:1勝8敗:
ドミニカ共和国出身、21歳でパイレーツと契約、初年度はルーキーリーグで1勝8敗、50.2回で36四球という制球難もあって防御率5.33と苦しんだ。翌18年はA-で14試合に先発して4勝6敗、防御率4.18を記録。翌19年はAとA+で合計25試合に登板、12勝8敗で防御率3.32とステップアップしたが、翌20年はコロナウイルスの影響でマイナーリーグが全休となり実戦経験が積めなかった。
:メジャー昇格:
21年はAAで21試合に登板して4勝8敗で防御率5.09を記録、翌22年はフルシーズンをAAAで過ごして3勝8敗で制球難にも苦しんだが、111.1回を投げてイニング数を超える122奪三振を記録した。翌23年の6月14日にメジャー初昇格、同日のカブス戦で初登板初先発、初回に鈴木誠也のヒットなどでピンチを背負って1点を失ったが、4回を投げて4安打3四球ながらその1失点のみに抑える粘りのピッチングを見せた。翌週のカブス戦でも鈴木誠也からの2三振を含む7奪三振を奪って6回3失点と試合を作ったが打線の援護なく初敗戦となった。
:メジャー初勝利:
その後も先発を任されたが初勝利はつかめず7月5日のドジャース戦では3回まで無失点に抑えて打線も4点を上げるなど初勝利が近づいたが、4回裏に無死からの3連続四死球で崩れてこの回限りで降板となった。先発の座も失ったが7月9日のブルペンデーで1.1回を無失点に抑えて初勝利を記録すると、7月22日のエンゼルス戦では2回裏二死から登板して3.0回を4安打1四球ながら大谷から空振り三振を奪うなど無失点に抑えて2勝目を挙げた。その後は先発にも復帰したが先発としては好成績は残せず2勝5敗、防御率5.86でオフに戦力外となった。
:メジャー定着:
24年はアスレチックスとメジャー契約を結んでオールスター明けから先発に定着、8月4日のドジャース戦では大谷を3打数ノーヒットに抑えるなど6回を投げて自責2にまとめながら敗戦投手になったが、続くブルージェイズ戦で6回を投げて2安打1四球の無失点で勝利投手になると、続くジャイアンツ戦で6回を1安打2四球の無失点、さらにレイズ戦で5回を2安打3四球の1失点と好投を続けて3連勝を飾った。シーズン終盤は右手首を痛めて登板できなかったが同年は5勝3敗、防御率3.41、63.1回を投げて63奪三振という好成績を残した。
:大量失点:
期待された25年は開幕から先発として起用されたが4月22日のレンジャース戦で4本のホームランを被弾して8失点を記録すると、5月15日のドジャース戦では初回にマンシーのツーランなどで3失点、2回裏にも大谷の犠飛、ベッツのタイムリーなどで失点を重ねて1.2回6失点でKOとなり、試合は大谷の2本塁打6打点の活躍などで2対19で惨敗となった。マイナー降格となり、再昇格後はロングリリーフ要員でイニング数は稼いだが同年は79.2回で被安打93、35四球の防御率5.87という厳しい結果に終わった。
:勝利投手:
26年はオフに12月19日にレイズ移籍、、1月16日にマーリンズ移籍、1月27日にエンゼルス移籍、2月5日にヤンキース移籍、3月24日にブレーブスに移籍とチームを転々、ブレーブスでは開幕第2戦でリリーフして勝利投手になったが、6試合の登板で4月16日に戦力外となった。ホワイトソックスに移籍すると4月27日のエンゼルス戦で4回4失点でKOされたケイに代わって5回表からマウンドに上がって3イニングを1失点に抑える好投を見せて、村上の逆転スリーランで勝利投手になった。なお雨天で3時間遅れての試合開始だったこともあって試合終了時間は0時33分となった。
:横浜入団:
5月8日にホワイトソックスから戦力外となり、6月11日に横浜に入団した。 |
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