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工藤 公康



47
名前 くどう きみやす
生年月日 1963年5月5日
経歴 名古屋電気高−西武−ダイエー−巨人−横浜−西武
入団年 07年に巨人から移籍
在籍年 07年−09年
背番号 07年−09年[47]
投打 左投げ左打ち
守備 投手
野球始める
5人兄弟の4人目として生を受け、草野球チームに入っていた父親の練習相手として小3から野球を始める。父親がキャッチャーをしていたためポジションは最初からピッチャーだった。小学校では野球部と体操部に入り、中学では最初ハンドボール部に入ったが、ハンドボールの顧問の先生に無理やり野球部に移籍させられた。

コントロール
名古屋電気高に進むと1年秋からエースになったが、2年夏の県大会で四球、死球、暴投、ボークとありとあらゆる失敗をしでかして敗戦してしまった。悔しさで泣いた工藤は同年の秋からソフトボールの指導者に教わった10メートルの距離からダーツのような投げ方でストライクを投げる練習を始めた。10球投げて10球とも狙ったところにいくようになると一歩下がってまた10球いくまでボールを投げ続けた。一歩一歩下がってマウンドに戻る頃にはストレートもカーブも内角も外角も高めも低めもキャッチャーの構えたところに行くようになっていた。

甲子園
3年夏の県大会では右目に死球を受けて大会関係者から「失明の危険があるから、すぐに病院へ行くように」と言われたが中村監督に「俺が責任を取るから」という謎の言葉で続投となり甲子園に進出、甲子園では初戦の長崎西戦で16奪三振、1四球でノーヒットノーランを達成。続く北陽戦では延長12回を4安打、無四球、21奪三振に抑えてベスト8に進出。志度商戦では2安打2四球で完封勝利(12奪三振)、準決勝の報徳学園戦では惜しくも金村 義明に投げ負けて全国制覇はならなかった。

西武入団
進路が注目された工藤だったが父の「社会人へ行け」という言葉で早々に熊谷組入りが内定し、全球団に指名お断りの通達まででしていたが、ドラフト会議で西武が6位で指名すると一転してプロ入りに傾いたため密約説が噂された。監督からフロントになっていた根本 陸夫管理部長は「裏約束は絶対に無い。誠心誠意、話し合ってみる」と言って交渉にあたり父親を口説き落とした。父の変節に怒った工藤は3日間の家出をした。

初年度
プロ入りまで練習を怠っていたこともあって体重が10キロ以上増加、自身が「完璧でしたね」と語るほど状態の良かった3年夏からは程遠い体でキャンプインしたが、初年度から27試合に登板し1勝1敗、防御率3.41という高卒ルーキーとしては文句のつけようがない成績を残した。日本シリーズでは第6戦で4対4の同点に追いつかれた3回裏からマウンドに上がり、代打石井をショートゴロに打ち取ってピンチを脱出すると、4回表に回ってきたプロ初打席でフェンス直撃のツーベースを放った。

最優秀防御率
2年目からは好投を続けながら東尾や松沼兄弟などの西武の厚い投手陣に阻まれてなかなか先発入りできなかった。3年目のオフにアメリカの教育リーグに参加しマイナー選手のハングリーさに刺激を受けて「このままじゃだめだ」と奮起、宮田コーチと投球フォームを一から作り上げると球速が10キロ近くもアップし、翌85年に大きく飛躍し、8勝3敗を記録すると共に防御率2.76で最優秀防御率に輝いた。翌86年には優勝決定試合の10月9日のロッテ戦で完封勝利を達成するなど11勝5敗を記録した。

流れ変える
86年の広島との日本シリーズでは初戦を延長14回の末に引き分けた西武は第2戦を工藤で落とすと、そこから3連敗を喫して0勝3敗1分と後がなくなった。だが第5戦で延長10回からマウンドに上がった工藤が3イニングを5奪三振でゼロに抑えると、延長12回裏に一死二塁で打席に入った工藤が広島のストッパー津田からライト前にヒットを打って劇的なサヨナラ勝利を飾った。投手のサヨナラヒットは58年に稲尾がサヨナラ本塁打を放って以来28年ぶり史上二人目の快挙だった。工藤は第6戦でも3回を無失点、史上初の第8戦でも2回を無失点に抑えて、胴上げ投手になると共にシリーズMVPにも選出された。

