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中島 治康



30
名前 なかじま はるやす
生年月日 1909年6月28日
経歴 松本商−早稲田大−藤倉電線−巨人−大洋
入団年 50年に巨人から移籍
在籍年 50年−51年
背番号 50年−51年[30]
投打 右投げ右打ち
守備 外野手
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「和製ベーブ」「日本版ホームラン・ベーカー」と呼ばれた強打の外野手。もともとは投手で、1928年の夏には松本商業の4番エースとして甲子園制覇。早稲田大学に入学するが肩を痛めて投手を断念することになり、打者に専念するが「バッティングったって自己流、ぜんぜん当たりゃせんのだもの」という中嶋は早稲田時代には31打数6安打で打率.194という信じられないほど低い数字を残している。

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早稲田大学卒業後は藤倉電鉄に入社。34年には日本代表の一員としてベーブ・ルースを擁する全米選抜と戦い、36打数8安打で3打点を記録した。だがそこでも「いい肩をしているが、どうしてああカーブに弱い中嶋、果たして本気で職業野球入りするのか」などと書かれた。巨人と契約すると初代背番号3を背負ってプレーした。

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ニックネームは班長。これは巨人と契約した直後に応召されて、帰った際の練習でチームメイトから「よっ部隊長」と声をかけられたところ、津田 四郎が「せいぜい班長じゃないか」と言ったことをきっかけに定着した。また中島は松本歩兵第55連隊に入隊したさい、乙種幹部候補兵試験に合格し、班長の伍長に昇格している。第1回アメリカ遠征は応召のため参加できなかったが、第2回アメリカ遠征ではチームトップの打率.281を記録した。

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中島は実質的な巨人の初代4番を勤めたが、マスコミからは「選球と言うこと知らず、何でも打って出る危険性のある打者」などと酷評されつづけた。そのことに中島は「ようするに打ちゃあいいんだろうと思っていただけなんだ」と意に介さなかった。

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中嶋への酷評が賛辞へと変わっていったのは、37年9月12日の後楽園球場開場という晴れの舞台で2本塁打を打ってからだ。同シーズンの本塁打王が6本塁打なのに、1試合2本塁打という快挙の達成した中島にマスコミは、「この男のバットは恐ろしい、打ちやすいと思えばどんなのでも打ってしまう。ボール球でも打つのだから、ストライクの範囲が広いわけだ」、「ストライクくさいボール、ストライクゾーンからきわどくボール圏に逃げる誘い球、普通の打者だったら、引っ掛けて凡打に終わる微妙なコースに、膝の柔軟な中嶋は、モチ竿のようにバットを使って粘っこくボールに食いついてヒットにする」と絶賛の嵐になった。

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37年11月1日のセネタース戦では、左腕投手の金子が投じたワンバウンドした球をフルスイングして、レフトスタンドまで運ぶ離れ業を見せた

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38年は春と秋に分けてリーグ戦が行われたが、中島は春のリーグ戦で打率.345で首位打者を獲得するなど活躍し、5月7日から6月21日まで戦前記録の22試合連続ヒットを記録した。秋には10月11日から22日まで当時の使用球の質の悪さを考えると驚異的な1リーグ記録の5試合連続本塁打を達成したが、この記録は72年まで発見されなかった。また10月11日から11月5日の11試合で1試合4安打を5回記録し、その間の打率は.583(48打数28安打)、8本塁打で20打点という恐ろしい数字を記録した。それまで.285だった打率は一挙に.398にまで引き上がった。

初の三冠王
11月1日セネタース戦では2本塁打を含む4安打で6打点という大活躍を見せるなど中島は打率は.361、10本塁打、38打点という素晴らしい成績で日本初の三冠王に輝いた。だが当時は本塁打王も、打点王もなく、打撃王という名の首位打者だけが表彰された。中島の三冠王が認められたのは65年になってからだった。

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40年に巨人がマニラに遠征すると1月11日にリザール球場で行われたマニラ大学戦でレフトに場外ホームランを放った。リザール球場のフェンスにはその記念碑が取り付けられた。

ノーヒットノーラン助演賞
強肩でも知られる中島は、外野に抜けてきた打球を掴むと、矢のような送球を一塁に投げ、しばしば打者を外野ゴロに仕留めた。巨人の中尾は二度のノーヒットノーランを記録した大投手だが、実はいずれの試合でもライト前に打球を運ばれている。だが中島がライトゴロを完成しピンチを救った。

