:月間8本塁打:
12年にドラフト外でヤンキースと契約、4年目の16年にAAへ初昇格して42試合に出場、打率.280、5本塁打を記録。翌17年にはAAAで25試合の出場で7本塁打を記録、AAでも101試合に出場して打率.272、13本塁打を放った。19年4月18日メジャーデビュー、21日のロイヤルズ戦で2回裏に左中間へツーベースを放って初ヒットを記録、同年には8月には月間8本塁打を放つなど50試合出場のわずか163打席で12本塁打を記録、AAAでも79試合出場で23本塁打、60打点という好成績を残した。
:横浜入団:
20年は29試合に出場も打率.135と苦しんでメジャー定着はならなかった。その後は所属球団を転々としたが23年にはマリナーズで84試合に出場して打率.228ながら16本塁打を放った。24年はレッズと契約したが17試合出場で打率.150と好成績は残せず自由契約となり、7月5日に横浜DeNAベイスターズとの契約が発表された。メジャー通算252試合出場に加えて4試合に登板して1奪三振も記録している。
:球団史上初のファーム日本一:
オールスターゲームでオースティンが故障したため後半戦から1軍に昇格して7月27日の巨人戦で初ヒットとなるホームランを放った。だがオースティンが復帰した8月2日に抹消となると以降は1軍昇格は果たせずシーズンを終えた。途中帰国を考えてもおかしくない起用法だったがファームでは遠征にも帯同して調整を続けると、ファーム日本選手権で2本塁打を放って球団史上初のファーム日本一に貢献した。
:日本一への使者:
ウィックが故障したためポストシーズンで昇格すると阪神とのCSファースト第2戦で代打でホームランを放った。巨人とのCSファイナル最終戦では1点差に追い上げた5回表の無死三塁で代打起用されて戸郷から同点タイムリーを放って勝利に貢献、ソフトバンクとの日本シリーズでは第5戦で5番で起用されて3出塁と期待に応えた。ハマスタでの日本一決定試合では代打で起用されるとフォードへの敬意を表すような大歓声が送られてフォードは打席で笑顔を見せた。フォードは帰国時にこの打席を振り返って「代打でバッターボックスに向かう時からその打席が終わるまで、あんなにも大きな声援を聞くことができ最高の気分でした。一生忘れることのない瞬間になりました。本当に感謝しています。最初に来日した時に約束した通り、横浜を日本一にすることができて嬉しいです!」 |
|