MVPならず
87年には開幕から7試合連続完投で引き分けを挟んで6連勝を達成するなど凄まじいシーズンを送り、23完投で実に223.2投球回を投げ抜いて、15勝4敗、防御率2.41で自身2度目の最優秀防御率にも輝いた。成績ではエースの東尾を上回ったが、MVP投票では惜しくも敗れている。(東尾750票、工藤714票)

2年連続
巨人との日本シリーズでは第2戦に登板し3安打、2四球で完封勝利。第5戦でリリーフに回ってセーブを上げると、翌日の第6戦では再び先発。2対0とリードした7回表に原のソロで1点差に追い上げられたが、8回裏に二死一塁から秋山のセンター前ヒットで一塁ランナーの辻が一気にホームインするという伝説のプレーで突き放した。9回裏には感極まったファースト清原が号泣しているのを見て捕球できないと判断、篠塚に外野フライを打たせて日本一を決めた。3安打2四球で完投した工藤は2年連続で胴上げ投手&シリーズMVPに輝いた。

酒浸り
88年は10勝を上げたものの10敗で防御率3.79と今一つの結果に終った。すると翌89年は4勝8敗で防御率4.96と大きく数字を落とし、チームの優勝も4年連続でストップするなど最悪のシーズンになった。工藤は毎日のように飲み歩き、医者から「死んでもおかしくないよ」と言われるまで肝臓がボロボロになっていた。

復活
工藤は奥さんに「山で暮らそうよ」というほど自信を失っていた。奥さんは一度は承諾したが回りから聞こえてくる「工藤は終わった」といった陰口に悔しさをつのらせて「この人を復活させてみせる」と決意、食事療法で工藤の体質改善を試みた。そして試行錯誤を繰り返しながら努力を続ける奥さんを見ていた工藤も意識を変え、不摂生な生活を改めてトレーニングもウエイトなどの科学的なものに変更した。すると91年に16勝3敗で防御率2.82と完全復活を遂げ、日本シリーズでも初戦を完投勝利、第7戦では5回からマウンドに上がり5イニングを無失点に抑えて優秀選手に選出された。

ダイエー移籍
工藤は93年にも防御率2.06で自身3度目の最優秀防御率に輝き、15勝3敗でMVPも受賞するなど西武のエースとして活躍していたが、94年のオフにFAでダイエーの球団専務になっていた根本 陸夫から「王と長嶋の日本シリーズが見たいんだ。力を貸してくれ」との言葉を受けてダイエーに移籍。ちなみに工藤は89年8月30日のダイエー戦から同カード14連勝という離れ業を記録している(93年の5月18日にカズ山本に2本塁打を打たれてストップ)

移籍初年度
移籍後初登板は古巣西武との開幕戦となった。初回にミッチェルの初打席グランドスラムなどで7点という大量援護を貰いながら、工藤は2回裏に3点を失うと、4回裏にも5点を取られて逆転を許してしまった。だが打線が粘って、延長戦の末に11対10で接戦を物にすると勢いに乗ったダイエーは4月を14勝9敗という好成績の2位で終えた。工藤も開幕6連勝という最高のスタートを切り、優勝の二文字が紙面を賑わすようになった。しかし下柳が交通事故、ミッチェルが無断帰国など故障者が続出し、ズルズルと順位を落とすと、工藤も腰痛で戦列を離れてしまい、ついに18年連続Bクラスとなってしまった。

孤軍奮闘
96年9月23日のロッテ戦で先発した工藤は4回6失点でノックアウトされた。この試合に6対7で敗れたダイエーは19年連続Bクラスが決定。これは広島の18年連続を更新する日本新記録となった。工藤は202.2回を投げ178奪三振で最多奪三振に輝き、防御率も3.51というまずまずの数字を残したが、貧打に足を引っぱられて8勝15敗で最多敗戦になってしまった。

