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川村 丈夫



16
名前 かわむら たけお
生年月日 1972年4月30日
経歴 厚木高校−立教大学−日本石油−横浜
入団年 96年ドラフト1位
在籍年 97年−08年
背番号 97年−08年[16]
投打 右投げ右打ち
守備 投手
厚木高
小学3年から少年野球チームで野球を始めた川村は中学でも地区のクラブチームで野球を続けたが、指折りの進学校である厚木高校に進学してからは野球を止めようかと悩んでいた。だが川村が野球をやっていた事を聞きつけた先輩が野球部へと誘い、入学から数ヶ月後に野球部に入った。横浜高校の鈴木 尚典とは同学年だったが「アイツは別の世界の人間でした。今一緒にプレーしているのが不思議ですね」、また厚木高時代には綺麗な回転のボールを投げさせるため、カマボコ板を投げるという一風変わった練習を行っている。

16回・・
7月27日川崎北高戦では河原 純一と投げ合い、延長15回が終わって1対1という投手戦を繰り広げた。延長に入ってからは厚木高が毎回のようにチャンスをつくったが、15回の裏に河原が2塁に悪送球をしたと見せかけるトリックプレーでサヨナラのランナーをタッチアウトにすると流れが変わって、延長16回表に川村は四球から崩れ力尽き甲子園の夢は叶わなかった。

立教大
立教に一般入試で入学。2年春にはエースとなって5勝1敗を記録、3年時に日米大学野球に選ばれた事でプロを意識するようになったが、3年秋は3勝5敗、4年春には8完投を記録するなどリーグ最多の73.1イニングを投げたが六大学ワースト記録となる78失点を記録して4勝5敗、チームが低迷していた時期という事もあって4年秋には1勝5敗と大幅に負け越した。大学最終登板となった東大3回戦では2回9失点でKOされてリリーフ投手に「ごめん」と言い残してマウンドを降りた。

メダル
六大学では通算21勝で史上8位の317奪三振を記録したが、腰の不安もあってプロ入りを断念して日本石油入り。社会人では12勝1敗と格の違いを見せて96年にはベストナインを獲得。アトランタオリンピックでは準決勝のアメリカ戦で6回途中からマウンドに上がり3.1回を4奪三振、無安打、無失点という素晴らしい内容でアメリカ打線を抑え込んだ。最後のバッターをファーストゴロに打ち取り、ベースカバーでウイニングボールを手にした川村はそのメダル確定ボールを先発の杉浦に渡そうとしたが、杉浦は「お前が持っていろ」と言って川村にくれた。

ルーキーイヤー
96年オフにドラフト1位で横浜に入団。デビュー戦となった97年4月6日中日戦で見事勝ち投手になると、その後もシーズンを通して活躍。10勝7敗でリーグ2位の147奪三振を記録した。広島の沢崎と激しい新人王かと思われたが、100票以上離されての次点に終わった。防御率、奪三振では大きく上回ったが、勝ち星で2つ差をつけられたのが痛かった。

開幕投手決定
98年の開幕前、新監督に就任した権藤は開幕投手を「粘りの三浦か、キレと力の川村か」と悩んだ末に、一軍コーチ陣を全員集め多数決で開幕投手を決定した。開幕を目前にした3月29日、権藤は三浦、川村、野村を呼び寄せて「目をつぶって手を出してくれ」といった。そしてコインを川村の右手に置いて「おめでとう」と声をかけた。

36年藤村(神、)96年斎藤(巨)、98年川村
4月3日阪神戦、開幕のマウンドに上がった川村は、先頭打者の和田にライト前ヒットを打たれたが、続く桧山を併殺に打ち取ると波に乗り、なんと開幕戦を10奪三振の完封勝利で飾った。チームとしては日石の先輩である平松以来19年ぶりの開幕完封で、しかもプロ野球史上3人目の1安打完封という離れ業だった。

