という素晴らしいルーキーイヤーを送った。
:
外野手転向
:
キューバ時代からサードだったが11年は外野手に転向、AAAで119試合に出場して打率.296、20本塁打を記録して8月27日にメジャー昇格、翌日のマリナーズ戦で先制スリーランを放ってチャンスを掴むとシーズンの最後までスタメンで起用されて経験を積んだ。
:
16試合で
:
12年には開幕からメジャーでフルシーズンでプレー、4月13日のタイガース戦ではシャーザーから先制ホームランを放ったが打撃不振に苦しみ5月13日には打率が2割を切ったが、翌日のタイガース戦でホームランと逆転の2点タイムリーを放つと一気に状態を上げて、そこから16試合で3試合連発を含む8本塁打、28安打、23打点という驚異的な活躍を見せた。この間の打率は.444で長打率は.857だった。6月30日のヤンキース戦で黒田に三打席連続三振に抑え込まれるなど6月以降は数字を落としたが、ラスト3試合で3本塁打を含む6安打を放って8打点と数字を一気に良化させた。同年は23歳で25本塁打、78打点を記録した。
:
サヨナラ弾
:
13年は4月7日のマリナーズ戦で延長10回裏にサヨナラホームランを放ったが、左わき腹を痛めてDL入りとなった。7月9日のタイガース戦では6回裏にバーランダーから同点弾を放つと、8回裏にもスリーランを放って勝利に貢献した。同年は前年から多少数字を落としたが124試合に出場して打率.265、14本塁打、56打点を記録した。翌14年は4月に打率.348を記録したが5月以降は低迷、同年は145試合に出場して21本塁打は放ったが打率.231と守備能力の低い外野手としては厳しい打撃成績となった。
:
ドラゴンズ
:
15年もホワイトソックスと440万ドル(5億円)で契約したがチーム事情で開幕前にリリースされた。同年はマイナー球団を渡り歩いたがメジャー昇格はならなかった。オフにはドミニカに強いパイプを持つ森繁和がビシエドが住むマイアミを訪問して交渉を行い中日入団が実現した。
:
史上初の開幕3戦連発
:
16年に来日すると開幕戦で京セラドームのライトスタンドに逆方向のホームランを放ち、次戦ではレフトスタンドにソロ、第3戦では藤川球児からバックスクリーンと開幕3連戦で三方向に打ち分けて新外国人選手としては史上初の開幕から3試合連続本塁打を記録、3連戦で8安打6打点という類を見ない衝撃のデビューを飾った。4月5日の横浜戦で今永に止められるまで開幕から9試合連続ヒットを続けて、開幕カード以来の対戦となった15日からの阪神3連戦ではライトポールを直撃するサヨナラ弾を含む6安打5打点を記録して3タテに貢献、3月から4月にかけてリーグトップの9本塁打、2位の23打点を記録して月間MVPに選出された。なお外国人打者による来日開幕月の月間MVP受賞はリーグ初の快挙だった。
:
イニング2発
:
5月7日の巨人戦で2回表に先頭打者として先制ホームランを放つと、打線爆発で再び2回表に回ってきた打席でスリーランを放って史上19人目のイニング2本塁打を記録した。交流戦で打率.182と数字を落とすと、7月は復調して谷繁監督の解任が発表された8月9日のヤクルト戦でサヨナラヒットを放ったが、8月13日の阪神戦で左足首を痛めて登録抹消、シーズン終盤に代打で復帰したが後半戦は数字を伸ばせず、119試合の出場で打率.274、22本塁打、68打点に留まった。
:
市民権
:
17年は開幕から打率2割そこそこに低迷したが5月7日の巨人戦でホームランを含む4安打4打点を放って復調、19日の広島戦でサヨナラホームラン、23日からの横浜3連戦では3戦連発と爆発して月間7本の殊勲打を含む8本塁打25打点で月間MVPに選出された。だが6月に米国の市民権を取得するために一時帰国、当初は抹消もせず短期間での復帰予定だったが手続きが想像を超えて長期化、ビシエドは手続きを中断して約一か月後の7月12日に再来日、球宴明けから1軍に復帰したが8月13日のヤクルト戦で死球を受けて骨折、そのままシーズンを終えて、わずか87試合の出場で18本塁打、49打点を記録したが本領は発揮できなかった。
:
月間47安打
:
18年も4月19日に米国市民権取得のために一時帰国したが今回は予定通り手続きが完了して8日後に再来日、抹消明けの29日の横浜戦から1軍に復帰、前半戦はまずまずの活躍だったが、7月に入ると3日の阪神戦で4安打、10日の横浜戦で満塁弾を含む2本塁打を放つなど状態を上げて8月にはプロ野球タイ記録の月間猛打賞8度を記録、イチローの日本記録には1安打届かなかったが村田を超えてリーグ新記録となる月間47安打で月間MVPに選出された。その後もヒットを重ねてシーズン178安打で打率.348を記録して首位打者と最多安打に輝きベストナインにも選出された。オフには3年11億円の大型契約で残留した。
:
ファン感謝デーに参加
:
19年は4月12日の阪神戦で2本塁打を放つなど開幕から打ち続けると、7月1日の阪神戦で4安打を記録するなど得意の夏場にさらに状態を上げた。シーズン終盤に自打球で負傷した影響もあってか数字を落としたが目標に掲げていた全試合出場を果たした。同年は43本の二塁打を放つなど広いナゴヤドームに適応した中距離ヒッターとして活躍してベストナインにも選出された。オフには外国人選手としては異例となるファン感謝デーや球団納会にも参加、12月21日にフロリダへ帰国したが、1月12日に早くも来日するなど1年の大半を日本で過ごした。
:
Aクラス
:
コロナウイルスの影響で開幕延期の短縮日程という異例のシーズンとなった20年は7月5日の巨人戦で2本塁打、10日の広島戦でサヨナラ弾を放つなど活躍。チームも10月11日から7連勝を記録して上位に浮上すると、激しく3位を争う10月20日からの横浜3連戦ではビシエドが初戦で勝ち越しタイムリー、第2戦で7回裏にエスコバーから通算100本塁打となる逆転スリーラン、第3戦で先制の犠牲フライと活躍して3タテに貢献、10月28日の阪神戦の守備で左肩を脱臼してラスト9試合は離脱となったが同年は109試合の出場でリーグ4位の82打点を記録してチームを8年ぶりのAクラスに導いた。また上達を見せてきた一塁の守備でも初のゴールデングラブを受賞した。
:
球団史を塗り替える
:
21年には4月30日の巨人戦ではチームの天敵である菅野から先制弾を放って勝利に貢献、中日の選手が菅野からホームランを放つのは1007日前にビシエドが放って以来だった。交流戦でも6月5日のオリックス戦で2本塁打を放ってお立ち台に上がるなど活躍を続けて、交流戦トップの打率.409を記録して日本生命賞を受賞した。8月27日の巨人戦では初回に山口から先制の2点タイムリーを放つと、2回裏にも2点タイムリーを放ってゴメスを抜き球団の外国人最多打点となる450打点に到達した。シーズン終盤は不調に陥ったが9月24日のヤクルト戦でセンター前ヒットを放ってパウエルを抜いて球団の外国人最多安打となる766安打となった。
:
月間MVP
:
22年は巨人との開幕戦で菅野から3年連続開幕弾となる勝ち越し弾を放ったが、第5打席で左手に死球を受けると、続く第2戦の第1打席でも左手に死球を受けるなど厳しい内角攻めを受けて絶不調に陥り、4月1日の広島戦では珍しくベンチで怒りを表現した。5月31日の楽天戦で田中将からソロを放ってお立ち台に上がったが、6月中旬に左肩痛で離脱、7月6日に復帰すると8日の広島戦で4安打でお立ち台、19日の横浜戦では初回に先制スリーランを放ってお立ち台、29日の広島戦では3本塁打5打点を記録するなど得意の夏場に状態を上げると、9月には7本の殊勲打を含むリーグトップの36安打で月間MVPに選出された。
:
大不振
:
23年は開幕から状態が上がらず2度の登録抹消を味わうなどシーズン折り返しの6月終了時点で打率.227、2本塁打、7打点に留まり、自身が「野球人生で初めて」と語るほどの大不振に陥った。右手首の違和感もあって6月29日から5試合を欠場するなど故障にも苦しんで得意の夏場になっても状態が上がらなかった。9月に入ると12日からの横浜3連戦で初戦でホームラン、第2戦で決勝タイムリーでお立ち台、第3戦で2本塁打、24日の阪神戦では才木から内野安打で中日の外国人選手としては初の1000安打と輝きも見せたが、数字は上げられず91試合の出場で打率.244、6本塁打、23打点に終わった。
:
5000勝
:
かねてから目標に掲げていた国内FA権を取得して外国人枠から外れた24年は高額契約で入団した中田翔が一塁手として優先して起用されたこともあって開幕はファームで迎えた。5月16日に昇格すると6月6日のソフトバンク戦では先制弾となる1号ソロを放って球団通算5000勝に貢献、お立ち台では「戻って来られて幸せです。ありがとうございます」とあいさつしてナゴヤドームのファンから大きな歓声を浴びた。同年はウエスタンリーグでは72試合に出場して打率.300、出塁率375、長打率.484という好成績を残したが、1軍では15試合出場とチャンスをもらえなかった。
:
ドラゴンズ
:
10月6日に退団が発表されると同日に行われたシーズン最終戦後のセレモニーにサプライズで登場、場内を一周してファンとの別れを惜しんだ。愛車はトヨタのクラウンで日本の運転免許証も名古屋市の平針運転免許試験場で取得、愛犬の黒柴は「富士」と名づけ、長男は名古屋の少年野球チームに入団してドラゴンズベースボールアカデミーに入校し、長女はチアドラOGのダンス教室に通うなど名古屋を愛し、多くのファンに愛された。
::
初記録
初出場
2016年3月25日阪神戦
初安打
2016年3月25日阪神戦:メッセンジャーから
初本塁打
2016年3月25日阪神戦:鶴から
初打点
2016年3月25日阪神戦:メッセンジャーから
初盗塁
2016年8月10日ヤクルト戦
記録達成日
1000安打
2023年9月24日阪神戦:才木から
100本塁打
2020年10月21日横浜戦:エスコバーから
1000試合
2025年9月28日広島戦
その他の記録
月間MVP
16年4月、17年5月、18年8月、22年9月
16
17
18
19
20
21
22
23
24
首位打者
●
1回
最多安打
●
1回
ベストナイン
●
●
2回
ゴールデングラブ
●
●
2回
オールスター
●
●
●
3回
打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
16
中日
119
416
63
114
22
0
22
202
68
1
0
0
3
44
8
68
13
12
.274
17
中日
87
332
43
83
11
1
18
150
49
4
0
0
1
29
5
52
10
5
.250
18
中日
135
512
91
178
26
1
26
284
99
3
4
0
4
51
15
61
24
5
.348
19
中日
143
534
56
168
43
0
18
265
93
2
1
0
6
41
13
