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新人王・金城龍彦の歩み

金城 龍彦



1
名前 きんじょう たつひこ
生年月日 1976年7月27日
経歴 近大付高−住友金属−横浜(98年D5位)−巨人
入団年 98年ドラフト5位
在籍年 99年−14年
背番号 99年−00年[37]:01年[2]:02年−14年[1]
投打 右投げ両打ち
守備 外野手
父親は近鉄で1試合出場
元近鉄の金城 晃世の三男として生まれた龍彦は幼い頃から大食漢で、あまりの食べっぷりに家では食事のことを「えさ」と呼んでいたとか。そんな龍彦はやがて二人の兄と共に自然と野球を始め、いつしか父と同じプロへの道を歩み始める。

PL学園松井に投げ勝つ
中学時代はボーイズリーグで全国優勝。近代付では2年の夏に大阪府予選決勝でPL学園と対戦。当時のPL学園のエースであり、その後同じく投手からスイッチヒッターに転向した松井稼頭央に投げ勝って甲子園に出場している。また3年夏には韓国の高校野球大会に在日代表チームの一員として参加してベスト8まで進出したが、その際に現地の韓国人に受け入れてもらえず半日本人を意味する「パンチョッパリ」と呼ばれて悔しい思いをした。

打者転向
社会人住友金属には投手として最速153キロを記録した金城だったが、プロでは打者として勝負をすることに決めていた。だがDH制だった社会人時代の4年間に1度も打席に立っていないブランク、しかもスイッチヒッターということから、プロに慣れるまでには時間がかかると思われていた。

シーレックス初ホームラン
しかし金城は一年目から、ファームで打率.276を記録し、10月には一軍で初ヒットを放つなど素晴らしいスピードで力をつけていき、シーレックス元年となった翌年にはシーレックス第1号ホームランを放ち、ベイスターズ昇格のきっかけとなった。

打率.400
00年4月16日巨人戦で代打で向かえた同年の初打席で槙原からプロ初本塁打を放った金城は怪我の石井、進藤に代わってスタメンに起用された5月に打率.429という凄まじい成績を残して注目を集めると、6月にも22日のヤクルト戦の第5打席から8打席連続ヒットを放つなどヒットを量産。7月には2度のサヨナラ打を放つなど勝負強さも見せ、7月が終わる頃には「バースの持つ日本記録.389を更新か?」と騒がれはじめた。

史上初の新人王+首位打者
8月半ばまでは.380と4割近かった打率も、首位打者を意識したのか8月後半から急降下、最終的には打率.346まで落としたが見事に首位打者を獲得した。さらに2位に大差をつけて新人王を獲得、新人王と首位打者のダブル受賞は史上初の快挙だった。

10億対770万
同年に行われた日米野球にも選出されると第1戦の初打席でノーヒッターのミルトンから2点タイムリーを放つと、そのままレギュラーに定着。全8試合に出場して打率.370を記録した。シーズン中は12エラーを記録した守備でもファームで守りなれたショートでファインプレーを連発するなど、ボンズら年俸十億円を超えるような選手達の中で、年俸770万円の金城が光り輝いていた。

CM
そんな金城に何か予感させるCMの依頼がきた、「インターネット通信料が1割安くなる」という趣旨のCMで、内容は試合中の金城が松坂 慶子さんに「打率が1割下がったら大変ね」と言われ、動揺してダイコンを持ってバッターボックスに立ってしまうという、なかなか面白いものだったが2年後に1割どころか半額になってしまった。

外野転向
01年にはサードからセンターへコンバートされ、当初はエラーも多かったが、リーグ最多の14補殺を記録するなどセンスの良さを感じさせた。打撃では同年から就任した森監督が金城を2番で起用したこともあって打率は.271と大幅に落とすしたが球団新の43犠打を記録するなど2番打者としての仕事は果たした。

食事制限
02年には前年から言われていたウエイトオーバーを気にした金城は体重を10%落としてキャンプインしたが、これが響いたのか開幕から不調を極め、ついにはスタメン落ち、湘南降格と散々な一年になった。

セリーグ初
03年8月13日阪神戦で金城は4回に藪から左打席で本塁打を放つと、9回には右打席でウイリアムスから本塁打を放って球団初の左右両打席本塁打を達成した。そしてそのわずか三日後の8月16日広島戦では3回に佐々岡から左打席、4回に西川から右打席で、それぞれ本塁打を放ってまたも左右両打席本塁打を達成した。シーズン2度はセリーグ初の快挙。

復活
03年の金城は体重を7キロ増量し、バットも首位打者を獲得した00年のようなヘッドの利いたものに戻し、心機一転してシーズンを迎えた。結果金城は首位打者を獲得した00年を上回る166安打を放ち、2度目の3割を記録、本塁打は自己記録を大幅に更新する16本と前年から一転して見事な成績を残した。金城の復活はダントツ最下位に低迷するチームにあって、数少ない明るいニュースだった。

