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遠藤 一彦



24
名前 えんどう かずひこ
生年月日 1955年4月19日
経歴 学法石川高校−東海大学−大洋
入団年 77年ドラフト3位
在籍年 78年−92年
背番号 78年−92年[24]
投打 右投げ右打ち
守備 投手
甲子園出場ならず
学法石川高時代には2年時に1番センター、3年時に4番ピッチャーとして活躍したが2年連続して県大会の決勝で敗れて甲子園はならなかった。特に3年夏の決勝戦では1点を先制した直後の2回裏に一死三塁というピンチで三塁走者を気にした遠藤がセットポジションから投球動作を行ったが、ボールが手から離れず、あわてて投球動作後にグラウンドにボールを転がしたが、もちろんボークとなって同点に追いつかれると、7回裏に勝ち越し点を失って甲子園出場を逃した。

東海大進学
遠藤は県大会が終わると建築設計技師になるために東洋大の工学部への進学を目指して猛勉強を開始した。遠藤は大学では野球を続けるつもりはなかったが、明治大学からセレクションの話があり、監督からの紹介ということもありしぶしぶ参加したが、打者として高い評価を受けて合格した。野球を止めることを決めていた遠藤はこの話を断ったが、その2週間後に東海大学から建築学科での野球推薦の話があり「ふっと、その気になった」という遠藤は今度は受諾して東海大に進学した。

江川に打たれる
東海大学では1年の春から背番号24でベンチ入りして首都大学リーグで3試合に登板し、4.2回で防御率3.60を記録した。1年の秋には2完封を含む3勝1敗で防御率0.60という素晴らしい成績を残すと、2年春には7勝1敗で防御率0.85、2年秋に4勝1敗で防御率1.98と、首都大学リーグではレベルが違う成績を記録した。通算28勝5敗で防御率1.17、大学8シーズンで5度の優勝を成し遂げた。3年時には大学野球選手権の決勝で斎藤明雄を擁する大商大に勝って全国制覇も達成している。4年時には神宮大会決勝で憧れの江川と初対戦、立ち上がりは投手戦を演じたが5回に江川のヒットから遠藤が崩れて降板となってしまった。

初勝利
遠藤は進路を東京ガスに決めていたが、それまで何の接触もなかった大洋からドラフト会議で3位指名受けた。遠藤は悩んだが入団を投手陣が弱い大洋ならチャンスがあると考えて入団を決意した。入団直後の3月に別当監督からサイド転向を指示されたが、二軍の堀本 律雄投手コーチが「一軍の人間に聞かれたら『横で投げてます』と答えとけ」と言って、フォーム改造を行わせなかった。そしてイースタンで46,2イニング連続無失点のファーム記録を打ち立てると、一軍に昇格して9月10日中日戦で先発登板。遠藤は序盤に2点を許しただけで、4回以降はパーフェクトに抑えこみ初勝利を4安打完投で飾った。

フォーク
初勝利をあげた遠藤だったが別当監督は遠藤に来年の新人王を取らせようと考えたため、初年度の先発は1試合に留まった。翌79年にはキャンプで捕手の辻 恭彦からフォークボールを投げることを進められて、フォークの達人だった村山実とバッテリーを組んでいた辻から多くのアドバイスを受けて本格的に練習を開始、試行錯誤するうちにストレートのような軌道と回転で打者の手前になって急激に落ちる高速フォークを習得した。

新人王ならず
伝家の宝刀を手にした遠藤は2年目の79年に5月5日の巨人戦から6連続完投勝利を含む7連勝を達成するなど、12勝12敗8セーブ、防御率3.81を記録したが、中日の藤沢が13勝5敗を記録したため新人王を逃した。翌年からも年々威力を増していったフォークは関根監督に「遠藤のフォークは一回上がってから落ちる」と言わせるまでになった。またシュート気味に落ちるフォークとスライダー気味に落ちるフォーク、小さな変化でゴロを打たせるフォークと状況に合わせて投げ分けて、カウント球としても使用するなどピッチングの軸になる球種となった。

後輩
81年4月22日巨人戦でサヨナラホームランを打たれるなど、東海大の3年後輩である原辰徳には弱く、たびたび痛い目にあわされた。遠藤は「後輩だから打たせてやった。」といっているが、実は遠藤と原は大学時代に寮で同室であったため、原は遠藤の性格を読みきっていた。他の投手のインコースには飛び上がってよける原が、遠藤のストレートにはピクリともしなかった。遠藤が絶対にぶつけないことを確信していた原は思いっきり踏み込んで外角球をホームランにした。遠藤は原から15本塁打を打たれている。

江川の連続20勝を防ぐ
82年9月21日の巨人戦では大洋戦10連勝中の江川と対戦、共に完投を記録したが遠藤が13奪三振の2失点完投で投げ勝った。10月9日の巨人戦では2年連続20勝と最多勝をかけてシーズン最後のマウンドに上がった江川と対戦、遠藤は先取点を許したが、4回裏に田代の同点ホームランとラムの勝ち越しソロで逆転すると、5回裏には山下がとどめの一発をレフトスタンドに放り込んで、江川の最多勝と2年連続20勝を防いだ。

