:キャッチャーからピッチャーに:
ベネズエラ出身、11年7月2日にインターナショナルFAでパドレスと契約、当初はキャッチャーとしての入団だったが13年にマイナーリーグで34試合に出場して11失策を記録、15年には90試合出場で16失策と守備が乱れて、打率も2割前後と低迷したことから16年の途中からピッチャーに転向した。同年にはマイナーの下位レベルとはいえ11試合で12.1回を投げて被安打3、14奪三振の無失点に抑えて40人ロースターに登録された。
:初勝利:
転向2年目の17年は7月24日の1日だけだったがMLBに昇格して同日のメッツ戦で初登板、セスペデスから見逃し三振で初奪三振も記録するなど無失点に抑えた。だが同年はA+で44試合に登板したが防御率5.98と苦しんでオフにホワイトソックスに移籍した。翌々年の19年にはメジャーに定着して40試合に登板、7月3日のタイガース戦のダブルヘッダー第2戦では延長12回表に登板して三者連続三振に抑えると、その裏にサヨナラホームランが飛び出してルイーズに初勝利が記録された。
:二刀流対決:
コロナウイルスの影響で短縮シーズンとなった20年は5登板に留まったが、翌21年には59試合に登板して防御率3.05という好成績を残し、9月16日のエンゼルス戦で大谷から空振り三振を奪うなどイニング数に迫る奪三振も記録した。また5月4日のレッズ戦では9対0とホワイトソックスが大量リードをしていたため野手のブランディーノがマウンドに上がると、イニング跨ぎとなったルイーズがメジャー初打席に入ってサードゴロを記録した。
:63試合登板:
22年もキャリアハイとなる63試合に登板してイニング数を上回る奪三振を記録するなど好投を続けていたが、大量点差をつけられた8月18日のアストロズ戦で敗戦処理として7回表から登板したがグリエルのタイムリーなどで5失点を喫して大きく防御率を落とした。
:WBC:
23年にはベネズエラ代表としてWBCに出場、1次ラウンドではドミニカ共和国戦で同点で迎えた4回表一死一塁でリリーフしてサンチェスを空振り三振、フアン・ソトをセカンドゴロに抑えて勝利投手になった。ニカラグア戦でも1点をリードされた3回表の無死二塁でリリーフすると2回をパーフェクトに抑え込んで再び勝利投手になった。準々決勝のアメリカ戦では先発のペレスが初回の無死から5連打を浴びて降板という状況でスクランブル登板、アンダーソン、シュワーバーを打ち取って追加点を阻止すると、2回表には無死一、二塁のピンチを背負ったがベッツ−をダブルプレー、トラウトを空振り三振に切って取って試合を作った。試合は7回までは7対5でリードしていたが8回表にターナーに逆転満塁弾が飛び出してベスト8で敗退となった。
:戦力外:
WBCでは好投を見せたがシーズンに入ると開幕から4試合で3被弾を含む9安打と滅多打ちあって9失点、中でも4月3日のジャイアンツ戦では3対7で迎えた9回表に登板したが5失点を喫して敗戦処理の役目をこなせず野手のアルベルトにマウンドを譲った。開幕から間もない4月9日にダイヤモンドバックスに金銭トレードで移籍、移籍後は34試合に登板したがオープナーでの初先発を任された7月23日のレッズ戦で2被弾を含む3失点で2回を投げ切れずマウンドを降りると2日後に戦力外となった。
:初セーブ:
24年はフィリーズとマイナー契約を結んで5月3日にメジャーに昇格、7月2日のカブス戦では5点リードの9回裏を任されたがブッシュ、ベリンジャーの連打でピンチを背負うと、鈴木
誠也にレフトスタンドにスリーランを運ばれて一死も取れずに降板するなど厳しいマウンドもあったが、7月20日から11試合連続無失点に抑えるなど後半戦は盛り返して52試合に登板、防御率3.71、5勝1敗に加えてシーズン最終戦では初セーブも記録した。
:大谷を止める?:
25年は4月4日のドジャース戦で3対0で迎えた8回表の二死一、三塁で打者ベッツという場面で起用されたが、二盗を狙った大谷が捕手リアルミュートの好送球でアウトになったためベッツを抑えることなく無失点で切り抜けた。なお大谷は前年から続いていた連続盗塁成功が38でストップする事になった。その後は5月1日に故障者リストに入ると、5月18日に復帰したがそこから4試合で8失点と炎上して戦力外となった。6月7日にブレーブスに入団したがメジャー登板は2試合のみに留まり、7月18日にレンジャースに移籍するとAAAでまずまずの成績を残したがメジャー昇格はならず、翌26年に横浜に入団した。 |
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