加藤 響
37
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名前 |
かとう ひびき |
| 生年月日 |
2002年6月15日 |
| 経歴 |
東海大相模高−東洋大−徳島−横浜(24年D3位) |
| 入団年 |
24年ドラフト3位 |
| 在籍年 |
25年− |
| 背番号 |
25年−[37] |
| 投打 |
右投げ右打ち |
| 守備 |
内野手 |
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:ベイジュニア:
神奈川県厚木出身、小1から野球を始めて自宅マンションのエントランスで父が上げるバトミントンの羽を打ってスイングを身につけた。小6時にはベイスターズジュニアとして鈴木尚監督の下でプレー、中学時代には海老名シニアで全国大会も経験した。
:東海大相模:
東海大相模では1年春からベンチ入りして1年秋からスタメンを任された。2年夏には県大会で打率5割を記録して甲子園出場に貢献、ヒットは打てなかったが甲子園でもプレーした。3年時には出場予定だった春のセンバツがコロナウイルスの影響で中止になり、夏の甲子園も中止となったが県の独自大会では準決勝の三浦学苑戦ではハマスタのレフトスタンドに逆転弾を放つなど主軸としてチームを引っ張って優勝に導いた。高校通算35本塁打。
:独立リーグへ:
東洋大に進学すると1年春から東都大学リーグに出場したがチームが同季に最下位に沈み、入れ替え戦にも敗れて2部リーグに転落、3年秋には1部リーグに復帰したが加藤は同季に2打席のみとチャンスをもらえず野球部を退部した。野球を辞めて企業説明会に参加しようと考えていたが、幼いころから指導を受けていた元プロ野球選手で独立リーグの徳島で監督経験もある養父
鉄の勧めもあって大学に籍を置いたまま徳島に入団した。
:自立:
大学時代を振り返って「高校で天狗になっていて、野球を舐めていた自分がいた。練習もあまりせず、もちろん結果も出なかった」という加藤は家賃25000円の部屋で自炊をし、プロ入りへの強い思いを持ってプレーするチームメイト達と過ごすうちに大人になり、調子の良しあしで上下していたメンタルも安定し、全力でプレーを続ける事の大事さも学んだ。遠距離通学とリモート講義で大学にも参加しながら試合に出場して打率.311、6本塁打、41打点を記録してチームの優勝に貢献。同年のドラフト会議で横浜から3位指名を受けて入団した。
:初ヒット:
ルーキーイヤーはイースタンリーグで87試合に出場して打率.234を記録、9月7日に1軍へ昇格すると10日の阪神戦で代走で初出場、翌日には7番セカンドでスタメン出場も3打数ノーヒットに倒れた。13日のヤクルト戦で2回表にライト前で初ヒットを記録した。 |
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| 初記録 |
| 初出場 |
2025年9月10日阪神戦 |
| 初安打 |
2025年9月13日ヤクルト戦:山野から |
| 初本塁打 |
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| 初打点 |
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| 初盗塁 |
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打撃成績
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チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
盗刺 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
| 25 |
横浜 |
9 |
17 |
2 |
3 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
6 |
0 |
0 |
1.76 |
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| 通算 |
1年 |
9 |
17 |
2 |
3 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
6 |
0 |
0 |
.176 |
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二軍打撃成績
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チーム |
試合 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
犠打 |
犠飛 |
四死 |
三振 |
併殺 |
失策 |
打率 |
|
| 25 |
横浜 |
87 |
308 |
36 |
72 |
21 |
1 |
5 |
110 |
32 |
3 |
3 |
1 |
24 |
43 |
4 |
7 |
.234 |
|
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| 通算 |
1年 |
87 |
308 |
36 |
72 |
21 |
1 |
5 |
110 |
32 |
3 |
3 |
1 |
24 |
43 |
4 |
7 |
.234 |
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