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江尻 亮



19
名前 えじり あきら
生年月日 1943年1月10日
経歴 日立一高−早稲田大−大洋
入団年 65年に早稲田から入団
在籍年 65年−79年
背番号 65年−79年[19]
投打 左投げ左打ち
守備 投手>外野手
投手江尻
早稲田大に投手として1年春から早くも六大学のマウンドへ上がったが、1年秋には一死も取れずに5失点降板、2年春には3度先発のチャンスを貰ったが結果が残せず2年秋に外野手へ転向した。

48時間
富山球場で行われた早慶戦に6番ライトで出場していた江尻は6回裏の打席で右こめかみに投球を受けて失神。江尻は病院に運ばれたが48時間経っても意識が戻らない。そのころ江尻は夢を見ていた「死んだ祖父母がお花畑の中に立って「こっちへこい」といいながら手招きするんですよ。すると私はいい気持ちになって飛んでいくんです。そしたら後ろから兄の寛が襟首つかんで引き戻すんですね。私はこの瞬間意識が戻ったんです」

初勝利
3年になるとリリーフ件代打として起用され、3年秋には全て負けゲームでのリリーフながら4試合に登板して全て無失点に抑えた。4年春の明大戦で6イニングのロングリリーフを無失点に抑えて大学初勝利を記録。続く東大戦で4イニングを無失点に抑えると、先発を任された法政戦では5安打に抑え込んで初完封勝利を達成した。

無失点記録
勝ち越せば7季ぶりの優勝が決まる4年春の早慶戦の1回戦では7回裏に代打で起用されて同点に繋がるツーベースを放つと、そのままマウンドに上がって延長13回表までの6イニングを無失点に抑えてサヨナラ勝利に導くなど優勝に大きく貢献した。4年秋には東大戦で6イニングをまだがるロングリリーフを無失点に抑えると、翌日の東大戦では先発して7回を無失点に抑えて、3シーズンにまたがる無失点記録が六大学記録である杉浦 忠の45イニングに迫る42イニング2/3まで伸びて大きな注目を浴びた。

46回2/3
大記録がかかった立教戦での先発は球場入りしてから告げられた。1回表、2回表と走者を出しながら何とか無失点に抑えると、2回裏には同級生の直江 輝昭が先制ホームランで江尻を援護する。そして江尻が3回表を無失点に抑えて大記録を更新すると応援団は「仰げよ荘厳」を歌って江尻を祝福した。4回表も無失点で抑えたが、5回表二死から慶応の渡辺が打ち上げた大飛球にライトの直江がダイビングキャッチを試みたがフェンスに激しく激突して負傷、ランニングホームランとなり46回2/3で記録はストップした。江尻の記録更新に懸命なプレイを見せた直江は立ち上がれず神宮球場内に初めて救急車が入り慶応病院へ搬送される事態となった。

2季連続最優秀防御率
46回2/3連続無失点はのちに志村(慶大)に破られるまで東京六大学記録だった。また4年の春には4試合に登板し3勝0敗、防御率0.00で最優秀防御率、秋には7試合に登板して4勝3敗、防御率1.02で二期連続最優秀防御率に輝いた。

打者転向
投手として大洋に入団したが、ルーキーイヤーの65年には6月24日の巨人戦で王 貞治に満塁ホームランを打たれるなど結果が残せなかった。だが早稲田時代から投打両面で活躍していたため、大洋でも1年目から代打としても起用され、27打数7安打で打率.280を記録。2年目には209打席に立って打率.303を記録する活躍を見せたため、3年目から打者に専念することになった。

レギュラー獲得
打者に転向した67年に早くもレギュラーを獲得すると、翌68年からはクリーンナップに定着。69年には打率.283、18本塁打で64年以来となるチームのAクラス入りに大きく貢献した。

ベストナイン
70年には打率.271、11本塁打で初のベストナインに選出された。大洋が72年にシピン、江藤、ボイヤーといった強力な補強をしたため、同年からは1、2番を打つことが多くなった。73年には打率.291、15本塁打で2度目のベストナイン。

頭部死球
77年の巨人戦で加藤初から頭部死球を受けて負傷。以後はスタメン機会が大幅に激減して引退へのきっかけともなったが、翌78年の6月11日巨人戦では因縁の加藤初から代打で自身最後のホームランをライトスタンドに叩き込んだ。

引退
79年に現役を引退したが、引退した年を含めて15年間全てで打率.250以上を記録して、通算三振率.098という高い安定感を持っていた。また68年から8年連続で100安打を放ち、最多捕殺を3度、二桁盗塁を4度記録するなど走攻守に優れた外野手として長くチームに貢献した。