沢村賞
82年にリーグ最多の71四球を記録するなど当時は制球が今一つだったが、捕手の辻に「150キロが出るわけじゃないんだから狙ったところにキチっと放らなきゃダメじゃないか」と言われてコントロールへの意識を強めて翌年から与四球率が半減、翌83年は8月中旬までは6勝9敗と今ひとつだったが、8月14日から怒涛の12連勝を記録し、18勝9敗3セーブ、186奪三振、リーグ2位の防御率2.87という素晴らしい活躍で最多勝、奪三振王、最多完投に加えて球団史上二人目の沢村賞を獲得した。

::
球速も150キロ近いスピードが出るようになり84年にも2年連続の最多勝を記録したが17勝17敗というリーグ史上初の貯金なしでの最多勝となった。翌85年には14勝7敗で防御率3.15を記録、またプロ野球ニュースの「選手が選ぶNo1投手」という企画では79%というダントツの評価を受けた。

チョンチョン
86年4月25日巨人戦、この頃巨人に在籍していたクロマティは、ヒットを打つたびに「ここが違うんだよ」とばかりに、投手を見ながら自分の頭を指でチョンチョンとつつくポーズで有名だった。初回にそのクロマティを迎えた遠藤は3球連続のフォークで3球3三振に切って取った。すると「そこまで日本のピッチャーを馬鹿にするんなら、そういう場面で三振を取ったら1回やってやろうと仲間と話していた。」という遠藤はベンチへ戻ろうとするクロマティに対して「ここが違うんだよ」と自分の頭を指でチョンチョンとつついてみせた。

アキレス腱断裂
82年から6年連続13勝以上、5年連続200イニング以上という、球界を代表するエースになった遠藤は打撃でも走塁でも常に全力プレーだった。だがそれが後に悲劇を産む。87年10月3日の巨人戦、篠塚のエラーで出塁した遠藤は高木豊のレフト線を襲うヒットで二塁を蹴って三塁を狙ったが、ニ、三塁間で遠藤がケンケンを始めた。この時は右アキレス腱を断裂していたにもかかわらず遠藤は左足一本で三塁に向かって飛びつづけた。

ストッパー転向
翌88年に復帰するも5勝12敗、防御率4.76と見る影も無くなっていた。90年引退がささやかれる中、小谷コーチの「なあ遠藤、お前もそろそろ引退を考える年だろ。どうせやめて行く身なら、一度その身を預けてみないか。オレはお前の死に場所を見極めてやりたいんだ。」という言葉でストッパー転向を承諾した。

カムバック
90年4月8日、開幕二戦目の中日戦。7対7の同点から延長11回表に市川の犠牲フライで勝ち越し、11回裏に遠藤が抑え転向初登板、見事にセーブポイントを記録した。同年には5月6日の阪神戦から14試合にまたがって21.1回を連続無失点に抑えるなど見事に復活を果たした遠藤は6勝6敗21セーブの活躍でカムバック賞を受賞した。

横浜大洋ホエールズ
92年10月7日巨人戦、翌年から横浜ベイスターズへと名を変える大洋ホエールズの最終戦が遠藤の引退試合となった。同年は故障から復帰後は140キロ台中盤を計測するなど手ごたえを感じていたが、9月下旬に戦力外通告を受け移籍も頭をよぎったが、元監督である関根の「大洋の遠藤でいいんじゃないか」という言葉で心を決めた。引退試合後に行われたセレモニーでは長渕剛の乾杯が流れる中、涙で顔をクシャクシャにして斉藤と抱き合った。横浜大洋の初年度に入団した際に別当監督から「マリンブルーのユニホームが一番似合う選手」と言われた遠藤はホエールズとともに現役を終えた。通算109完投、イニング数の1%にも満たない21死球と美学を貫いた。

江川
遠藤が「初恋の人以上」とまで意識していたのが江川で、「この人の前では目立ちたいという気持ちが人一倍強かった」と言う遠藤は、大学4年時に全日本大学選手権で破れ、プロでも江川135勝、遠藤は134勝と一歩及ばなかった。ただ直接対決では8勝5敗と勝ち越している。





チーム対戦成績
巨人 21勝37敗
阪神 25勝24敗
中日 22勝24敗
広島 29勝25敗
ヤクルト 37勝18敗
その他の記録
最多無四球 84、85、86、87
月間MVP 83年9月、85年6月
12連勝 83年
イースタン最優秀防御率 78年
イースタン最多勝 78年
初記録
初登板 78年8月15日中日戦
初勝利 78年9月10日中日戦
初奪三振
初完投 78年9月10日中日戦
初完封
記録達成日
100勝 86年8月30日ヤクルト戦
1000奪三振 85年5月16日阪神戦
1500奪三振 89年8月20日中日戦




78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92
沢村賞 1回
最多勝 2回
最多奪三振 3回
カムバック賞 1回
オールスター 5回
ベストナイン 1回


