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阿波野 秀幸



49
名前 あわの ひでゆき
生年月日 1964年7月28日
経歴 桜丘高−亜細亜大−近鉄−巨人−横浜
入団年 98年に巨人から移籍
在籍年 98年−00年
背番号 98年−00年[49]
投打 左投げ左打ち
守備 投手
:桜丘:
桜丘高では1年圧にベンチ入りし、エースになった2年夏には県5回戦で桐蔭学院と対戦、1対1で迎えた最終回にサヨナラ負けを喫したが、2年秋には山本昌を擁する日大藤沢に2対1で買ってベスト8まで勝ち上がった。3年夏は県4回戦で涙をのんだ。

:亜細亜大:
桜丘高の野球部長と亜細亜大の野球部長が知り合いだった縁で亜細亜大のセレクションを受けて合格。OBの黒紙 義弘にスクリューを伝授されたのをきっかけに飛躍。1年春からリーグ戦で登板し、2年春には早くも最優秀投手に選出された。4年秋にリーグタイ記録の9勝を上げてMVPに選出されたが、史上初のプレーオフとなった駒大戦で延長13回の激戦の末に為永のピッチャーゴロを阿波野が弾いてサヨナラ負けとなり涙を飲んだ。61試合の登板で32勝17敗、防御率1.83、282奪三振、MVP1回。最優秀投手3回。

:大洋、巨人、近鉄から1位指名:
大洋、巨人、近鉄が阿波野1位を明言していたが、在京セを希望する阿波野は「近鉄に指名されても入団しません」と言っていた。だがくじを引き当てたのはその近鉄。当初は入団を渋っていたが、70歳を過ぎても現役を続けた名物スカウトの河西に説得され近鉄に入団した。

:新人王:
ルーキーイヤーには15勝12敗、防御率2.88という素晴らしい成績を残した。日本ハムのルーキー西崎も15勝7敗、防御率2.89という遜色のない成績を残しており新人王は接戦になるかと思われたが、リーグトップの249.2投球回、201奪三振を記録した阿波野が141対51という大差で新人王に輝いた。

:権藤コーチ:
2年目の88年、この年から投手コーチになった権藤 博は「投げ込み不要論」を提唱した。もともと「投げ込んで肩を作るタイプ」と言っていた阿波野には違和感があったが「勇気を持って緩い球を使え」、「とにかく逃げるな、打たれたら俺が責任を取ってやる」といった権藤の助言に阿波野は少しずつ引かれていった。

:10.19:
88年10月19日ロッテ戦、ダブルヘッダーに連勝すれば近鉄が逆転優勝という伝説の「10.19」。二日前に完投したばかりの阿波野は第一試合の9回にリリーフとしてマウンドに上がり見事抑えて初セーブを記録した。だが第二試合ブライアントの一発で勝ち越した直後の8回裏にマウンドに上がった阿波野にもう力は残っていなかった。高沢 秀昭に同点ホームランを打たれて近鉄は延長10回引き分けで優勝を逃した。同年に阿波野は14勝12敗を記録したが、西崎が15勝を記録したため最多勝のタイトルは逃してしまった。

:優勝:
「10.19」から約1年後の89年10月14日ダイエー戦、吉井の後を継いでマウンドに立った阿波野は2回1/3を抑えて胴上げ投手になった。同年に阿波野は19勝を記録し名実ともに近鉄のエースになる筈だった。

:ボーク:
90年4月22日西武戦、五十嵐一塁塁審からボークがコールされた。試合開始直後からアピールしていた片平コーチとベンチの森監督はしてやったりの表情だ。近鉄球団代表の田代は審判のいるブースに乱入し、仰木監督は大声で怒鳴りながらベンチを飛び出した。この年からプロ野球連盟はそれまであいまいだったボークの規定を見直し、厳正に対処していこうと決めていた。入団以来5、11、5と牽制刺しを記録していた阿波野にとって牽制球は大きな武器だった。だがこの試合以降、野村 克也に「芸術品」とまで言わしめた牽制球が阿波野を助けることは無くなった。試合後に仰木監督は「リーグ有数の投手を連盟が殺そうとしている」と語った。

:50勝:
入団から15勝、14勝、19勝と凄まじい勢いで白星を積み重ねた阿波野は4年目の5月20日のロッテ戦で通算50勝を達成した。その11分前にはライバルと言われた日本ハムの西崎も4年目で50勝を達成していた。実はその1週間前に顔を合わせた二人は「お前が勝つならオレもその日に勝つから」と約束していた。

:転機:
優勝からわずか半年の間に阿波野にとって大きな出来事が3つあった。仰木監督との確執で権藤投手コーチが退団、ボーク問題、そしてドラフト会議で史上最多8球団の指名を受けた野茂 英雄が近鉄入団にしたことだ。「野茂に負けまいと空回りしていた」という阿波野は体調は良かったにもかかわらず波に乗り切れず10勝11敗と負け越して投手タイトルを総なめした新人の野茂にエースの称号を奪われた。

:ドラフト指名3球団に所属:
92年限りで仰木監督が勇退すると新しい首脳陣からの信頼を感じなくなった阿波野歯トレードを直訴して、93年11月11日に香田とのトレードで巨人へ移籍した。95年には左腕カルテットの一員として活躍したが、結局巨人の4年間では1勝もあげることは出来なかった。97年にわずか1試合登板に終わると、オフにトレードを志願して「本当は一番好きだった球団」だったという横浜に移籍。これでドラフト会議で阿波野を指名した3球団全てに所属することになった。

