:13歳で特大弾:
ドミニカ共和国出身のバヤグアナで生まれる。7歳年上で外野手だった兄のアンダーソンに教えてもらって野球を始める。母国の大スターであるアルバート・プホルスを参考にして打撃を研究して13歳のときに120メートル級の特大弾を放って見せた。15歳の時に別の選手の視察にきていたマーリンズのスカウトの目に留まって15年の夏に7万8000ドルで契約した。
:兄:
18年に「絶対にメジャーリーグにいける」と励まし続けてくれていた兄のアンダーソンがバイク事故で27歳の若さで亡くなった。これが大きな転機となって野球への思いを強くしたエンカーナシオンはオフにはフィジカルトレーニングのコーチと契約して体を鍛え上げた。兄がプレゼントしてくれた金のメダルを試合中にも身に着けて臨んだ19年にはグラウンドを広く使う広角打法でAとA+で合計26二塁打、16本塁打を記録、優勝決定戦で満塁ホームランも放った。
:メジャー昇格:
20年にはスプリングトレーニングに招待されるなど期待されていたが、同年がコロナウイルスの影響でマイナーリーグが全休となると、翌21年には守備でフェンスに激突して右ひざを負傷、死球で左手を骨折するなど不運が重なって評価を落とした。だが22年は開幕から絶好調でAAで31試合に出場して打率.358、OPS1.010を記録してAAAに初昇格、AAAでも活躍を続けて6月17日に念願のメジャー昇格となった。
:夢:
6月19日のメッツ戦で8番ライトでメジャーデビュー、まずは3回裏の守備でライトオーバーの打球で二塁を狙った打者を強烈な送球でアウトにすると、7回裏にはライトスタンドに逆転満塁ホームランを叩き込み、9回表には盗塁も記録する衝撃のデビューを飾った。なおデビュー戦で満塁弾と盗塁と外野からの捕殺を記録した選手は1901年以降では初の快挙だった。エンカーナシオンは試合後に自身のインスタグラムに「兄弟、あなたの夢、そして私たちの夢が叶いました。私は永遠にあなたを愛しています」と記した。
:チャンス掴めず:
快挙の2日後にマイナーへ降格すると2か月後の8月19日に再昇格、チームが下位に沈んでいたこともあってシーズン終盤までスタメンで起用されて23試合に出場したが打率.182で三振率.416とメジャーの壁にはじき返された。翌23年はAAAで打率2割台前半と打撃不振に陥ってマーリンズを退団した。
:ホームラン:
24年はメキシカンリーグでプレーして好成績を残すと、5月にジャイアンツとマイナー契約を結んでAAAで打率.352、10本塁打を記録して8月2日にメジャーへ昇格した。翌日に代打でホームランを放つとスタメンに定着して9月8日のパドレス戦でスリーランを放つと、翌日にもツーランを放って連勝に貢献、9月27日のカージナルス戦ではマイコラスから逆転ツーランを放った。同年は35試合に出場して打率.248、5本塁打を含む28安打を記録した。
:横浜移籍:
25年は開幕直前に左手を骨折して出遅れると6月2日にメジャーへ復帰したが19試合の出場で打率.200、OPS.578という今一つの成績にとどまった。翌26年は開幕メジャーを勝ち取ったが17試合の出場で打率.176で0本塁打と好結果は残せず5月4日に戦力外となった。6月12日に長打力不足に苦しんでいた横浜と契約を結んだ。 |
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