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監督
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大洋ホエールズ
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横浜大洋
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横浜ベイスターズ
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全選手
MLB記録
タイトル
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藤浪 晋太郎
27
名前
ふじなみ しんたろう
生年月日
1994年4月12日
経歴
大阪桐蔭−阪神−アスレチックス−オリオールズ−マイナー−横浜
入団年
25年シーズン途中にマリナーズ参加のマイナーから移籍
在籍年
25年シーズン途中−
背番号
25年シーズン途中−[27]
投打
右投げ右打ち
守備
投手
:
小学校卒業時に
:
大阪出身だが家族の影響もあって巨人ファン、小学5年時には9月29日に甲子園球場の巨人戦を一塁側内野席で観戦したが阪神の優勝決定試合という事もあって大歓声に圧倒されて巨人の応援はできずに阪神の優勝を見届けた。小学校1年から始めた野球は中学3年時に日本代表に選出されて世界大会も経験した。小学校卒業時に180センチという規格外の長身は中学でも成長を続けて中学卒業時には194センチとなり、最終的には197センチになった。
:
大阪桐蔭
:
大阪桐蔭に進学すると1年夏からベンチ入り、1年秋からエースになって秋の府大会で優勝を果たした。2年夏の府大会では24回連続無失点を記録し、履正社との準決勝で1失点完投勝利を上げるなどチームを引っ張ったが阪大柏原との決勝戦では6対2で迎えた7回裏に3失点を喫して降板、チームは逆転サヨナラ負けとなって甲子園進出を逃した。
:
センバツ制覇
:
大きなショックを受けた藤浪は投球フォームを見失って苦しんだが、何とか立て直すと秋季大会では夏に敗れた阪大柏原戦で14奪三振を奪う1安打完封で雪辱を果たした。1年後輩の森友哉との強力なバッテリーを組んだ3年春のセンバツでは初戦で大谷を擁する花巻東と対戦、2回裏に大谷に先制弾を被弾したが尻上がりに状態を上げて12奪三振で2失点完投、故障明けで中盤に力尽きた大谷を破ると、九州学院との2回戦では3失点完投に加えて自らホームランを放って逆転勝利、リリーフ登板となった準々決勝の浦和学院戦では同点の7回裏に無死満塁のピンチを背負ったが三者連続奪三振で切り抜けて競り勝ち、健大高崎との準決勝では1失点完投、光星学院との決勝戦では3失点完投を記録して大阪勢としては19年ぶりとなるセンバツ制覇を成し遂げた。
:
連覇
:
3年夏には履正社との府大会決勝で9点リードの8回表に7失点を喫して降板したが何とか甲子園出場を果たすと、甲子園では初戦の木更津総合戦で14奪三振、天理との準々決勝では13奪三振に加えて打席でもホームランを含む3安打、準決勝の明徳義塾戦で8奪三振ながら2安打完封という規格外の活躍を続けて勝ち上がり、光星学院との決勝戦でも2安打完封で決勝戦史上最多タイの14奪三振を記録して史上7校目の春夏連覇を達成した。同大会では36回を投げて被安打14、49奪三振、9四死球で自責点2という数字を残した。
:
初登板
:
国体でも優勝して3冠を達成、同年のドラフト会議では地元の阪神とオリックスに加えてヤクルトとロッテの4球団から1位指名を受け、くじ引きの末に阪神が交渉権を獲得して入団となった。ルーキーイヤーは1軍キャンプに帯同するとオープン戦でも好投を続けて高卒ルーキーとしては異例の開幕ローテを勝ち取った。神宮球場で行われたヤクルトとの開幕第3戦を任されると初回にエラーが絡んで失点したが、なおも続いたピンチで岩村から初奪三振、相川をサードファウルフライに打ち取って1失点で切り抜けると、2回裏には連続四球で無死一、二塁としたが三者連続三振で切り抜けるなど6回を投げて3安打4四球ながら7奪三振を奪う上々の初登板となった。