20年連続
98年にはオリックスとの開幕戦で7安打完投勝利。これはダイエーとしては10年ぶりの開幕戦白星だった。これで勢いに乗ったダイエーは開幕3連勝という最高のスタートを切った。その後は8連敗したかと思えば、7連勝という浮き沈み激しいシーズン送りながらも終盤戦まで首位争いを繰り広げた。だが最後に力尽きるとラスト5ゲームに全敗し一気に転落。それでも何とかオリックスとの同率3位を確保し連続Bクラスは20年でストップした。なお工藤はヒジ痛で15試合登板に留まり優勝争いに貢献できなかった。

チーム変える
工藤が入団した頃のダイエーは「走らない、投げない、何もしない」という完全なBクラスのチームだった。だが工藤の厳しいトレーニングやアフターケア、食事制限などの徹底した自己管理を目にした選手たちの意識は少しずつ変っていった。また捕手としては未熟だった城島のサインにあえて首を振らず、打たれてベンチに帰ると何故打たれたのかを丁寧に説明して城島をゴールデングラブの常連になるまでに育て上げた。

MVP
自身が「生涯で一番いいフォーム。よそ見をしていてもストライクが取れた」と語った99年には11勝7敗ながら196.1イニングを投げ、防御率2.38で自身4度目の最優秀防御率、196奪三振で最多奪三振と最高のシーズンを送った。工藤に引っぱられたチームも5月中旬から首位をキープし、最後は5連勝で西武を振り切って実に26年ぶりの優勝を飾った。工藤は同年にプロ入りした松坂を抑えて自身2度目のMVPに輝いた。(工藤487票、松坂363票)、また城島とバッテリー賞にも選出ばれた。

新記録
同年の日本シリーズでは初戦に先発。中日打線を6回までわずか3安打に抑えると6回裏に沈黙していたダイエー打線が火を噴いて秋山のソロなどで3点を先制。これで楽になった工藤は6安打2四球で完封勝利。13奪三振はシリーズ新記録で通算の86奪三振も稲尾の84奪三振を越えるシリーズ新記録となった。初戦を完勝したダイエーは第3戦、第4戦でも完封するなど中日を圧倒し4勝1敗で35年ぶりに日本一に輝いた。

巨人移籍
99年オフの契約更改。最優秀防御率に最多奪三振、MVPで日本シリーズでも活躍と最高のシーズンを送った工藤には大幅アップが期待されたが、球団の提示はわずか1000万円増の1億6000万円だった。工藤は「戦力外通告かと思った」というほどショックを受けたが、その後にさらに酷い事が待っていた。球団は交渉のたびに年棒を吊り上げて最後には2億5000万円まで提示してきた。「最初の提示は何だったんだ」と工藤が不信感を露にすると、高塚球団代表はいい大人が書いたとは思えない反論文をホームページに掲載し、事態は泥沼化していく。残留を望むファンが15万人もの署名を集めたが工藤はFA宣言で巨人に移籍することになった。

最優秀投手
巨人移籍後初登板となった00年4月4日の中日戦では7回を4安打無四球で13奪三振という前年の日本シリーズを彷彿させるようなピッチングを見せて勝利投手になった。その後も順調に勝ち星を重ねて12勝5敗で巨人のリーグ優勝に貢献。最優秀投手に輝くと共に37歳にしてベストナインとゴールデングラブに選出された。

ONシリーズ
古巣ダイエーとの間で行なわれた日本シリーズでは初戦に先発したが2回表に城島にワンバウンドしそうなインローのストレートをレフトスタンドに運ばれて1点を失うと、7回表に松中に同点ツーランを打たれて7回を5安打に抑えながら3失点でマウンドを降りた。そして試合はリリーフ陣が打ち込まれて巨人は初戦を落としてしまった。その後巨人は4勝2敗で日本一に輝いたが工藤に雪辱のマウンドはやってこなかった。