ライトゴロ
中島は右前安打を一塁に投げて刺したのが14回、二塁に投げて一塁走者を封殺したのが6回と、20回ものライトゴロを完成させている。「外野手と言うのは、ただ強肩であればいい、というものじゃないんでね。その打者の打球のクセを日ごろからよく頭に入れておかねばいかんわね。それに投球のコースも、そういう物を見極めておいて、右前にゴロが転がってきた場合、どの辺にいたら走者をさせるか見積もっていなきゃあ、いい外野手とはいえんのでって、いつも自分に言い聞かせてはいたね」


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戦後すぐの46年から巨人の監督権外野手に。

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大洋ホエールズでは渡辺総監督に次ぐ監督に就任。51年は兼任監督としてプレーし、7月からは選手に専念した。

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引退後は読売新聞の記者に転身、巨人、大洋の退団はともに球団内の勢力争いが影響したという噂があったが、読売新聞では当時の暴露記事を書くどころか、アマチュア野球の取材のみでプロ野球の記事は書かなかった。

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63年の殿堂入り。


監督成績
19勝
26敗
2分
勝率.422
Aクラス0回
初記録
初出場
初安打
初本塁打
初打点
初盗塁
その他の記録
殿堂入り 63年
5試合連続本塁打 38年10月11日〜10月22日





36春夏 36秋 37春 37秋 38春 38秋 39 40 41 42 43 46 47 48 49 50 51
最優秀選手
首位打者
本塁打王
打点王
最多安打
ベストナイン
三冠王


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
36春夏 巨人 7 31 6 9 3 0 1 15 6 3 - 0 - 1 0 1 - 4 .290
36秋 巨人 19 70 11 18 5 2 0 27 8 6 - 1 - 6 1 6 - 0 .257
37春 巨人 56 221 32 63 10 5 4 95 30 18 - 3 - 27 0 8 - 3 .285
37秋 巨人 40 166 22 49 4 3 5 74 37 9 - 1 - 9 0 9 - 2 .295
38春 巨人 35 145 19 50 7 1 1 62 25 2 - 1 - 11 1 10 - 1 .345
38秋 巨人 38 155 30 56 7 2 10 97 38 3 - 0 - 18 0 6 - 3 .361
39 巨人 96 396 57 110 22 8 6 166 58 15 - 0 5 28 0 29 - 4 .278
40 巨人 103 402 43 106 24 6 4 154 67 9 - 2 4 35 0 28 - 3 .264
41 巨人 85 341 36 87 13 4 3 117 39 5 - 3 - 34 1 19 - 3 .255
42 巨人 105 426 57 111 15 4 7 155 60 12 5 1 - 33 2 20 - 3 .261
43 巨人 75 272 19 54 8 2 3 75 32 12 3 3 - 23 1 19 - 3 .199
46 巨人 58 217 25 59 7 5 0 76 34 5 4 0 - 14 0 16 - 6 .272
47 巨人 44 117 5 23 4 1 0 29 4 3 2 0 - 7 0 4 - 1 .197
48 巨人 49 152 11 37 8 1 4 59 20 0 0 3 - 5 0 11 - 2 .243
49 巨人 18 40 2 7 1 0 1 11 5 1 0 0 - 3 0 4 - 2 .175
50 大洋 15 47 6 15 3 0 3 27 12 0 1 0 - 1 0 4 3 1 .319
51 大洋 28 98 16 35 5 0 5 55 18 0 1 1 - 5 1 13 3 1 .357
球団 2年 43 145 22 50 8 0 8 82 30 0 2 1 - 6 1 17 6 2 .345
通算 14年 871 3296 397 889 146 44 57 1294 493 103 16 19 9 260 7 207 6 42 .270


  監督成績
チーム 順位 勝利 敗戦 分け 勝率 ゲーム差 本塁 被本 盗塁 打率 防御率 失策
43 巨人 84 54 27 3 .667 ▼4.0 12 7 145 .208 1.38 125
46 巨人 80 49 30 1 .620 1.0 24 22 98 .257 2.59 153
47 巨人 29 10 19 0 .345 22.5 27 41 100 .242 2.65 147
49 巨人 62 37 25 0 .597 16.0 125 87 112 .273 3.15 160
51 大洋 47 19 26 2 .422 37.0 86 88 66 .253 4.84 147
球団 1年 47 19 26 2 .422 37.0 86 88 66 .253 4.84 147
通算 5年 302 169 127 6 .571 72.5 274 245 521 .247 2.92 732
46年は6月13日から閉幕まで。
47年は開幕から6月2日まで。
49年は4月16日から7月20日まで。
51年は開幕から6月30日まで。
ゲーム差から右は一年間のチーム成績。