:
初勝利
:
4月14日の横浜戦で2度目の先発を任されると試合は三浦との投げ合いとなったが、5回表のピンチで石川を打ち取るなど6回を無失点に抑えると、5回裏に自らスクイズを決めるなど高校時代から負けなしの甲子園で投打に躍動して初勝利を記録した。続くヤクルト戦では7回2安打1四球という圧巻の内容で連勝を飾り、横浜スタジアムで行われた28日の横浜戦では三浦から右中間を抜くツーベースで初ヒットを記録するなど、再びの投打の活躍でドラフト制以降では史上初となる高卒新人の4月3勝を記録した。
:
月間MVP
:
5月26日の日本ハム戦で大谷と対戦すると3打席で二塁打2本と打ち込まれたが、大谷以外は4安打無四球と圧倒して7回1失点で4勝目を記録した。6月には白星を記録できず、23日の横浜戦ではブランコのツーランなどで4回5失点KOとなった。だが登板間隔を空けての起用となった7月に2勝をあげると、8月には4日の巨人戦で6回無失点に抑えて菅野に投げ勝ち、続く中日戦では9回を投げ抜いて2安打7奪三振に抑えると10回表にマートンの決勝打で勝利投手になるなど月間5試合で33回を投げて4勝0敗、防御率1.09で月間MVPに選出された。
:
46年ぶり
:
8月31日の広島戦でセの高卒新人としては江夏以来46年ぶりとなる10勝目を記録した。9月7日の巨人戦で1対0で迎えた4回表に村田に逆転ツーランを浴びて高校時代から続いていた甲子園での連勝記録が14でストップすると、その後もまずまずのピッチングを見せたが白星を伸ばせず規定投球回にも届かなかったが高卒新人で10勝6敗、防御率2.76という特筆すべき成績を残した。CSでは広島とのファーストステージ初戦を任されたが同点に追いついた直後の5回表にキラにスリーランを浴びて敗戦投手になった。同年は小川、菅野というルーキー豊作年だったため新人王こそ逃したが新人特別賞を受賞した。
:
7者連続
:
14年は開幕から2戦連続で大量失点を喫したが20歳初登板となった4月15日の広島戦で7回を2失点に抑えると、打っても右中間に衝撃の初本塁打を放った。6月17日の日本ハム戦では8回を投げて4安打13奪三振で1失点に抑えながら白星を逃したがチームは12回裏にマートンのサヨナラヒットで競り勝つと、そこから登板試合でチーム7連勝で藤浪自身も4連勝を記録、7月15日の中日戦で13奪三振の1失点自責0で初完投、甲子園球場90周年の8月1日の横浜戦では球団タイ記録の7者連続奪三振(井納、荒波、石川、梶谷、ブランコ、筒香、バルディリス)という印象的な活躍を残した。
:
20歳でPS初戦で先発
:
9月19日の広島戦で10勝目を挙げてセ46年ぶりの高卒ルーキーから2年連続の二けた勝利を達成、最終戦も勝利して前年を超える11勝、規定を大きく超える163回と数字を伸ばした一方で失点率、WHIPは今一つの結果に終わった。CSでは巨人とのファイナル初戦を任されて6回まで無失点、7回裏に阿部のソロで1点こそ失ったが、なおも続いた無死満塁を零封して20歳6か月でPS勝利投手になった。ソフトバンクとの日本シリーズでは第3戦を任されたがイニング2暴投などで失点を重ねて5.2回3失点で敗戦投手になった。
:
32回連続無失点
:
15年は5月14日のヤクルト戦で8安打無四球の9奪三振で1失点完投勝利を記録すると、続く巨人戦で2安打3四球の10奪三振で初完封、さらに続く楽天戦では延長10回を投げ抜いて4安打3四球で13奪三振というゼロ更新を続けた。さらに6月3日のロッテ戦では6回まで2安打10奪三振という圧倒的な投球で無失点に抑えて連続イニング無失点を32まで伸ばした。だが8対0で迎えた7回表に一死三塁からエラーで失点すると、緊張の糸が切れたのかそこから打ち込まれてイニング6失点となり、リリーフも打ち込まれて8点のリードを失い勝利投手を逃した
:
横浜キラー
:
6月28日の横浜戦で7回2失点で三浦に投げ勝って勝利投手になると、翌週の横浜戦では8回1失点で12奪三振、打っても三浦から先制タイムリーで自身6連勝、3年連続の出場となったオールスターでは3回をパーフェクトに抑えて史上最年少でのMVPに選出されると、球宴明けの横浜戦で5安打2四球の12奪三振で完封、8月8日の横浜戦でも7回を6安打3四球で10奪三振と、わずか42日間で横浜から4勝と42奪三振を記録して横浜ファンに強烈な印象を残した。