88
22
6
.315
20
中日
109
409
48
109
23
0
17
183
82
3
2
0
10
34
9
48
17
1
.267
21
中日
130
480
44
132
23
1
17
208
70
1
2
0
3
35
8
56
15
7
.275
22
中日
129
483
52
142
27
0
14
211
63
1
1
0
2
40
7
59
20
5
.294
23
中日
91
315
20
77
9
0
6
104
23
0
0
0
1
27
4
41
8
4
.244
24
中日
15
43
2
9
1
0
1
13
2
0
0
0
0
2
1
3
3
0
.209
球団
通算
9年
958
3524
419
1012
185
3
139
1620
549
15
10
0
30
303
70
476
132
45
.287
オールスター打撃成績
回数
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
通算
3回
6
12
2
5
0
0
1
8
1
0
0
0
0
0
0
2
0
0
.417
二軍打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
16
中日
2
7
0
1
0
0
0
1
0
0
0
0
0
0
1
2
0
0
.143
17
中日
1
2
1
1
1
0
0
2
2
0
0
0
0
1
0
0
0
0
.500
18
中日
1
2
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
1
0
0
.000
23
中日
15
50
6
18
7
0
0
25
7
0
0
0
1
4
1
6
1
0
.360
24
中日
72
223
20
67
17
0
8
108
31
0
0
0
4
25
4
30
8
0
.300
通算
5年
91
284
27
87
25
0
8
136
40
0
0
0
5
30
6
39
9
0
.306
MLB打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
10
ホワイトソックス
38
104
17
32
7
0
5
54
13
1
0
0
0
2
0
25
5
4
.308
11
ホワイトソックス
29
102
11
26
3
0
1
32
6
1
0
0
0
9
2
23
4
0
.255
12
ホワイトソックス
147
505
64
129
18
1
25
224
78
0
2
0
4
28
6
120
18
2
.255
13
ホワイトソックス
124
441
43
117
23
3
14
188
56
0
0
0
5
24
3
98
11
5
.265
14
ホワイトソックス
145
523
65
121
22
3
21
212
58
0
1
0
3
32
5
122
19
8
.231
通算
5年
483
1675
200
425
73
7
66
710
211
2
3
0
12
95
16
388
57
19
.254
AAA打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
10
AAA
86
343
42
94
15
0
20
169
47
1
1
3
0
11
6
78
16
11
.274
11
AAA
119
452
60
134
28
0
20
222
78
2
1
0
3
45
5
83
10
5
.296
13
AAA
4
15
2
3
0
0
0
3
0
0
0
0
0
1
1
3
0
1
.200
15
AAA
36
138
17
47
7
0
7
75
20
0
0
0
0
13
1
23
7
1
.341
15
AAA
30
113
13
25
6
2
1
38
8
0
0
0
1
7
3
21
5
0
.221
通算
4年
275
1061
134
303
56
2
48
507
153
3
2
3
4
77
16
208
38
18
.286
AA打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
09
AA
130
504
72
141
20
0
12
197
78
5
2
0
6
23
7
89
12
30
.280
通算
1年
130
504
72
141
20
0
12
197
78
5
2
0
6
23
7
89
12
30
.280
キューバリーグ打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
04-05
ビジャ・クララ
72
186
14
44
5
4
1
60
16
0
1
1
1
9
2
44
9
8
.237
05-04
ビジャ・クララ
86
323
54
109
16
4
14
175
58
3
4
1
4
21
12
44
6
14
.337
06-07
ビジャ・クララ
90
301
39
76
14
3
8
120
35
2
4
6
1
49
12
52
14
16
.252
07-08
ビジャ・クララ
57
177
41
52
5
1
10
89
38
2
1
3
1
28
5
27
9
7
.294
通算
4年
305
987
148
281
40
12
33
444
147
7
10
11
7
107
31
167
38
45
.285