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佐藤 道郎



14
名前 さとう みちお
生年月日 1947年5月5日
経歴 日大三高−日体大−南海(69年D1位)−大洋
入団年 79年に南海から移籍
在籍年 79年−80年
背番号 79年−80年[14]
投打 右投げ右打ち
守備 投手
鼓膜
日本大学1年生の時に河内監督から「今日からブルペンで投球練習していいぞ」と言われ、佐藤はブルペンで50球ほど投げた。するとその日の夜に佐藤は上級生達に呼び出しを受け「お前一年生の分際で誰に断ってブルペンで投げた」と難癖を付けられ佐藤は袋叩きに会った。「28発目までは数えていましたね。突然、キーンという音がして、何がなんだかわからなくなりまして、あの瞬間、右の鼓膜が破れたんです。一人で16発殴った上級生もいましたよ」、佐藤の右鼓膜は今でも穴が空いていて右耳からはタバコの煙が出るという。

野球部
佐藤は野球を辞めようと思い、退部届を持って新宿の酒場で飲んでいた。すると偶然、佐藤を6発殴った上級生が現れた。佐藤が「あんた、外に出て1対1で勝負してもらおう」と言うと上級生は逃げ出した。佐藤は「こんな上級生のために命から二番目の野球を止めてたまるかと、その酒場で退部届を破りました」。こうして佐藤は野球部に残り、その上級生は野球部を辞めた。

2季連続MVP
日大時代には4年春に堀内 恒夫のピッチングフォームの分解写真を研究中に熟睡。夢の中で見たノーワインドアップ投法を次の試合で試したところ完封勝利を記録。その後も白星を重ねて8勝を記録(MVP)。秋にも8勝をあげて2季連続MVPに輝いてチームを春秋連覇に導いた。東都大学リーグ通算では一部リーグで20勝9敗、防御率1.52を記録。また二部リーグでも12勝を記録している。またのちに横綱になる輪島をボコボコに殴るほどの暴れん坊で輪島は「佐藤が一番怖かった」と語っている。

新人王
69年のドラフト会議で南海ホークスから1位指名を受けて入団。ルーキーイヤーには主にリリーフとして55試合に登板して18勝6敗、防御率2.05という素晴らしい成績を残して新人王に輝いた。また規定投球回にも到達して最優秀防御率も獲得した。気迫あふれるマウンドさばきから緩急を自在に操る頭脳的ピッチングを見せるなど理想的な投手だった。

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72年6月29日から7月18日までパリーグ新の11試合連続登板。

クイック・モーション
唯一無二の13年連続盗塁王を獲得する阪急の福本 豊を封じるために野村兼任監督とドン・ブレイザーの発案でクイック・モーションの研究が始まった。当初は投手陣から激しい反発があったが、率先してフォームを研究した佐藤がすり足で投げるクイックモーションの原型で福本を封じた事で他の投手陣もクイック・モーションの取り組むようになった。

3試合連続サヨナラホームラン
73年5月30日ロッテ戦、リリーフでマウンドに上がった佐藤は9人目のバッター榊親一にサヨナラホームランを打たれた。移動日を挟んだ6月1日の阪急戦でもリリーフとして起用されてまたも9人目のバッター福本豊にサヨナラホームランを浴びた。そして信じられないことに翌日の阪急戦でも佐藤は同点の延長10回にマウンドに上がると10回裏は3者凡退に抑えたが、延長11回裏に長池 徳士が放った打球がライトポールに直撃するサヨナラ弾となって3試合連続サヨナラ被弾という世界記録を達成した。

セーブ王
74年にセーブが記録されるようになると、13セーブで初代セーブ王に輝いた。また同年にはリリーフながら68試合に登板して3年連続で規定投球回を超えるイニングを投げて防御率1.91で2度目の最優秀防御率という驚異的な成績を残した。「おれは球の威力そのものより、アタマと気の強さで持っている」と語るように強気のピッチングでストッパーを務めた。

革命の裏で先発転向
77年には南海に移籍してきた江夏が野村監督の「野球に革命を起こさんか」という言葉でリリーフに転向した事もあり先発に転向。自分の場所を取られた佐藤は怒ったが、野村監督は「お前は放るのが楽しくて楽しくてしょうがない男だから先発にする。江夏の場合、悲しいかな、もう球数を投げれない」と説得して佐藤を先発に転向させた。同年には7完投を記録するなど202.2イニングを投げて12勝3敗、防御率3.46という好成績を残した。