84打席ノーH
01年は故障でわずか1勝に留まったが、翌02年には170.1回を投げて9勝8敗、防御率2.91と復活。03年には
8月20日の横浜戦で40歳にして完封勝利(3安打、2四球)。なお00年4月11日阪神戦から、02年7月26日のヤクルト戦までの3シーズンにまたがって84打席連続ノーヒットというリーグ新記録も達成している。

2500&200
04年6月4日ヤクルト戦の5回表にマーチンから三振を奪って2500奪三振を達成。同試合では同僚の清原も2000本安打を達成している。通算200勝にあと1勝として迎えた8月17日のヤクルト戦では初回に岩村のソロで1点を失ったが、2回以降は無失点に抑えて試合を作る。7回表に伏兵志田のソロで1点を勝ち越されたが、その裏にペタジーニのソロで同点に追いつくと、なおも二死二塁という場面で工藤が打席に入った。工藤はベバリンのストレートを叩き、打球はライトスタンドに飛び込む23年目のプロ初ホームランとなった。工藤は9回を投げ抜いて2失点完投勝利で史上23人目の200勝を達成した。

夢舞台
05年のオールスターゲーム第2戦では打席に城島が入る6回表からマウンドに上がった。城島は恩師との対決に喜びを隠し切れず少年のような笑みを浮かべたまま打席に入った。そして工藤がカーブを投げると打席で「ありえない」とでもいうように大きく手を振ってストレート勝負を要求。工藤がそれに答えてストレートを投げると城島はこれを見事に打ち返してレフトスタンドに叩き込んだ。

史上最年長
05年には史上最年長の二桁勝利となる11勝9敗を記録。シーズン中には5月19日のソフトバンク戦で40歳代新記録の13奪三振を奪うと共に史上二人目の42歳での完投勝利を達成。9月9日中日戦では40歳の山本昌と史上2回目で55年ぶりとなる40歳代対決が実現。山本昌が2回途中でノックアウトされたのに対して、工藤は6回を3安打無四球無失点で勝利投手になった。

横浜移籍
06年は3連勝でスタートしたが肩痛で二軍に降格。その後は二軍でも登板がないままシーズン終了。契約更改では大幅ダウンを提示され保留。翌年の1月9日に横浜から巨人にFA移籍した門倉の人的補償選手として横浜に移籍することになった。

チーム引っぱる
横浜入りが決まった工藤は1月20日はキャンプ地沖縄に先乗りし第二次自主トレを開始。2月1日のキャンプ初日にはブルペンに入り、2月11日には223球を投げ込みを行なうなど異例のスピード調整を続けた。工藤の熱気に吸い寄せられるようにキャンプ地には多くのファンや報道陣が集まり、5年連続で負け越し中のチームとは思えないほどの賑わいを見せた。工藤は2月25日にプロ26年にして初めてとなる2月のオープン戦にまで登板した。

登録抹消
工藤効果もあってか開幕から高いモチベーションでスタートしたベイスターズは、4月が終わって14勝10敗という上々の滑り出しを見せた。だが先発の柱として期待されていた工藤はスピード調整が失敗したのか開幕から3試合に登板して0勝3敗、防御率は14.40と結果が残せず、開幕からわずか18日で登録抹消になった。ファームでじっくりと鍛えなおした工藤は5月8日に一軍に復帰すると、5月11日の広島戦で8対4とリードした9回表のマウンドに上がり、打者三人を全てセカンドゴロに打ち取って、実に6432日ぶりの交代完了を記録した。

移籍後初勝利
5月15日の巨人戦で先発に復帰し、まずまずの投球を見せて復活をアピールしたが、チームは巨人に3連敗し首位戦線から後退すると、その後も負け続けて8連敗。6個あった貯金も2個の借金に変わり、チーム全体に暗いムードが漂っていた。そんな中で迎えた西武との交流戦、工藤は故郷とも言える西武球場のマウンドに上がった。「とにかく1人ずつ、1球ずつ集中して投げることを心掛けた」という工藤は初回からキレのあるストレートとカーブという本来のピッチングで西武打線を抑え込み、6回を投げて4安打1四球で無失点という素晴らしい結果を残した。チームも継投で何とか逃げ切り、泥沼の連敗をストップさせた。