絶好調から一転
完璧な開幕を飾った川村は故障でチームを離れたりもしたが、6月から5連勝を記録するなどオールスターまで8勝2敗という大活躍を見せてチームのオールスター首位折り返しの立役者となった。だがオールスター明けからはプッツリと勝てなくなって後半戦は0勝4敗でシーズンを終えることになった。チームは優勝したが、後半戦の不調から川村に日本シリーズのマウンドは回ってこないはずだった。

最初と最後
日本シリーズ第3戦で三浦が2.1回で6四死球、4失点と大崩れして球団史上初の日本シリーズ敗戦を記録した。そして3勝2敗で迎えた第6戦、ローテション通りなら三浦が投げるはずだったが、権藤監督は「お前から始まったシーズンだからお前が締めろ」と言って川村をマウンドに送った。川村は毎回のようにランナーを出しながらも要所を締め、8回途中でマウンドを譲るまで西武を無失点に抑える好投を見せた。するとその裏に駒田が均衡を破るタイムリーを放ち勝ち越しに成功。最後は佐々木が締めて見事に38年ぶりの日本一に輝いた。

17勝
99年には防御率3.00で17勝6敗という素晴らしい結果を残したが、新人の上原が20勝を記録したため惜しくも最多勝はならなかった。

最多敗
00年には7勝12敗と大きく数字を落として最多敗を獲得。01年も6勝6敗と年々数字を落とし、02年はついに3試合で0勝に終わった。川村はかねてから痛めていた背中の手術を決意。当初「ガングリオン」という診断だったが「滑液包炎」だった。

593日ぶり
03年、復活を目指す川村は4月15日中日戦で7回3失点、21日広島戦は6回まで無失点も7回に同点に追いつかれ降板、29日ヤクルト戦は9回1失点の好投も勝ち星がつかず、好投を続けながらなかなか勝ち星がつかなかった。だが5月6日の広島戦で6回を2失点に抑えて勝ち投手の権利を持ってベンチに下がると、あとは木塚、福盛、デニーが1回ずつを抑えて、ついに川村は593日ぶりの白星を手にした。

中継ぎ転向
04年、先発しても中盤でつかまることの多かった川村は中継ぎに回ることになった。これが成功し前半戦は完璧なピッチングを見せ続けた。だが6月に入るころから疲れが見えはじめ、それに合わせるように好調だったチームも転落していった。チームトップの58試合に登板し防御率3.07となかなかの数字を残したが勝敗は4勝8敗に終わった。

オールスターを挟んで
05年は開幕から好調が続き、前半戦だけで31試合に登板し、防御率0.89という圧倒的な成績を残した。だが後半戦初戦の中日戦で3失点を喫して敗戦投手になると、そこから一月半で5敗と課題の夏場を乗り切ることは出来なかった。それでもリリーフの中心として56試合に登板し、防御率2.31という素晴らしい成績を残した。

クアトロK
06年には同年から命名されたクアトロKのリーダー格として57試合に登板したが、防御率3.86と今一つの結果に終った。07年には先発へ再転向したが、4回を越えると明らかにスタミナ切れになるなど先発の責任を果たせずリリーフに再転向。同じく先発に転向していた加藤もリリーフに戻り、開幕から二ヶ月半でクアトロKが復活した。

引退
08年は4月25日の広島戦で2年ぶりのセーブを記録し、誕生日の4月30日には1.1回を無失点に抑えて勝利投手になったが、ストレートのキレが戻らず二軍降格。二軍ではまずまずのピッチングを続けていたが「投げるのが怖くなり、逃げている自分がいる」ことに気付いた川村は同年限りでの引退が決まった。10月5日引退試合では試合後のセレモニーで「スタジアムには色々な思い出があります。どれだけホームランを打たれたか、そしてここで日本一になれたこと、本当に幸せでした」とユーモアを交えて現役に別れを告げた。


