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度会 隆輝



名前 わたらい りゅうき
生年月日 2002年10月4日
経歴 横浜高−ENEOS−横浜(23年D1位)
入団年 23年ドラフト1位
在籍年 24年−
背番号 24年−[4]
投打 右投げ左打ち
守備 外野手
引退試合で始球式
ヤクルト・スワローズで名わき役として15年間プレーした度会 博文と器械体操の選手でディズニーランドのダンサーでもあった母のもとに生まれる。幼いころから神宮球場に連れていかれて選手たちに可愛がられた。父の影響で野球を始めた兄の影響で野球を始める。08年10月12日に行われた父の引退試合では兄弟で始球式を任されて、兄の基輝が投じたストライクをキャッチャーとして受け止めて大歓声を浴びた。

少年時代
明るい家族の中ですくすくと育ち、前向きで愛される性格を育んだ。小6時にはヤクルトジュニアでプレー、佐倉シニアに所属した中3時にはジャイアンツカップで優勝、U15日本代表入りも果たしてアジアチャレンジマッチでは11打数7安打を記録してMVPを受賞、さらにTSB系テレビの炎の体育会TVには親子で出演して100秒以内に15枚の的を射抜くトスバッティングで史上初のパーフェクトを達成と少年時代から高い注目を集めた。

プロ志望届
横浜高校に入学すると1年夏の県大会で代打で5打席連続ヒット、甲子園でも代打でヒットを放つなど切り札として活躍した。1年秋にスタメンの座をつかんだが翌年冬に右足首を骨折、2年春の選抜も代打としての出場となった。4番を任された2年夏は県ベスト8で敗退、3年時はコロナウイルスの影響で甲子園大会が中止、プロ志望届を提出したが指名漏れとなり大きなショックを受けた。

都市対抗でMVP
大学進学ではなくプロに3年間で行ける社会人野球のENEOSに入社、メディアにも「3年後に絶対ドラフト1位でプロに行く」と宣言した。横浜高校までは内野手だったが外野手に転向、社会人1年目から都市対抗野球のJR東海戦でホームランを放つと、2年目の都市対抗野球では5試合で4本塁打を放ってMVPにあたる橋戸賞を受賞、優勝後のヒーローインタビューでは「最高で〜す!」と絶叫して東京ドームを沸かせた。

横浜入団
定評のあったミート力に加えて長打力、走力が増したことで評価が急上昇、同年のドラフト会議では中日、横浜、ロッテから1位指名を受けて抽選で三浦監督が引き当てた横浜に入団した。度会は嬉し涙を流しながら「体中しびれるほどうれしくて」と喜びを語った。同年12月に行われた神奈川県のレジェンド選手たちが集結した横浜スタジアム45周年記念ゲームにも出場、三浦監督や松坂と対戦してルーキーイヤーの前年からファンの心をつかんだ。背番号は父が現役時代に背負った4となった。

開幕戦
天性の明るさでキャンプイン前から多くの話題を集めたがオープン戦に入っても連日のようにヒットを重ねて、全て12球団トップの打率.434、出塁率.464、長打率.491という圧倒的な成績でマスコミをにぎわした。開幕戦に1番ライトで出場すると第2打席で2024年プロ野球1号となる同点スリーランをライトスタンドに叩き込んで大きなガッツポーズを見せた。新人としては球団史上64年ぶりの開幕戦本塁打を放った度会はお立ち台でも全力で振り切って横浜スタジアムを沸かせた。

頭部死球からの
開幕第2戦では第1打席で頭部に死球を受けながら初盗塁を記録すると、第2打席にレフト前ヒット、第3打席にはセ新人初の開幕から2試合連発となるツーラン、第4打席、第5打席もヒットを放って4打数4安打を記録して連日のお立ち台に上がった。4月5日の巨人戦では前年から45イニング連続無失点中だった戸郷から同点タイムリー、12日には父の古巣でもあるヤクルト戦で勝ち越しタイムリーを含む3安打を放ってお立ち台という派手な活躍を続けた。23日の阪神戦では2度のサヨナラ機会に凡退すると翌日も5タコに倒れて続く巨人戦は8番に打順を下げたが、2安打を放って迎えた8回裏には満塁弾を放って涙を流した。

清原以来
印象深い活躍を続ける一方で打率は2割台前半に低迷し、ライトの守備では打球感や照明などにアジャストできず拙守を重ねて5月16日に抹消となった。6月11日に再昇格を果たすと復帰戦から清原以来38年ぶりで球団新となる新人6試合連続打点を記録、21日の阪神戦で記録はストップしたが3安打を放つと、7月2日のヤクルト戦では3安打3打点でお立ち台に上がった。だが7日の阪神戦で5回裏の守備で後逸して試合の流れを変えてしまうと、1点リードの9回裏二死満塁ではライト前ヒットでライトゴロを狙ったが一塁への送球がそれて逆転サヨナラ負けとなった。

オールスター
プラスワン投票で選出されたオールスターでは神宮球場に父の応援歌が流れる中で2安打を放った。だが後半戦に入ると台頭した梶原にレギュラーの座を奪われたため8月12日に抹消となり、史上最大の逆転劇を達成して日本一に駆け上がったポストシーズンには出場できなかった。ルーキーイヤーは攻守に課題を残しながらも75試合に出場して打率.255、3本塁打、24打点を記録した。イースタンリーグでは打率.347、OPS.865と格の違いを見せた。


初記録
初出場 2024年3月29日広島戦
初安打 2024年3月29日広島戦:九里から
初本塁打 2024年3月29日広島戦:九里から
初打点 2024年3月29日広島戦:九里から
初盗塁 2024年3月30日広島戦:二盗で


24
オールスター 1回


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
通算


  オールスター打撃成績
回数 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
通算 1回 2 5 0 2 1 0 0 3 2 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .400


  二軍打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死 三振 併殺 失策 打率
通算