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MLB記録 タイトル

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デニー友利



41
名前 でにーともり:(旧登録名:友利 結:デニー)
生年月日 1967年9月21日
経歴 興南高校−大洋−横浜−西武−横浜−レッドソックス−中日
入団年 86年ドラフト1位
在籍年 87年−96年:03年−04年
背番号 87年−96年[30]:03年−04年[41]
投打 右投げ右打ち
守備 投手
ローレンス
67年9月21日、アメリカ人の父と宮古島出身の母の間に生まれた。当時の沖縄はアメリカ統治下にあり、米国籍だったデニーの名前は「ローレンス・フランクリン・デニー」だった。父方の祖父はフランスからの移民で、祖母は涙の旅路で有名なチェロキーインディアンだった。だがデニーが1歳の時に両親が離婚し、最初は父親に引き取られたが、その後母親と暮らすようになった。以来父とは音信普通になった。

野球を始める
小学校に入学すると「あめりかー」と言われ蔑まれた。「何を言われても無視していた。1年我慢してクラスが変われば言われなくなるだろう。と、次の年も言われれば、その繰り返し」。父親は離婚後アメリカに戻り、母親と姉との三人の生活が始まった。母子家庭の支援施設で家賃2500円の家に住んだ。そのころ施設の使い古されたグラブで野球を始めたデニーは両親から授かった恵まれた体格を生かしてメキメキと力をつけていった。

デニーの名
ある日、母親から「あんたの好きにしなさい」と父親の写真を手渡された。残された最後の写真だった。「母にしてみれば父に対していろいろな思いがあったと思う。目の前で破り捨てたら喜ぶかなと思ったけどできなかった」

高校進学
経済的な理由から高校進学は諦めざるを得ないところだったが学費免除の特待生として興南高に入学した。日本に帰化して名前を「友利 結」に変えて高3の夏には県大会決勝にまでに進出した。だが準決勝で頭部に死球を受けた友利が決勝戦を欠場した事が響いて甲子園出場はならなかった。高校通算成績は13勝、防御率1.06。奪三振126個。

ドラフト1位
阿波野のハズレ1位で大洋から沖縄県人としてはセリーグ初のドラフト1位指名を受けた。デニーは「細々と暮らしてきた母子家庭が島中からスポットライトを浴びた。自分から野球を取ったら何も残らない。このまま沖縄に戻ったら、白い目で見られる。居場所は無いんだ」という悲壮な決意で入団する。

期待はずれ
一年目の87年には3試合に登板。翌88年にはパイオニアリーグのビュートカッパーキングスに留学してアリゾナ教育リーグ参加したが一軍は4年連続で登板無しに終わる。入団から8年間が経ってもわずか20試合登板、勝ち星はゼロだった。「あの子、まだ野球やってたの」、沖縄に残してきた母は周囲からそんな言葉を受けていた。この頃のデニーはブルペンで投げていると隣の捕手がボールを捕ってしまうほどコントロールが悪かった。

登録名変更
92年、プロに入団してからオーバースローに転向していたデニーだったが、高橋 直樹コーチの下でサイドスローに再転向した。これで本来のスピードを取り戻した。入団9年目の95年には登録名を「デニー友利」に変更。「心機一転というつもりではなかった。やっぱり父からもらったものだし、だからイチロー君や、パンチといったノリではなかった」。ちなみにデニーも友利も両方苗字である。父と母の二つの名前を背中につけた。

釧路での好投
改名をして迎えた95年、8月5日に釧路で行われた2軍の巨人戦で先発をしたデニーは9回を4安打無失点に抑える好投を見せた。これが首脳陣の目にとまって8月24日に近藤監督から「明日から一軍昇格だぞ」と電話がかかってきた。その時に「釧路で先発するか?」と聞かれ、デニーは「ぜひやらせてください」と返事した。近藤監督は電話の向こうで笑っていたから「こりゃ駄目だな」とデニーは思っていた。

釧路での好投2
9月3日の中日戦。デニーは1月前に好投した釧路で本当に先発を告げられた。ベンチのムードは「デニーに勝たせるんだ」と一つになっていた。佐伯が「絶対打ったるから、しっかり抑えてや」と声をかければ、石井は何度もマウンドに足を運んで「このバッターは早打ちだ」、「引っ張って来るよ」とアドバイスをした。デニーは期待に応えて7回まで2安打1四球無失点に抑える好投を見せたが、2対0とリードして迎えた8回に立浪に打たれ同点に追いつかれてしまう。この回でマウンドを降り勝ち星はつかなかったが、試合は代打畠山のサヨナラタイムリーで横浜が勝った。「あの日は勝てなかったけど、あーやっと仕事が出来たな。今までやってきたことはムダじゃなかったんだな。って思いましたよ。先発を任されて、これが最初で最後のチャンスだ思って投げた。俺もやれば出来るんだなって」。試合後には盛田が「デニーさん、自分が勝ち投手になってスミマセン」と声をかけた。