チーム対戦記録
巨人 13勝8敗
阪神 13勝13敗
中日 14勝22敗
広島 16勝11敗
ヤクルト 14勝9敗
初記録
初登板 97年4月6日中日戦
初勝利 97年4月6日中日戦
初奪三振 97年4月6日中:鳥越から
初完投 97年8月3日広島戦
初セーブ 06年9月14日ヤクルト戦
その他の記録
月間MVP 99年6月
1被安打完封 98年4月3日:99年9月23日
1000投球回 06年4月7日阪神戦




97 98 99 00 01 02 03 04 05 06 07 08
オールスター 2回


  投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
97 横浜 26 2 2 10 7 0 151.2 113 27 49 4 147 3 0 56 56 3.32
98 横浜 26 1 1 8 6 0 146.1 139 23 46 2 97 3 0 60 54 3.32
99 横浜 26 5 3 17 6 0 183.0 169 21 43 1 131 1 0 65 61 3.00
00 横浜 26 1 0 7 12 0 147.2 160 23 35 0 85 7 0 84 83 5.06
01 横浜 27 0 0 6 6 0 90.1 94 8 29 0 49 2 0 43 42 4.18
02 横浜 3 0 0 0 1 0 10.1 15 2 5 1 6 0 0 8 8 6.97
03 横浜 19 0 0 5 7 0 116.2 124 20 20 4 66 0 0 63 62 4.78
04 横浜 58 0 0 4 8 0 82.0 67 8 25 3 80 2 0 33 28 3.07
05 横浜 56 0 0 6 6 0 70.0 62 6 17 0 63 0 0 21 18 2.31
06 横浜 57 0 0 4 4 3 56.0 59 3 22 2 34 1 0 25 24 3.86
07 横浜 35 0 0 3 1 0 55.0 55 3 23 2 53 1 0 22 22 3.60
08 横浜 9 0 0 1 0 1 6.1 6 0 1 0 4 0 0 3 3 4.26
通算 12年 368 9 6 71 64 4 1115.1 1063 144 315 19 815 20 0 483 461 3.72


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
97 横浜 36 52 0 4 1 0 0 5 1 0 0 2 0 1 0 19 1 0 .077
98 横浜 30 45 4 6 1 0 0 7 3 0 0 4 0 3 0 15 1 1 .133
99 横浜 30 69 7 14 2 0 0 16 7 0 0 4 0 1 0 25 2 0 .203
00 横浜 27 40 3 4 0 0 0 4 2 0 0 10 0 1 0 17 2 0 .100
01 横浜 27 24 1 1 1 0 0 2 2 0 0 3 0 0 0 12 0 0 .042
02 横浜 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000
03 横浜 19 33 2 4 3 0 0 7 0 0 0 7 0 0 0 13 1 0 .121
04 横浜 58 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000
05 横浜 56 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 .000
06 横浜 57 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
07 横浜 37 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000
08 横浜 9 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
通算 12年 389 276 17 33 8 0 0 41 15 0 0 30 0 6 0 106 7 1 .120


  日本シリーズ投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
98 横浜 1 0 0 0 0 0 7.1 6 0 2 0 5 0 0 0 0 0.00


  日本シリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
98 横浜 1 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 .000


  オールスター投球成績
回数 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
通算 2回 2 0 0 0 0 0 6.0 8 2 0 0 6 0 0 2 2 3.00


  二軍投球成績
チーム 登板 完投 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四死 三振 失点 自責 防御率
01 湘南 3 0 1 1 0 16.1 20 0 2 9 7 6 3.31
02 湘南 14 0 0 6 0 53.1 57 5 17 48 34 29 4.89
03 湘南 4 0 2 0 0 15.0 13 1 4 17 3 3 1.80
07 湘南 10 0 1 2 0 11.2 14 0 7 9 9 9 6.94
08 湘南 29 0 1 2 4 30.2 25 1 8 21 15 10 2.93
通算 5年 60 0 5 11 4 127.0 129 7 38 104 68 57 4.04