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小西 得郎



名前 こにし とくろう
生年月日 19年月日
経歴
入団年 52年に監督に就任
在籍年 52年−53年
背番号 52年[1]:53年[30]
投打 ?投げ?打ち
守備 無し
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ロシア文学者で京都帝国大学の教授を務め、スターリンとも親交があった父の元に生まれる。三高の入試に合格しながら、明治大学野球部ならアメリカ遠征に行けると誘われて三高を中退して明大へ進学、野球を嫌っていた父親には激怒された。明大では第8代主将で「コマネズミのごとく走り回る外野手」といわれた。石川造船に就職したが退社してアヘンの密売で生計を立てた。

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その後に芸者の置屋の主人なども務めたが、社会人野球の審判を経て、36年に創設したばかりの大東京の監督に就任した。38年にはエースの桜井 七之助が故障したため、ピッチャーが菊矢 吉雄と近藤 久しかいなくなり、セカンドの大友 一郎をマウンドに送ることになった。大友がマウンドに上がるときはセンターの鬼頭 数雄がセカンドに入り、ピッチャーの菊矢がセンターに入るほど人材がいなかった。

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終戦後は新橋で仙台製作所という闇屋を経営したが、そこが野球関係者が集う場所となり、プロ野球再開に向けた話し合いや選手の移籍に関する話し合いなどが行われた。

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50年には松竹ロビンスから監督の要請を受けた。小西は当初は固辞したが、キャンプ地の岡山からオート三輪に乗って東京に来た岩本 義行に説得されて監督に就任した。セ・パ分裂直後に大補強を行なったチームは寄せ集め集団と言われるほど移籍選手が多かったが、小西はうまく束ねてチームを作ってセ記録の勝率.737でセリーグの初代王者になった。水爆打線といわれた球史に残る強力打線にチーム223盗塁で25犠打という攻撃的な采配を組み合わせて日本記録の908得点を記録した。優勝をした際には選手たちが思わず小柄な小西監督を3回胴上げしたが、これがプロ野球初の胴上げとされている。

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だが日本シリーズ前に田村会長が生え抜きのエース真田に功労金30万円を渡したことで移籍組から不満の声が上がり、日本シリーズの初戦で真田が登板回避したこともあってチームはバラバラになり、毎日オリオンズとの日本シリーズは2勝4敗で敗れて日本一を逃した。オーナーと衝突した小西は勝率.737で優勝を成し遂げながら同年限りで解任となった。

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52年に大洋の監督に就任。4位ではあったが58勝62敗という5割近い成績を残した。翌53年には大洋が松竹と合併して大洋松竹ロビンスとなり、寄せ集めの難しいチーム編成で52勝77敗の5位に終わった。また合併の際に「大洋と松竹から1年ごとに監督を出す」という奇妙な取り決めがなされていたため同年限りで退任し、翌年は松竹のフロントから監督が選ばれた。

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55年にNHKの解説者となり「なんと申しましょうか」という小西節で一世を風靡した。この名文句は捕手がファウルチップを股間に当て、うずくまっている場面でアナウンサーに振られて「なんと申しましょうか…」と言ったのが始まりらしい。戦後初の東西対抗を発案したのも小西で、45年11月23日に占領軍に接収され、「ステートサイトパーク」と名前を変えていた神宮球場で第一回東西対抗が行われた。71年に殿堂入り。


監督成績
110勝
139敗
1分
勝率.442
Aクラス0回


  監督成績
チーム 順位 勝利 敗戦 分け 勝率 ゲーム差 本塁 被本 盗塁 打率 防御率 失策
36秋 大東京 ? 3 9 0 .250 - 0 1 40 .205 4.33 95
37春 大東京 6 21 31 4 .404 19.0 8 4 92 .220 3.01 165
37秋 ライオン 6 19 29 1 .396 20.0 12 18 74 .233 4.45 117
38春 ライオン 8 9 26 0 .257 20.0 8 8 25 .211 3.71 79
39 名古屋 6 28 34 2 .452 27.5 19 21 134 .216 2.44 160
40 名古屋 5 58 41 5 .586 15.5 12 17 131 .191 1.90 171
41 名古屋 6 13 15 0 .464 25.0 13 12 56 .182 1.75 125
50 松竹 1 98 35 4 .737 ▼9.0 179 97 223 .287 3.23 164
52 大洋 4 58 62 0 .483 25.0 57 76 160 .248 3.68 154
53 洋松 5 52 77 1 .403 37.5 63 90 109 .246 4.10 149
球団 2年 110 139 1 .442 62.5 120 166 269 .247 3.89 303
通算 10年 359 359 17 .500 180.5 371 344 1044 .224 3.26 1379
37年春は11月15日から閉幕まで
39年は6月7日から閉幕まで
41年開幕から5月28日まで
ゲーム差から右は一年間のチーム成績