:
エース
:
勝率5割付近での4球団が激しく首位を争ったシーズン終盤には中5日で起用されて8月28日のヤクルト戦で3安打1四球で完封、9月3日の広島戦では9四球を出しながら7回を2安打12奪三振で1失点、9日の巨人戦で7回3失点、15日の中日戦で8回零封と好投を続けた。だがチームは9月中旬から黒星を重ねて首位戦線から離脱、藤浪は9月28日の巨人戦で完封を記録して巨人の優勝を阻止したがチームは3位に終わった。同年は199回を投げて防御率2.40、14勝7敗にリーグダントツの221奪三振を記録、高卒から3年連続二桁投手は史上9人目となった。
:
161
:
球史に残る大投手になるかと思われたが、高卒1年目からのフル回転で右肩を痛めてオフのプレミア12は辞退、年内をノースロー調整で過ごし、オープン戦も今一つの状態で迎えた16年は自身の開幕戦となった3月29日のヤクルト戦で9安打4四球で4奪三振という今一つの内容ながら、同年に就任したスパルタ式の金本監督が完投を指示して9回裏に失点するまで149球という異例の球数を投じた。7月8日の広島戦では2対5で迎えた7回裏にすでに131球を投じていた藤浪がそのまま打席に入って甲子園がどよめきに包まれると、8回表のマウンドに上がった藤浪が3失点しても続投を指示して161球で8失点、13奪三振という数字が残った。藤浪は8回でマウンドを降りたが金本監督は試合後に「何点取られようが最後まで投げさせるつもりだった」と語った。
:
160
:
象徴的な試合となった一戦からチーム内での扱いが、エースから最下位争いに沈むチームの戦犯に変わり、22歳には前向きなメンタルを保つのが難しい日々が始まった。7回1失点の好投を見せた次戦で初回に7失点KOを喫するなど好投と炎上を繰り返し、9月14日の広島戦で日本人選手3人目の160キロを計測したが6四球で白星を掴めず、7月以降はトータルで見れば悪くなかったが3勝8敗と大幅に負け越して、シーズンを7勝11敗で終えた。
:
抹消
:
17年は初登板となった4月4日のヤクルト戦で4回までに8四球の大乱調、5回表には107球目がすっぽ抜けて畠山の左肩付近への死球となって大乱闘のきっかけとなった。次戦は得意のハマスタで8回1四球で1失点に抑えたが、5月4日のヤクルト戦で7四球を出すなど4戦連続で5四死球以上を記録、5月26日には8連勝中だった横浜戦でピッチャーの井納に先制タイムリーを浴びて初めて不調による登録抹消になった。
:
死球
:
ミニキャンプなどを経て二か月半後に1軍に復帰したが、金本監督から「彼の野球人生を左右する」とプレッシャーをかけられた広島との復帰戦で2回表にピッチャーの大瀬良の左肩に死球をぶつけてしまうと、大瀬良は痛みをこらえながら「大丈夫」と笑顔を見せたが藤浪は動揺を隠しきれず7四死球で4.2回で降板となった。続く巨人戦では6回まで無失点に抑えながら7回裏に村田への死球からイニング6失点、続く広島戦でも丸に死球をぶつけた3回裏に3失点、さらに続く巨人戦でも4回表に坂本への死球からイニング3失点と深い沼にはまってしまった。
:
満塁弾
:
18年は開幕ローテに入ったが7月26日広島戦で0.1回で2安打4四球で5失点KOになるなど不安定な投球から脱却できず抹消と登録を繰り返した。だが大山の3本塁打などで20対4と大勝した9月16日の横浜戦で3回表に一死満塁で打席に入ると田中建が投じたストレートを振り抜くと打球がハマスタのレフトスタンドに飛び込む伝説の満塁弾となった。巨人のガルベス以来19年ぶりの快挙を達成した藤浪は続く広島戦でもツーベースを放つと、30日の中日戦では投げては5安打2四球で849日ぶりに完封、打ってもセンターオーバーのツーベースに岩瀬からライト前でマルチ安打という二刀流の活躍を続けて通算50勝を達成した。
:
甲子園95周年
:
19年はオープン戦3試合で10回10四死球2暴投の乱調で開幕を初めて2軍で迎えた。長い2軍調整を経て甲子園球場95周年の8月1日中日戦でようやく初登板、初回に3四球を出しながら無失点で抑えると甲子園球場から大歓声が上がったが、その後も制球が定まらず1失点ながら4.1回で8四死球の大乱調、降板する藤浪には再び大歓声が送られたが翌日に抹消となると再昇格は果たせないままシーズンを終えた。同年は不眠や悪夢などの原因不明の症状にも苦しみ、病院やメンタルクリニック、整体などにも通ったが改善されずどん底の1年となった。
:
11失点と162キロ
:
20年はコロナウイルスの影響で世界的に行動が制限されていた中で参加した会食でコロナウイルスに感染して非難を受けた。ようやく再開された練習にも遅刻するなど矢野監督から意識不足を指摘されて開幕は2軍で迎えた。7月23日の広島戦で約1年ぶりの1軍登板を果たして5回までは無失点に抑えていたが6回表にビレラに逆転満塁弾を被弾すると、続くヤクルト戦も6回まで1失点に抑えながら7回裏にエラーから4本の内野安打で3失点、さらに巨人戦でも8回を4安打1四球に抑えながら自らのエラーもあって4失点というかみ合わない試合が続いた。その後は打ち込まれる試合が続くと9月5日の巨人戦では4.2回で球団ワースト記録を更新する11失点という大炎上となった。その後はリリーフに回って10月19日ヤクルト戦自身最速の162キロを記録した。
:
開幕投手
:
21年は矢野監督が直近2年間で1勝の藤浪をまさかの開幕投手に指名、「驚きしかなかった」という藤浪はヤクルト打線に5安打5四球と苦しみながらも5回2失点でまとめて勝利に貢献した。4月9日の横浜戦で7回を4安打5四球ながら2失点に抑えて勝利投手になると、続くヤクルト戦では5.2回を3安打5四死球ながら粘って無失点に抑えると、0対0で迎える5回裏に二死二塁で打席に入って甲子園のレフトスタンドに131メートルの特大弾を叩き込んだ。甲子園で1450日ぶりに勝利投手になった藤浪はお立ち台で本塁打についての感想を求められて「自分でも引きました」と笑顔で答えた。だが次戦も4.0回7四死球で降板、開幕からの5試合で27.2回で24四死球5暴投という乱調で抹消となった。6月の再昇格後はリリーフとして起用されたが不振脱却のきっかけはつかめなかった。
:
開幕投手
:
22年は故障者などが出た事もあって2年連続の開幕投手を任されるとヤクルト打線を7回3失点に抑えながらリリーフ陣が5点リードを守れず大逆転負けで白星を逃した。ショックを残したチームはそこから開幕9連敗、さらに1勝と1分を挟んでの6連敗で史上初の開幕17戦で1勝というどん底に沈んだ。藤浪も次戦では3被弾を喫すると、続く広島戦でも4回KO、さらにコロナに感染して抹消となった。
:
史上8位
:
その後はリリーフ登板などを挟んで4か月ぶりの先発登板となった8月6日の広島戦で6.1回2失点に抑えながらも、リリーフ陣が9回裏にまたも大逆転サヨナラ負けで白星を逃した。続く中日戦でも7回4安打1失点で無四球10奪三振とほぼ完ぺきなピッチングを見せたが打線が完封されて敗戦投手となった。厳しい流れが続いたが次戦の巨人戦でも7回を6安打無四球で1失点に抑えると打線が序盤に5得点を挙げて藤浪に491日ぶりの先発勝利が記録された。9月9日の横浜戦では宮アから空振り三振を奪って史上8位のスピードとなる986回で1000奪三振を達成した。同年は10試合の先発を含む16試合に登板して3勝5敗ながら防御率3.38、WHIP1.19というまずまずの成績を残した。
:
メジャーデビュー戦
:
オフには前年から要望していたメジャーリーグ移籍を目指してのポスティングシステムを球団が容認してくれたためアスレチックスとメジャー契約を結んで移籍となった。4月1日のエンゼルス戦でメジャー初登板初先発のマウンドに上がると初回にウォード、トラウトから連続三振、大谷をファーストゴロという完璧な立ち上がりを見せた。2回表も三者凡退に抑えて連続三振も奪ったが、3回表には無死から大谷のタイムリーなどで6者連続出塁さらに犠飛を挟んで2連続出塁を許して降板、リリーフ投手も打たれて藤浪にイニング8失点が記録された。
:
初勝利
:
メジャーの洗礼を浴びた藤浪は続くレイズ戦でも4.1回5失点、メッツ戦では6.0回を4安打2四球に抑えたがアロンソとカナに被弾して3失点、さらにレンジャース戦では初回にガルシアのツーラン、2回裏には5安打1死球1暴投でイニング5失点、3回裏にも失点して2.1回8失点で4連敗となり先発の座を失った。5月12日のレンジャース戦では2点を勝ち越されて、なおも一死一二塁となった10回表で登板して追加点を阻止すると、打線がその裏にルッカーのサヨナラ弾で逆転勝利、藤浪にメジャー初勝利が記録された。
:
リリーフ
:
5月17日のダイヤモンドバックス戦では同点の9回表を任されたがグリエルJrのツーベースから失点して敗戦、6月2日のマーリンズ戦ではオープナーで先発を任されてグリエルから空振り三振こそ奪ったがサンチェスのツーランで初回2失点、6月24日のブルージェイズ戦でもオープナーで0.2回2失点と結果が残せず先発では0勝6敗となった。だがリリーフでは5月30日のブレーブス戦で9回裏二死から登板して一死を取ると、その裏にサヨナラ内野ゴロで藤浪に2勝目、6月10日のブルワーズ戦では同点の9回裏を無失点に抑えて3勝目、7月1日のホワイトソックス戦では10回表の無死二塁から登板して無失点に抑えるとサヨナラ勝ちで4勝目、三日後のタイガース戦では9回裏を三者連続奪三振に抑えて5勝目と白星を量産した。
:
初セーブ
:
勝ち星こそ伸びたものの防御率は8.08と好結果は残せず7月19日にトレードでオリオールズに移籍となった。7月22日のレイズ戦では2点リードの8回裏を任されたが無死からの連続四球と暴投でピンチを作るとアロザレーナのタイムリーで追いつかれて降板となった。8月7日のメッツ戦ではスチュアートを163キロ2球で追い込むと最後は日本人最速の165キロで空振り三振という快投を見せた。8月13日のマリナーズ戦では2点を勝ち越した直後の10回裏を任されるとマイク・フォードをレフトフライに打ち取るなど三者凡退に抑えて初セーブを記録した。
:
横浜入団
:
24年はメッツに移籍したがオープン戦で好結果を残せずマイナー落ち、右肩痛もあってメジャー昇格は果たせなかった。翌25年はマリナーズとマイナー契約を結んで招待選手としてスプリングトレーニングに参加したがメジャー昇格は果たせず6月17日に自由契約となった。7月16日に横浜ベイスターズと契約。
初記録
初登板
2013年3月31日ヤクルト戦
初勝利
2013年4月14日横浜戦
初奪三振
2013年3月31日ヤクルト戦:岩村から
初完投
2014年7月15日中日戦
初完封
2015年5月20日巨人戦
記録達成日
1000奪三振
2022年9月9日横浜戦:宮アから
1000投球回
2025年8月31日中日戦
その他の記録
新人特別表彰
2013年
オールスターMVP
2015年
月間MVP
2013年8月
7者連続奪三振
2014年8月1日横浜戦
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
最多奪三振
●
1回
オールスター
●
●
●
●
4回
投球成績
チーム
登板
完投
完封
勝利
敗戦
S
回数
安打
本塁
四球
死球
三振
暴投
ボーク
失点
自責
防御率
13
阪神
24
0
0
10
6
0
137.2
119
10
44
2
126
8
0
48
42
2.75
14
阪神
25
2
0
11
8
0
163.0
150
6
64
11
172
6
0
79
64
3.53
15
阪神
28
7
4
14
7
0
199.0
162
9
82
11
221
9
0
70
53
2.40
16
阪神
26
2
1
7
11
0
169.0
152
11
70
8
176
6
1
78
61
3.25
17
阪神
11
0
0
3
5
0
59.0
53
5
45
8
41
5
0
30
27
4.12
18
阪神
13
1
1
5
3
0
71.0
70
5
47
4
70
5
0
45
42
5.32
19
阪神
1
0
0
0
0
0
4.1
4
0
6
2
3
0
0
1
1
2.08
20
阪神
24
0
0
1
6
0
76.1
71
5
40
2
85
4
0
47
34
4.01
21
阪神
21
0
0
3
3
0
48.1
47
4
40
4
52
8
1
29
28
5.21
22
阪神
16
0
0
3
5
0
66.2
58
6
21
3
65