13球団から勝利
後半戦の開幕戦となった7月24日巨人戦では6回を7安打2失点に抑えて古巣巨人から初勝利。これで消滅した近鉄を含めた全13球団から白星を記録した史上初の投手になった。翌週の巨人戦でも1失点で勝利投手になるなど夏場にかけて調子を上げ4連勝を記録。7勝6敗、防御率3.91という数字を越える存在感を示した。

40歳代最多勝利
08年は肘の故障でわずか3試合登板に留まると、09年には開幕5戦目の巨人戦で先発のマウンドに上がったが、5回までに4被本塁打を浴びて8失点と滅多打ちにあった。その後は84年以来25年ぶりとなる本格的なリリーフに挑戦し、5月5日の巨人戦で初ホールドを記録。5月25日の楽天戦では4対5と1点のリードを許した9回表にマウンドに上がって三者凡退に抑えると、その裏に内川の逆転タイムリーでサヨナラ勝ち。工藤に村山 実を超える223勝目が記録された。この白星で40歳代での勝利数が37となり、若林をを超える単独1位となった。

西武復帰
5月は10試合に登板して防御率1.17という素晴らしい結果を残したが、その後は打ちこまれる試合も増えて同年限りで退団となった。同オフに古巣の西武へ16年ぶりの復帰が決定した。オールスター直前の7月18日に一軍へ昇格すると20日のソフトバンク戦で0.2回を無失点に抑えて29年連続登板を達成したが、続く登板では0.2回で4失点を喫するなど打ち込まれる試合が続いて1年限りで退団となった。

監督就任
工藤はトレーニングを続けて現役続行を目指したが獲得を表明する球団は現れず、西武退団から1年後の11年のオフには横浜DeNAベイスターズの初代監督候補として名前が上がっていたがコーチ人事で合意に至らず破談、その直後に現役引退を発表した。翌12年の4月7日の西武対ソフトバンク戦の試合前に引退セレモニーが行われた。その後は解説者として活躍していたが、14年のオフに勇退した秋山監督に代わってソフトバンク・ホークスの監督に就任した。

::
2016年に殿堂入り。


初記録
初登板 82年4月10日阪急戦:6回から
初勝利 82年8月31日日本ハム戦
初奪三振 82年4月10日阪急戦:ケージから
初セーブ 88年6月5日阪急戦
初完投 85年7月9日南海戦
記録達成日
200勝 04年8月17日ヤクルト戦
2000奪三振 99年9月23日オリックス戦:藤井から
2500奪三振 04年6月4日ヤクルト戦:マーチンから
日本シリーズMVP 86年、87年


82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 00 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10
MVP 2回
最優秀防御率 4回
最多奪三振 2回
最優秀投手 1回
最高勝率 4回
ベストナイン 3回
ゴールデングラブ 3回
オールスター 10回