悪夢消し去る
04年7月25日巨人戦、3回までに8対0と大量リードした横浜だったが、ローズの2本塁打などで徐々に追いつかれ、8回に阿部の本塁打で同点に追いつかれると、ついに延長10回表に小久保に勝ち越しホームランを許し逆転された。しかし延長10回裏ニ死から村田の同点ソロが飛び出すと、延長11回裏に金城が自身初のサヨナラホームランを放って8点差を逆転されるという悪夢を消し去った。金城は「あの場面は技術うんぬんより、無心で思い切りバットを振ることだけだった」

191安打
05年には3年連続3割となる打率.324をキ記録して球団記録にあと1本に迫る191安打を放った。同年の夏に選出されたオールスターゲームでは初戦で初回にツーベース、2回表にタイムリー内野安打、6回表に逆転となる2点タイムリーツーベースを記録して3安打3打点でMVPに選ばれた。

1000安打
07年は4月22日の広島戦で逆転サヨナラツーランを放ったものの開幕から絶不調で打率が2割前後と低迷。中でも5月23日の西武戦で1000安打にあと1本と迫るライト前ヒットを打ってから10日間で実に17打席連続凡退とドツボに嵌った。それでも6月3日のオリックス戦でユウキからライト前ヒットを放って史上246人目の1000安打を達成すると調子が上向き、暑い夏を迎える頃には完全復活、8月には球団新記録の月間7度の猛打賞を記録、後半戦からは3番に定着してチームを引っぱった。

FA宣言も
08年はスタメンとして起用されたが打率.247と結果が残せなかった。09年も開幕から不調が続きベンチを暖めることも多くなったが、夏場になると代打でヒットを連発して終盤にはスタメンに返り咲いた。10年は打率.208という自己最低の成績に終わるとオフにFAを宣言したが他球団からのオファーはなく横浜に残留した。

復活
11年も開幕直後は代打として起用されたが4月15日のヤクルト戦で6対7とリードされて迎えた8回表に二死一、二塁という場面で代打逆転スリーランを放つなどアピールしてスタメンを勝ち取った。5月下旬からは3番を任されて3割前後の打率を残すなど活躍。夏場に多少数字を落とすと、秋には肉離れで戦線から離れたが108試合に出場して打率.272(324打数88安打)を記録した。

DeNA1号
12年には阪神との開幕第3戦で岩田からソロを放って新生横浜DeNAベイスターズとしての第1号本塁打を記録した。その後も故障のラミレスに代わってクリーンナップを任されるなど高い期待を受けたが打率1割台と低迷してスタメンを外れる事が多くなった。シーズンを通しても打率.238に留まったが、代打としては打率.300、出塁率.391という素晴らしい成績を残して切り札として活躍。また9月14日のヤクルト戦で7回表に村中からセンター前ヒットを放って球団生え抜きとしては6人目、スイッチヒッターとしては史上7人目の1500安打を達成した。

チームの躍進に貢献
13年は開幕から打率3割を超える好成績を残して4月30日のヤクルト戦では8回裏に勝ち越しタイムリー、翌日のヤクルト戦では延長10回裏にサヨナラホームランと連日の活躍で2日間続けてお立ち台に上がった。5月25日のロッテ戦では成瀬から通算100号本塁打、6月に入っても3試合連続の複数安打を含む9試合連続ヒットを放つなど好調を持続させて久々に3位争いに食い込んだチームに大きく貢献した。9月16日の中日戦でも浅尾からピッチャー強襲の逆転タイムリーを放つなどシーズン終盤まで打率3割を越えていたが、CSが絶望的となった9月下旬に数字を落として打率.291に留まった。

退団
14年は開幕戦にスタメン出場、小川からタイムリーを放って幸先の良いスタートを切ったが、その後は打率2割前後の不振に陥ってしまう。5月26日のオリックス戦では4対4で迎えた延長10回裏に二死一、二塁というチャンスで代打起用されると、激しい雨が降りしきる中で抑えの平野が投じたフォークをセンター前に弾き返して球団タイ記録となる8回目のサヨナラヒットを記録、7月14日の広島戦では延長12回表に勝ち越しタイムリーを放つなど見せ場もあったが、シーズン終盤には球団から引退勧告を告げられた。金城は中畑監督に相談し、フロントとの再度の話し合いで現役続行を認められたが、わだかまりは取り除けずFA宣言を経て巨人へ移籍となってしまった。金城は「ファンには感謝の気持ちしかない」と涙を流しながら話した。

ハマスタ凱旋試合で
巨人での開幕は二軍で迎えたが開幕3戦目の古巣横浜戦で一軍昇格を果たし、同日の8回裏に代打で出場して国吉の前に空振り三振に倒れた。4月9日の広島戦で1番センターとして移籍後初スタメンのチャンスを貰うと2安打、1四球を記録して原監督の期待に応えた。そして迎えた4月15日のハマスタ凱旋試合では完璧なピッチングを見せていたモスコーソから7回表に内野安打と四球で作ったチャンスで打席に入り、横浜ファンで埋まったライトスタンドに意地の決勝スリーランを叩き込んだ。あまりにも劇的な一発に敵将になった中畑監督からも「金ちゃん、見事だった」と称賛され、目を潤ませて上がったお立ち台では横浜ファンからも歓声を受けた。