時の流れ
65年に江尻が入団したとき、取材で合宿所の前を近所の子供と一緒に走っている写真を撮った。それから14年後の69年11月に横浜スタジアムで入団テストが行われていた。引退しテストに立ち会っていた江尻の前に、一人の選手が話し掛けてきた「江尻さん、子供と走る写真をとったでしょう。あの中に私もいました」その選手は2本塁打を放ち、一次テストに合格したが二次テストで不合格となった。「その若者の本塁打を見たとき、私の胸もこれでいいんだ、私の引退も時の流れなんだと割り切れました。人生トシをとったものが若者に席を譲っていく。これが自然だと思いました」

詩人
江尻は詩と読書を趣味にし、同人誌に短歌を発表していたという。詩人ヴェルレーヌを愛し、「柏人」という俳号で俳句にも造詣が深かった。またコーチ時代には合宿所に図書室をつくったりもした。

代理監督
92年には須藤監督が7勝15敗という成績で5月2日に休養。監督代行を務めることになった江尻は、残り108試合を54勝54敗の五分で乗り切り、最終的には5位ながら、首位から8ゲーム差にまで盛り返しす手腕を見せた。大洋ホエールズ最後の監督になった江尻だったが、翌年にチームが横浜ベイスターズに生まれ変わることもあってか球団が近藤 昭仁新監督を選択したため正監督就任はならなかった。

ロッテ監督
96年にロッテの監督に就任したが前年にチームを2位にまで引き上げたバレンタイン監督を解雇した広岡GMの手先のように思われていたため、伊良部の造反劇が起こるなど選手との信頼関係が築けず、心労も重なってシーズン中に体調を崩して入院するなど借金5ながら5位に終わり1年で監督を辞任した。奇しくも後任監督は前年まで横浜の監督を務めていた近藤 昭仁で、大洋時代に続いて江尻から近藤昭という監督交代となった。


初記録
初出場 65年4月11日国鉄戦:代打
初安打
初本塁打
初打点
初盗塁
記録達成日
1000安打
100本塁打





65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79
ベストナイン 2回
オールスター 2回


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
65 大洋 27 27 5 7 0 0 1 10 3 0 1 0 0 2 0 5 0 1 .280
66 大洋 71 201 24 61 18 2 4 95 16 0 1 1 0 4 3 22 2 2 .303
67 大洋 117 297 36 73 11 4 7 113 21 4 5 2 1 10 6 22 7 1 .246
68 大洋 127 435 56 108 20 7 14 184 44 10 10 6 0 19 3 52 3 7 .248
69 大洋 113 382 53 108 17 2 18 183 43 5 6 5 1 16 7 60 5 1 .283
70 大洋 128 458 53 124 23 3 11 186 51 13 6 12 1 24 2 40 8 1 .271
71 大洋 127 464 49 130 14 3 6 168 31 17 3 1 2 32 5 38 9 3 .280
72 大洋 127 423 57 112 18 4 12 174 39 11 8 1 3 38 3 47 7 1 .265
73 大洋 122 433 54 126 18 1 15 191 44 8 3 1 5 27 8 41 8 2 .291
74 大洋 120 426 54 120 9 4 10 167 37 4 2 5 1 29 3 34 6 5 .282
75 大洋 123 430 48 119 12 2 7 156 36 6 4 14 3 22 5 30 8 2 .277
76 大洋 114 360 38 90 13 1 8 129 33 3 1 0 1 18 2 31 11 1 .250
77 大洋 68 166 19 44 10 1 1 59 21 1 1 0 5 16 3 11 2 3 .265
78 大洋 59 61 4 16 2 0 2 24 13 0 0 0 1 7 0 11 0 0 .262
79 大洋 42 42 1 11 1 0 0 12 4 0 0 0 0 3 0 5 2 0 .262
通算 15年 1485 4603 551 1249 186 34 116 1851 436 82 51 48 24 267 50 449 78 30 .271


  投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
65 大洋 5 0 0 0 1 - 11.1 10 4 3 0 6 1 0 5 4 3.27
66 大洋 5 0 0 0 0 - 6.1 9 1 1 0 1 0 0 4 3 4.50
通算 2年 10 0 0 0 1 - 17.2 19 5 4 0 7 1 0 9 7 3.50


  オールスター打撃成績
回数 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
通算 2回 4 4 1 1 0 0 0 1 0 1 0 0 0 0 0 2 0 0 .250


  監督成績
チーム 順位 勝利 敗戦 分け 勝率 ゲーム差 本塁 被本 盗塁 犠打 打率 防御率 失策
92 大洋 5 54 54 1 .500 8.0 97 125 87 .249 3.75 80
96 ロッテ 5 60 65 3 .480 15.5 85 115 71 .252 3.68 96
通算 2年 5 114 119 4 .489 23.5 182 240 158 .250 3.72 176
92年は5月3日から閉幕まで
96年は開幕から8月22日、8月30日から閉幕まで
「ゲーム差」から右は一年間のチーム成績