:文武両道:
小学校から高校までは野球とフットボールのQBとしてプレー、学業でも秀でた才能を見せて世界大学ランキングで112位の名門ライス大学に進学、歯医者も目指していたが16年のドラフトでダイヤモンドバックスから3巡目指名を受けて契約、プロスペクトランキングでチーム1位に選出された18年にはAAで14試合に先発して防御率2.69、イニング数を上回る奪三振を記録した。
:メジャー初登板:
19年には招待選手としてスプリングトレーニングに参加、激しい競争を勝ち抜いて開幕メジャーを勝ち取った。4月1日のパドレス戦で10対3と大量リードの7回裏からマウンドに上がってメジャーデビュー、三者凡退に抑えて後に西武のコルデロから初三振を奪うとイニング跨ぎとなった8回裏には内野安打を許したがマチャドをショートゴロ併殺に打ち取ると、後に日本ハムのレイエスもファーストゴロに打ち取り、9回裏にはタティスジュニアをセカンドフライに抑えるなど3回を内野安打1本に抑えて初登板初セーブを記録した。
:初勝利:
2試合目の登板では無失点に抑えたが2四球に加えて暴投を投じてマイナー降格となった。4月28日に再昇格を果たすと延長15回の激戦となった同日のカブス戦で10回表からの4イニングを1安打に抑え込んだ。翌日に再びマイナー降格となったが5月9日に再昇格を果たすと同日のブレーブス戦で10回表を無失点に抑えると、その裏にマルテがサヨナラヒットを放ってデュプランティエに初勝利が記録された。
:先発:
5月31日にメッツ戦で初先発を任されると2回表に3失点と打ち込まれたが5回を3失点でまとめて試合を作った。続くドジャース戦では前田健太に投げ負けたが5回を投げてスミスのツーランのみに抑えた。だが続くフィリーズ戦では2回裏にハーパーのタイムリーなど5安打を集中されてイニング4失点、翌日に右肩の故障でマイナー降格となった。2か月後にメジャーに復帰したが1試合の登板で再びマイナー落ち、9月1日に再昇格を果たしたがメジャー定着には至らず同年は15試合の登板で1勝1敗1セーブ、防御率4.42、イニング数に近い奪三振を記録する一方で制球難に苦しんだ。
:解雇:
20年はコロナウイルスの影響でマイナリーグが全休になったこともあって登板機会を得られなかった。翌21年は5月25日にメジャー昇格、27日にカージナルス戦で先発したが5回を投げ切れず4失点、続くブルワーズ戦でも3被弾で5失点を喫するなど4試合連続で先発を任されたが全試合で4失点以上と試合を作れずマイナー降格、その後は右手中指を痛めて自由契約になった。
:阪神移籍:
22年はドジャース傘下のAAAで34試合の登板で93.2回を投げて109奪三振を記録したが、63四死球という大乱調でメジャー昇格はならなかった。翌23年はフィリーズとマイナー契約を結んだが故障でほとんど投げることができず6月17日に自由契約になった。24年はメッツとマイナー契約も制球難は改善されず6月13日に自由契約になり、ドジャースと契約したがメジャー登板は果たせずオフに阪神タイガースに移籍した。
:圧巻のデビューも:
チームに合流すると積極的にコミュニケーションをとり、好物のピクルスの代わりに梅干しを毎日食べるなど文化とチームに溶け込む姿を見せた。4月3日の横浜戦で初先発、3回までに6奪三振を記録すると、4回表、5回表は三者凡退に抑えて5回終わって1安打無四球という圧倒的な内容で横浜打線を封じ込めた。だが6回表に梶原のタイムリーで先取点を奪われて勝利投手を逃すと、続く登板は3回途中までノーヒットに抑えながら雨天中止となり、さらに広島戦でも5回で8奪三振を記録しながら拙守と内野安打などで自責0ながら敗戦投手という不運にあった。
:初勝利とお立ち台:
4月26日の巨人戦では5回で9奪三振を記録するなど登板3試合で16回を投げて25奪三振という驚異的な奪三振率を記録した。5月3日のヤクルト戦ではバッテリーを組む坂本と「相手は三振を取りに来ると考えていることを利用しよう」と話し合って変化球中心の配球で6回で3奪三振ながら4安打1四球で無失点に抑えて初勝利を記録した。お立ち台に上がったデュプランティエは楠本から伝授されたスペシャルワード「オウエンアリガトウゴザイマス!ゴイゴイスー!」を披露して大歓声を浴びた。
:横浜戦で好投も:
ハマスタ初登板となった5月15日の横浜戦では5回を投げて2安打1四球で7奪三振を記録しながら白星を逃すと、続く巨人戦でも6回9奪三振の1失点で白星なし、続く横浜戦では6回までジャクソンと投手戦を演じて牧のソロのみ抑えていたが、7回表に内野安打から二死満塁のピンチを背負うと代打宮崎に3‐2から投じた際どいスライダーがボール判定となって押し出しとなり敗戦投手になった。
:完封:
5月までは7試合の登板で防御率1.80ながら1勝2敗という不運が続いたが、6月に入ると5日の日本ハム戦で初回の一死から19者連続凡退を記録するなど6.2回で2安打1四球で12奪三振を記録して2勝目、続く西武戦は4回でKOされたが、来日した家族が球場に駆け付けた6月19日のロッテ戦では6回表から6者連続三振を記録するなど終盤に奪三振を量産して4安打無四球の12奪三振で初完封を達成、お立ち台では「ボチボチイコカ」と語って甲子園を沸かせた。続くヤクルト戦でも7回を投げて3安打無四球の7奪三振を記録して月間成績が3勝1敗、防御率1.01、奪三振率12.15となり月間MVPに選出された。
:後半戦は離脱:
7月5日の横浜戦では初登板で好投を見せたハマスタで3安打無四球の9奪三振で完封を記録、続くヤクルト戦では7回を投げて5安打2四球ながら10奪三振の2失点で4連勝を記録した。前半戦は14試合に登板して6勝3敗、防御率1.37、リーグトップの109奪三振というMVPクラスの活躍だったが前半戦最終登板となった巨人戦で下半身を痛めると中19日でヤクルト戦に登板して5回を自責1に抑えたが体調が悪化して後半戦は離脱した。
:横浜入団:
2か月間のリハビリを経てソフトバンクとの日本シリーズ第2戦で復帰したが初回に山川のタイムリーなどで逆転を許すと、2回裏にも打ち込まれて1.2回で7失点で降板となった。帰国する際に去就を問われた際には「シランケド」と関西弁で語り、帰国後にはインスタグラムで阪神への感謝の表して、最後に「ぼちぼちいこか」と締めた。一時はソフトバンク移籍が決定的とも報じられたが年明けに横浜との契約合意が発表された。 |
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