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森原 康平



45
名前 もりはら こうへい
生年月日 1991年12月26日
経歴 山陽高−近畿大工学部−新日鉄住金広畑−楽天(16年D5位)−横浜
入団年 22年シーズン途中に楽天から移籍
在籍年 22年途中−
背番号 22年途中−23年[68]:24年−[45]
投打 右投げ左打ち
守備 投手
野球始める
広島県出身、小学校時代に祖父の孝志さんと一緒に近所の神辺スポーツ広場に向かってキャッチャーボールや、ノックを打ってもらって野球を楽しんだ。小学校にはソフトボール部しかなかったので6年生の時に隣町の野球クラブに入団して本格的に野球を始める。当初は外野手だったが中学2年から投手に転向した。中学時代に所属した神辺レッズでは練習場に隣接していた起伏の激しい山中でダッシュを繰り返すサーキット・トレーニングで下半身を鍛え上げた。

近畿大学工学部
山陽高では3年夏に県ベスト4まで進出、近畿大学工学部に進学すると1年秋からリーグ戦に出場、2年秋には主にリリーフながら22.1回を投げて防御率0.00を記録、エースとなった3年秋には7勝1敗、防御率1.06でリーグ優勝に貢献した。そこから4年秋まで3季連続で防御率1位&ベストナインに輝き、リーグ3連覇も達成した。通算23勝4敗、防御率0.98。4年秋には明治神宮大会で初戦の東京情報大戦に勝利すると、2回戦の亜細亜大学戦でも6.2回を1失点に抑えたが、打線が山崎康と嶺井のバッテリーに完封負けを喫してベスト8に留まった。

楽天入団
新日鉄住金広畑に進むと夜間練習のみという厳しい環境だったが球速が大幅に上がり、2年目には主力投手となり日本選手権に出場、3年目の16年にはフォームに手ごたえをつかんで日本新薬の補強選手として出場した都市対抗野球ではリリーフに転向して151キロを計測、一躍ドラフト候補になった。同年のドラフト会議で楽天から5位指名を受けて入団した。

初登板
ルーキーイヤーはオープン戦で結果を残して開幕1軍に残ると、オリックスとの開幕戦で4対4の同点に追い付かれた7回裏で初登板、伊藤光にセンター前ヒットこそ打たれたが1回を無失点に抑えて勝利に貢献した。森原は「人生で一番くらい、緊張しました。だけど、一発目がこれだけ厳しい場面で、これを乗り越えたらと思ってマウンドに行けたのがよかった」と緊張の初登板を振り返った。

月間14試合に登板
開幕から10試合連続で無失点を記録、その間に10回を投げて被安打3無四球と完璧に抑えて勝ちパターンの一角に定着、開幕から約1か月でチーム22試合中16試合に登板と連日のように投げ続けてチームを支えた。4月19日の西武戦では延長12回裏に登板も浅村にサヨナラ打を浴びて初失点を記録したが、4月30日の日本ハム戦では8回裏を任されて三者凡退に抑えると、9回表に味方が勝ち越して森原に初勝利が記録された。森原は記念球を手に「ウイニングボールは実家のおじいちゃんにあげます」と笑顔を見せた。

抹消
5月26日の西武戦で1対0で迎えた8回に登板も四球や内野安打でピンチを背負うと源田が仕掛けて来たスクイズの打球に飛びついたが、同じく捕球を試みたファーストの銀次と接触しかけて内野安打になり追いつかれるとタイムリー2本などで5失点、その後も登板過多が響いたのか打ち込まれる試合が続いて6月10日に登録抹消となった。8月1日に再昇格を果たしたが、前半戦の輝きは見せられず42試合の登板で防御率4.81と大きく数字を落とした。

復活
18年は藤田、福山と自主トレを行って刺激を受けたがキャンプでの投球中に右肘を痛めて3月5日に右ひじのクリーニング手術を受けて離脱した。2軍調整を経て8月12日に1軍昇格、復帰戦となった15日のソフトバンク戦では152キロを計測して松田、甲斐から連続三振を奪って復活を印象付けた。9月19日のオリックス戦で6回裏一死二、三塁で登板、白崎を空振り三振、小島をショートライナーに抑えて無失点で切り抜けると、続く7回裏も無失点に抑えて勝利投手になった。手術後は球速が上がり平均で150キロを超え、奪三振率も10.06を記録した。

抑えテスト
だが翌年に抑えの松井祐が先発へ転向予定だったためシーズン終盤に抑えとして起用された2試合では「ガチガチに力んでしまった」という森原は9月25日西武戦では一死満塁のピンチを背負うと秋山に左中間へ逆転満塁弾を運ばれて敗戦、続く28日の日本ハム戦でも抑えとして起用されたが二死三塁から内野安打で追いつかれると、大田泰示の勝ち越しタイムリーなど5安打を集中されて炎上、悔しさとともに大きな経験を積んだ。

64登板
開幕前には日本代表に選出されて強化試合にも出場した19年は開幕から好投を続けると、6月には28者連続凡退を記録するなど、月間11試合に登板して被安打2で2四球に抑えて防御率0.00を記録、7月下旬まで19試合連続で自責点0を記録した。8回を任されるようになった夏場以降も好投を続けて実に64試合に登板して防御率1.97という素晴らしい成績を残した。プレミア12は右ひじの違和感で欠場となった。