初勝利
釧路での好投から1月後の10月6日阪神戦、3点をリードされた迎えた8回にマウンドに上がったデニーは1イニングを無失点で抑えると、9回表に打線が爆発し一挙4点を挙げて逆転した。9回裏は佐々木が締めて、ついにデニーは9年目の初勝利を達成した。しかし運が悪いことに、この試合は阪神の真弓選手の引退試合で、しかもこの日は世間を騒がせたオウム真理教の上祐容疑者が逮捕というビックニュースがあったため「デニー初勝利」のニュースは画像はおろか試合結果すら流れなかった。ちなみに初勝利の翌日の中日戦で7回からマウンドに上がったデニーは3イニングを無失点に抑えてプロ初セーブを記録した。

トレード
初勝利の翌96年にも1勝を記録したデニーだったが、「トレードに出して欲しい」と球団に直訴して西武にトレードされた。「これでダメなら辞めよう、とオレは所詮こんなものだと踏ん切りをつけるためだった。でも、このままじゃ沖縄に帰れないと思うと後が無かった」。移籍一年目には東尾監督にインコースを大胆に攻める攻撃的な投球術を伝授され、デニーの才能が一気に開花し、31試合に登板し、防御率3.38、10年間で2勝だったのに一年で4勝を記録した。

月間MVP
98年にはさらに力をつけたデニーはストッパーまで任されるようになり53試合に登板し、防御率2.60と7勝4敗8セーブと素晴らしい活躍を見せ、7月には月間MVPまで獲得した。そして同年にはチームも2年連続でパリーグチャンピオンになり、日本シリーズではベイスターズと顔を合わせることになった。

デニー凱旋
横浜スタジアムで行われた日本シリーズ第一戦、8回裏にピッチャーデニーが告げられた。「ブーイングを浴びるかな」と思っていたデニーを待っていたのは佐々木に負けないような大声援だった。デニーは中根にヒットを許したが石井から三振を奪って凱旋登板を飾った。

再びトレード志願
西武では98年から4年連続で50試合前後に登板するなどの大活躍でチームリーダ的な存在にまでなり、松坂 大輔の兄貴分としても注目を集めた。だが01年限りで東尾監督が勇退すると、伊原新監督は世代交代を推し進めて、デニーはわずか3試合登板に留まった。そしてオフになるとデニーは再び移籍を直訴した。

復帰
横浜の新監督に就任した山下から「チームを強くするために、投げている姿を若手に見せて欲しい。打者に向かっていく姿勢を」と電話を受けたデニーは「沖縄から自分を拾ってくれた横浜に、恩返しがしたかった。ここまでこられた姿を見せられるなら喜んで」と古巣復帰を快諾した。

どん底のチーム
03年、デニーは中継ぎとしてスタートするがホワイドサイドの不振もあって一時はストッパーを任されるなど52試合に登板して、防御率4.40とまずまずの数字を残すが、不振に喘ぐチームの結果の反映した1勝8敗7セーブという結果に終わった。

ハイサイおじさん
デニーがリリーフカーに乗ってグラウンドに現れると、「ハイサイおじさん、ハイサイおじさん♪」と沖縄訛り全開の登場曲が流れる。「ゲーム終盤の緊迫した空気が一気に緩むでしょ、でも、沖縄生まれ、沖縄育ちの自分にはぴったり、最初に流したときは山下監督でさえ苦笑いしてたけどね」。なおハイサイおじさんの歌詞は<ハイサイおじさんのページ>に載っています。

MLB挑戦
04年7月25日にチームの若手育成の方針から二軍に落とされたデニーはメジャー挑戦を決意する。そしてシーズンオフに単独トライアウトを受け、同年に世界一に輝いたレッドソックスのマイナー契約をした。37歳にしてのメジャー挑戦にデニーは「Never  too late!、人生遅すぎることはない」と宣言した。

中日入団
メジャー入りはならなかったデニーはAAAやAAでプレーすることになった。AAの監督は37歳のデニーより年下で、何かと気を遣ってくれたそうだ。ある日のミーティングではふがいないチームに溜まりかねた監督が、「お前達はベースボールをリスペクトしていない!」と激怒して、机やノートなどを手当たりしだいに投げ散らかしたが、デニーと目が合うと、「あっデニーは違うからね、デニーは大丈夫だよ」、と年上のデニーに配慮を見せたとか。そんなコトもあったが結局メジャー入りできなかったデニーは、シーズン後に中日に入団した。