5
0
28
25
3.38
球団
通算
10年
189
12
6
57
54
0
994.1
886
61
459
55
1011
56
2
455
377
3.41
打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
13
阪神
24
37
0
1
1
0
0
2
1
0
0
5
0
1
0
19
0
2
.027
14
阪神
25
52
3
9
2
0
1
14
6
0
0
6
0
0
0
30
1
6
.173
15
阪神
28
57
2
8
2
0
0
10
6
0
0
9
1
2
0
31
0
4
.140
16
阪神
26
48
4
8
2
1
0
12
1
0
0
7
0
2
0
30
1
3
.167
17
阪神
11
17
1
1
0
0
0
1
1
0
0
2
0
2
0
13
0
2
.059
18
阪神
13
23
2
4
2
0
1
9
5
0
0
2
0
1
0
15
0
3
.174
19
阪神
1
1
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
1
0
0
.000
20
阪神
24
16
1
1
0
0
0
1
1
0
0
3
0
0
0
11
0
2
.063
21
阪神
21
9
1
1
0
0
1
4
2
0
0
4
0
0
0
7
0
0
.111
22
阪神
16
20
0
0
0
0
0
0
0
0
0
2
0
0
0
13
0
2
.000
球団
通算
10年
189
280
14
33
9
1
3
53
23
0
0
40
1
8
0
170
2
24
.118
日本シリーズ投球成績
チーム
登板
完投
完封
勝利
敗戦
S
回数
安打
本塁
四球
死球
三振
暴投
ボーク
失点
自責
防御率
14
阪神
1
0
0
0
1
0
5.2
7
0
2
0
6
2
0
3
3
4.76
通算
1年
1
0
0
0
1
0
5.2
7
0
2
0
6
2
0
3
3
4.76
日本シリーズ打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
14
阪神
1
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
.000
通算
1年
1
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
.000
クライマックスシリーズ投球成績
チーム
登板
完投
完封
勝利
敗戦
S
回数
安打
本塁
四球
死球
三振
暴投
ボーク
失点
自責
防御率
13
阪神
1
0
0
0
1
0
5.0
7
1
1
0
6
0
0
4
4
7.20
14
阪神
1
0
0
1
0
0
7.0
6
1
1
0
6
0
0
1
1
1.29
15
阪神
1
0
0
0
0
0
6.0
7
0
2
0
6
0
0
2
1
1.50
17
阪神
1
0
0
0
0
0
2.0
1
0
0
0
2
0
0
0
0
0.00
22
阪神
1
0
0
0
1
0
3.0
2
1
3
0
4
1
0
2
2
6.00
通算
5年
5
0
0
1
2
0
23.0
23
3
7
0
24
1
0
9
8
3.13
クライマックスシリーズ打撃成績
チーム
試合
打数
得点
安打
二塁
三塁
本塁
塁打
打点
盗塁
盗刺
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺
失策
打率
13
阪神
1
1
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
1
0
0
.000
14
阪神
1
3
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
1
0
0
.000
15
阪神
1
2
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
1
.000
17
阪神
1
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