抑え
コロナウイルスの影響で開幕延期となった20年は先発転向の松井に代わって抑えに抜擢されて6月24日の日本ハム戦で近藤、中田、渡辺のクリーンナップを三者凡退に抑えて初セーブを記録した。その後も9試合連続無失点に抑えていたが、開幕延期に伴う調整不足で違和感を感じていた森原は7月22日のソフトバンク戦では7対5で登板も自らのフィルダースチョイスも絡んでピンチを広げると4安打を集中されてイニング6失点を記録、そこから4試合で3.0回を投げて12安打で12失点という悲劇的な成績を残して抹消となった。8月15日に再昇格を果たしたが、8月27日に練習中に右太もも裏を痛めて抹消となり期待に応えることはできなかった。

横浜移籍
セーブ失敗時の激しい誹謗中傷に苦しんだ森原は「あんな経験もう二度としたくない」と強い決意をもって臨んだ21年は4月18日に1軍へ昇格すると、34試合に登板して防御率2.78という安定感のあるピッチングを続けた。だがシーズンを通して勝ちパターンでの起用は叶わず信頼感を取り戻すことはできなかった。22年1月7日に右ひじのクリーニング手術を受けて離脱、7月3日に昇格すると3試合に登板して無失点に抑えたが、7月28日に伊藤裕季也とのトレードで横浜移籍となった。コロナウイルスに観戦して1軍合流が遅れたが、9月18日に1軍へ合流すると翌19日の巨人戦で移籍後初登板、8回裏を三者凡退に抑えた。

好投と抹消
23年は開幕から9試合連続で自責0に抑えて徐々にポジションを上げると、5月4日の広島戦では同点の9回表を任されて三者凡退に抑えて宮アのサヨナラ弾で3年ぶりの白星を記録した。だが14日の阪神戦で一死も取れずに5失点で降板して翌日に体調不良で抹消となると、すぐに復帰したが5月31日の楽天戦の試合前に倒れてきた防球ネットで背中を強打して再び抹消という苦難を味わった。6月15日に1軍に合流すると19日の日本ハム戦で無死満塁でリリーフして零封するなど12試合連続無失点という好投を続けた。

抑え
後半戦に入ると不振の山崎康に代わって7月25日の中日戦で抑えに抜擢されたが3安打2四球と炎上して降板した。苦い記憶を持つだけに心配されたが中1日で27日の中日戦で三者凡退でセーブを記録すると、以降は安定した投球をセーブを積み重ねて信頼をつかんだ。シーズン最終盤に足の張りで離脱した事もあって46登板に留まったが防御率2.32、WHIP1.05、17セーブという好成績を残した。また抑えの大役を努めているとは思えないほど穏やかな表情で1球1球を投じる姿が話題になった。


初記録
初登板 2017年3月31日オリックス戦
初勝利 2017年4月30日日本ハム戦
初奪三振 2017年3月31日オリックス戦:川端から
初完投
初セーブ 2020年6月24日日本ハム戦


  投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
17 楽天 42 0 0 2 4 0 39.1 42 3 13 0 21 0 0 22 21 4.81
18 楽天 17 0 0 1 2 0 17.0 18 1 3 0 19 1 0 11 11 5.82
19 楽天 64 0 0 4 2 0 64.0 47 3 18 1 65 0 0 15 14 1.97
20 楽天 17 0 0 1 2 4 16.2 23 4 7 1 14 1 0 14 14 7.56
21 楽天 34 0 0 0 0 0 32.1 29 3 8 0 30 0 1 10 10 2.78
22 楽天 3 0 0 0 0 0 2.1 3 0 1 0 3 0 0 0 0 0.00
22 横浜 6 0 0 0 0 0 6.0 6 2 0 0 8 0 0 4 4 6.00
23 横浜 46 0 0 2 1 17 42.2 34 2 11 2 34 0 0 12 11 2.32
球団 2年 52 0 0 2 1 17 48.2 40 4 11 2 42 0 0 16 15 2.77
通算 7年 229 0 0 10 11 21 220.1 202 18 61 4 194 2 1 88 85 3.47


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
17 楽天 42 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
18 楽天 17 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
19 楽天 64 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .000
20 楽天 17 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
21 楽天 34 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
22 楽天 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
22 横浜 6 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
23 横浜 46 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .000
球団 2年 52 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 ..000
通算 7年 229 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 .000


  クライマックスシリーズ投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
19 楽天 2 0 0 0 0 0 2.0 3 0 1 0 0 0 0 0 0 0.00
23 横浜 1 0 0 0 0 0 0.1 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0.00
通算 2年 3 0 0 0 0 0 2.1 3 0 1 0 1 0 0 0 0 0.00


  クライマックスシリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
19 楽天 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
23 横浜 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
通算 2年 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000


  二軍投球成績
チーム 登板 完投 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四死 三振 失点 自責 防御率
17 楽天 12 0 0 1 7 11.2 12 2 4 10 9 9 6.94
18 楽天 6 0 0 0 0 6.1 1 0 1 8 0 0 0.00
20 楽天 8 0 0 0 0 7.2 12 0 2 7 7 7 8.22
21 楽天 17 0 1 0 2 18.0 10 2 3 20 4 4 2.00
22 楽天 14 0 0 1 1 14.0 13 0 2 13 4 4 2.57
22 横浜 5 0 1 0 0 5.0 4 1 2 10 1 1 1.80
23 横浜 2 0 0 0 0 2.0 3 0 0 2 0 0 0.00
通算 6年 64 0 2 2 10 64.2 55 5 14 70 25 25 3.48