初記録
初登板 87年10月8日広島戦
初勝利 95年10月6日阪神戦
初奪三振
初完投
初セーブ 95年10月7日中日戦
その他の記録
月間MVP 98年7月






87 92 93 94 95 96 97 98 99 00 01 02 03 04 06 07
オールスター 1回


  投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
87 大洋 3 0 0 0 0 0 3.0 2 0 3 1 2 0 0 1 1 3.00
92 大洋 1 0 0 0 1 0 1.2 3 1 4 1 1 0 0 5 5 27.00
93 横浜 12 0 0 0 2 0 19.0 22 4 9 2 17 0 0 20 19 9.00
94 横浜 4 0 0 0 1 0 4.2 8 1 8 0 4 2 0 10 7 13.50
95 横浜 9 0 0 1 1 1 24.0 24 2 5 2 17 0 0 16 16 6.00
96 横浜 17 0 0 1 1 0 17.0 20 2 4 1 21 2 0 9 9 4.76
97 西武 31 0 0 4 0 0 34.2 34 3 9 6 32 1 0 14 13 3.38
98 西武 53 0 0 7 4 8 69.1 67 4 13 4 68 1 2 20 20 2.60
99 西武 52 0 0 2 4 12 62.0 47 3 16 3 65 0 0 17 14 2.03
00 西武 48 0 0 1 3 1 53.1 54 7 15 2 49 1 0 21 20 3.38
01 西武 54 0 0 1 2 1 51.2 38 8 23 4 53 2 0 24 22 3.83
02 西武 3 0 0 0 0 0 3.0 1 1 0 0 4 0 0 1 1 3.00
03 横浜 52 0 0 1 8 7 47.0 49 5 11 5 47 3 2 24 23 4.40
04 横浜 21 0 0 0 1 0 25.1 30 7 4 1 24 0 0 15 13 4.62
06 中日 31 0 0 0 1 0 20.1 25 2 4 4 11 0 1 9 7 3.10
07 中日 8 0 0 0 0 0 5.2 3 1 0 0 5 0 0 2 1 1.59
球団 8年 119 0 0 3 15 8 141.2 158 22 48 8 133 7 0 100 93 5.90
通算 16年 399 0 0 18 29 30 441.2 427 51 128 36 420 12 5 208 191 3.89


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
87 大洋 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
92 大洋 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
93 横浜 14 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000
94 横浜 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
95 横浜 10 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 0 0 1 0 0 .000
96 横浜 18 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .000
97 西武 31 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
98 西武 53 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
99 西武 52 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .000
00 西武 48 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .000
01 西武 54 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .000
02 西武 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
03 横浜 52 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000
04 横浜 22 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
06 中日 31 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
07 中日 8 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
球団 8年 101 8 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 0 0 3 0 1 .000
通算 16年 404 8 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 0 0 3 0 4 .000


  日本シリーズ投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
97 西武 4 0 0 0 0 0 4.2 2 0 3 0 3 0 0 0 0 0.00
98 西武 2 0 0 0 0 0 1.1 1 0 1 0 2 0 0 1 0 0.00
通算 2回 6 0 0 0 0 0 6.0 3 0 4 0 5 0 0 1 0 0.00


  オールスター投球成績
回数 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
通算 1回 1 0 0 0 0 0 1.0 2 0 0 0 1 0 0 0 0 0.00






 
安打
本塁打
打点
盗塁
犠打
打率
試合
三振
併殺
勝利
奪三振
セーブ
登板
敗戦
被本塁打
SeasonRecord
安打
本塁打
打点
盗塁
打率
盗塁死

三振

併殺
勝利
奪三振
セーブ
登板
敗戦
被本塁打
et cetera

安打
二塁打
三塁打
本塁打
打点
盗塁
三振
併殺
盗塁死
勝利
セーブ
奪三振
完投
完封
敗戦
被安打
被本塁打
Average Record
打率
防御率
奪三振率
三振率
被本塁打率
安打
本塁打
打点
盗塁
打率
三振
勝利
奪三振
セーブ
SeasonRecord
安打
本塁打
打点
盗塁
打率
三振
勝利
奪三振
セーブ
日米通算 球団在籍選手
打者あ
打者か
打者さ
打者た
打者な
打者は
打者まや
打者らわ
投手あ
投手か
投手さ
投手た
投手な
投手は
投手まや
投手らわ
et cetera
大洋ホエールズ
横浜大洋ホエールズ
横浜ベイスターズ
全選手一覧
監督
その他

打者タイトル
投手タイトル
MVP
新人王
沢村賞
カムバック

et cetera
ベストナイン
ゴールデングラブ
サイクルヒット
ノーヒットノーラン
日本記録
球団記録
ALL
50S
60S
70S
80S
90S
00S
Team Record
巨人
阪神
中日
広島
ヤクルト
松竹&
西日本

ALL
勝利
敗戦
打率
本塁打
三振


65年
66年1次
66年2次
67年
68年