500試合登板
佐藤の一番の理解者だった野村監督がホークスから去ると翌79年に大洋にトレードされた。ところが別当監督に「いいか佐藤、走りに走れ、走らないと登板させない」と言われた。投げて下半身を作るタイプだった佐藤は結果が残せず2勝5敗に終わる。翌年に監督に就任した土井は佐藤の調整を理解して自由にやらせてくれたがユマキャンプで投げ込んでいると右肩に激痛が走った。半年後の10月23日のヤクルト戦の7回に芦沢優をレフトフライに打ち取り、佐藤は記念すべき500登板達成した。そしてそれが土井監督の用意してくれた引退試合だった。なお500試合登板中444試合がリリーフ登板で5度の最多登板を記録している。

落合
80年5月14日、大洋球場で行われたロッテとの二軍戦。のちに3度の三冠王を獲得する落合は佐藤との対戦を心待ちにしていた。落合はプロ入り1年目には36試合に出場していたが、この年はオープン戦で故障して二軍暮らしが続いていた。すでに26歳だった落合は腐りかけていたが、大洋の先発が佐藤だと聞くと久しぶりに心が躍った。スピードはないがキレのある佐藤の球に「これが一流投手のボールなんだ」と感激した。そのボールをホームランにした落合は「佐藤さんのような投手と毎試合対戦できる一軍に早く上がりたくなった」という。落合はその後に5試合連続ホームランを放ち一軍に昇格した。落合は佐藤から放ったホームランを「落合 博光の原点」とまで言っている。落合は中日の監督に就任すると佐藤を二軍監督に招聘した。

野球小僧
09年からは知人の店を引き継いで「野球小僧」というスナックを経営。また再婚相手がタレントでダイエーホークスの和田 毅と結婚した仲根かすみの実母だったため和田の義理の父親になった。


初記録
初登板
初勝利
初奪三振
初セーブ
初完投
記録達成日
500試合登板 1980年10月23日ヤクルト戦






70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80
新人王 1回
最優秀防御率 2回
最多セーブ 2回
最高勝率 1回
オールスター 3回


  投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
70 南海 55 1 0 18 6 - 144.2 93 18 32 3 104 1 2 36 33 2.05
71 南海 39 0 0 8 4 - 93.2 89 16 45 3 66 2 0 51 48 4.60
72 南海 64 0 0 9 3 - 154.0 115 13 58 4 93 0 1 50 43 2.51
73 南海 60 1 0 11 12 - 130.1 117 14 38 3 76 1 5 54 46 3.18
74 南海 68 0 0 7 8 13 131.2 114 7 36 3 77 1 4 33 28 1.91
75 南海 42 3 0 9 5 6 150.2 153 12 46 5 67 0 0 57 42 2.50
76 南海 54 2 1 9 3 16 136.0 122 8 29 3 56 0 0 50 34 2.25
77 南海 38 7 1 12 3 0 202.2 210 17 61 8 79 2 0 89 78 3.46
78 南海 25 1 1 3 1 0 83.1 111 12 19 6 40 0 0 59 57 6.18
79 大洋 43 0 0 2 4 4 64.1 72 8 28 4 38 0 0 35 32 4.50
80 大洋 12 0 0 0 0 0 12.0 20 2 6 0 7 0 0 15 15 11.25
球団 2年 55 0 0 2 4 4 76.1 92 10 34 4 45 0 0 50 47 5.54
通算 11年 500 15 3 88 69 32 1303.1 1216 127 398 42 703 7 12 529 456 3.15


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
70 南海 55 30 2 4 0 0 0 4 0 1 0 2 0 2 0 13 1 0 .133
71 南海 39 15 3 1 0 0 0 1 0 0 0 1 0 3 0 4 0 0 .067
72 南海 64 25 2 4 0 0 0 4 1 0 0 2 0 1 0 7 0 4 .160
73 南海 60 22 1 3 0 0 0 3 1 0 0 2 0 2 0 6 2 0 .136
74 南海 69 19 0 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 3 0 5 1 0 .105
75 南海 43 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .000
76 南海 54 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
77 南海 42 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .000
78 南海 29 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
79 大洋 43 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000
80 大洋 12 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
球団 2年 55 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000
通算 11年 510 117 8 14 0 0 0 14 2 1 0 7 0 11 0 36 4 6 .120


  日本シリーズ投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
73 南海 2 0 0 0 1 0 8.0 5 1 2 0 2 0 0 2 2 2.25


  日本シリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
73 南海 2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000


  オールスター投球成績
回数 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
通算 3回 7 0 0 0 1 0 9.1 8 0 4 0 11 0 0 4 4 4.00


  オールスター打撃成績
回数 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
通算 3回 7 1 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1.00