.000
22
阪神
1
1
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
1
0
0
.000
通算
5年
5
7
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
3
0
1
.000
オールスター投球成績
回数
登板
完投
完封
勝利
敗戦
S
回数
安打
本塁
四球
死球
三振
暴投
ボーク
失点
自責
防御率
通算
4回
4
0
0
2
1
0
9.0
6
1
2
0
5
0
0
4
4
4.00
二軍投球成績
チーム
登板
完投
勝利
敗戦
S
回数
安打
本塁
四死
三振
失点
自責
防御率
14
阪神
1
0
1
0
0
7.0
3
1
2
10
2
1
1.29
17
阪神
15
0
6
2
0
61.0
50
4
34
77
23
18
2.66
18
阪神
12
0
4
1
0
63.0
47
1
24
60
10
8
1.14
19
阪神
14
1
3
6
0
75.0
75
2
34
72
35
32
3.84
20
阪神
4
0
3
0
0
22.0
10
0
10
29
1
1
0.41
21
阪神
8
0
2
1
0
39.1
37
1
23
48
18
13
2.97
22
阪神
9
0
4
1
0
40.2
26
2
17
50
9
8
1.77
通算
7年
63
1
23
11
0
308.0
248
11
144
346
98
81
2.37
WBC投球成績
チーム
登板
完投
完封
勝利
敗戦
S
回数
安打
本塁
四球
死球
三振
暴投
ボーク
失点
自責
防御率
17
日本
1
0
0
0
0
0
2.0
0
0
1
1
4
0
0
0
0
0.00
通算
1年
1
0
0
0
0
0
2.0
0
0
1
1
4
0
0
0
0
0.00
MLB投球成績
チーム
登板
完投
完封
勝利
敗戦
S
回数
安打
本塁
四球
死球
三振
暴投
ボーク
失点
自責
防御率
23
アスレチックス
34
0
0
5
8
0
49.1
52
6
30
5
51
4
0
48
47
8.57
23
オリオールズ
30
0
0
2
0
2
29.2
21
3
15
2
32
4
0
17
16
4.85
通算
1年
64
0
0
7
8
2
79.0
73
9
45
7
83
8
0
65
63
7.18
AAA投球成績
チーム
登板
完投
完封
勝利
敗戦
S
回数
安打
本塁
四球
死球
三振
暴投
ボーク
失点
自責
防御率
24
AAA
29
0
0
1
2
1
32.1
17
2
33
3
38
6
1
28
24
6.68
25
AAA
21
0
0
2
1
0
18.2
11
0
26
3
24
7
0
13
12
5.79
通算
2年
50
0
0
3
3
1
51.0
27
2
59
6
62
13
1
41
36
6.35
AA投球成績
チーム
登板
完投
完封
勝利
敗戦
S
回数
安打
本塁
四球
死球
三振
暴投
ボーク
失点
自責
防御率
24
AA
2
0
0
0
0
0
2.0
0
0
0
0
5
0
0
0
0
0.00
通算
1年
2
0
0
0
0
0
2.0
0
0
0
0
5
0
0
0
0
0.00
A投球成績
チーム
登板
完投
完封
勝利
敗戦
S
回数
安打
本塁
四球
死球
三振
暴投
ボーク
失点
自責
防御率
24
A
1
0
0
0
0
0
1.0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0.00
通算
1年
1
0
0
0
0
0
1.0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0.00
ルーキーリーグ投球成績
チーム
登板
完投
完封
勝利
敗戦
S
回数
安打
本塁
四球
死球
三振
暴投
ボーク
失点
自責
防御率
24
RK
1
0
0
0
0
0
1.0
0
0
0
0
1
0
0
0
0
0.00
通算
1年
1
0
0
0
0
0
1.0
0
0
0
0
1
0
0
0
0
0.00