  投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
82 西武 27 0 0 1 1 0 28.2 22 0 21 1 29 1 0 11 11 3.41
83 西武 23 0 0 2 0 0 33.1 30 6 13 0 24 0 0 13 12 3.24
84 西武 9 0 0 0 1 0 12.1 10 1 10 1 8 0 0 4 4 2.92
85 西武 34 8 0 8 3 0 137.0 84 13 73 2 104 1 1 44 42 2.76
86 西武 22 10 2 11 5 0 145.1 111 22 56 1 138 1 0 53 52 3.22
87 西武 27 23 2 15 4 0 223.2 181 18 64 2 175 2 0 65 60 2.41
88 西武 24 11 2 10 10 1 159.0 164 18 70 1 94 4 0 77 67 3.79
89 西武 33 4 0 4 8 2 118.0 126 12 76 2 94 9 0 70 65 4.96
90 西武 13 4 1 9 2 0 85.2 58 11 46 2 89 4 0 33 32 3.36
91 西武 25 10 4 16 3 0 175.1 124 17 75 0 151 4 0 55 55 2.82
92 西武 25 6 3 11 5 0 150.2 140 17 69 3 133 4 0 60 59 3.52
93 西武 24 4 0 15 3 0 170.0 129 10 65 2 130 5 0 46 39 2.06
94 西武 24 4 1 11 7 0 130.2 120 12 44 3 124 2 1 54 50 3.44
95 ダイエー 22 6 1 12 5 0 163.0 137 15 48 0 138 4 0 69 66 3.64
96 ダイエー 29 9 1 8 15 0 202.2 207 17 70 1 178 6 0 94 79 3.51
97 ダイエー 27 0 0 11 6 0 161.1 153 14 48 3 146 2 0 61 60 3.35
98 ダイエー 15 1 0 7 4 0 93.2 90 8 28 2 65 0 1 35 32 3.07
99 ダイエー 26 7 3 11 7 0 196.1 143 12 34 1 196 6 1 56 52 2.38
00 巨人 21 1 1 12 5 0 136.0 127 14 16 1 148 5 0 53 47 3.11
01 巨人 5 0 0 1 3 0 21.1 35 3 7 0 8 2 0 21 20 8.44
02 巨人 24 1 1 9 8 0 170.1 157 21 26 2 151 5 0 61 55 2.91
03 巨人 18 4 2 7 6 0 117.0 117 15 22 3 115 1 0 56 55 4.23
04 巨人 23 2 0 10 7 0 138.2 160 27 33 1 128 3 0 78 72 4.67
05 巨人 24 1 0 11 9 0 136.0 159 26 44 1 130 4 0 73 71 4.70
06 巨人 13 0 0 3 2 0 70.0 69 12 19 3 52 0 0 41 35 4.50
07 横浜 19 0 0 7 6 0 103.2 118 6 28 4 73 2 0 46 45 3.91
08 横浜 3 0 0 0 2 0 13.2 21 3 5 1 7 2 0 13 8 5.27
09 横浜 46 0 0 2 3 0 37.1 53 11 14 0 24 2 1 30 27 6.51
10 西武 10 0 0 0 2 0 6.0 11 1 4 0 7 0 0 7 7 10.50
球団 3年 68 0 0 9 11 0 154.2 192 20 47 5 104 6 1 89 80 4.66
通算 29年 635 116 24 224 142 3 3336.2 3056 362 1128 43 2859 81 5 1379 1279 3.45


  打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
82 西武 27 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
83 西武 24 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
84 西武 11 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
85 西武 36 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
86 西武 28 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 .000
87 西武 28 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 .000
88 西武 25 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .000
89 西武 34 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 .000
90 西武 13 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 2 .000
91 西武 25 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
92 西武 31 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .000
93 西武 28 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .000
94 西武 24 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
95 ダイエー 22 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
96 ダイエー 29 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 .000
97 ダイエー 27 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .000
98 ダイエー 16 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
99 ダイエー 26 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
00 巨人 21 44 2 1 0 0 0 1 1 0 0 4 0 1 0 30 1 0 .023
01 巨人 5 6 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 5 0 0 .000
02 巨人 26 54 1 5 0 0 0 5 0 0 0 4 0 1 0 28 1 0 .093
03 巨人 20 34 0 2 0 0 0 2 1 0 0 3 1 1 0 19 0 2 .059
04 巨人 23 44 2 5 1 0 1 9 8 0 0 5 0 2 0 32 0 3 .114
05 巨人 24 41 2 3 1 0 0 4 0 0 0 1 0 0 0 21 3 1 .073
06 巨人 13 18 0 4 0 0 0 4 0 0 0 1 0 0 0 11 0 0 .222
07 横浜 19 28 0 2 0 0 0 2 0 0 0 3 0 0 0 21 0 2 .071
08 横浜 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 .000
09 横浜 46 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 .000
10 西武 10 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .000
球団 3年 68 31 0 2 0 0 0 2 0 0 0 3 0 1 0 23 0 2 .065
通算 29年 663 272 7 22 2 0 1 27 10 0 0 21 1 7 0 169 5 25 .081