  投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
78 大洋 11 1 0 1 0 0 23.2 20 2 6 1 18 0 0 13 12 4.50
79 大洋 47 8 1 12 12 8 203.2 198 29 54 1 165 2 0 89 86 3.81
80 大洋 54 0 0 5 5 16 105.0 92 15 31 0 108 0 1 41 37 3.17
81 大洋 35 5 0 8 11 2 135.1 144 15 51 2 96 3 0 62 59 3.93
82 大洋 38 12 4 14 17 1 243.2 229 27 71 2 177 3 0 98 83 3.06
83 大洋 36 16 3 18 9 3 238.1 219 31 42 5 186 2 2 81 76 2.87
84 大洋 38 18 2 17 17 0 276.2 255 39 60 2 208 1 1 132 113 3.68
85 大洋 28 16 2 14 7 0 214.1 188 25 51 1 154 2 0 82 75 3.15
86 大洋 31 16 1 13 13 0 233.0 242 29 31 1 185 4 0 92 78 3.01
87 大洋 23 15 1 14 7 0 181.1 172 21 25 2 107 0 0 62 58 2.88
88 大洋 23 1 0 5 12 0 109.2 123 17 22 1 67 0 0 63 58 4.76
89 大洋 19 1 0 2 8 0 89.0 113 22 14 2 69 2 0 61 61 6.17
90 大洋 45 0 0 6 6 21 70.2 51 7 18 1 55 0 0 21 17 2.17
91 大洋 19 0 0 2 2 7 25.0 26 5 9 0 18 2 0 16 16 5.76
92 大洋 13 0 0 3 2 0 59.1 65 7 13 0 41 1 0 28 27 4.10
通算 15年 460 109 14 134 128 58 2208.1 2137 291 498 21 1654 22 4 941 856 3.49


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
78 大洋 12 7 0 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 .286
79 大洋 47 68 7 11 2 0 0 13 5 0 0 0 0 1 0 15 0 0 .162
80 大洋 55 23 2 8 0 0 1 11 2 0 0 0 0 0 0 6 0 0 .348
81 大洋 35 44 1 6 0 0 0 6 2 0 0 2 0 1 0 14 1 2 .136
82 大洋 38 80 4 12 1 0 0 13 2 0 0 4 0 0 0 26 0 3 .150
83 大洋 37 73 5 8 0 0 0 8 4 0 0 10 0 3 1 21 0 0 .110
84 大洋 38 83 5 14 0 1 0 16 10 0 0 20 0 1 0 24 0 6 .169
85 大洋 28 77 4 13 1 0 0 14 2 0 0 7 0 2 0 20 0 0 .169
86 大洋 31 72 5 12 2 0 0 14 3 0 0 11 0 3 0 22 2 3 .167
87 大洋 30 67 4 7 0 2 0 11 7 0 0 3 0 2 0 25 0 0 .104
88 大洋 25 32 2 4 0 0 0 4 2 0 0 6 0 2 0 17 1 0 .125
89 大洋 21 26 1 5 1 0 0 6 1 0 0 3 0 0 0 12 0 0 .192
90 大洋 45 13 0 1 0 0 0 1 1 0 0 1 0 0 0 7 0 1 .077
91 大洋 19 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000
92 大洋 14 19 0 2 0 0 0 2 0 0 0 1 0 0 0 5 2 0 .105
通算 15年 475 771 40 105 7 3 1 121 41 0 0 68 0 15 1 217 6 15 .153


  オールスター投球成績
回数 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
通算 5回 6 0 0 0 0 0 11.0 9 4 2 0 10 0 0 5 5 4.09


  オールスター打撃成績
回数 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
通算 5回 6 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000






 
安打
本塁打
打点
盗塁
犠打
打率
試合
三振
併殺
勝利
奪三振
セーブ
登板
敗戦
被本塁打
SeasonRecord
安打
本塁打
打点
盗塁
打率
盗塁死

三振

併殺
勝利
奪三振
セーブ
登板
敗戦
被本塁打
et cetera

安打
二塁打
三塁打
本塁打
打点
盗塁
三振
併殺
盗塁死
勝利
セーブ
奪三振
完投
完封
敗戦
被安打
被本塁打
Average Record
打率
防御率
奪三振率
三振率
被本塁打率
安打
本塁打
打点
盗塁
打率
三振
勝利
奪三振
セーブ
SeasonRecord
安打
本塁打
打点
盗塁
打率
三振
勝利
奪三振
セーブ
日米通算 球団在籍選手
打者あ
打者か
打者さ
打者た
打者な
打者は
打者まや
打者らわ
投手あ
投手か
投手さ
投手た
投手な
投手は
投手まや
投手らわ
et cetera
大洋ホエールズ
横浜大洋ホエールズ
横浜ベイスターズ
全選手一覧
監督
その他

打者タイトル
投手タイトル
MVP
新人王
沢村賞
カムバック

et cetera
ベストナイン
ゴールデングラブ
サイクルヒット
ノーヒットノーラン
日本記録
球団記録
ALL
50S
60S
70S
80S
90S
00S
Team Record
巨人
阪神
中日
広島
ヤクルト
松竹&
西日本

ALL
勝利
敗戦
打率
本塁打
三振


65年
66年1次
66年2次
67年
68年