引退
その後も活躍は続き、28日の中日戦では初回にツーベースで出塁して三塁へ進むと、一走の坂本とのダブルスチール(ホームスチール)で2年ぶりの盗塁を記録するなど、4月には月間打率.311(63打数19安打)という好成績を残した。原監督の「1番バッターはチームに元気、勇気を与えてくれる人がいい」という方針もあって38歳にして1番打者としてチームを引っ張っていたが、5月に入ると大幅に状態を落として、6月11日に左前腕外側部の損傷で登録抹消。抹消後は居残り練習に参加するなど一軍復帰を目指したが再昇格は叶わず、チームがCS敗退となり、原監督が辞任を発表した翌日の10月18日に現役引退を発表した。


初記録
初出場 99年10月3日中:代打で併殺
初安打 99年10月15日ヤ:高木からライト前
初本塁打 00年4月16日巨:代打で槙原から
初打点 99年10月15日ヤ:高木からタイムリー
初盗塁 00年7月8日広:6回に二盗
その他の記録
オールスターMVP 05年第一戦
記録達成日
1000安打 07年6月3日オリックス戦:ユウキから
1500安打 12年9月14日ヤクルト戦:村中から
100本塁打 13年5月25日ロッテ戦:成瀬から


99 00 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15
新人王 1回
首位打者 1回
ゴールデングラブ 2回
オールスター 3回


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
99 横浜 6 11 1 2 0 0 0 2 1 0 0 0 0 0 0 0 2 1 .182
00 横浜 110 419 60 145 18 3 3 178 36 8 7 17 0 37 2 58 6 12 .346
01 横浜 138 480 68 130 19 2 3 162 49 10 10 43 0 56 0 57 6 5 .271
02 横浜 111 224 13 38 8 1 0 48 13 5 0 14 3 14 3 35 2 3 .170
03 横浜 136 549 78 166 26 1 16 242 40 4 13 2 4 33 4 60 7 5 .302
04 横浜 133 486 53 147 15 2 13 205 52 0 5 6 0 29 6 74 12 5 .302
05 横浜 144 590 70 191 30 1 12 259 87 1 2 5 8 32 7 63 6 1 .324
06 横浜 144 552 60 148 22 2 11 207 59 2 1 8 3 48 7 57 14 4 .268
07 横浜 139 511 66 145 27 2 14 218 66 2 2 12 4 49 4 64 11 4 .284
08 横浜 136 489 44 121 16 1 9 166 41 0 4 6 2 32 3 64 11 2 .247
09 横浜 118 312 37 88 21 2 9 140 34 1 3 5 1 18 5 44 6 0 .282
10 横浜 96 130 9 27 7 0 1 37 10 0 0 4 0 15 0 17 3 1 .208
11 横浜 108 324 24 88 13 1 3 112 29 1 0 6 5 16 3 35 8 0 .272
12 横浜 129 294 29 70 11 0 3 90 18 2 1 3 2 26 6 37 1 0 .238
13 横浜 118 306 33 89 12 1 6 121 36 3 0 2 1 17 8 40 8 1 .291
14 横浜 90 160 9 32 6 0 0 38 11 0 1 1 0 13 1 21 3 0 .200
15 巨人 36 90 9 21 3 0 1 27 10 1 0 1 0 3 1 11 0 0 .233
通算 16年 1892 5927 663 1648 254 19 104 2252 592 40 49 135 33 438 60 737 106 44 .278


  オールスター打撃成績
回数 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
通算 3回 6 11 0 4 2 0 0 6 3 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .364


  WBC打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
06 日本 5 5 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 .200
通算 1年 5 5 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 .200


  二軍打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死 三振 併殺 失策 打率
99 横浜 88 225 23 62 8 2 1 77 14 12 11 1 21 32 4 14 .276
00 湘南 13 51 8 18 3 0 1 24 9 3 2 1 4 3 1 0 .353
02 湘南 6 22 4 5 1 0 1 9 4 1 0 0 2 2 0 0 .227
09 湘南 3 7 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 1 0 0 0 .143
10 湘南 8 21 3 3 1 0 0 4 1 0 1 0 5 4 0 0 .143
11 横浜 2 7 0 2 1 0 0 3 2 0 0 0 0 0 1 0 .286
14 横浜 7 25 5 9 1 0 0 10 3 0 0 0 5 1 0 0 .360
15 巨人 31 73 9 16 3 0 1 22 5 2 2 0 14 5 0 3 .219
通算 8年 158 431 52 116 18 2 4 150 38 18 16 2 52 47 6 17 .279