  日本シリーズ投球成績
チーム 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
82 西武 1 0 0 0 0 0 1.0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0.00
83 西武 1 0 0 0 0 0 1.0 3 0 1 0 1 0 0 1 1 9.00
85 西武 3 0 0 0 0 0 6.0 4 2 5 0 4 0 0 5 5 7.50
86 西武 4 0 0 1 1 2 15.0 9 0 5 1 17 0 0 2 2 1.20
87 西武 3 2 1 2 0 1 18.2 6 1 4 0 13 1 0 1 1 0.48
88 西武 1 1 0 1 0 0 9.0 4 2 1 0 4 0 0 3 3 3.00
90 西武 1 0 0 0 0 0 3.1 5 1 3 0 3 0 0 3 3 8.10
91 西武 3 1 0 2 1 0 21.0 15 2 7 2 15 0 0 6 4 1.71
92 西武 1 0 0 0 0 0 2.1 3 1 1 0 2 0 0 2 2 7.71
93 西武 3 0 0 0 1 0 6.2 3 1 12 0 3 0 0 4 4 5.40
94 西武 2 0 0 0 2 0 12.1 11 0 2 1 11 0 0 3 2 1.46
99 ダイエー 1 1 1 1 0 0 9.0 6 0 1 1 13 0 0 0 0 0.00
00 巨人 1 0 0 0 0 0 7.0 5 2 0 0 8 0 0 3 3 3.86
02 巨人 1 0 0 1 0 0 8.0 8 1 0 0 8 1 0 3 2 2.25
通算 14年 26 5 2 8 5 3 120.1 82 13 44 5 102 2 0 35 32 2.39


  日本シリーズ打撃成績
チーム 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
82 西武 1 1 0 1 1 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1.00
83 西武 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
85 西武 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .000
86 西武 4 3 0 1 0 0 0 1 1 0 0 1 0 0 0 2 0 0 .333
87 西武 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
88 西武 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
90 西武 1 2 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .500
91 西武 3 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000
92 西武 1 1 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
93 西武 3 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 .000
94 西武 2 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 4 0 0 .000
99 ダイエー 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
00 巨人 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 .000
02 巨人 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
通算 14年 26 16 0 3 1 0 0 4 2 0 0 3 0 0 0 9 0 1 .188


  オールスター投球成績
回数 登板 完投 完封 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責 防御率
通算 10回 10 0 0 1 0 0 22.2 22 3 4 1 21 0 0 9 9 3.57


  オールスター打撃成績
回数 試合 打数 得点 安打 二塁 三塁 本塁 塁打 打点 盗塁 盗刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺 失策 打率
通算 10回 11 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000


  二軍投球成績
チーム 登板 完投 勝利 敗戦 S 回数 安打 本塁 四死 三振 失点 自責 防御率
08 湘南 4 0 1 0 0 11.0 13 2 0 7 7 2 1.64
09 湘南 4 0 0 0 2 8.2 8 0 2 3 0 0 0.00
通算 2年 8 0 1 0 2 19.2 21 2 2 10 7 2 0.92
球団在籍時のみ


  監督成績
チーム 順位 勝利 敗戦 分け 勝率 ゲーム差 本塁 被本 盗塁 犠打 打率 防御率 失策
15 ソフトバンク 1 90 49 4 .647 - 141 113 94 109 .267 3.16 68
16 ソフトバンク 2 83 54 6 .606 2.5 114 126 107 148 .261 3.09 67
17 ソフトバンク 1 94 49 0 .657 - 164 134 73 156 .259 3.22 38
18 ソフトバンク 2 82 60 1 .577 6.5 202 163 80 102 .266 3.90 57
通算 4年 349 212 11 .622 419 536 354 515 .263 3.34 230