:1848日ぶり:
98年5月6日巨人戦、8回裏に6番手としてマウンドに上がった阿波野が巨人打線から三者三振を奪うと、続く9回表に進藤が逆転スリーランを放ち、阿波野は実に1848日ぶりの白星を手にした。同年には50試合に登板して防御率4.67で優勝に貢献。

:日本一決定試合で好投:
98年の日本シリーズでは第4戦で7回裏に登板して三者凡退に抑えると、9回表の横浜の攻撃ではかつてのライバルで西武に移籍していた西崎が駒田、佐伯から奪三振を奪ってセーブを記録した。優勝を決めた第6戦では0対0で迎えた8回表一死二塁という厳しい場面でマウンドに上がると、10年前の「10.19決戦」が頭をよぎったという阿波野だったが高木大をセカンドゴロ、鈴木健をレフトフライに打ち取る好リリーフを見せた。その裏に駒田のタイムリーで横浜が勝ち越したため阿波野に白星が記録された。


初記録
初登板 87年4月12日ロッテ戦
初勝利 87年4月12日ロッテ戦
初奪三振 87年4月12日ロッテ戦:西村から
初セーブ 88年10月19日ロッテ戦
初完投 87年4月12日ロッテ戦
記録達成日
1000投球回
その他の記録
月間MVP 87年4月、89年5月、8月




87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 00
新人王 ● 1回
最多勝 ● 1回
最多奪三振 ● ● 2回
最多投球回 ● ● 2回
ベストナイン ● 1回
ゴールデングラブ ● 1回
オールスター ● ● ● ● 4回


  投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
87 近鉄 32 22 3 15 12 0 249.2 211 27 58 4 201 3 0 86 80 2.88
88 近鉄 29 15 3 14 12 1 220.1 199 21 51 5 181 1 0 66 64 2.61
89 近鉄 29 21 5 19 8 1 235.2 187 28 80 4 183 4 0 75 71 2.71
90 近鉄 25 10 0 10 11 1 190.2 192 33 62 3 141 5 2 111 98 4.63
91 近鉄 13 0 0 2 2 1 38.1 41 7 12 2 20 4 0 22 21 4.93
92 近鉄 19 2 0 6 6 0 93.2 95 5 38 4 77 2 0 38 35 3.36
93 近鉄 22 0 0 1 3 0 50.2 69 11 30 0 38 0 0 43 39 6.93
94 巨人 6 0 0 0 2 0 10.1 22 2 6 0 9 1 0 14 14 12.19
95 巨人 24 0 0 0 3 0 29.1 33 2 19 2 26 2 0 19 14 4.30
96 巨人 4 0 0 0 0 0 9.0 5 0 2 0 13 0 0 3 3 3.00
97 巨人 1 0 0 0 0 0 0.0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0.00
98 横浜 50 0 0 4 1 0 54.0 50 6 22 4 44 3 2 29 28 4.67
99 横浜 40 0 0 2 8 1 62.2 79 10 24 6 41 1 0 49 44 6.32
00 横浜 11 0 0 2 0 0 15.2 15 1 5 2 11 0 0 8 8 4.60
球団 3年 101 0 0 8 9 1 132.1 144 17 51 12 96 4 2 86 80 5.44
通算 14年 305 70 11 75 68 5 1260.0 1198 150 410 36 985 26 4 563 519 3.71


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
87 近鉄 38 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 .000
88 近鉄 29 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
89 近鉄 33 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 .000
90 近鉄 25 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 .000
91 近鉄 13 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .000
92 近鉄 22 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 .000
93 近鉄 23 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 .000
94 巨人 6 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
95 巨人 24 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 2 .000
96 巨人 4 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 .000
97 巨人 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
98 横浜 50 7 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 1 0 4 0 1 .000
99 横浜 43 15 0 2 0 0 0 2 1 0 0 0 0 1 0 5 0 0 .133
00 横浜 12 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000
球団 3年 105 23 0 2 0 0 0 2 1 0 0 1 0 2 0 10 0 1 .087
通算 14年 323 29 0 2 0 0 0 2 1 0 0 1 0 2 0 15 0 16 .069


  日本シリーズ投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
89 近鉄 2 1 0 1 1 0 15.0 12 1 4 0 7 0 0 5 5 3.00
96 巨人 3 0 0 0 0 0 4.0 2 0 1 0 2 0 0 0 0 0.00
98 横浜 3 0 0 1 0 0 2.2 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0.00
球団 1年 3 0 0 1 0 0 2.2 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0.00
通算 3年 8 1 0 2 1 0 21.2 14 1 6 0 9 0 0 5 5 2.08


  日本シリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
89 近鉄 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000
96 巨人 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
98 横浜 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
球団 1年 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
通算 3年 8 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000


  オールスター投球成績
回数 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
通算 4回 4 0 0 2 0 0 12.0 7 0 0 0 12 0 0 2 2 1.50


  オールスター打撃成績
回数 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
通算 4回 4 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 0 .000


  二軍投球成績
チーム 登板 完投 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四死 三振 失点 自責 防御率
00 湘南 23 0 2 2 1 17.1 23 3 6 11 15 12 6.23
通算 1年 23 0 2 2 1 17.1 23 3 6 11 15 12 6.23
球団在籍時のみ